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占いが非科学的だと思う方へB
前回、占いを全能化することは、車のエンジンの限界を超えてもさらにアクセルを踏めばオーバーヒートする
のと同じですから。
予言とは、万能かもしれませんが、決して全能ではないのです。
まだ起こりえないことに対しては、推測するまでが限界なのです。
アインシュタインは、科学を信じるがゆえに、科学を用いるべきでない事柄にまで科学を持ち出してしまったのです。バイクを水の上で走らせるようなものですね。浅いうちはなんとか走れますが・・・。
しかしそれでも、
全能とまでは行かなくても、科学的な予測以上でない予言に何か意味があるのだろうか?
数限りのないあてずっぽーを密かにしたためて置いて、当たったことだけを取り出して、ほら当たったでしょと言うのが占いではないのか。
そんな批判もあります。
つまり、科学的な予測が当たれば、第三者によって予言に昇華するが、空想は当たっても予言だったと言い張るのは、当人だけだというのです。
さて、上記の占いの批判は全くの的外れです。
なぜなら、この手の批判する人は、各種占いに精通して批判しているのではなく、それこそ、自らが空想した占いという先入観で、批判しているのです。
理由として批判では、「数限りのないあてずっぽーを密かにしたためて置く」とありますが、占いでは事前にあてずっぽーの予測を立てておき、結果を見てあたったものを公言するのではなく、占いのための原因を見て予測を立てています。
つまり、法則性に乗っ取った予測をしています。
占いを批判する人は、その事実を知らずに「数限りのないあてずっぽーを密かにしたためて置く」といっています。知っていれば、その人がどれだけ、でたらめなあてずっぽーを言っているかを自覚できるからです。
大変皮肉なことですが、占いをでたらめのあてずっぽーと言っている人に限って、占いについて、でたらめであてずっぽーのことを言っているという事実が伺えます。
つまり、占いを批判する人に限って信頼性の薄い発言をしているのです。
余談ですが、占いに限らず、ある事柄を批判するとき、その批判の内容を自ら行っている事が多いので、議論をする際はその点に気をつけなければいけないんでしょうね。
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