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呟き尾形の体験記(2003年版)

 

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  1. 藤田喬平ガラス美術館(2003年5月31日).
  2. みちのく伊達正宗歴史館(2003年5月31日).
  3. マリンピア松島水族館(2003年5月31日).
  4. ラベンダー農園(2003年7月6日).
  5. 地震(2003年8月3日).

 


藤田喬平ガラス美術館..

 嫁さんが、観光地に住んでいるのに、観光地に行っていない。という言葉がはじまりでした。藤田喬平ガラス美術館は、正直、まったく期待しておりませんでした。
 しかし、ここは穴場です。
 特に幻想的なまでに美しいものが好きな方にはお勧めです。

 視覚というものが、色を感じるのは、光の光源の色である光源色、光の反射による表面色、物体を透過して見える透過色の3種類あります。
 ガラス美術館はこの3つの光を通して、光のクオリア(質感)は、つまり、光の美しさを織り出していました。

 飾筥は、表面が金箔が溶け込み、金の川の中に赤い花びらが浮かぶような彩りで、全体的に金箔色の絢爛豪華さには嫌味がなく、涼しげな風情を感じさせられました。

 ヴェニス花瓶と名づけられたそれは、色あざやかなストライプの模様が、流れるような微妙な曲線を模様に持ちながら、表面に水滴が溢れるその瞬間の時を止めたかのような神秘的な造詣がなんとも印象的でした。

 また、透過色ではあるのですが、光源といってもよいライトカバーが展示されているコーナーは、鏡が織り成す無限の世界をかもし出しておりました。
 この神秘的な無限の世界は、2歳児雄旭は、美を感じるのではなく、純粋に楽しんでおりましたが(*^0^*)

 などと、美辞麗句で賛美してみましたが、なんともまだ言い尽くせていない私の表現力の未熟さを痛感しております。

 美術館の中に、藤田喬平氏の直筆であろう色紙が展示しておりまして、なかなか粋なことを言っておりました。

 外国で、あでやかな飾筥を展示して、この筥は何を入れるのに使うのか?
 と質問されたとき「夢でもいれておくんだよ」と応えたそうです。

 すごい粋だと思いませんか?
 

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みちのく伊達正宗歴史観..

 みちのく伊達正宗歴史館。ここは、10年以上前に来たことがありましたが、時間を置いてくるのも面白いものですね。
 この歴史館は、伊達正宗の生涯の大事件を等身大のろう人形のジオラマを作って解説するというコンセプトの歴史館です。
 すごいのは、ほとんど、昔の記憶どおりのままだということ。もちろん、歴史上の人物の人生が変化することはないわけですから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、なんというか、変化がないことで、時というものを感じさせず、一瞬だけ昔来た頃の時間にタイムスリップしたような錯覚に陥ってしまいました。

 もちろん、細かいところまで憶えていないので、解説は新鮮でしたし、東北の偉人のコーナーは改めて勉強になりました。
 それにしても、気のせいか、偉人の顔というものは、まさしく人生が語られているものだなぁ。とつくづく思いました。

 

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マリンピア松島水族館..

 松島水族館は、地元の水族館だけに、私が幼稚園のころからのおなじみの水族館でした。それだけにかってしったる庭のようなものでした。
 ですから、嫁さんが行こうといわなければ行く気も起きなかったのですが・・・
 しかし、しかし、です。行ってみると、面白いものが見れました。

 アシカのショーの練習シーンが見れたのです(笑)

 もちろん、練習ですから、なんというか、アシカと人間のコントのようなシーンが見れました。
 人間様がああせい、こうせい。ああ、違う。という気持ちが態度から見て取れるのですが、アシカの方といえば、あっちに行きなさいといえば、寝転がり、面倒そうにあくびまでする始末(笑)
 もちろん、やることはやるのですが、ショーでみるようなキレがない。

 まじめにやっているんだろうな。と思えば思うほど笑いをこらえるのが大変でした。というより、大声でわらっておりましたが(爆)

 本番のショーの方といえば・・・。練習を見ていただけに、笑えました。

 雄旭は、アシカと握手ができてご機嫌でしたね。

 そうそう、さかな天国でしたっけ、「さかな、さかなさかな〜、さかな〜を〜たべ〜るとぉ〜」ってやつ。
 水族館で流れていましたが、あれはいかがなものかと(笑)
 

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ラベンダー農園..

