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呟き尾形の占い観(はじめに)
呟き尾形の占いの話 | 呟き尾形が占星学についてまとめる、ノート代わりのblog |
占いを信じる人、信じない人を交えたML、ずばり、占いえむえる。
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こんにちわ。呟き尾形です。 「占い」と言うと非科学的なまやかしの代名詞という評判をよく耳にします。 確かに「占い」を科学と胸を張っていえる方は少ないと思います。ではな ぜ「占い」は非科学的なのだろうか? 私は「占い」が非科学的と非難されるのは、ブラックボックスの技術だから だと思います。 実際、私は学生のころまでは、占い=迷信という先入観を持っていまし た。その先入観を立証すべく、占いを独学で勉強し始めたのですが、実際 に、勉強してみると、占いの中に含まれる論理は予想以上に完成されたも のだったのです。 占いは真実とは言わないまでも事実です。
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古くからの占星学は太陽系の星が関係しています。 特に、占星学は地球の他の月、太陽、他、太陽系の惑星が人間に関係し ていくであろうということを事細かに調べた結果です。 そんな、なんで、宇宙にあるものが人間なんてちっぽけなものに影響するん だよ。と思われる方がたくさんいらっしゃるかと思われます。 私もかつてそうでした。 ただ、占星学を考えるとき、忘れてはいけない視点があります。 「大宇宙と小宇宙は対応する」 という原理に基づいた視点です。 天変地異という言葉がありますが、これは、天の異変が大地の異変と対応するという考え方が転じた言葉です。 じゃぁ、大宇宙といえば、まぁ、一般に言われている宇宙のことでしょう。 つまり、星の世界です。 では、小宇宙って何? という疑問が出てくるはずです。 大宇宙、小宇宙とは何か?
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いきなり、大宇宙と小宇宙は対応するといわれても、何のことなのか、分からない。というのが、一般的な反応だと思います。 ここでいう、大宇宙とは、星の世界のことです。 そして、それに対して、小宇宙とは、人間の世界を意味します。 ただ、ここでいう小宇宙とは、一定の空間を意味するもの。というよりも、地上には大小のさまざまな宇宙があり、一人の人間の体も小宇宙を形成している。 という考え方をもって小宇宙としています。 そして、これらの宇宙は一見バラバラで無関係に運動しているようにもみえなくもありません。 しかし、実は、すべて、ある種の法則のもとうごいており、連動性がある。 というのが占星学の考え方です。 つまり、大宇宙と小宇宙は対応している。 という原理を持つわけです。 循環の法則.
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大宇宙と小宇宙が対応する。という基本となる、法則とは何か? それは、”循環の法則”ともいえます。 宇宙に存在する、すべてのものは、大小さまざまな輪の中で循環しています。 はるかかなたの天体、太陽系の太陽も地球も、地球の周りを回る月も季節の移り変わりも、1日の繰り返しも、人間の人生も、ミクロの世界の原子も何かしらの形で、輪の中で循環しています。 それぞれの大きさは違えど、循環運動をしています。 占星学においては、それを”運命の輪”としてとらえ、周期律の運命という視点によって考えられているのが占星学だと言えます。 ”運命の輪”という視点.
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”運命の輪”という視点から見れば、あえて、始まりという部分と終 わりと言う部分を切り分けることは出来なくはありません。 しかし、終わりが始まりとなり、厳密には、どこが始まりであるか、 どこが終わりであるかと言う切り分けはできません。 よくよく考えてみれば、この大宇宙すらも、物理学的な意味での座標 は求めることは不可能です。 なぜなら、全体像が未だ分かっていないからです。 地球は太陽の周りを公転している。これは常識です。そして、その太 陽すら不動のものではなく、銀河の中心を軸に回っています。 さらにいえば、銀河すらも、不動のものではなく、移動しています。 そうなると、観測は不可能になります。 そこで、天文学において、観測される地点ないし、仮の座標を設ける ことで座標を求めている。ということがいえます。 同様に、占星学においては、地球を不動の中心点とした仮の座標を求 めることで、天動説を用いられています。 占いは非科学的という無根拠な容疑.
