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哲学のトチュー(呟き尾形語録)

 呟き尾形の語録の紹介と共に、その言葉の解説をして、自画自賛をしようというコンテンツです。

質問、感想などは、哲学のトチュウ掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・人の心はお金で買えるだろうか?
            (2006年9月10日追加)
     
  2. ・金を持っている奴が偉いのだろうか? 
             (2006年9月10日追加)
     
  3. ・女性は金でついてくるだろうか?
              (2006年9月10日追加)
     
  4. ・正義は必ず勝つ
              (2007年9月16日追加) 

  5. ・不屈とは、困難に屈せず意志を貫くことです。 
              (2008年3月30日追加)
  6. ・人権は誰もが持つ権利である 。 
              (2008年9月14日追加)
  7. ・他者を批判するとき  。 
              (2009年3月8日追加)
  8. ・真の正義とは  。 
              (2009年9月6日追加)
  9. ・結果につながらない努力はある   。 
              (2010年5月23日追加)
  10. ・人は、他者が疑えば、自分も疑ってしまいます   。 
              (2011年6月5日追加)


     

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人の心はお金で買えるだろうか?
  

人の心はお金で買えるだろうか?
確かに人の心は、お金に弱く、誘惑されるが、売りたくとも売る事が出来ない。
それが心である





 そもそも、お金とは、商品の一定量の商品が他の商品のどれだけの量と交換できるかという、他との関係・比較の上で成り立っている値打ちないし有用性を数値化したものです。

 このお金の金額、つまり、価値の数値化されたものが大きければ大きいほど、財貨がもっている物としての有用性をしめします。
 そして、それは、人間の欲望を満足させるという可能性を示すものになりえるわけです。

 ですから、下記の三段論法が成り立ちえます。
 人は欲望を満たすことを欲する。
 お金には欲望を満足させる可能性がある。
 ゆえに、人はお金を欲する。

 欲するものを与える存在の言葉に弱く、誘惑されることは確かです。
 しかし、それは人の心まで奪われることはありません。

 なぜなら、心という現象は、数値化不可能な非論理的な現象だからです。。

 


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金を持っている奴が偉いだろうか?

金を持っている奴が偉いのだろうか?
たしかに、金を持っている奴はそれ相応の能力があるといえるだろう。
しかし、能力があることと偉いということは別問題である。

  お金とは一体何なのでしょうか?

 お金というと、対象の価値を数値化されたものです。

 ですから、お金をたくさん持っているということは、それ相応の能力があるというのは間違いありません。

 ただ、偉いと他者から認められるためには、他者から信頼される事が必要です。
 この信頼というものは、お金では買うことができません。
 なぜなら、信頼を得るためには、正直であるか、仕事の実績を残せる人です。

 正直貧乏横着栄耀というように、正直者は、正直であるがゆえに、見た目の立ち回りがヘタで、貧しい境遇にあるのに反して、悪賢い者はずるくたちまわって、お金持ちになることがあります。

 悪賢く立ち回ってお金をもうけることは、確かに可能です。
 が、それでは、他者から信頼はえられません。

 すると、偉い人として、多くの人から尊敬などされません。
 お金にしがみつく事しか出来ないかわいそうな人になってしまいます。

 つまり、お金を持っているからといって、偉いとはいえないということになります。

 

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女性は金でついてくるだろうか?

女性は金でついてくるだろうか?
女性は、どうでもいい男には、金を持っているほうがついてきやすい。
しかし、必ずついてくると勘違いしたなら、思わぬしっぺ返しがくるものだ。



 一般に、女性は理性と感情において、感情を優先させることが多くあります。

 感情というものは不条理です。
 不条理とは筋が通らないことです。

 ですから、感情を優先させたとき、普段、言っている事と違うことを行うのは当然といえるでしょう。

 となれば、お金を持っている男についていくといっている女性が、ある日突然去るということがあっても、なんら不思議ではないのです。
 特に、女性にとって、男性として魅力を感じないどうでもいい男において、評価するのはお金や財産に目を向けられることになりますが、所詮、どうでもいいわけですから、ある日、気まぐれで突然去る。
 なんてことは、十分ありえるわけです。

 しかし、逆をいえば、それまでに、男性としての魅力をその女性に見せる事ができたなら、お金や財産がなくとも、ついてきてくれることでしょう。

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正義は必ず勝つ

  最後に正義は必ず勝つ。なぜなら、正義を信念に持てば、勝つまであきらめないからだ。
 −呟き尾形−


 
「正義は立場によっていろいろ変わるものだ」
 なんてことを耳にしますが、ここで言う正義は、そんなご都合主義の自己の正当化をするような矮小な正義ではありません。

 辞書どおりの、普遍的な意味としての道徳とほぼ同意の意味です。

 で、正義は必ず勝つといいますが、これは、常勝を意味するものではありません。100戦のうち、たとえ99敗しようとも、最後の1勝をすれば、勝ちとします。

 正義の信念をもてば、何度負けようともしようとも、負けの数に+1の挑戦があります。
 これじゃぁ、負けるわけがありません。

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不屈とは、困難に屈せず意志を貫くことです。 


   
不屈とは、困難に屈せず意志を貫くことです。
 −呟き尾形−


  
 何度負けようとも、勝つまで続ける粘り強さを持つということは、強い信念が必要不可欠です。
 強い信念というものは、自分が正しいと、自分自身を信じることが必要であり、そのためにも、自分が、人が従うべき正しい道理にしたがっていることが必要になります。