 高校の先輩Iさんのお誘いで、大河原にあるラベンダー農園へ行きました。
 前日まで梅雨空だったにもかかわらず、鮮明な雲は、晴天キャンパスに掘り込まれた油絵のように印象的で、自然の生み出した芸術でした。
 そんな自然の雲と空を背景にした山や町並みは、見慣れた風景でありながら、もっと別な土地へやってきたような錯覚を演出しました。
 そんなこともあり、気持ちよく国道4号線をすいすい走り、移動の道もドライブ、ドライブと言う気分で、大河原へ到着。
 しかし・・・土地感もないまま、ハンドルをさばいた結果が地図とニラメッコ。
 一般に迷った。ということに相成りました。
 ここは、素直に負けを認めて、先輩Iさんの携帯で連絡をとり、気を取り直し
てスタートしまして、ラベンダー色の旗を目印に田園を走り抜け、駐車場へ
到着しました。

 迷ったりしたものの、ラベンダー農園に無事(?)到着し、ラベンダーの丘に上がると、たしかに、丘の上にはラベンダー畑。
 丘へ登る坂道は階段ではなく、木の板が敷き詰められ、歩く足音が軽快です。そして、笑顔のお出迎え。
 丘の上には、いい株のラベンダーがいい感じに揃っており、ラベンダーのやわらかい香りが風に乗ってやってきます。
 全体的な畑の色はラベンダー色。というには、ちょっと寂しいのですが、時期がちょっと早かったせいだと思います。もうすこし、過ぎれば、つまり、これを更新している頃には無数のラベンダー色に染まるのだと思います。
 道に敷き詰められたおがくずが気になって聞いてみたところ、どろんこだと、
お客さんから、靴が汚れるとの苦情が多いため。とのこと。
 オーナーの意図としては農業を見直してほしいということだったそうです。考えてみれば、私達の日常生活はコンクリートやアスファルトに囲まれ、土と触れ合うことすらない日常です。
 それは、自然の中からすると非日常的で、いつしか人は土で汚れることは不自然なことだと感じ始まる本末転倒な常識を持ってしまっているのかもしれませんね。
 私としては、日常が花作りということもあり、畑の中にはいるのだからしょうがないとは思うのですが、お客さんも観光客ですからね。仕方がないといえば仕方が無い。
 で、丘の上の畑の中にもちょっと寂しいところがあったのですが、先輩Iさんの話ですと、どうも3000株ほど、かれてしまったのこと。
 それでも、丘一面を覆うラベンダーなのですから、すごいです。
 かれてしまった理由はもともとの丘の土壌が粘土質であるため、大きくなって根の張り出したラベンダーが、粘土質の土に行き着いて、根っこがやられたしまったとのことでした。
 粘土質の土というのは、水はけがあまり良くないので、土の中で水が残ったままになるわけですが、ラベンダー畑にするために、ラベンダーにあった土を覆いかぶせたのですが、大きくなったラベンダーはその層を突き抜けて、粘土質の土壌まで言ってしまったと言うことだそうです。
 土壌を変えていくのは、それこそ、年単位の作業ですが、これから、その作業をやっていくとの事。
 ラベンダー農園のオーナーの情熱が感じられます。

 私も花を作る農業を営むものとして、見習いたいものだと感じた1日でした。

 
 

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地震..

 ※この記事は、私自身の心のケアが主な目的です(笑)
  子供や老人が心のケアが必要だと言うように、大人も心のケアが必要です。
  で、心のケアは受動的なものではなく、能動的なケアもある。というメッセージでもあります。

  大人だって、地震は怖いんだい(笑)

ガタン ガダガダガダガダ!!!

