育児手記
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乳幼児が長時間テレビを見ると、悪影響がある?
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こんにちわ。呟き尾形です。 先日、買い物に行ったとき、3歳になる息子がゲームセンターに行きたがりました。 まぁ、休日のいわゆる娯楽の買い物です。 とはいえ、無制限にゲームができるものと思われても困りますし、出かければわがままがゆるされると思われるのも困るので約束をしました。 「あそこに行くのなら、お父さんとお母さんの言うことは聞く。わがままはダメだし、言ったら怒るからね」 息子はうなずきました。 そして、ゲームセンターで楽しいひと時を過ごしました。 で、息子は帰りにのどが渇いた。といって、飲み物を欲しがりました。 そこで、息子が飲みきれそうなものは、お茶とカルピスぐらい。 しかし、息子は見たことのないジュースを欲しがりました。 飲めないのは一目瞭然。 「ダメ、お茶か、カルピスにしなさい」 と言いますが、ダダをこねます。 3歳児がダダをこねることなど日常茶飯事ではありますが、だからといって、約束を忘れてはいけないと考え、息子を叱りました。 当然、息子は泣き叫びます。 周りの人の目が集まります。 中には、事情もしらずに、「かわいそー」と無神経なことを言う若い女性もいました。 私は、それでも、子供をしかるべきと考え叱りました。 叱る。と怒るとは違うと考えます。 叱るというのは、相手の良くない言葉、行動をとがめて強い態度のことです。 怒るとは、相手の言葉、行動の是非に関係なく、感情的になることです。 そんな、つまらないことで。と思われるかもしれませんが、約束と言うものは、些細なものであれ、本来守られるべきものです。 私は、息子にそれを学んで欲しいし、学んでもらうまで叱り続けるべきと考えます。 その後、息子は、謝ったので多少説教をした後、一緒にムシキングをやってしまう親バカだったりします。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。 |
どうも、現代日本社会というのは、親だろうが教師だろうが学校だろうが、昔のように束縛することに違和感なり、罪悪感を感じさせられるような価値観がある風潮があります。 なんにしろ、昔は平気で踏みにじられていた、自由というもの、かなり容認してしまっていますからね。 私が子供のころは、教師が生徒を殴っても、大きな問題にはなりませんでしたし、親が子供を殴ることは当たり前でした。 しかし、暴力教師やら幼児虐待への反発の報道と世論があります。 もう、親ですら、自分の子供を殴ることが難しくなってきているのです。 そんなんですから、私が子供のころのような束縛はないでしょうし、それがゆえに、日本の若者は大切なものを見失い、ふわふわと浮かんでしまっている。 私から言わせれば、かわいそうな人々ですが、本人たちが満足しているならそれでよしとします。 すがってくるなら、アドバイス程度はしてあげますが、大抵アマちゃんなので、あまり参考にはしてもらえません。 まぁ、本人がやる気を出さなければなんでも無駄。ということです。 なんというか、しつけとか教育ってやつには、厳しさは必要不可欠のようです。 まぁ、破ってもなんのペナルティーを受けなければ、しつけられたり、教育されて教えられたルールを守る意味も薄れてきますからね。 なので、ペナルティーとしての暴力というのは、必要不可欠のようです。 ただ、その暴力を制御できるかどうか。適切な暴力をふるえるのか。 これが、親や教師が行う、しつけや教育に必要なもの。なんでしょうね。 なんだ、結局、親や教師も教育されなくちゃいけないのか・・・。 誰に? 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 合計特殊出生率というものがあります。 合計特殊出生率というのは、1人の女性が、一生の間に平均して何人の子どもを産むかを示す数字のことです。 それが、1.29になったそうです。 ちなみに、去年は1.32。1980年は1.62、いわゆるダンカイの世代とおもわれる1950年は、3.65。 他の先進国も、合計特殊出生率はどしどし下がっているので、まぁ、傾向としてはしかたのないことなんでしょうけど、日本は特に減っている傾向にあるようです。 これを問題とするのも一つの考え方ですが、育児。という視点において、この数字を考えていきたいと思います。 さて、合計特殊出生率を見る限り、兄弟を持つ子供よりも、一人っ子の方が多いということになります。 さすがに、0.29人なんて存在しませんからね。 伝統的な育児において、子供の世話は親が見ながらも、兄、あるいは姉が面倒を見る。ということがありました。 しかし、一人っ子となると、そうはいきません。 また、兄弟ということによって、小さいながら他者とのかかわりと人間づきあいが自動的に体験でき、もっと大きな社会に出るための練習ができたはずです。 でも、一人っ子はそれがなかなかできないというのが現状です。 自動的にはできなかったことを、一人っ子の両親はどう対処すればよいのか。 これ。というものは一概にはいえませんが、少なくとも、兄あるいは姉の代わりになる存在が必要になるようにおもえます。 方法の一つは、家族ぐるみの付き合いをしてくれる家族を探す。 他には、親が子供と一緒に遊ぶ。 公共施設(公民館)を借りて、同年代の子供たちを集めて遊ばせる組合のようなものを作る。 など、あげられると思います。 なんにしても、子供は、論理的な思考ができるまで、10年から12年の時間が必要だといわれています。 どういうことかと言うと、その年齢になるまで、口で分からせることは、まず、できない。ということです。 では、それまでの子供はどんな風にして学習するかと言うと、他者の行動を見聞きすることで学ぶのです。 いくら英才教育をしても、周りの人が、受けた教育と同じことをしていなければできない。 というわけですね。 となれば、最初は恐いでしょうが、体験学習をさせるしか、いろいろな教育はできないということだと思います。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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健康食品神話は本当?
