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哲学のコトバ01
呟き尾形が哲学者の生涯の紹介と共に、その哲学について、まとめていこうというコンテンツです。
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- ・アイロニー
- ・イデア
- ・三段論法
- ・ディナミス
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アイロニー
アイロニーとは、一般には、皮肉、反語の意味。
もともと”空とぼけること。しらばくれること”を意味します。
哲学において、アイロニーを使い始めたのはソクラテスだといわれています。
ソクラテスは知者を名乗るソフィストら論敵を打ち破るために、無知を装って彼らと問答を重ねて、教えをこうフリをしながら相手を問い詰めていきました。
そして、相手の知識が”見せかけのもの”でしかないことを悟らせました。
これは、直接に真理を教えるのではなく、むしろ、真理の発見に、不可欠な無知の知へ人々を導く皮肉な反語法です。
アイロニーによって自分が何も知らないこと、つまり、”無知の知”を自覚し、共同にロゴスを分かち合うことを哲学にしたそうです。
つまり、哲学に新しい要素を取り入れた。
ということがいえます。
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イデア
イデアとは、一般に、下記のような3つの意味合いを持っているとされています。
1・倫理的、美的価値それ自体としてのイデア。
2・感覚的経験知を配してイデア界に真知を求める対象としてのイデア。
3・反経験論としてのイデア。
ということになっているそうです。
が、しかし、このようなことをいわれても、私は、よく意味がわかりません。
そこで、下記からは、イデアというものと認識について、私が極めて個人的に自問自答した結果を書き記したいと思います。
さて、イデアというものが想定(すでにある?)され、そのイデアがあるからこそ、何が美しく、何が善いことで、何が真実であるか確信することが出来ます。
つまり、私たちは、なにを判断するにしても、前提として、真実が想定され、その真実に当てはまるかどうかでそれが本当か嘘かを判断してしまっているわけです。
そのため、実は私たちは何も知らないのではなく、全てのことを事前に知っているからこそ、物事を判断できる。ともいえるわけです。
逆に、知らなければなにも判断することができないはずです。
で、イデアを語る上でものすごく難しいくて厄介なのが、物と物自体のような使い分けです。アリストテレスはプラトンは物を2倍に増やしたと批判しますが、まさしく、それは事実だと思います。
そのため、イデアとしての対象を()でくくることに致します。
たとえば、林檎のイデアは(林檎)とします。あらかじめご了承ください。
さて、例をあげます。
林檎が好きな日本人のAさんと、林檎が嫌いな英語を使う外国人のBさんの目の前に赤い果実があって、Aさんにとって好きな食べ物林檎であり、Bさんにとって嫌いな食べ物appleであるので、現われ方は当然違います。
しかし、だからといって、林檎ないしappleであることには変わりがありません。
ここにはやっぱり(林檎)というイデアがないと赤い果実は赤い果実たることは出来ないということです。
もし、目の前にある赤い果実が(林檎)でなければ、対象である赤い果実は、「事実」として、人によって、イチゴだったり、スイカだったり、食べ物ですらないかもしれないことがありえるわけです。
さて、シェイクスピアに、「Rose is a rose」っていうセリフがあります。
つまり、リンゴは、赤くなくても、食べられなくても、林檎は林檎であるということです。
これは、「(林檎)があるからこそ」といえます。
しかし、林檎と言われてそれぞれが想像するイメージも、好き、嫌いの判断も様々です。
ここについては、確かに林檎から連想されるものは、十人十色です。
にもかかわらず、林檎は人によって、(イチゴ)にも(スイカ)にもなりません。
これは、大変不思議なことです。
(林檎)はリンゴでしかありえないのに、人それぞれ厳密に言えば異なる認識をしています。
つまり、人によって林檎の現れ方が違うのにもかかわらず、私達は(林檎)は(イチゴ)にも(スイカ)にもならず、(林檎)だと言えているわけです。
これ、普通に考えたら奇跡です。
でも、不思議なことに(林檎)はリンゴなのは、別に頭を捻らなくても、普通のことなんです。
今度は、犬の例をだします。
「目の前に居る、四本足で日本語ではワンワンと吠えることになっている動物」を(犬)とたらしめている何かがないと犬を(犬)だと分かるはずがありません。
生きている犬じゃなくても。イラスト、写真、犬をかたちどったクッキーを見ても、私達は(犬)だと思ってしまいます。
それがどうした。といわれれば、そこでおしまいです。
そういった方には、
下記の問いかけに回答いただければ幸いです。
「不思議なんです。なんでかわかります?」
おそらく、だれも、この不思議について、当たり前すぎて回答できないであろうと推測しています。
で、犬の例にもどります。
もし、(犬)が「目の前に居る、四本足で日本語ではワンワンと吠えることになっている動物」であるのなら、三本足の犬とか、一時期美談になった、車椅子に乗った犬などは、「本当の犬とは言えない」ということになってしまうのではないだろうか?
