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呟き尾形のユング心理学
 第3回 アニマ

 

 

 

 

 

 

 

 

アニマ


 男性であろうと、女性であろうと、アニマ、アニムスを持っています。
 それが、生物学的な性において、男性はアニムスを自己に投影し、アニマを
異性に投影します。女性の場合は逆転するといえるわけです。
 そして、男性にとってのアニマとは、いわゆる理想の女性像であり、女性に
とってのアニマとは自己実現したいイメージになります。
 一般に男性は理性的であり、女性は感情的であることが多い。といわれます
が、これは、まさにアニマが感情と密接に関係しているからである。といえる
でしょう。
 で、このアニマというものは、ユング心理学において段階があると表現をさ
れています。
 ここについては、個人的には段階。というよりも、タイプ論にある、思考、
直感、感性、感情のようなものとして、アニマの「性愛」「恋愛」「博愛」
「慈愛」があるように思えてなりません。
 いえ、段階というと「性愛」だから低俗とは言わないまでも低レベルという
印象を与えるからです。
 ともあれ、アニマの段階としての「性愛」というのは何かというと、まさし
く性欲の対象としての性であり、愛情です。
 そこに、人格は関係なく、純粋にリアルな存在としての快、不快関係が存在
します。
 ですから、いわゆる容姿、スタイルの理想的な女性像が投影されるというこ
とになります。
 で、この段階が未開発であると、激しい感情のコントロールが難しいといえ
るでしょう。

 次の段階としては、「恋愛」ですが、これは、いわゆるプラトニックラブと
呼ばれるもので、イメージとしての美しい女性像がイメージされます。
 まさしく、恋人を人格として愛する愛情です。
 そこには、恋人同士が献身的にお互いがお互いを助け合うイメージがあり、
1つの人格と1つの人格の信頼関係が存在します。
 ですから、容姿よりも、関係を持つ場合の性格(人格)が理想的な女性像が
投影されるといえるでしょう。
 で、この段階が未開発であると、他人を信頼する。ということが容易ではな
くなるといえるでしょう。

 次の段階としては、「博愛」ですが、これは、同じ集団に所属するものを、
無条件に愛する、母性的な女性像がイメージされます。
 具体的には聖母マリアがその典型といえるでしょう。
 ユング心理学の本を読むと、日本人は「博愛」のアニマが未発達である。と
指摘されていることが多いようですが、それは日本のほとんどの女性が体現し
ているからで、あまりにも当たり前すぎて気づいていないだけなのだと思って
います。
 ここまで書くと、母が子を愛する愛情であることは言うまでもありません。
 デキが良かろうが悪かろうが、愛する保護すべき存在であるというイメージ
があり、仲間を愛するチームワーク的(団結的)関係が存在します。
 ですから、包み込むようなやさしさやぬくもりを与えてくれる女性像が投影
されるといえるでしょう。
 で、この段階が未開発であると、協調性を持つことが難しくなる。といえる
でしょう。

 最後の段階としては、「慈愛」ですが、これは全ての存在を無条件に愛す
る、菩薩のようは、女性というよりも、両性具有的なイメージが存在します。
 具体的には弥勒菩薩や観音菩薩、西洋においてはアテナがその典型である。
といえるでしょう。
 文字通り、慈しみ愛する心、慈愛です。
 で、正直、この「慈愛」については、すごすぎてよくわかっておりません。
 こうなると、もう宗教のようなものだし、強いて例を出すなら、たぶんナイ
チンゲールかもしれませんし、マザーテレサなのかもしれませんが、私はあえ
てガンジーを出したい。
 アニマにガンジーは、違うのではないか?
 そもそも、ガンジーは男性じゃないかと思われるかもしれません。
 しかし、究極のアニマは性差を越えて投影されるものだといえるのです。

 ここまで女性像、女性像といい続けてきましたが、アニマは確かに女性像と
して顕著に登場しますが、女性というのは、感情というものを見事に操ること
ができる性だからであり、感情こそが人と人の関係をつなぐ架け橋であると
考えております。
 人は孤独ではいられないがゆえに、アニマ。という元型を自分、そして、
外部に投影するものだと考えています。

質問、感想などは、白い時計塔のある村の掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)


 

 

 

 

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