健康食品神話は本当?(フードファディズム) こんにちわ。呟き尾形です。 健康食品は、巷の人気商品です。 あれが、健康にいい。それが健康にいい。 私はとりあえず、これを健康食品神話と呼ぶことにします。 で、この健康神話は本当なのか? 気になるところです。 食べ物の選択は育児においては、親の責任ですので、ちょっといろいろ調べてみました。 で、ちょっと考えさせられた行為にぶち当たりました。フードファディズムというものです。 みなさんは、この、フードファディズムというものを聞いたことがあるでしょうか? これは、TVなどの放送、報道によって、 特定の食品や栄養素について、健康への有用性や有害性を過大に評価するような考え方のことです。 具体的には、TVなどの放送によって、にがりダイエットが効果ありとなると、にがりの効果を過大に期待したり、健康に良いとされる食品ばかりを食べたり、特定食品の健康への善し悪しを単純に決めつけるような行為のことをいいます。 TVでこれがいい。といわれると、次の日には店頭から、その食品が消えてしまうという現象ですね。 で、たしかに、TVなどの放送で効果が期待できる。とされるものは、正しいのでしょうが、それが一種の信仰になってしまいがちになる。ということです。 そんな、フードファディズムに陥らないためには、当たり前ですが、バランスのとれた食事を、規則正しく繰り返すことが大前提となります。 実際、バランスの悪い食生活をしていれば、特定の栄養素だけが不足するわけはないと言うことです。 どういうことかといえば、たとえば、食物繊維。現代人の食生活は精製されたものが多いので、食物繊維は不足しがちだといわれます。 じゃぁ、食物繊維がたりないんだ。補おうという発想の前に、ちょっと考えてみてください。食物繊維が足りない食生活とは、野菜も海藻も豆類も足りないのではないでしょうか? 野菜、海藻、豆類は、果たして食物繊維だけだったでしょうか? ちがいますよね? つまり、なにか、栄養が足りないということは、関係して他の栄養も足りないと考えるべきなのです。 では、足りないではなく、「青魚に含まれるDHAを摂ると頭がよくなる」という情報を過大に評価し、青魚だけ食べる状態はどうか? こんどは、逆に特定の食品だけの栄養になり、バランスの悪い食事にしてしまうという悪循環を生じさせます。 このように、ビタミンやミネラルなどの栄養素も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」というように、過剰な摂取は、さまざまな弊害を生むようです。 逆に、化学調味料(人工物)は体に悪い」と思いこみ、これを忌避することです。もちろん、適量であれば問題ないからこそ、販売されているわけですし。 毒のように扱う必要もないわけです。 まぁ、中には、毒があるかもしれません。 たとえば・・・サプリメントを過剰に摂取すると・・・。 食べ物の選択は育児においては、親の責任です。安易に健康食品神話を信じないようにしましょう。 信じる前に、ちょっと調べてからということで。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。 |
出産において妊婦の負担を和らげるシステム LDRというものがあるそうです。LDRとは、LDRは、陣痛(Labor)・分娩(Delivery)・回復(Recovery)の略です。 どういうことかというと、出産における陣痛・分娩・回復までの一連の流れを、機能を集約した一室で行うシステムだそうです。 私、呟き尾形は、オスなので、出産というものについては、正直経験の使用がありません。 しかし、妻、およびいわゆる母親になった人たちからの経験談を聞くと、それがとてつもないものであることが伝わってきます。 その中に、いわゆる陣痛がはじまってから、分娩の間と言うのは、個人差があるものの、妊婦にとって、精神的、肉体的にも大きな苦痛になるそうです。 その中でも、出産間近の一連の過程で、自宅から病院までの移動が強いられますが、これがまた大変です。 LDRのメリットとしては、 ・利用者のプライバシーを守ることが出来るということ ・出産時に夫や家族などが立会うことも容易ということ ・院内感染を防げるなど、安全性も高めることが可能ということ ・移動する必要がないため、母体への負担が軽くて済むということ があげられます。 メリットがあるということは、デメリットが当然あるということで、 ・施設が必要なことと ・経費がかかる。 ・施設が使いたくてもあふれてしまうだろう。 ということが予測されます。 なんにしもて、出産というものは、母体にたいして、少しでも負担をやわらげられるシステムというものは、歓迎すべきと、私、呟き尾形は考えるわけです。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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学ぶということは・・・
学ぶということとは・・・こんにちわ。呟き尾形です。 本日であえた名言です。 私たちはすべてのことから学べる。 学ぶという行為は、大きく分けて4つあります。 方法は違えど、どれも学ぶこと。 |
現代型栄養失調・・・キレやすい原因の一要因?こんにちわ。呟き尾形です。 みなさんは、「現代型栄養失調」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか? |
こんにちわ。呟き尾形です。 先日、大量に絵本を購入しました。 まぁ、もうすぐ4才になる息子に読み聞かせるためです。 その中に浦島太郎がありました。 まぁ、こちらのblogを読む方なら、浦島太郎のお話はご存知でしょう。 読み終えた後、息子は「なんで?」と首を傾げていました。 お土産の玉手箱を開けて、浦島太郎がおじいさんになる。ということが納得いかなかったようです。 たしかに、浦島太郎は亀を助けたし、特にこれといって悪いことはしていません。 強いて言うなら忠告を無視して玉手箱を開けたぐらいです。 とはいいつつも、浦島太郎が帰った先には、帰るところがないのです。家に帰ってから開けなさいというのも無理と言うものです。 (あとは、竜宮城で遊び呆けてしまったという解釈もあるでしょうけど) 多くの物語のパターンなら、竜宮城でいつまでも幸せに暮らして終わるのが王道と言うものでしょう。 それが、乙姫様が渡した玉手箱を開けたらおじいさんになるという、まるで乙姫様がしかけたワナだともうけとれかねません。 考えすぎというには、出来すぎています。 乙姫は、浦島太郎が帰ればどなるか知っているはずです。 それでいて、「家に帰るまで玉手箱を開けてはいけません」と言います。 「開けてはいけないものを、なぜあげるのか?」 「そこになんの意味があるのか?」 もしかしたら、浦島太郎は開けるだろうと思いつつ、「開けてはいけない」と言 いながら渡すあたりが、人間の心の弱さを見透かしたような罠だったのかもしれない。 それにしても、「乙姫の意図とは何だろうか?」 大人の私ですら、疑問だらけで、4歳になる息子が分かるわけもありません。 ですから、息子がどんな疑問を持っているかは、容易に想像がつきました。 もちろん、浦島太郎の心理学的な分析 という解釈も可能ですが、それを4歳児にするわけにもいきません。 なので、どこまで息子が理解できて、どこまで分からないのか確認しながら、あーでもない。こーでもない。と、息子主体で一緒に考えていきました。 育児における親の役割というのは、そうしたものじゃないかなぁ。と思います。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 悪いことをすれば、謝る。 これは、社会の一員として、当然のことです。 一つの社会を形成したとき、「ごめんなさい」といえなければ、社会の一員として受け入れてもらえないかもしれないことです。 親としては、子供には悪いことをすれば、謝るように教育するのは必要であることは、説明するまでも無いと思います。 