 それが、地震の第一声でした。
 時は深夜。昨日と今日が出会ってまもなく、地震が起きました。
 正直、夢だとおもいました、いえ、夢幻であって欲しいという願いだったのでしょう。
 それと同時に、ついに、宮城県沖地震がきたか!
 という恐怖と一つのこれを乗り切ればという安堵が入り混じった気持ちでした。

 布団の中の、家族を確認すると、その上に覆い被さりました。万が一何かが落ちても
良いようにと、少なくとも家族の無事が確認できるからです。
 揺れは、ぐるぐる回るように続き、様々なものが倒れる音と地鳴りようなゴーという音
がしました。
 家族の悲鳴。
 ”ダメかもしれない”
 という思いを跳ね除けるのと、その思いを吹き飛ばすように、家族
には、
 ”大丈夫、大丈夫だ!”
 と気がつくと叫んでいました。

 揺れが収まると、倒れる可能性のものは、殆ど倒れていました。本棚、パソコン、食器
棚・・・上げだけでも一苦労です。
 とにかく、地震の情報を。とばかりにテレビをつけると、先ほどの地震の震度6弱、震源
地は、宮城県沖ではなく、自分住む町の付近であることが、宮城県沖地震ではないことを
無言で語っていました。

 私は、半ば覚悟していた宮城県沖地震を乗り切った安堵感は、倒壊した本棚のように
崩れ去りました。

 私達は、夜中の簡単な片付けを済ませ、なんいしても、大きな地震の中、家族が無事で
あること、そして、本震より大きな地震はない。という確信から、余震の続く不安な夜を乗り
切りました。
 しかし、それは今にして思えば、インパクトのありすぎる序曲に過ぎなかったのです。

 次の日の早朝、散々たるハウスの中の被害状況を見て言葉を失いました。
 とはいえ、予想よりは少ない被害でした。
 なんにしても、なんとかできそうだ。という気持ちになれたのです。
 そう、その時は・・・・。

 朝食を取ろうと家に戻った途端、それは地鳴りのような爆音ともにやってきました。
”余震のはずなのに!”
 という気持ちとは裏腹に、昨夜のゆれよりも確実に大きな揺れ。
 立っているのがやっとの揺れ。
 もしかしたら、自分は船の上で、荒い海にいるのではないかと言う錯覚。
 がっしり安定しているはずの大地がこれだけ揺れるとは正直、体験しても信じられません
でした。
 目の前で、様々なものが倒れ、崩れ、壊れていきました。

 それが、震度6強の揺れ。

 本震よりも大きな余震はない。という私の中の神話は崩れました。
 その後、公式発表では、夜の地震が前震、朝の地震が本震であるということになりましたが、
そういった、大きな揺れをもって、本震とする決め方ならば、確かに本震より大きな余震はな
のは納得できました。

 本震前に見回った家屋やハウスは更なる被害をうけました。

 その後の200回を越える余震に、安堵するヒマはありませんが、報道番組でみられる被害
と比べれば、被害は少ない方だといえますが、被害と言うものは相対的に計るものではない
だけに、さまざまなショックを受けました。

 不幸中の幸いは、家族の中にけが人がでなかったことでした。

 そして、地震が局地的な揺れであったこともあり、親戚が援助に来ていただいたため、ハウス
の被害の回復は1週間以上かかると思われましたが、もっと早く出来ました。

 1週間たった今でも、余震は続いてはいるものの、大分ダメージは回復しました。

 なんにしても、これから20年の間(苦笑)、同じかそれ以上の揺れが9割を越える確率である。
と言われています。
 この地震すらも序曲なのかもしれない。そんな思いがあります。

 なんにしても、2ヶ月前の地震といい、今回の地震と言い、警鐘は2度なりました。

 失ったものは失ったものとして、これからを見据えて準備するしかないのでしょうね。

 油断大敵、備えあればうれしいな☆

 ってことで、

 がんばるぞー
        p(*^0^*)ノ オー




 

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  後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/

 

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