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育児手記 サイトコンテンツ紹介 

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クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
『呟き尾形』:メールマガジンの発行者
《めぐたん》:スペシャルゲスト 魔女っ娘。
(八木久美):今回のゲスト 


※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人物の台詞です。

呟き尾形の育児手記
http://tubuyakiogata.o.oo7.jp/hp1_6_6.htm

 ボォン ジョルノ、こんにちは。クニークルスです。
「こんにちは。みなさん。ムーシコスです」
『こんにちわ。呟き尾形です』
《なのだ、なのだのめぐたんなのだ\(o⌒∇⌒o)/》

(八木久美よ、よろしくね)
「今回は、育児手記の紹介だね」
(育児って、やっぱり興味あるわよね)
 シニョーラ久美も、女の子ってことかな。 
(あら、それは、男女差別じゃないかしら?)
《そうなのだ(-ω-#)》

『育児に至る男女の認識の差は、出産に至る経緯などで、
認識の違いはあると思います。
 女性は、現実として出産ということを経験したないし、
経験すると教育をうけるわけですから』

 それはそうだね、シニョール呟き尾形。
「じゃぁ、さっそく、育児手記の紹介お願いします」
(う〜ん、呟き尾形さんの育児についての考えを
かいてあるわね)

『バッサリいうとそうですね。
 ニュースや政策に絡めた育児ついての意見が中心
に書いてあります』
《むむ、むずかしーこといいはじめたぞ(○□○;)》
(難しいっていうか、他の大人はあんまり言わない
ようなことをいっているよね)

「まぁ、独特な意見だとは思うね」
 まぁ、それは、いつものことだよ、
 ムーシコス君。
「あ、そっか」
《呟き尾形は変り者ってことだな(。・ω-)(-ω・。)ネェ》
(それは、なんとなく賛成)
《ふふ、名探偵めぐたんは、なんでもお見通しなの
だψ(`∇´)ψ うきょきょきょ》
『まぁ、私の意見は世間一般とは違うかもしれませ
んが、一つの育児経験者としての意見だと思って
もらえば幸いです。
 ともあれ、育児手記は育児を通した私の個人的
な見解ですが、そうしたものに正解はありません。
 むしろ、いろいろな意見を知っておくのも何かの
ヒントになると思います』

 それじゃアルデベルチ。






  1. 乳幼児が長時間テレビを見ると悪影響がある?(2004年6月8日追加).
  2. 叱る勇気(2004年6月8日追加).
  3. しつけや教育に必要なもの(2004年6月8日追加).
  4. 合計特殊出生率(2004年10月17日追加).
  5. 健康食品神話は本当?(2004年10月17日追加).
  6. LDR(出産における妊婦の負担を和らげるシステム)(2004年10月17日追加).
  7. 学ぶということは・・・(2004年10月17日追加).
  8. 現代型栄養失調(2004年10月17日追加).
  9. 絵本の読み聞かせと育児の体験記 浦島太郎(2005年5月14日追加).
  10. 「ごめんなさい」といえるかどうか・・・(2005年5月14日追加).
  11. 幼い頃は、過保護なくらいがちょうどいい(2005年7月10日追加).
  12. 父親の子育て参加(2005年9月4日追加).
  13. ゲーム脳(2005年10月24日追加).
  14. 呟き尾形的少子化対策(2005年12月11日追加).
  15. 独身税! 1 少子化対策に必要なもの(2006年2月19日追加).
  16. 独身税! 2 育児インフラの整備(2006年4月30日追加).
  17. 独身税! 3 育児への不理解(2006年7月2日追加).
  18. 育児フレックス制度(2006年8月30日追加).
  19. お金のかからない子育て(2006年10月15日追加). 
  20. いじめ問題と教育基本法改正案(2007年1月28日追加). 
  21. しはてならぬことを躾ける方法(2007年3月18日追加). 
  22. 少子化対策 家庭にまるなげ(2007年11月25日追加). 
  23. 厚労相としての責任(2009年3月22日追加). 
  24. 子どもは(2009年7月26日追加). 
  25. 「親学」提言・・・(|||´Д`)3 (2009年7月26日追加). 
  26. 物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい(2010年6月20日追加). 
  27. 少子化対策の個人的提案(2012年4月1日追加). 
  28. 育児と英語教育(2013年9月22日追加). 
  29. 子供を育てる(2014年5月25日追加). 
  30. 小さい子供がはじめて笑うとき(2014年6月8日追加). 
  31. 子どもたちが関心を持つのは(2019年1月5日追加). 
  32.  
  33.  

