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哲学のトチュー(呟き尾形語録)

 呟き尾形の語録の紹介と共に、その言葉の解説をして、自画自賛をしようというコンテンツです。

質問、感想などは、哲学のトチュウ掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・仁とは
     
  2. ・義とは
     
  3. ・礼とは
     
  4. ・智とは
     
  5. ・信とは
  6. ・ルールを守るメリット
  7. ・義務を果たす覚悟のない権利の主張
  8. ・幸せになるコツ
  9. ・不幸を避ける
  10. ・私の普通、あなたの普通

     質問、感想などは、哲学のトチュウ掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

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仁とは
  

仁とは、相手の立場に立つ気持ちである

 仁という言葉の意味は、人をいつくしむという意味です。
 いつくしむということは、かわいがって大事にするということですが、これは過保護ではありません。
 過保護になるのは、自己満足によって大事にするからです。
 つまりは、その人の価値観を考慮することなく、自分の価値観を押し付けること他なりません。
 その人の価値観を考慮するということは、その人にとって何が良いか、考えるということです。
 それは、その人の立場に立つ気持ちがなければ、とてもできることではありません。
 

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義とは

義とは、人が人間らしくある為の筋である

 義という言葉の意味は、人の行いが道徳や倫理にかなっていることです。
 現代において、なぜ、道徳を守らなければいけないのか?
 なぜ、倫理が倫理としていえるのか、何を根拠とすべきか価値観が混迷しているのも事実だと認識しています。
 しかし、だからといって、非道徳的行為、非倫理的な言動が正しいといませんし、多くの人はむしろ嫌悪を感じるでしょう。
そして、道徳的行為、倫理にあった言動の人の方が信頼されます。

 なぜなら、道徳や倫理こそが、人が人間らしくあるためのお手本だからです。

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礼とは

礼とは、異なる価値観の人間同士が意思疎通させるための形式である


 そもそも礼とは何か?
 社会生活をする上で、円滑な人間関係や、秩序を維持するのに必要な倫理的形式の総称と言うことになります。
 一般的に人は社会を形成し、社会の中で生活するわけですから、人として、従うべき行動様式と言うことになります。
 まぁ、もちろん、礼に従うべきではありますが、礼に従うだけで良いと言うことにはなりません。
 なんにしろ、日本においては、頭を下げるという行為によって相手への敬意を表せます。
 あるいは、礼によって感謝の気持ちを伝えることができます。
 一人一人価値観や感じ方が違うからこそ、礼によって、人間同士が意思疎通させるための形式といえるのだと考えます。
 それが、年齢の差による価値観の差すら埋めるのですから、礼の重要性は社会生活を行う上で大変重要なことは理解していただけるかと思います。

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智とは

  智とは、現実を見つめることである

 智というものは、物の道理を知り、正しい判断を下すことの能力を指します。
 物の道理を知るためには、”百聞は一見にしかず”、”論より証拠”、”論は後、証拠は先”、とあるように、現実あっての智ということにあります。
 論に負けて理に勝つと、道理と理屈は異なるということわざにあるように、智とは論であることよりも、道理を重んじることにあります。
 そのためには、現実を見つめる必要があります。

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信とは


   信とは、動じぬ心である


  仁も義も礼も智も、実は、この信があるからこそ成り立ちます。
 相手を信じなければ、慈愛の心など生じません。
 道徳や倫理を信じなければ、義など無意味です。
 礼という気持ち信じなければ、礼は形骸化するだけでしょう。
 智すら、懐疑の心で、自分の経験や現実を信じなければ、使い物になりません。
 信とは、あざむかないこと、いつわらないこと、忠実であることです。
 すなわち、疑わない心であり、信頼する心でもあります。
 信に必要な心は、まさに信念であり、動じぬ心を持たなければ得られないものといえるでしょう。

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ルールを守るメリット

ルールに保護されたければ、
 何があってもルールを守らなければならない。



 ルールとは、規則であり、とどのつまり、きまりです。

 ルールがあるということは、そのルールを守る事が大前提です。

 しかし、一見、ルールを守る事に、なんらメリットが無いように見えます。
 そこで、一つの倒錯がなされます。
 ルールを守っても損をするだけだ。と考え、ルールを破る事は是としてしまうのです。