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宇宙は、循環の法則にしたがって運動している。 つまり、大宇宙としてのマクロの輪としての星の動きと、ミクロの輪と しての人間の生活との間に、なんらかの対応があるに違いない。 と考えるのが占星学の視点です。 そんなのは、信じられない。 という意見もあるとはおもいます。 実際、過去の私は、信じられませんでした。 しかし、この”信じる”、”信じない”という根拠は薄いものでもある ともおもっていました。 実際、宇宙の動き、原子の動き、時間の流れ、これらには、まさに循環 の法則に従ったものがあるといえます。 それが、人間にだけ無い。ないし、人間だけが影響をうけないともいえ ないからです。 なによりも、占星学を知らずに批判することほど、思い込みによる判断 というものはありません。 そこで、私は、占星学を学び、実践することで、それを批判することに しました。 ”信じられない”ということの根拠を、客観的な根拠を出せずに、非科 学的である。という指摘ほど、非科学的なことはない。と判断したからで す。 信じられない客観的な根拠をはっきりさせない限り、占いは非科学的、 デタラメなどの容疑は、無根拠な容疑でもあるのだ。 ということです。
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さて、相対性理論において、巨大な質量は時空をゆがめる。ということが 科学的に証明されました。私たちが身近に感じることでは、私たちが地面に 立っていられるという事実で実感してください。地球という巨大な質量の塊が 時空をゆがめ、私たちを引っ張っているのです。 そんな、まさか。と思われるとは思います。ただ、「E=mc2乗」という式の意味を考えていくと、そうでもないように思えてきます。 説明するまでもありませんが、Eはエネルギー、mは質量、cは光速ということになります。 光速の2乗は900億という想像もつかない数値です。 これは、わずかな質量の物質の中にすら、莫大の量のエネルギーが秘められているということをしめしています。 理論上の話ですが、例えば、一円玉6枚(6g)が持つエネルギーは東京ドーム一杯分(124万u)の0℃の水を100℃にできるとされています。 これは、巨大な物質であればあるほど、巨大なエネルギーが存在するということとなり、それだけ巨大なエネルギーが、まったく無関係であり続けると言うほうが、説得力に欠けます。 また、ことの大小によって、影響の受け方も変わって来るでしょうが、ことが小さいからといって無関係であるということは、すでにいえなくなってきています。 それは、地球の天候予測は、蝶々の羽ばたき程度の影響で天候が変化するということからもいえることです。
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考えてみれば、それこそ、天文学的な距離で離れている星が光を放ち、それを夜空で認知できるというのは、ものすごいエネルギーが地球に注がれていると考えられます。 そんなことを言われてもピンとこないでしょう。 しかし、太陽が地球に与えているエネルギーと影響は計り知れません。そして、他の多くの星たちは、太陽よりももっと強大なエネルギーを放っています。 そして、星たちは前述した循環の法則に従っています。 それら、星にシンボリックな意味合いを解明していくことで、占星学というknow-howは発達してきました。 一見、因果関係がないように見えるものには、実は大きな関係がある。ということは、日常よくあることなのです。 私たちは、それを認識できず、そして、証明できていないだけなのです。
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もっとも、なぜそのシンボリックな意味になったのか? ということについてはわからないことが多すぎるのも事実です。 それは、人類の社会が始まると同じくらいから、占いの歴史もまた始まり、経験的にそうなのだ。 実際におこない、試したことを体系的にまとめ、受け継がれたノウハウが占いであり、占星学であるということです。 それが、科学というにはちょっと乱暴かもしれません。 が、最近では複雑系やカオスなるものが科学で認められてしまいました。 複雑系やカオスとは、すべてはホワイトボックス化することで、解明されるという、科学神話に対する、科学教の背信行為であるとも言えます。 しかし、どうしても解明しきれないことがあるということがある。ということも事実です。 あるいは、科学でも、分からないけれども仮の約束事として仮説を用いた理論展開をしています。 占星学も仮説を用いてみて考察できるはずですが、反占い派の人の多くはそれをしません。
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いわゆる、占いを迷信、デタラメなどと述べる人は、科学ですらなければ、成り立たない仮説の存在を、占いに適用させることをしようとはしません。 仮説がなんでもアリなら、なんでも成り立つと思われるかもしれませんが、そもそも、不適切な仮説である、つまり、仮説が間違っていれば、さまざまな矛盾が生じます。 逆に、仮説がたまたまただしければ、仮説は矛盾することもありません。 これは、占いを迷信、デタラメだと決め付けから生じるたんなる誤解からの判断であるということになります。