乳幼児が長時間テレビを見ると悪影響がある?>
  

 乳幼児が長時間テレビを見ると、悪影響がある?

 こんにちわ。呟き尾形です。
 乳幼児が長時間テレビを見ると悪影響がある。という話を小耳に挟みました。
 なんでも、長時間テレビを見ている子供は、コミュニケーションが不足するため、言語の発達が遅れるのだとか。

 笑っちゃいますね。

 大人の理解できる言語で話をしなければ、発育していないと考える。
 一方的な価値観の押し付けです。

 子供と同じ高さの視線で、考えるのをやめて、純粋に子供を見れば、子供がどれだけ、私的言語で試行錯誤しているかわかるもんでしょうけど。
 そんなに子供の心をわかりたけりゃ、言語を捨てて一緒に歌って、叫んで、踊って、あばれればいいんですけどねぇ。

 単純に自発的に話をしなくても相手がしゃべってくれるから自分から話そうとはしないだけで、子供は子供なりに外部から得られた情報について試行錯誤している。
 なんて、どうして考えられんでしょうかね。

 自分が子供だったころ、忘れたか、自分が子供のころ、何にも考えていなかったんでしょうかね。

 私なんかは家に天井がある。というだけで、驚いていたけどなぁ・・・。

 え? アホらしい?

 そりゃそうです。大人と比べて、子供には事前に知っている知識なんて少ないんです。
 だから、大人にとって当たり前のことは、子供にとっては当たり前じゃないんです。

 当たり前、つまり、既存の常識や価値観で子供を測ろうとした時点で、三角定規で水の長さを測るようなものです。
 アホにでもなければ、子供の考えなんてわかりませんよ(笑)


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叱る勇気
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 先日、買い物に行ったとき、3歳になる息子がゲームセンターに行きたがりました。
 まぁ、休日のいわゆる娯楽の買い物です。
 とはいえ、無制限にゲームができるものと思われても困りますし、出かければわがままがゆるされると思われるのも困るので約束をしました。

「あそこに行くのなら、お父さんとお母さんの言うことは聞く。わがままはダメだし、言ったら怒るからね」

 息子はうなずきました。

 そして、ゲームセンターで楽しいひと時を過ごしました。

 で、息子は帰りにのどが渇いた。といって、飲み物を欲しがりました。
 そこで、息子が飲みきれそうなものは、お茶とカルピスぐらい。
 しかし、息子は見たことのないジュースを欲しがりました。

 飲めないのは一目瞭然。
「ダメ、お茶か、カルピスにしなさい」
 と言いますが、ダダをこねます。

 3歳児がダダをこねることなど日常茶飯事ではありますが、だからといって、約束を忘れてはいけないと考え、息子を叱りました。
 当然、息子は泣き叫びます。
 周りの人の目が集まります。
 中には、事情もしらずに、「かわいそー」と無神経なことを言う若い女性もいました。

 私は、それでも、子供をしかるべきと考え叱りました。

 叱る。と怒るとは違うと考えます。

 叱るというのは、相手の良くない言葉、行動をとがめて強い態度のことです。
 怒るとは、相手の言葉、行動の是非に関係なく、感情的になることです。

 そんな、つまらないことで。と思われるかもしれませんが、約束と言うものは、些細なものであれ、本来守られるべきものです。
 私は、息子にそれを学んで欲しいし、学んでもらうまで叱り続けるべきと考えます。

 その後、息子は、謝ったので多少説教をした後、一緒にムシキングをやってしまう親バカだったりします。


 