ただ、誰しも最初から謝ることが出来るわけではありません。 さらに、子供の頃は、何が、なぜ悪いのか理解するのは難しいといえるでしょう。 謝るという行為は、自らの過失を認めるということです。 そして、自らの過失を認めないで謝るということは、「ごめんなさい」とさえ言えば、すべてが許されるのだ。という意識につながりかねません。 それは謝るという行為の形骸化となります。 親の責任としては、自らの過失を認める行為が「ごめんなさい」と言うことだと教えないといけないのでしょう。 どうすれば、教えられるのか? それは一概に言えないでしょう。ただ、頭ごなしに謝りなさいと言っても伝わらないということは確かだと思います。 子供の行為のどこが、どのように、なぜ悪いのか。せめて、これが分からないと納得もできないでしょう。 私の場合は、子供が自分のやった悪い行為が、他人からされたらどう感じるか想像させるように促します。 すると、子供なりに、言葉にできないなりに、何かを理解するようです。 それにしても、親の責任の荷は重いものです。 他人の子供にゃできない労力です(^_^;) 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 幼い頃は、過保護なくらいがちょうどいい
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こんにちわ。呟き尾形です。
子育て。と聞くと、ついつい女性の仕事。と連想してしまいます。
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こんにちわ。呟き尾形です。
ゲーム脳という仮説があります。
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呟き尾形的少子化対策案 こんにちわ。呟き尾形です。 少子化を裏付ける数値として、合計特殊出生率1.29というものがあります。 合計特殊出生率というのは、1人の女性が、一生の間に平均して何人の子どもを産むかを示す数字のことです。 なぜ、そうなるのかといえば、さまざまな原因があります。 結婚の高齢化もありますし、独身の方が多くなっている。出産とその後の育児にかかる、経済的な負担、時間的な負担などさまざまな親の負担などがあげられるでしょう。 子育ては、親の義務です。 そして、合計特殊出生率1.29という数値は、日本という社会が子育てしにくい社会である。 ということを意味すると解釈ができます。 つまり、個人的な価値観はさておいて、社会的に、親になる事が大きな負担になっているということです。 そもそも、社会は社会に参加する人が助け合う組織であるはずなのですが、逆に社会に参加するがゆえに、負担が大きくなるという本末転倒な結果がここにあるといえます。 社会において問題になるのであれば、それをなんとかするのが行政です。 それは、個人の価値観に干渉するということではなく、個人の選択した方法をよりやりやすい環境づくりこそが行政の仕事だといえるでしょう。 となれば、日本社会に参加する親が望むものは、仕事と育児の両立です。 つまり、仕事と育児を両立しやすい社会であり、親の負担を少なくすれば、少子化対策になりうるというわけです。 しかし、行政は、親の負担をなくすどころか、親の負担はそのままに、男女共同参画を口実に、各家庭の育児の方法の選択権を奪うという方法論をとっています。 これでは、仕事と育児の両立どころか、単純に、仕事を親から奪うことになります。 これでは本末転倒です。 しかしながら、過去はこのような問題にならなかったのはなぜでしょうか? 昔は、もっと経済的に貧しく、たくさんの子供がいて、(単純に考えれば)親の負担が大きいと考えられ、育児は大変だったはずです。 しかし、昔はそんなことはありませんでした。 なぜなら、 伝統的な育児において、子供の世話は親が見ながらも、親は、身近にいるし、兄、あるいは姉が面倒を見る。ということがあったからです。 子供は、論理的な思考はなかなかできません。 今の親のように口だけで言って聞かせても、本当の意味で理解はなかなか難しいのです。 むしろ、親や兄や姉などの周りの人間の行動を見てまねする事で学習できるのです。 ですから、身近に親がいる。兄や姉や弟や妹がいる。これだけで大きな育児の助けになるというわけです。 しかし、一人っ子となると、そうはいきません。 さらにいえば、昔は、自宅が職場であったり、職場は近所であるケースが多くありました。 しかし、現在はどうでしょう? 家庭を持つ人父親であれば、関東圏においては、通勤時間1時間でいい方でしょうし、夕方に定刻に帰れるとは限りません。。 あるいは、母親も何らかの仕事についていれば、似たようなものです。 ちょっと大げさな表現をすれば、親と子供が離れ離れに暮らしていることになるのです。 昔にあって、現代にないもの。 それは、子供の周りに、身近な年上の人間が少ない。ということです。 つまり、昔は、身近な年上の人間が自然と、親の育児の負担を軽減していたのに対し現代は、そのすべてを親が負担する事になります。 実質的に親ができなければ、託児所などによって、お金によって委託する事になります。 経済的にも大きな負担になります。 これを解決するにはどうすればよいでしょうか? 子供の周りに、身近な年上の人間を多く接する事ができるようにすることです。 となれば、対策はいろいろ練られます。 コンセプトは、親による育児から、社会による育児への移行です。 たとえば、親たちが組合を作り、育児組合を作るという方法です。 行政は、組合を設立した親に対して何らかの助成金を出す、ないし、公民館などの公共の建物を、育児の場として利用しやすくする。 そうすることによって、交代で子供の世話、保護、監督、教育をすることができます。 また、年齢の近い子供同士のコミュニケーションは、社会に適応する成長において大変重要だといえるでしょう。 そのような社会的な仕組みをつくり、それをアピールする事で、親の育児に対する負担への不安を解消できます。 また、独身の方でも、育児に参加できるような仕組みづくりも、社会による育児には必要です。ボランティアとして育児組合の仕事に参加する。 別に、仕事といっても、一緒に遊ぶだけでもいいですし、自分の持っている知識を子供に伝える、楽器の演奏、演劇、絵画の鑑賞など文化面で協力するのもいいでしょう。 育児とは、子供の能力や資質をのばすように教え導くことでもあります。 そのためには、お金なんかより、教え導く大人が必要だということです。 また、極論かもしれませんが、 里親制度 http://t-kosodate.net/doc/satooya.php について、もっと簡易的で利用しやすいな制度を作る。 というものもあります。 里親などと言うと書くと誤解を招くかもしれません。 なにしろ、里子とは、家庭の崩壊などにより、養護に欠ける子どもで里親に引き取られて養育されている子どものことだと里親制度において定義づけられているからです。 そうではなく、もっと、託児所感覚で利用できるようにしてはどうか? ということです。 上記の案は、常識から逸脱しているかもしれません。 とりあえず、24時間コンビニエンス託児所を設置するのも一つの方法でしょう。 24時間コンビニエンス託児所は、行政の認可がおりた、法人が開設できるものとして、インターネットなどで、親がいつでも子供の様子が監視できる体制にしておき、警察官が定期的にパトロールする。 親は、事前に法人と契約し、必要書類を記入後、子供をあ付けられることにする。 などの対策をとって、条件さえ満たせば誰でも、利用できる託児所を開設するというのも一つの方法でしょう。 なんにしろ、現代社会において、子供は国の宝であるともいわれているなか、育児の負担を親に押し付けてばかりいるのが現状です。 もちろん、親が子を育てるというのは、良識と常識において正しいことです。 が、正しいからといって、その負担を大きくなってしまってこまっているのに、しらんぷり。 というのは、だといえるでしょう。 とにもかくにも、少子化になるのは、親の負担が大きくなっているからだ。 ということを踏まえて、対策を立てなければ、自己満足対策になってしまいます。 さて、その自己満足対策は、現在の日本の政府によって、たてられています。 私が、 小泉内閣メールマガジン 第193号 男女共同参画と少子化対策について http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2005/0623.html を読んで、違和感を感じるのは、現場を見ていないということです。 問題が生じているのは、会議室の中ではなく、現場なのです。 会議室にこもってばかりでは、合理的な対策は立てられないといわざるを得ないでしょう。
