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水瓶座の時代

 プラトン年

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 こんにちわ。呟き尾形です。

 現代は、水瓶座の時代であるといわれています。
 この水瓶座の時代には、入ったばかりで、ほんの少し前までは魚座の時代でした。
 魚座の時代は、歴史になぞらえれば、キリストが登場してから現代ぐらいまでのことです。
 私たちの知っている歴史の教科書の大半を占めている部分でもあります。
 魚座の時代の特徴は、魚座の神秘性に基づき、人類が物質のみでなく精神をも重要視するようになった時代と言われています。
 それに対して、水瓶座の時代は、 今から始まる新しい時代です。
 水瓶座の革命作用により価値観が大きく変るといわれています。
 それゆえに、さまざまな解釈がなされており、これが、水瓶座の時代だ!
 ということは、明確になっていないのが現状です。

 まず、占星学の歴史において、プラトン年とは、春分点が、約2万5千年以上の時間をかけて黄道12星座を一周すると言うものです。
 つまり、約2000年間、ひとつの星座の期間に春分点があり、その期間は、その星座に影響される。つまり、時代がその星座の意味合いに合わせて変わって行くというものです。
 ただし、厳密に言うと、約2000年でひとつの星座の期間に春分点がある。
 という言い方は間違っているとも言えます。
 なぜなら、地球の自転は、歳差運動により、春分点は、毎年わずかに黄道上を時計回りにずれてしまいます。
 これが、占星学上の星座の順序と逆に春分点が動いている理由です。
 このズレは、1年周で、約50秒、72年周で約1度、2150年周で30度、つまり、1星座分移動するということです。
 この計算でいけば、25800年で、春分点を12星座を1周することになります。
 つまり、約2000年というのは、サバの読みすぎであり、本来なら2150年で1星座分と考えるのが妥当と言えるかもしれません。
 が、とりあえず、これは一種の話を分かりやすくするための”取り決め”ないし、一種の統一した考えた基準だとおもってください。
 こうした、現実と照らし合わせれば厳密には間違い。ということは、占星学では案外存在します。

 現在の占星学の体系に固まってきたのは、古代バビロニアの時代だといわれています。
 古代バビロニア時代の春分点は、牡羊座でした。
 そのため、現代の占星学において、牡羊座が起点とされているのは、その名残であるとも言われています。
 実際、現在の春分点(日本でいうところの春分の日)は、古代バビロニア時代より4000年の時を経て、魚座のはじめあたりまで後退しています。
 どこからが、魚座の時代であり、どこからが水瓶座の時代であるかは、計算方法によって、諸説があります。
 しかし、春分点が1周するためには、25800年という大変長い年月がかかります。
 このような大きなものさしにおいて、100年単位の誤差は小さいといえるかもしれません。
 もちろん、人間からすれば人間の一生以上の長き時間ではあります。 

 さて、プラトン年によれば、(諸説はありますが)現在の春分点が水瓶サインにある時代のことになります。
 とはいっても通常使用している占星術においては、春分点は魚座と牡羊座の境界に固定されています。
 まぁ、通常の占星術においては、春分点が水瓶座に入るわけがありません。
 しかし、ここでいう「水瓶座」とは、天文学上の天球上に固定した座標を想定して使う方法の意味での水瓶座です。

 で、春分点がいつ水瓶サインに入ったのかについては諸説ありますが、現時点が、時代の境界線であるということのようです。
 春分点の移動は歳差によるもので、この春分点がどこにあったかで、その時代の特徴が出ているとされています。

 そもそも、春分点とは何なのでしょうか?
 春分点とは、天の赤道と黄道の交じり合う点の南側から北側へ通過する方の位置をいいます。
 天の赤道とは、地球の赤道を天球(空)に投影したものです。
 黄道とは、天球上の太陽の軌道面です。
 さて、天の赤道も黄道も地球から見れば円を描いているので、交差する点は二つあります。
 その中で、南側から北側へ通過する方の点を春分点としましたが、もう一方の交差する点を秋分点と言います。
 そして、黄道上に位置する星座のことを黄道十二星座と呼ばれ、占星学上の12星座として用いられています。

 現在、天文学においても、春分点は魚座、秋分点は乙女座にあります。

  

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