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呟き尾形のフロイトの精神分析
 第3回 人間の本能は破壊されている。

 

 
 さて、精神分析において、人間と動物の決定的な違いは、本能の働きだと考えているこ
とは、前回述べました。
 具体的には、人間は本能を理性によって、抑えられ、時には、本能に逆らうことすらあ
るということです。
 つまり、動物と人間の食欲や性欲は異なるということになります。

 たとえば、人間の食欲は、動物の本能としての食欲とは異なります。
 一般に食欲は本能であると解釈されますが、ここで言う本能とは、生まれながらにそな
わっている、個体の生存と種族の維持に関係する基本的欲求です。
 ですから、動物は、嗜好よりも、生存のために何を食べ、何を避けるかということを生
まれながらに備わっている本能にしたがって食べるものを選びます。
 つまり、動物は先天的に備わっている本能に従って食べるものを選びます。
 それに対して、人間は異なります。
 人間は、食べ物に好き嫌いがあり、極端な空腹時でない限り、嫌いなものは、食べない
という選択があります。逆に好きな食べ物は満腹時でも、食べようとします。
 さらに、人間は人間にとって栄養価の高いものを好むとは限りません。
 むしろ、健康の害になるようなものを好む場合すらあります。
 つまり、人間は、後天的に構築された個人の嗜好に従って食べるものを選びます。
 いわゆる、グルメ(美食家)とされる存在そのものが、人間の食欲が本能ではないとい
うことを示しています。
 一般に本能とされる食欲ですが、食欲が生存するために必要なものだとすれば、上記の
ような嗜好による選択は発生しません。

 性欲に関して言えば、人間には発情期がありません。
 これを比喩的に、人間は随時、発情期であるという表現すぎません。
 実際、発情期とは、本能的に、交尾して妊娠が促される時期です。
 つまり、生殖を目的とした時期であり、人間は、1年中性交を行えますが、それは子孫
を残すという生殖ことを目的したものだとはかぎりません。
 さらに、性交の相手を選び方も、動物はより生存能力の高い存在を本能的に選びます。
 しかし、人間は必ずしもそうではありません。

 他にも母性本能という言葉はあります。
 一般的な認識として、母性本能とは、母親が愛情を実感するかどうかという気持ちだと
されています。
 しかし、上記の意味において、母性本能が本能ならば、最近社会問題化している「自分
の子供をかわいがることができない」とか「子供はほしくない」といった女性が人間では
ないという事になってしまいます。
 精神分析においては、母性本能は、言葉の表現の一つであって本能ではないと考えてい
ます。

 現代において、本能という言葉は、比ゆ的な表現において使われるのであって、動物の
本能とは、異なるものであるということです。

 このように、人間の食欲や性欲は、本来の意味での本能として壊れているということが
いえるわけです。

 

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