 もちろん、それは、幼稚な考え方です。
 なぜなら、ルールが破るのが自分だけの場合しか考えていないからです。
 自分がルールを守らないということは、当然他人もルールを守らないことも想定しなければいけません。
 すると、ルールを破って自分自身が不利益が生じることを是とせざるを得なくなります。
 なぜなら、ルールを破る事を是としたのですから、ルールを破られた事を根拠に、責めることなど出来るわけがありません。
 ルールを破られた事を根拠に、責めることなど出来るのは、ルールを守っている人のみです。

 つまり、だれしも、ルールを守るのだ。
 という前提こそ、ルールを守る人を保護しているのです。

 ですから、ルールというものを破るということは、ルールによって保護される必然性がなくなるというわけです。

 まさに、

『ルールに保護されたければ、何があってもルールを守らなければならない』

 ということであり、ルールを守るメリットだといえるでしょう。


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義務を果たす覚悟のない権利の主張

 義務を果たす覚悟のない権利の主張は、
  わがままでしかない。



 
 権利とは、ある原理などによって、ある行為をしたり、行為をしないことを主張できる資格のことです。
 その資格の根拠となる、原理をみとめると、その原理によって資格がえられると同時に、その原理によって、義務が生じます。

 義務とは、人が人として、あるいは立場上、当然しなければならないことであり、とどのつまりは、責務です。

 つまり、どんな原理にしろ、原理に従い立場が決定され、その立場に応じた権利と義務が生じるということです。

 ところで、わがままとはどういったことでしょうか?
 それは、原理などなく、ただ利己的に、自分の都合だけを考えた言動を指します。

 当然、自分に都合のいい権利のみを主張し、立場に応じた義務を果たす覚悟がなければ、それは権利などとは名ばかりのわがままでしかありません。

 一般的に、社会において、わがままに付き合う義務はなく、むしろ、わがままにならないことで、わがままを拒否する権利を有していることが多いようです。

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幸せになるコツ

 幸せになるコツは、謙虚になることである。
 

 謙虚とは、ひかえめでつつましやかなさまの事を指します。
 そして、謙虚であるためには、自分の能力や地位などにおごりは不要です。

 人は、心から謙虚になることで、初めて、世界に存在する、様々なものの価値を知る事ができます。
 なぜなら、自分の能力や地位などにおごりがあれば、ものを見ることなく、先入観で決め付けてしまい、ものの価値など正しく評価することが出来ないからです。

 もし、あなたが恵まれた状況にあったとしても、謙虚にそれを認めなければ、幸せであるとはいえません。
 むしろ、恵まれていると認める事ができなければ、満足することができず、本当の意味で不幸なことです。

 しかし、それを謙虚に、恵まれていることを謙虚に感謝できれば、その人は本当の意味で幸せであるといえるでしょう。

 幸せの本質とは、満足にあります。
 その満足は傲慢になることで得る事は、むずかしく、謙虚になることで、満足は得やすくなります。

 すなわち、幸せになるコツとは、謙虚になること他ならない。
 ということです。

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不幸を避ける

 不幸を避けるためには、
  常に自分が傲慢不遜でないか、
   自分で見張っていなければならない。

 

 幸福とは、特に不満も無く満足できる状態です。
 不幸とは、幸福ではないことであり、すなわち、不幸とは、満足することが出来ず、不満な状態です。

 傲慢不遜とは、思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くことを言います。

 人は、さまざまなことが上手着続けると、満足している状態が、何の努力もなく自分の力だけのもので成し遂げているのだと、ついつい思い上がってしまいます。
 こうなると、周りの人の心は、自然と離れ、結果的に自ら不幸を呼び寄せてしまいます。
 そうならないためにも、自分自身が傲慢不遜になっていないかどうかを見張っていなければなりません。

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私の普通、あなたの普通

 自分の普通であると感じることは、
  他人にとって、特別であることが、大変多い。

 

 普通とは、いつでもどこにでもあって、めずらしくないことですが、厳密に、この普通を他人と照らし合わせると、案外、自分にとって普通でも、他人にとっては特別であることはよくあることです。

 しかし、大抵の人は、自分の普通は、他人も普通だとおもっていることが大変多くあります。

 この相違が、多くの争いごとの原因になります。

 もし、あなたが争いごとを減らしたいと願うなら、自分の普通であると感じることは、他人にとって、特別であることが、大変多いことを自覚するべきです。

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