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これまで述べた背景を踏まえた上で、考えていただきたいのは、占いは人間が社会を形成してから積み重ねられた技術(ソフトウェア)である。 ということは確実にいえることです。 ですから、占いは信じる信じないではなく、人生を成功させるための洗練された未来予測の技術であるともいえるわけです(だからと言って、統計学というわけではありません。もし統計学というのなら、統計の元になるデータがどこかにあるはずなですが、占いの本にはそれが無いのです)。 それを、なんら検討することなく、信じられないということを理由に一蹴するのは賢明だとはいえません。 もちろん、占いを必要以上に信じるのも考えものです。 それはバックミラーを見て高速道路を運転することと同じ行為だからです。
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私がよく、占いとして使うのは占星術です。状況によっては、手相、タロットカード、風水、姓名判断、最近では動物占いなど使い分けます。 実際、そのようにやってみればわかりますが、それぞれの占いは、これから占おうとする分野に関して得手、不得手があります。 簡単に言ってしまえばホロスコープ(その人の星の位置を記した物)を日本語に翻訳してしまおうと言うのが占星学だと思って下さい。 たとえるなら、英語の翻訳となんら変わりありません。 占いとは、運命を読み解く、翻訳技法だということです。 そして、その翻訳は、未来を的中させることが目的ではなく、今まで何があったかを見つめ、今、何をして、これから何をすべきかを考えるキッカケでしかありません。
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予測において、確率。というものがあります。 数学的な意味での確率とは、試行において、着目する事象の起こりやすさを数で表現したものです。 つまり、正6面体サイコロで1が出る確率が6分の1は、何回も試行した とき、1が出ると期待される回数の割合と言うことになります。 多くの場合、予測は確率が高いものが適用されます。 一般に、確率と可能性は倒錯されやすいようです。 予測とは、未来を推し量ることです。 つまり、未来に対する推測だということになります。 予測の根拠として、確率、つまり、試行において、着目する事象の起こりやすさを数で表現したもので、数の多いものを適用させるのが普通であり、妥当性のある予測であるといえるでしょう。 しかし、着目する事象において、数が少ないものがありえないとはいえません。 占いにおいて、様々なケースが想定されます。 その中で、もっとりありえるケースを予測としてあげるはずです。 しかし、占いにおいて、様々なケースが想定されているということは、知られていません。 もちろん、占う人はそれを一種の才覚や直感で選択するわけで、一つの予想しかしないわけですが、未来が様々なケースが想定されるように、占いの結果による解釈は、一つだけとは限らない。 ということになります。
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占いの結果による解釈は、一つだけとは限らない。 ということを述べました。 それじゃぁ、どうとでもいえるのか? ということになります。 さらに、もし、今回の占いが当たらないというもの、デタラメな結果じゃないか、という指摘も可能かもしれません。 しかし、予測はあくまで予測であるということです。 出た結果を、どのように解釈するかで、占いの判断は変わります。 じゃぁ、出た結果をどのように解釈するかで、その判断が変わるのであれば、非科学的かと言うと、そんなことはありません。 もし、そうなら、確率も天気予報も非科学的になります。 確率で判断するにしても、確率が高い結果だけが出るとは限りません。 他に想定されている確率の低いものも出る可能性も考慮しなければいけません。 天気予報も、天気図と過去の状況と経験によって、その判断は変わってくるでしょう。 そして、確率も天気予報も、出た結果をどのように解釈するかで判断がかわりますが、デタラメなことを述べているのではありません。 実は、占いも同じで、出た結果をどのように解釈するかで判断が変わってくる部分のみに焦点が当てられるから、占いに対する本質が見失われるのです。