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独身税 1(少子化対策に必要なもの)
こんにちわ。呟き尾形です。
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独身税 2(育児インフラの整備)
こんにちわ。呟き尾形です。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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独身税 3(育児への不理解)
こんにちわ。呟き尾形です。 少子化問題の解決のための、政策について、提案します。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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いじめ問題と教育基本法改正案 教育基本法改正案がでていますが、正直、完全かというとそうでもありません。 どちらかというと、戦後まもなく作られた法律よりも、まし。 というレベルのように思います ですから、将来、教育基本法は、再改正されるべきなのだとはおもいますが、それは、あくまで、政治屋さんに良心というものがあればの話です。 政治屋さんの良心については、個人的には懐疑的です。 なぜなら、今回の、選挙という、目先の欲望に支配された復党劇を見ると、正直心配なのです。 復党させるなら、教育基本法の理念に沿うのなら、暖かく受け入れさせるか、口約束で相手を信頼すべきだし、そうした信頼関係を構築できる大人の育成こそが教育のはずです。 子供は親の背中をみて成長するわけで、教育をする大人の代表が、政治屋さんとなると、正直、ため息が出るわけです。 もちろん、政治屋さんの責任とするつもりはありません。 ただ、改革の舵取りをするなら、改革の方針を態度で示す責任はあるということです。 禁煙のエリアでタバコをを吸っている人が、ゴミのポイ捨てを注意しても説得力はありませんということです。 なんでも、世論調査では、いじめの原因は親のしつけにあるという意見が5割ていどだったとか。 で、実は、教育基本法改正で、非常に気になるというか、悪用可能な部分、教育行政の項で国民への直接責任が削除され、「法律の定めるところにより」が入った部分が非常に気にかかります。 ここで、世論調査をうけ、じゃぁ、法律で、家庭内でのしつけの義務化をしようなんて本末転倒な話になると最悪です。 なぜなら、親の自主性のないしつけなんて、無意味なんです。 それに、子育てにおいて、親としての努めは、国の強制するべきものではありません。 まさかそれはないだろうという指摘もあるかもしれませんが、問題は、教育行政には、ゆとり教育という前科があります。 子供にはゆとりが必要だとして、現実を見ず、現実に沿わない形でのゆとり教育をしたため、日本の競争社会とマッチしない教育がおこなわれ、現実とのギャップに、逆に子供たちはゆとりをうしなったわけです。 現在、日本が子育てに足りないものは、子育ては尊い仕事であるという価値観がうすれているということです。 尊い仕事だからこそ、親は全力をつくすべきですが、日本社会の現実と日本人の価値観は違います。 仕事と子育てさらには、プライベートを充実させるには、日本人は忙しすぎます。 育児休暇や、育児フレックスがどんな業種でも可能になるような行政と、ワークシェアリング、託児所の充実、ベビーシッターという業種の確立などが、親が子育てを 行うために必要な環境づくりが必要だとは思います。 行政は、これらを単純に国家の仕事とするのではなく、上記に上げた事を、一つの生産性のある仕事であるという福祉負担から、福祉産業化への日本社会の仕組みづくりが教育改革と平行して行うべきなのだとは考えています。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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礼儀を守る。 嘘をついてはならない。 卑怯な振る舞いをしてはならない 弱いものをいじめてはならない。 あまりにも当たり前の事です。 だからこそ、教育において、とても大切です。 当たり前で、大切だからこそ、「なぜ、ならぬものはならぬのか?」ということを自問自答する必要性がでてきたのではないでしょうか? 一般に「なぜ?」と問うことは、批判や反対の意味としてとられがちですが、価値の強化としての「なぜ?」は、大切なものが、なぜ、大切なのかを知る上でも大切だと思います。 なぜなら、大切なものとは、重要であるものであるからこそ、その価値を正しく自覚するべきだと思うからです。 では、どのように自問自答すればいいのでしょう? 簡単です。 当たり前の事を問いなおせばいいだけです。 Q1 なぜ年長者に礼儀を尽くさなくてはいけないのでしょう。 Q2 人はなぜ嘘をついてはいけなのでしょう。 Q3 なぜ卑怯な振る舞いをしてはいけないのでしょう。 Q4 なぜ弱い者をいじめてはいけないのでしょう。 とすればいいわけです。 そこで、当たり前以外の言葉で自答すればいいわけです。 Q1 なぜ年長者に礼儀を尽くさなくてはいけないのでしょう。 A1 ジェネレーションギャップを埋めるためです。 年齢が違うというだけで、コミュニケーションが取れないと非常に不便です。 Q2 人はなぜ嘘をついてはいけなのでしょう。 A2 自分の信頼性を失うからです。 信頼してもらえないということは、非常にミジメです。 Q3 なぜ卑怯な振る舞いをしてはいけないのでしょう。 A3 自分の価値を下げるからです。 自分を評価してもらえないのは、ミジメなものです。 Q4 なぜ弱い者をいじめてはいけないのでしょう。 A4 卑怯な振る舞いだからです。 ということだと思います。 10歳以上なら、これを自分でやらせる訓練をすることが躾けの教育ともいえるでしょう。 で、10歳未満なら、理屈も言葉も不要です。 自らの態度でしめせばいいだけです。 いくら、「人として、してはいけないことはしては、してはいけない」 と口で述べても、10歳未満の子供が発達のレベルをかんがえれば、理解することは非常に難しいと考えます。 大人がしてはならないことをしなければ、いわずとも子供はしません。 と考えております。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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柳沢厚労相、抽象論に終始=少子化問題で集中審議−参院委 (時事通信社 02月15日 21:10) ★★★ここから★★★ 参院厚生労働委員会は15日午後、柳沢伯夫厚生労働相ら関係閣僚が出席し、少子化問題に関する集中審議を続行した。厚労相は女性を「産む機械」に例えたことを重ねて陳謝。今後の対策に関し、担当閣僚としての見解を問われたのに対しては、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」などと抽象論に終始した。 