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呟き尾形の哲学手記 5

 呟き尾形が日常、考えていることを手記にまとめてみました。とくに肩に力を入れることなく、砕けた口調で、軽い気持ち書いています。

  1. Plan-Do-Check(2012/9/30 追加).
  2. 批判について   (2013/1/6 追加).
  3. xxxx    (xxxx 追加). 
  4. xxxx   (xxxx 追加). 
  5. xxxx         (2008/5/25 追加). 
  6. xxxx         (2008/11/16 追加). 
  7. xxx         (2009/5/3 追加). 
  8. xxxxx   (2011/1/9 追加). 
  9. xxxx  (2011/8/21 追加). 
  10. xxxxx   (2012/6/24 追加). 
 

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Plan-Do-Check
  

 

 Plan-Do-Check という、作業サイクルがあります。

 Planは作業計画、Doは計画に基づいた実行、Checkは、行動の結果
に対する反省です。

 計画(Plan)は悲観的に、行動(Do)は楽観的に、反省(Check)は客
観的にが成功のカギであると考えます

 言うが安し、行うは難しですが、とはいいつも、猪突猛進のように行動ある
のみでは行き当たりばったりは賢明な方法ではありません。

 行動を臨機応変にこなすためには、思い込みによる判断ではなく、複数の
他者の視点を探して自己批判を行う必要性がおのずと生じます。
 そこで、思い込みよる判断の回避の方法論として”自己の思想の実践”に
よって、”批判と反省”を繰り返すつまり、Plan-Do-Checkのサイクルを
さらに磨くことが必要だと思います。
 じゃぁ、いったいこのPlan-Do-Checkのサイクルと哲学とはどう関係が
あるのか?
 ということになります。
 とりあえず、ここで、哲学とは考えることであり、その考えをまとめる方法論
であるとします。
 その上で、実践哲学とは、その方法論に基き、どうあるべきかビジョンを設定
し(Plan)、ビジョンに向かうための行動し(Do)、その行動の結果が
ビジョンどおりであるかを反省(Check)するという、実践哲学のモデルとして
も、Plan-Do-Checkのサイクルが適応できると考えます。
 つまり、哲学というものは、考えることが根底にあるものの、そこからステップ
アップし、行動に移し、その行動の結果と考えていたことについて反省すること
で成り立つ。
 と考えるわけです。

 まぁ、その考えを仮に設定すると、
「行動を考える(Plan)」→
「行動する(Do)」→
「結果から学習する(Check)」
というサイクルを伴う哲学を仮に実践哲学とします。
 で、仮に
「学習した」→
「行動を考える」→
「学習した」→
「行動を考える」→
「学習した」
という実践を伴わない哲学を観念哲学とします。

 で、実践哲学は、どうしても現実的かつ合理的にならざるを得ません。
 なぜなら、行動によって結果が出てしまうからです。
 では、観念哲学はどうかという、理想的かつ不合理にならざるをえません。
 なぜなら、行動による泥臭さを考慮する必要が無いからです。

 実際、実践哲学において、対象の問題に対して、ありとあらゆるマイナス要素
を考え、その準備を行わないと、なかなかことは上手く進みません。
 備えあれば憂い無しというわけです。
 悲観的過ぎても行動に移せませんし、楽観過ぎても行動は失敗するからです。
 しかし、観念哲学は、常に現実が保留されているため、どこまでも悲観的にな
れるし、どもまでも楽観的になれます。
 なんとも、実行する必要がないからです。

 なんにしろ、実践哲学については、悲観的視点で生み出されたマイナスの要素
が生じた時点で、その対策をたてます。
 それによって、不安な要素はなくなります。
 準備が万端になったところで、行動に入れば行動を優先します。
 もちろん、結果的に準備不足であったことが分かったとしても、そこで立ち止
まっていては、せっかくの準備がそれこそ無駄になってしまいます。
 そうして、積み重ねた経験を、主観的な思い込みではなく客観的にどこがよ
くてわるかったのか? を明確にすることで、実践哲学の意味が生じます。

 さて、Plan-Do-Checkにおいて、重要なポイントがあります。
 それは、各ステップにおいてFeel(体感)とSee(思考)です。
 つまり、「論理だけではなく、それとともに現実(あるいは事実)という現象に
目をむけよ」という意味ことです。

 といいますのも、このような方法論は、それにさえ従っていればよい。
 と倒錯しがちなところがあります。
 それでは実践哲学も本末転倒というところです。
 今回、述べたPlan-Do-Checkという一種の手順は、機械的にそれをこな
すことではなく、むしろ、Feel(体感)とSee(思考)を促す方法論であるという
ことです。



