ホーム > 目次 > 呟き尾形の心理学ファイル > 呟き尾形のユング心理学

呟き尾形のユング心理学
 第1回 シャドー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャドー


 シャドーにかぎらず、心理学のありとあらゆるテクニカルタームは、
なにかと厄介でして、テクニカルタームが指す言葉は、無意識を対象としています。
 が、言葉にしているので、意識化しているわけです。
 ですから、無意識の存在を言葉にするわけで、無意識を意識下するための用
語なのです。
 心理学としてのスタンスは意識上での問題は、無意識に原因がある。
 という考え方です。

 その中でシャドーとは、自覚していない自分自身である。ということになり
ます。
 面倒なのは、意識の方では、自覚していないわけですから、自分には心当た
りがないのです。
 自分の中にある認めたくない自分(シャドー)は無意識下に押さえ込まれ、
外部への否定という形で現れます。
 それらを上手くコントロールできないからこそ、人は他人や物に嫌悪を感じ
ます。

 で、その嫌悪は、時として、精神的な苦痛にすら発展します。
 それは、自分が認識できない自分、つまり、シャドーを受け入れることが
できないからです。
 問題なのは、自分が認識できないとはいえ、それは自分であることには
間違いないため、自分が存在する限りついて回ります。
 つまり、シャドーは自分の嫌いな部分を他人に投影することで、その人を嫌
いになるわけです。
 すると、その人を自分の生活から排除するようにしても、再び違う人が同
じシャドーとなって、自分の前に立ちはだかります。

 ですから、シャドーを自分のなかで、きちんと自覚し、解決しない限り、投
影した人物、物を物理的に避けても異なる人物や物に投影します。
 これがシャドーの厄介なところです。

 このシャドーという無意識の存在が、人の争いの根源でもあるともいえると
考えています。

 このシャドーをどのように解消するかについては、個人差があります。ここ
がシャドーをさらに厄介にする理由の一つでもあります。

 と、とりあえず、シャドーに対する説明でした。

質問、感想などは、白い時計塔のある村の掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)


 

タイトルへ戻る