社民党の福島瑞穂党首は、「子どもを2人以上持ちたいという健全な状況」との発言撤回を改めて要求。しかし、厚労相は「いろんな方々がいろんな選択肢を持って人生を過ごされていることを考えていないことはない」として拒否した。 ★★★ここまで★★★ だそうです。 女性は産む機械発言で、陳謝して、辞任はしない。 そのかわり、厚生労働大臣としての仕事の成果をみせることで、責任をはたしたいということをいいましたね。 しかし、その結果「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論で終わりですか。 政治というのは、家庭に口を出すことが責任の取り方でしょうか? 政治において、 「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」 という目標をもったとして、どのようにすれば、そうなるか? という指針を示すのが政策ではないでしょうか? たとえば、 「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」 という目標をもてば、まず、父親が家庭にいる時間をつくらねばなりません。 そのためには、どうしても、労働時間の削減が必要になります。 すると、労働者がいかに労働時間を削減するか? という一つの政策としての指針ができるはずです。 それすらもでませんか? と質問したいですね。 さらにいえば、残業時間を減らす政策も必要ですね。 残業代の率のアップが手っ取り早い政策でしょうね。 他には、通勤時間を減らす政策、育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する。 駅前保育園ないし駅前託児所。 託児施設を増やす優遇政策。 育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資。 考えればいくらでもあります。 で、さらにいえば、解決して欲しい問題は明確になっています。 保育園の待機児が減らない。 小児科・産婦人科が充実していない。 塾に通わなくてもいいような学校教育が充実していない。 というのも、指摘を受けているはずなのに、それすらもあげません。 論外です。 で、抽象論にしたって酷すぎます。 といいますのも、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」っていえば、各家庭の問題になってしまい、各家庭で設定しえる目標であって、厚生労働省が設定する目標ではありません。 これはもう、家庭に少子化問題の責任を転嫁としかいいようがありません。 だいたい政策の質問をうけたんですから、厚生労働省の仕事について質問されているわけです。 それが、厚生労働省のトップである現厚生労働大臣というトップが、家庭が頑張りなさいという目標を出す時点で、厚生労働省は、少子化対策については、仕事をしません。 つまり、少子化対策は、家庭の問題なので、政府は、家庭にまるなげするので後はよろしく。 と宣言しているようなものです。 まぁ、1億歩ゆずって女性差別がなかったと陳謝をみとめたとしても、 女性は産む機械だといったところから、夫婦は産む機械だと言っているようなものです。 根本的にこれが問題なんですよね。 で、少子化ないし、育児をしにくい社会という社会問題を、本質的に解決するためには、企業は産業として、個人はボランティアを前提とした、社会の育児参加が必要です。 で、それを促すのが厚生労働省のはずだし、陳謝して仕事で成果をみせるといっておきながら、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論ではお話になりません。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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厚労相としての責任 厚労相不信任案提出で一致=時期は慎重判断−3野党 (時事通信社 : 02月20日 11:10) ★★★ここから★★★ 民主、社民、国民新の野党3党は20日午前、都内で幹事長会談を開き、女性を「産む機械」に例えた柳沢伯夫厚生労働相に対する不信任決議案を提出する方針で一致した。時期は国会審議の動向を見極めつつ慎重に判断する。 会談で、国民新党は厚労相不信任案について「2007年度予算案の衆院通過が1つのタイミングだ」と主張した。これに対し、民主党は不信任案が否決された場合、問題の幕引きにつながることや、厚労省関連の法案が後半国会の焦点の一つとなることなどから「タイミングを見極めて判断すべきだ」と慎重な考えを示した。 ★★★ここまで★★★ だそうです。 厚生労働大臣に少子化問題を期待できないということは、 少子化対策家庭にまるなげ http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/28337870.html にあるとおり、 「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論で終わり ではなんのかいけつにもなりません。 せめて、 ・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップなど) ・通勤時間を減らす政策 ・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。 ・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。 ・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策 などが提案があってしかるべきですがそれがありません。 つまり、厚生労働省のトップとして不適切になります。 さらに、現厚生労働大臣は、他にも問題山積です。労働問題でも論外な提案がされています。 少子化問題だけなら、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)の肩書きを持つ方に、という話になってもいいのですが、その方が報道的には、”無視”されているような状況ですし、ずっと黙っています。 となれば、現厚生労働大臣が責任をはたすしかないわけですが、上述したとおり、その人が、失言するわ、政策にしても、抽象的で家庭にまるなげする政策を提案するわで、現厚生労働大臣は現在のポストに適任ではないことは明らかです。 これで、口はわるいが、LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム)をします。 なんてことがあれば、そんなことはないのですが、それすらありません。 ちなみに、LDRとは、LDRは、陣痛(Labor)・分娩(Delivery)・回復(Recovery)の略です。 どういうことかというと、出産における陣痛・分娩・回復までの一連の流れを、機能を集約した一室で行うシステムだそうです。 私、呟き尾形は、生物学的にオスなので、出産というものについては、正直経験のしようがありません。 しかし、妻、およびいわゆる母親になった人たちからの経 験談を聞くと、それがとてつもないものであることが伝わっ てきます。 その中に、いわゆる陣痛がはじまってから、分娩の間と言 うのは、個人差があるものの、妊婦にとって、精神的、肉体 的にも大きな苦痛になるそうです。 その中でも、出産間近の一連の過程で、自宅から病院まで の移動が強いられますが、これがまた大変です。 LDRのメリットとしては、 ・利用者のプライバシーを守ることが出来るということ ・出産時に夫や家族などが立会うことも容易ということ ・院内感染を防げるなど、安全性も高めることが可能ということ ・移動する必要がないため、母体への負担が軽くて済むということ があげられます。 