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占いもですが、天気予報も、確率も、過去の状況と経験によってその判断がかわってくることは述べました。 数学的な意味での確率とは、試行において、着目する事象の起こりやすさを数で表現したものです。 この確率ですら、試行で起こりうるケースを、仮定することで、はじめて確率が算出できます。 ただし、人生万事塞翁が馬とあるように、何が良い結果につながるか、悪い結果につながるか判断する基準によって変わってきます。 占いは、占う人の価値観と、占われる人の価値観の差異によっても解釈が変わってくるともいえます。 そうした現実から、本来、占いは"占う人"と"占われる人"が話し合い、占われる人が、どのような考えを持ち、どのような経験をして、どのような目標を持っているのかによって、解釈も変わってくるのです。 もちろん、占いなのだから、それくらい言い当てろ。という指摘もあるかもしれませんが、すでに述べたとおり、占いは当てることが目的ではありませんし、過去の状況と経験によってその判断がかわってくるわけですから、占われる人が何を望んでいるかによってアドバイスも変わってくるのも当然です。 たとえば、スターになる素質がある。というのは一般において、良い素質だと思われるかもしれません。 仮に、占いの上で、その人が、スターになる素質があったとしても、その人がスターになりたいと望まないのなら、それは必ずしも良いと判断することはできません。ということです。 大事なのは、占われる人の望むことです。 |
これまで述べているとおり、未来予測において、過去の状況と経験によってその判断がかわってくるのは、仕方の無いことです。 むしろ、過去の状況と経験にまったく関係なく、未来はすでに決まっているなどという、いわゆる、宿命論的な主張には、マクロ的にはいえることですが、ミクロ的には妥当性がありません。 マクロ的とは巨視的という意味です。 巨視的に人生を考えたとき、人がいつか死ぬ。ということは避けられない宿命といえます。 しかし、だからといって、いつ、どこで、どのように死ぬのかは、分かりません。 分かっていることは、いつか人は死ぬという宿命だけです。 それに対して、ミクロ的というのは、微視的なことです。 このミクロの視点、すなわち、まだ起こっていないことに対して、各自がいつ、どこで、どのように死ぬかは分かりようがない。ということです。 とはいえ、ある程度予測は可能です。 たとえば、車によく乗る人なら、交通事故がありえるという可能性は強くなります。 もちろん、予測ですから、必ず当たるわけではありません。 しかし、過去の状況とこれまでの経験から、ある程度予測は可能です。 そして、予測が当たらないのは、予測は、マクロ的視点にならざるを得ないからです。 過去に、宇宙は循環の法則によって動いていることは述べました。 さて、この循環の法則は人生においてどのように適応すると考えられるのでしょうか?
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歴史は繰り返される。という言葉は聞いたことがあると思います。 また、デジャビュのような、概視感を体験したことがある人は多くいるでしょう。 それは、大概、気のせいとされますが、こうは考えられないでしょうか? 実は、その人の人生もある種の周期性があるのだ。 ということです。 もちろん、ループのような、まったく同じことを繰り返すということではありません。 単純に、朝があり、昼があり、夜になる。というような周期性です。 それと同様に、人生にも、周期性があり、同じような体験をしたときにデジャビュのような、概視感を体験するということです。
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人生に周期性がある? そんなの信じられない。 と思われるとは思いますが、よくよく気をつけると案外あるものです。 たとえば、似たような原因で失敗すること、ありませんか? なんだか分からないけど、ツキまくっている時期、ありませんか? そして、よくよく思い出すと、それが一つの周期性のある流れになっていることがありませんか? それが1日の周期性と、1年、10年と大きさが異なるだけのにたような周期性が見出せます。 これは、フラクタルという、部分的な形と全体的な形は相似するという現象に照らし合わせてみることができます。 つまり、占いもまたフラクタル的である。ということです。 占星学において作成するホロスコープは、ある種の周期性を示しています。 顕著な例でいえば、人生において30歳前後は、人生の転機が訪れるといわれています。 占星学的な解釈をすれば、土星がちょうど1週して、生まれた星の位置と、その時の土星の位置が同じぐらいの位置になる時期で、人生における試練が訪れる時期だ。ということも言われています。 そうしたことを含めて、占星学はその人の誕生したホロスコープを翻訳し、 占われる人へ何かのヒントを占う人があたえるわけです。 そして、そのキーワードがありそのキーワードがあなたが、これから開く扉の鍵になります。チャンスという鍵を手にするわけです。 結局、成功という名の扉を開くのは、占う人ではなく、占われる人自身なのです。
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まぁ、かなり、長い前置きになりましたが、「はじめに」はこのぐらいにして、興味のわいたあなた。 論より証拠です。 反占い派のひとは、口だけで反論するのではなく、うらなってみませんか? どちらでもない人も、これをキッカケに占星学に興味を持ってもらえれば幸いです。 もちろん、占い肯定派の方も。 先頭に戻る |
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