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批判について

  こんにちわ。みなさん。呟き尾形です。


批判について

 まず、批判とは、否定と違い、対象をまず認めてからそれに対する悪い
部分の指摘と反省点を炙り出す行為
です。
 だからこそ、ある意見を批判するためには、ある種の肯定が必要です。
 ここで言う、肯定とは、賛同するということではなく、相手の意見を
意見として受け入れ、何を主張してい
るか理解することです。
 発言者の意図を無視して決め付けや頭ごなしの否定することは、たや
すいことです。

 否定する対象となる意見を理解する必要もなく、一方的に自分の考え
を語ればいいだけだからです。
 また、否定において、ある意見が否定がなされるとき、きちんと理由
があって否定されるということはあり
ません。
 ですから、殆ど検証も検討もされることなく、無駄だから不要と判断
されがちです。
 これは、先入観による思い込みによる決め付けに他なりません。
 だからこそ、私は、原則、否定は避けるようにしています。

 なぜなら、否定とは、対象となる意見を、打ち消すことであり、とど
のつまりは、いつわりであるとすることです。
 
 否定をしないためにどうすればいいかといえば、まず、他者を批判す
る前に自己批判をするということです。
 ここで言う自己批判とは、先入観と固定観念を排除することです。

 これは、批判の性質を考えればわかりやすいと思います。
 批判する対象に対して、対象を検証し、評価、判定することです。
検証するためには、対象について先入観
や固定観念を持つのでは、検証など出来るはずもありません。
 検証する前に、先入観や固定観念を持つということは、対象を拒否す
ることと同意ですから、批判と言う行為は取れない。
 と言うことになります。

 さて、きわめて、個人的な意見ですが、今のところ、上述した自問自答
については、私は自己批判というも
のは、それこそ、一人一派的なものであると考えています。
 というのは、自らの発言の根拠を知るのは、自分自身だし、発言にな
いあたりまえ、とする前提を把握する
ことが可能なのは他人ではなく、発言している自分自身以外存在しよう
が無いからです。
 別に、私は特別なことを述べているわけではありません。
 結局、発言した人にしか、発言の真意を事前に分かっている存在はい
ないというだけの話です。
 もちろん、発言は意志を相手に伝える行為ですから、発言を読み聞き
していれば、真意は伝わるでしょう。
しかし、他人が発言を読んで、その解釈で正しいかどうか、検証できる
のは本人しかいない。ということです

 さらに、それを自分自身で自己検証しようというのが、自己批判であ
るということです。

 つまり、自己批判は結局のところは、自分の結論は正しいかどうか検
証するということであり、自己検証と
ほぼ同意と思います。

 検証とは、真偽を確かめることであり、それは事実を確認・証明するこ
とです。
 ということは、
「なんとなく、そう思うから」、
「説明するまでもない当たり前のことだから」、
「常識だから」、
 ということを根拠にはできません。
 それができるのは、いわゆる心理主義や独我論のような「私が正しい
と思うから正しいのだ」ということに
なってしまいます。
 それは検証とはいえません。

 では、検証をするということはどういうことでしょうか?
 検証とは、真偽を確かめることですから、どこかに「真」が存在する
ことが前提になります。
 つまり「真」と照らし合わせて、「真」と一致していれば「真」、不
一致ならば「偽」であるということです。
 この「真」とは、共有されうる「ものさしでなければいけません。
 それがなければ、結局のところ、検証できていないということになり
ます。
 つまり、共有できない「ものさし」つまり、「なんとなく」とか「自
分にとっての普通」が根拠になってし
まい、検証ができていない。
 という事になるわけです。

 そして、検証できていない、つまり、自己批判していない論理は、大
抵薄っぺらな論理になります。
 薄っぺらな論理は、薄っぺらな論理なだけに、お手軽ですが、建設的
な批判ができません。

 哲学においての批判とは、対象となる思想や行為に対して、それらが
成立する内容を理解したうえで、その期限、妥当性、限界を指摘するも
のですから当然、対象を拒否しては批判は成立しない。
 ということになります。
 もし、単純に、相手の間違っている点や、よくない点を指摘するだけ
で終わるせてしまっては、これでは建設的ではありません。
 建設的な批判とは、批判する対象に対して代案となる考えがあってこ
そだといえるです。


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とは何か?

 

 

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自主律尊 1

 
 

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自主律尊 2

  

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自主律尊 3

  
う。


 
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自主律尊 4

 
 

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ポジティブシンキング1

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ポジティブシンキング 2

  

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ポジティブシンキング 3

 


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  後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/

 

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