メリットがあるということは、デメリットが当然あるということで、 ・施設が必要なことと ・経費がかかる。 ・施設が使いたくてもあふれてしまうだろう。 ということが予測されます。 これをなんとかするのが、政策であり、厚生労働大臣というポストの責務です。 それを、家庭に任せる、個人に任せるというのでは、政策でもなんでもなく、単なる責任放棄と税金の無駄遣いになります。 そんな責任放棄と税金の無駄遣いをする人は厚生労働大臣というポストにふさわしくありません。 揚げ足取りと判断される意見もききますが、その後の政策の提案、少子化政策は家庭にまるなげするような無責任な方には、辞めていただきたいと思いますが、しかし、反省の色もあるんですよね。 といいますのも、 ■柳沢厚労相、「産む機械」でまた反省…市民団体と面会(読売新聞 02月21日 22:51) ★★★ここから★★★ 柳沢厚生労働相は21日、女性を「産む機械」に例えた発言について、出産にかかわる医療事故の被害救済を訴える市民団体「陣痛促進剤による被害を考える会」(出元明美代表)と大臣室で面会し、「全くなっていない言葉で、おしかりを受けるのは当然」と、改めて反省の言葉を述べた。 面会したのは、陣痛促進剤による医療事故で妻子を亡くしたり、子どもや母体に障害を負ったメンバーら12人。脳性マヒで寝たきりになった女児(10)も同席した。出元代表は、同省が導入を進める産科医療の無過失補償制度について、被害者や親の声を生かすことなどを求める要望書を手渡した。 出元代表は面会後、「(発言は)失言には違いないが、いつまでも辞めろと言うのではなく、今後、いいお産のために国がどう動くか見て判断したい。歴代大臣で、初めて面会してくれたことを評価する」と述べた。 ★★★ここまで★★★ だそうです。 おお、偉いです。 これが誠意というものじゃないかと思います。 いままでは、それこそ、機械のように同じ言葉を繰り返して、言葉と行動が伴わず、批判していましたが、見直しました。 このまま気持ちを入れ替えてもらえば、応援、提案していきたいという気持ちになります。 提案事項としては、 ・助産師の業務を増やし、助産師の育成の推進 ・健康カウンセラーを育成し、いつでも、国民が健康について相談できる窓口を設置する(窓口は病院、薬局、薬店を中心に展開) ・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップ) ・通勤時間を減らす政策(在宅勤務の推進、および、在宅勤務を推進する企業の優遇) ・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。 ・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。 ・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策 ・出産・育児の不満窓口を作り、不満を解消する対策案を立案する。 ・教育にお金がかかる問題については、国が国債の一つとして教育債、奨学金をする団体の優遇、学資保険の優遇により、教育費を心配せずに教育ができる仕組みづくりを行う。 ・なぜ、教育、勉強するかを社会に問いかけをすることで、教育は学校だけではなく、自らも教育すべき立場にあるという意識改革を行う。 ※有名人による、「なぜ、教育するのか?」「教育とは何か?」という著書の出版を依頼するなど ・LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム) ※LDRシステム http://homepage2.nifty.com/SON/hp1_6_6.htm#column06 という政策があればいいなぁ。 と思います。 とにもかくにも、厚労相としての責任は、厚生の面で結果を出すことなんでしょうね。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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子どもは こんにちわ。呟き尾形です。 子どもは 辛抱強さを見て育つと 耐えることを学ぶ 子どもは 正直さと公平さを見て育つと 真実と正義を学ぶ 子どもは ほめられて育つと 人に感謝するようになる 子どもは 存在を認められて育つと 自分が好きになる 子どもは 周りから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知る ― ドロシー・L・ノルト ― (アメリカ教育学者) 学ぶとは、経験を通して知識や知恵を得ることです。 ですから、教えを受けて知識や技芸を身につけるだけが、学ぶ事ではありません。 むしろ、子供は、身近な大人の行動から学ぶのです。 学ぶは、真似をすることからはじまるのです。 教育を語る人は、自ら手本を示せるものから語るべきです。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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「親学」提言・・・(|||´Д`)3 母乳や早起きなど「親学」提言 ★★★ここから★★★ <教育再生会議>親向けに「親学」提言 母乳、芸術鑑賞など (毎日新聞 04月26日 03:11) 政府の教育再生会議は25日、親に向けた子育て指針である「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」の概要をまとめた。子どもを母乳で育てることを呼びかけたり、父親にPTA参加を呼び掛けるなどの内容。政府の有識者会議が家庭生活のマニュアルを示し提言をすることには会議内にも慎重論があるだけに、世論の評価は分かれそうだ。 東京都内で同日開かれた主要メンバーによる運営委員会で示された。5月の第2次報告の前に正式発表する見通し。 「親学」は、親も子育て学習をする必要がある、との認識から一部の保守系有識者が提唱している考え方。子育ての知恵や文化を伝えることが主眼で、再生会議では17日の同会議第2分科会(規範意識)で提言を行う運びとなった。山谷えり子首相補佐官や池田守男座長代理らが概要をまとめた。 概要では「脳科学では5歳くらいまでに幼児期の原型ができあがる。9歳から14歳くらいに人間としての基礎ができる」と指摘するなど、11項目にわたり具体論を展開。「子守歌を歌う」▽「授乳中はテレビをつけない」▽「早寝早起き朝ご飯」▽「親子で感動する機会を大切にしよう。テレビではなく、演劇など生身の芸術を鑑賞」▽「インターネットや携帯電話の情報に『フィルタリング』を」など、家庭生活のあり方をかなり具体的に記述。子どもの発達段階に応じ「幼児期段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目」を身につけさせるよう呼びかけた。 ただ同会議内にも、「政府が押し付けることか」(学識経験者)と政府版「家庭生活マニュアル」の作成を疑問視する意見が出ており、発表段階で内容に変更が加えられる可能性もある。母乳による育児推奨には「母乳の出ない母親を追い詰める」との専門家の指摘もある。 ★★★ここまで★★★ だそうです。 間違っている。とはいいません。 むしろ、内容の正しさは認めます。 ただし、それが、実行と伴っていればの話です。口先だけだと説得力がない提言になってしまいます。 また、提言された親学から出される内容は、それほど新しいものでもなく、提言された親にとって、分かっちゃいるけどなかなかできない。 という言葉がでてくることでしょう。 では、なぜ、提言された親学から出される内容がわかっちゃいるけど、なかなかできないのでしょう? それは、今現在の事実としての、家庭の現状は、社会の環境が、提言された内容が、やりたくても、かなり難しい状態だからです。 