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呟き尾形のフロイトの精神分析
 第2回 精神分析が考える、人間と動物の違い

 

 
 前回、精神分析は、あくまで人間と動物は別の存在であり、人間そのものを観察、研究することによって、人間のこころを知ろうとする学問である。ということを書きました。

 これは、動物の研究成果を、人間に当てはめて考える行動主義心理学の存在に対し、精神分析では、動物と人間の違いについてこだわって、人間の心理について考えています。

 これは、動物の行動の研究成果を、人間に当てはめないということを意味します。
 行動主義心理学は、「人間もまた動物の一種である」という発想に基づいて研究しているということです。
 確かに、分類上、人間も動物の一種であることは間違いではありません。
 しかし、精神分析においては、人間と動物の間には、決定的な違いがあると考え、とくに、人間の心と行動は、他の動物の行動とは異なるものだとしています。
 もちろん、精神分析は、人間が傲慢になる根拠作りの研究ではありません。
 ですから、人間が一番偉いとか人間が動物の中で頂点に立っているのだ。ということではありません。

 人間と動物は異なる存在である。という基本的な立場をとる精神分析は、行動主義心理学に反対する立場をとります。
 学者の中には、動物行動学の研究成果を人間に当てはめようとする学者もいます。
 たとえば、動物は一定期間を経ると、遺伝子を幅広く残すために数多くのメスと交尾しようとするということを、人間に当てはめて、
 人間は動物である。
 動物のオスは、数多くのメスと交尾をしようとする。
 ゆえに、「男が浮気するのは自然なことである」
 という、三段論法を繰り出すこともありますが、精神分析においては、そのような詭弁は認めないことになっています。
 なぜなら、浮気はたしかに生殖行為を伴う場合もありますが、実際に子孫を残す目的よりも、むしろ、性欲を満たす目的が強くなっています。 

 では、精神分析が考える人間と動物の決定的な違いは、本能の働きだと考えている。
 動物は、本能に従って行動しているが、人間は、本能は理性によって抑えられ、時には本能に逆らうことすらあります。

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