 不屈の粘り強さは、そうした正義を信念にもってこそ得られるものです。

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人権は誰もが持つ権利である 

 人権は誰もが持つ権利である。そして、それは、誰もが人間らしくある義務を持っているということを意味している。
 −呟き尾形−


  権利とは、何らかの原理や存在によって一定の主体に賦与される、ある行為をなし、またはなさぬことができる能力・資格のことです。

 義務とは、立場上、身分上当然しなければならないことです。

 では、人権とは何でしょうか?

 人間が人間らしく生きるために生来持っている権利です。
 日本国憲法では、思想・表現の自由などの自由権、生存権などの社会権、参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権を基本的人権として保障されています。
 ただし、この保障されている権利の大前提には、人が人としてなすべき義務があるのです。

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他者を批判するとき 

 他者を批判するとき、批判の言葉を自分に当てはめてから批判せよ!
−呟き尾形−


 
 批判とは、批判対象に対して、悪い部分の指摘と反省点を炙り出す行為です。

 ですから、相手の間違っている点や、よくない点を指摘するわけですが、このとき、自分自身が批判する言動を取っていることは多いものです。

 他人の振り見てわが身を直せ。

 他者を批判するとき、批判の言葉を自分に当てはめて、自己批判してみてください。
 自己批判のない批判は、墓穴を掘る事になります。

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真の正義とは

 真の正義とは、他者にではなく、自分自身に適用される。
 −呟き尾形−


 
 真の正義とは何でしょう?
 辞書的な意味においては、人のおこないが道徳・倫理にかなっていることです。

 で、この道徳や倫理というのは、自分の価値観において、自分自身を律するものであって、きわめて主観的な価値基準になるわけです。
 つまり、客観的な義なんてものはないわけです。
 それゆえに、他者に適用させるものじゃないということになります。

 で、ポイントは道徳や倫理というのは、自分を律するということであるわけです。
 で、わすれちゃいけないのは、道徳や倫理は、とどのつまり、ものごとを判断する「ものさし」のような、価値基準になるわけで、自分が軽薄な道徳観や倫理観を持つと、他者からなされることも軽薄な道徳観や倫理観によって判断しなくちゃいけないということになります。

 たとえば、「金で人の心は買えるのだ」という価値基準があったとすれば、述べている人自身の心も金で売っていいということを述べている事と同意になります。
 あるいは、自分さえ良ければいいという価値基準を持っている人は、他人もまた自分さえ良ければいいという価値基準をもっていてもかまわないということになり、他人が「自分さえよければいい」からという理由で成された事は非難できなくなってしまいます。

 つまり、自分はいいが、他人はダメというのは義にあらずであり、自分がいいということは、他人もいいのだ。
 とする「ものさし」が”義”ってことになります。

 それゆえ、辞書的な意味において、そうした人としての価値判断が”義”ということになり、真の正義は他者にではなく、自分自身に適用されるといえるのです。

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結果につながらない努力はある 

 結果につながらない努力はある。
 すべての努力は自信の根拠になる。
 ゆえに、無駄な努力などない。
 −呟き尾形−


 
こんにちわ。呟き尾形です。

 結果につながらない努力はある。
 すべての努力は自信の根拠になる。
 ゆえに、無駄な努力などない。
 −呟き尾形−

 努力とは、
 心をこめて事にあたることであり、
 骨を折って事の実行につとめることであり、
 つとめはげむことです。

 一般に、結果の実らない努力を、無駄な努力であったと思われがちちです。

 しかし、自分が努力したという実績は、結果の出た後でも経験の名において、自信につながります。

 努力は、努力した分だけ自分の力にになっているのです。

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人は、他者が疑えば、自分も疑ってしまいます

 人は、他者が疑えば、自分も疑ってしまいます。しかし、逆に他者が信じれば自分も信じられるものです。
 −呟き尾形−


 
 疑うとは、得られた結果・結論が正しくないのではないかと思うことです。
 他人が疑えば、それは伝染し、自分も疑ってしまいます。

 疑心暗鬼を生ずといいますが、疑いというものは、それを持つだけで、無根拠に、何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちを抱いてしまうものです。

 しかし、逆に、他人が信じる事は、自分も信じるようになります。

 信じることも伝染するのです。

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