実際、親学の内容をやりたくても、仕事を中心とした社会環境、家族構成、近所の人が育児に無関心、現実的な体力および精神的な負担がそれをやりようがないということです。 では、昔のよき日本の育児の知恵を参考にした親学であるのですから、昔の日本は実行できていたはずです。 実は、昔の日本は、自営業的な仕事が殆どでしたし、大家族でした。 育児も母親の他に兄弟と近所の人も結果的に協力しあっていました。 これが、現代ではそれがすべてが崩壊したのです。 その代替処置として、保育所、託児所、幼稚園、学校という公共施設でした。 しかし、それも崩壊しかかっています。 それで、親学では、いくら正しくても現実を見ていないことになります。 実行しやすい社会にならなければ、親の負担ばかり増えてしまいます。 それでは、せっかく正しい親学は、親には浸透しないと判断せざるを得なくなります。 親に提言するだけでなく政策の指針にするのであればわからなくもないですが、それも特にありません。 無責任な提言だな。 と思います。 「だったら、あなたがやってみなさい」 と私はいいたくなります。 おそらく、提言した人たちは、一般的な育児を行う現場のことについて、まったく配慮していないのでしょう。 授乳が必要な育児において、子守歌を聞かせ、母乳で育児することがいいのは、多くの親がしっているでしょう。 しかし、そんな余裕なんてないのです。 生まれて間もない頃は、昼夜お構いナシに、数時間おきに授乳することになっています。 それで、早寝早起き朝ごはんの励行というのは、論外です。 授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せないということについて、それがいいかどうかなんて、根拠もない俗説にすぎません。 むしろ、育児ノイローゼを促すんじゃないですかね。 これでは、幼児虐待を促すようなものです。 なぜ、テレビやビデオを長時間見せるという現実になったのか? 単純です。 家族を含めた周りの社会がサポートしなくなったからです。 PTAに父親も参加というのは、なぜ、父親がPTAに参加しなくなったかという現実の分析ができていないようですね。 通勤時間を含めた労働時間を見て提言して欲しいものです。 企業は授乳休憩で母親を守るといいますが、子供を会社につれてこれる環境でしょうか? まず、この環境を整えることが前提の提言で、前提がなされていない提言など無価値です。 親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞、家族と接する時間自体すくないのに、この提言は効果的とはいえません。 と、いうわけで、言うだけの方は楽で良いですね。 提言の前に、育児、教育しやすい環境づくりが政治というものだと思います。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい <教育再生会議>「親学」提言見送り 「押し付け」反発で (毎日新聞 - 05月11日 13:11) ★★★ここから★★★ 政府の教育再生会議は11日午前、首相官邸で合同分科会を開き、親に向けた子育て指針として同日にも発表予定だった「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」について当面、発表を先送りすることを決めた。「親学」との表現を使わないことも確認した。今月末以降の第2次報告に反映させる方向で調整する。政府や与党内にある「国民への教育観の押し付け」「政策的な裏付けがない」などの反発や批判に配慮した。 ただ、同会議に出席した安倍晋三首相は「議論が物議を醸しているのは事実だが、もっと物議を醸していいのではないか」と発言。「いろんな偏見があったり、アレルギーがあったりするんだろう。アレルギーを持つのは間違っていると認識していけば、冷静な議論が出てくるのではないか」とも述べた。 提言発表は山谷えり子首相補佐官らの主導で計画されたが、母乳による子育ての奨励など個人の価値観にかかわる内容を含んでいたことから政府・与党内に国民の反発への懸念が広がっていた。山谷補佐官は会議終了後の記者会見で「第2次報告に収れんさせる部分と(報告と別に)情報提供する部分を考えたい」と語った。拙速な対応が表面化したといえ、再生会議のあり方を問う声が高まりそうだ。 ★★★ここまで★★★ だそうです。 まず、偏見とは、かたよった見方のことです。 つまり、ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情です。 まさに、親学は、古き形骸化した親への理想像というゆがめられた考えに基づき、客観的根拠がないのに、現代の親に対して、現代の親の育児のあり方に対し、こうするべきと、多くの現代の親のあり方の子育てについて、非好意的な意見や判断をする偏見の塊が親学となります。 たとえば、親学にあるような、授乳するときは子守唄を聞かせるべきとか、子供にテレビを長時間見せないとか、父親もPTAに参加するべきというようなものです。 間違っているとはいいません。 むしろ、そうできれば、正論といえば正論でしょう。 しかし、偏見が偏見であるという条件は正しさにあるのではなく、偏りにあります。 特に正論は、正しいからこそ偏りが生じます。 わざわざ、正しい事を批判することはまずなくなります。 意見の偏りというものは、無批判になったときに生じます。 さらに、正論をいえば、そこで満足してしまい行動に移される場合がすくなくなります。 言動は一致してこそ、説得力がおびるのですが、口だけで正論を述べて、行動を前提としなければ、それは、巧言令色となります。 そもそも、現代の親が欲しているのは、社会の理解と協力です。 現代の育児のあり方になったのは、現代の日本の子供に対して優しくない環境です。 親学については、 「親学」提言・・・(|||´Д`)3 http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/3_0991.html 親学は正論であっても、行動がないから机上の空論です http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/post_27ac.html と日記に書きました。 単純に、現場の親は提言だけではなく、提言に伴う手助けがないから反発しているのです。 政府は提言の前に、現代の育児のしにくい環境の改善が先なのに、育児に対する考え方がおかしいというゆがめられた考えに基づく偏見が行政にありありと現れています。 本気で育児の問題を考えるなら、参議院選挙などきにせず、いかに育児について、行政が間違っているかを浮き彫りにするためにも、行動なき正論、提言するだけで政策の伴わない無責任の塊の親学を発表するべきだと思います。 正論だけでは問題は解決しないのです。 「もっと物議を醸していいのではないか」と安倍前総理大臣は述べているそうですが、物議をかもし出したいなら、親学を発表するべきです。 親学が正しいと思うなら、どんな批判にも耐えうるはずですし、親学は批判により、親学の偏見が削り落とされ、洗練されたものになるでしょう。 物議をかもし出したいのならそうすべきです。 しかし、それをしない。 批判されるのがいやなんでしょうね。 批判されることが、悪い事だという偏見をもっているのでしょう。 批判に対して、言動を改めればいいだけなんですけどね。 物議をかもし出したいのに、親学の提言という、主張を引っ込める。 言動の不一致というものです。 まぁ、「言動の不一致」と「大事なことは言わない」のは、去年の総裁選からのことですし、今にはじまったことではありませんけどね。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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●少子化対策の個人的提案 少子化問題が指摘されてだいぶ時間がたっていますが、なかなか効果的な対策がなされていません。 