という疑問がでてきます。
そうなんです。もし、(犬)が「目の前に居る、四本足で日本語ではワンワンと吠えることになっている動物」だけを指しているなら、その通りなのですが、それでも私達は、それらを犬だと思ってしまいます。
まぁ、普通はそんなの当たり前だ。とか、どうでもいいことじゃないか。といわれます。
不思議に思わない人にとってそれはどうでもいいことだからです。
さて、ここまで言っておいて、凄い矛盾するかもしれませんが、私はイデアを論ずる一方でイデア界は否定したいとおもっています。
それはアリストテレスが指摘したとおり、ものごとをむやみに2倍に増やす行為に他ならないからです。
そこで見つけたのが現象学のエポケーというわけです。判断停止をすることにより、本質直観し、純粋経験すなわちイデアを観る。
ということが必要なのだろうと考えています。
ああ、イデアって不思議です。
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アリストテレスは、物事の説明をより、厳密にするために、論理学というもので、物事を説明しました。
論理学というのは、正しい伺候の形式や法則を研究する学問です。
その中でも、思考の内容を捨象し、推論の形式的法則のみを考究する形式論理学と、対象把握を可能にする思考の形式や法則を考究する認識論的論理学があります。
人の考えていることを、抽象化するときに、その人の感想や記憶とかに基いた判断を取り除いて、推測するときの形の法則だけを考えるのが形式論理学で、その逆に、ものごとを見分けることができる伺候の形や法則を考える
のが、認識論的論理学です。
アリストテレスは前者の形式論理学というもので、物事を説明していきました。
その中でも有名なのが、三段論法です。。
例えば、
「生き物はいつかは死ぬ」・・概念A(大前提)
「犬は生き物である」・・・・概念B(小前提)
「ゆえに、犬はいつかは死ぬ」
という形式で説明します。
このような三段論王で、アリストテレスは、知識の整理整頓をしようとしました。
で、整理整頓するためには、分類が必要で、分類するためには基準が必要になります。
さて、三段論法は、典型的には、大前提、小前提および結論という3個の命題を取り扱います。
これを用いた結論が真であるためには、前提が真であること、および論理の法則が守られることが必要とされます。
古代ギリシアからのものは「大前提」「小前提」および「結論」の三つの不可欠の命題から成る推論規則である。
「大前提」には「一般的な原理」を置き、「小前提」には「目前の具体的な事実」を置き、を導き出します。
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ディナミスとは、可能状態というのを指します。
つまり、形相がふくまれているのですが、それが表れていない状態です。
ディナミスとは、たとえるなら、赤ちゃんのような状態です。
赤ちゃんは人間だけど、人間として完成された形ではありません。
つまり、形相としては未完成だけど、人間じゃないというわけです。
赤ちゃんを例に例えるなら、肉や骨などの物質的な材料であるヒューレ?(質量)も、人間としての本質としてエイドス(形相)も備わっています。
本質というのは、それが無くなれば、そのものじゃなくなることですから、もし、赤ちゃんが人間の本質がないんだったら、赤ちゃんは人間じゃなくなるということになりますよね?
つまり、僕らは赤ちゃんは未完成だけど、人間だと判断できるということは、赤ちゃんは人間の本質をもっているってことになります。
ここで、気になる点があります。
未完成という部分です。
これは、人間として完成された形とは、赤ちゃんから、大人、つまり、人間として成長させるということになります。
アリストテレスは、そうするために4つの要因があるといいました。
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