そこで、常日頃から思っている少子化、育児、教育についての個人的に考えている対策案を提案したいと思います。 ・助産師の業務を増やし、助産師の育成の推進 ・健康カウンセラーを育成し、いつでも、国民が健康について相談できる窓口を設置する(窓口は病院、薬局、薬店を中心に展開) ・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップ) ・通勤時間を減らす政策(在宅勤務の推進、および、在宅勤務を推進する企業の優遇) ・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。 ・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。 ・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策 ・LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム) ・出産・育児の不満窓口を作り、不満を解消する対策案を立案する。 ・教育にお金がかかる問題については、国が国債の一つとして教育債、奨学金をする団体の優遇、学資保険の優遇により、教育費を心配せずに教育ができる仕組みづくりを行う。 ・なぜ、教育、勉強するかを社会に問いかけをすることで、教育は学校だけではなく、自らも教育すべき立場にあるという意識改革を行う。 ※有名人による、「なぜ、教育するのか?」「教育とは何か?」という著書の出版を依頼するなど 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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●育児と英語教育 巷では、英語教育は、早い事にこしたことはないということで、3歳からとか幼稚園からとかすらいわれています。 まぁ、英語が話せるようになることだけではそれは正しいと思います。 が、しかしです。 言うまでもありませんが、日本において、母国語は日本語であり、母国語が未修得なうちに、英語教育することは、全体的な日本の教育に問題があるのではないかと判断しています。 ですから、正直、小学生から英語教育は反対です。 日本において、和製英語ではない、英語圏で通用するような英語が日常的に使われているのなら別ですが、やはり、小学生レベルだと日常生活で何らかの形で触れたり、見たり出来ることじゃないと実質的に理解できないと考えるからです。 これは、小学生が劣っているということではなく、脳の発達を加味して考えたとき(あくまで平均的ですが)論理的思考が可能になるのが、12歳以上だからです。 特に、日本語と英語は文法が異なります。 人は、言葉で思考しますが、2つの異なる言語を現実に使う必然性が無い限り、学習の習得は難しくなるし、思考能力と言語能力に混乱をきたします。 その結果、日本語と英語が入り混じった、日本語でも英語でもない、日英語の誕生を意味するようにおもいます。 すると、日本語で思考することが一般的な、日本の社会にミスマッチな思考をする子供たちが育成されるのです。 コミュニケーションを円滑にするための教育が、逆に、コミュニケーションを困難にするという悪循環を生み出すのです。 もちろん、もし、日本人の成人の殆どが、日本語と英語を両方使いこなせるのであれば、その心配は少なくなるでしょう。 教育というものは、現実の社会で円滑な暮らしができるようにするためのものが、「便利」という幻想によって捻じ曲げられてしまうのです。 教育は、あくまで、その社会の日常でふれられるものにあわせなければ、教育の目的と逆行してしまうということを私たちは、常に意識しなければならないと思います。 というわけで、小学生から英語教育は上記の理由から、反対します。 ただ、日本社会と日常会話でふれるレベルの英会話、挨拶や身近に触れる単語、アルファベットに抵抗感を持たせないレベルのものなら、許容範囲だとは思います。 このレベルなら、日本人の成人の殆どが使いこなせているし、日常生活レベルといえるでしょうし。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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●子供を育てる こんにちわ。呟き尾形です。 子供を育てるってことはねえ、 育てられた当人が思っているほど、 そう簡単なものじゃありませんよ。 ― 森本 薫 ― (『女の一生』) 子育てというものは、育てられる子供の側は、 その難しさを実感しません。 なぜなら、子育てとは、子供に負担を与えない ように、親が子供の世話をするからです。 世話を受ける側は、その世話の苦労を知りません。 ですから、子育ての苦労は、子育てをしていない 人にわかるわけもなく、簡単に思えてしまうのです。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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●小さい子供がはじめて笑うとき こんにちわ。呟き尾形です。 小さい子供がはじめて笑うとき、 その笑いは全然何かを表現しているのでもない。 幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑うから幸福なのだ。 ― E・アラン ― (フランス哲学者) 人は幸福だから、笑うのでしょうか? 笑うから幸福なのでしょうか? 幸福でなくても、無理に笑うことはできます。 しかし、幸福でなくても笑っていると幸福になってきます。 ゆえに、笑うから幸福であると言い得るわけです。 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)。
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●子どもたちが関心を持つのは こんにちわ。呟き尾形です。 子どもたちが関心を持つのは、 親や身のまわりにいる大人から愛情を得ることや 一緒に遊んでもらうこと(関係性)、 歩いたり積み木を組み立てたりする方法を学ぶこと(有能感)、 自分のしたいことをすること(自律性)です。 ― ハイディ・グラント・ハルバーソン ― 『やってのける 意志力を使わずに自分を動かす』 育児をしていると、子供が何を考えているのか、何を欲しがっ ているのかわからなくなることがあります。 なぜなら、子供に欲しいものを与えても、要求するものを満た したとしても満足しないからです。 これは、子供はまだ未成熟だから、自分が何を欲しているか 自分でもわからないので、子供の言ったことをそのまま実現し ても満足しないものなのです。 子供が何を欲するのかは、子供は何に関心をもっているのか 知ることが必要です。 子供が関心をもっているのは、親の愛情、そして親の周りの 大人から愛情をえることです。 愛情を得たと子供が実感するのは、大人を独占できた時だと いえるでしょう。 子どもが大人を独占したと感じるのは、一緒に遊ぶことで、大 人と関係をもつことです。 そして、できなかったことができるようになることです。 なにより、自分のしたことを自分ですることです。 ですから、子供が欲するのは、子供自身が体験し取得する必 要があり、子供にただ与えるだけでは、子供が欲しいと思ったも のを与えるだけでは子供は決して満たされることはないのです。 なぜなら、愛情、関係性、有能感、自律性は物質ではなく体験 によってのみ実感できるものだからです。
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後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/