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しつけや教育に必要なもの
  

 どうも、現代日本社会というのは、親だろうが教師だろうが学校だろうが、昔のように束縛することに違和感なり、罪悪感を感じさせられるような価値観がある風潮があります。
 なんにしろ、昔は平気で踏みにじられていた、自由というもの、かなり容認してしまっていますからね。
 私が子供のころは、教師が生徒を殴っても、大きな問題にはなりませんでしたし、親が子供を殴ることは当たり前でした。
 しかし、暴力教師やら幼児虐待への反発の報道と世論があります。

 もう、親ですら、自分の子供を殴ることが難しくなってきているのです。

 そんなんですから、私が子供のころのような束縛はないでしょうし、それがゆえに、日本の若者は大切なものを見失い、ふわふわと浮かんでしまっている。
 私から言わせれば、かわいそうな人々ですが、本人たちが満足しているならそれでよしとします。
 すがってくるなら、アドバイス程度はしてあげますが、大抵アマちゃんなので、あまり参考にはしてもらえません。
 まぁ、本人がやる気を出さなければなんでも無駄。ということです。

 なんというか、しつけとか教育ってやつには、厳しさは必要不可欠のようです。
 まぁ、破ってもなんのペナルティーを受けなければ、しつけられたり、教育されて教えられたルールを守る意味も薄れてきますからね。
 なので、ペナルティーとしての暴力というのは、必要不可欠のようです。

 ただ、その暴力を制御できるかどうか。適切な暴力をふるえるのか。
 これが、親や教師が行う、しつけや教育に必要なもの。なんでしょうね。

 なんだ、結局、親や教師も教育されなくちゃいけないのか・・・。

 誰に?

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合計特殊出生率
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 合計特殊出生率というものがあります。
 合計特殊出生率というのは、1人の女性が、一生の間に平均して何人の子どもを産むかを示す数字のことです。

 それが、1.29になったそうです。
 ちなみに、去年は1.32。1980年は1.62、いわゆるダンカイの世代とおもわれる1950年は、3.65。
 他の先進国も、合計特殊出生率はどしどし下がっているので、まぁ、傾向としてはしかたのないことなんでしょうけど、日本は特に減っている傾向にあるようです。

 これを問題とするのも一つの考え方ですが、育児。という視点において、この数字を考えていきたいと思います。

 さて、合計特殊出生率を見る限り、兄弟を持つ子供よりも、一人っ子の方が多いということになります。
 さすがに、0.29人なんて存在しませんからね。

 伝統的な育児において、子供の世話は親が見ながらも、兄、あるいは姉が面倒を見る。ということがありました。
 しかし、一人っ子となると、そうはいきません。
 また、兄弟ということによって、小さいながら他者とのかかわりと人間づきあいが自動的に体験でき、もっと大きな社会に出るための練習ができたはずです。
 でも、一人っ子はそれがなかなかできないというのが現状です。
 自動的にはできなかったことを、一人っ子の両親はどう対処すればよいのか。

 これ。というものは一概にはいえませんが、少なくとも、兄あるいは姉の代わりになる存在が必要になるようにおもえます。
 方法の一つは、家族ぐるみの付き合いをしてくれる家族を探す。
 他には、親が子供と一緒に遊ぶ。
 公共施設(公民館)を借りて、同年代の子供たちを集めて遊ばせる組合のようなものを作る。
 など、あげられると思います。

 なんにしても、子供は、論理的な思考ができるまで、10年から12年の時間が必要だといわれています。
 どういうことかと言うと、その年齢になるまで、口で分からせることは、まず、できない。ということです。

 では、それまでの子供はどんな風にして学習するかと言うと、他者の行動を見聞きすることで学ぶのです。
 いくら英才教育をしても、周りの人が、受けた教育と同じことをしていなければできない。
 というわけですね。

 となれば、最初は恐いでしょうが、体験学習をさせるしか、いろいろな教育はできないということだと思います。

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健康食品神話は本当?
  

健康食品神話は本当?(フードファディズム)
こんにちわ。呟き尾形です。

 健康食品は、巷の人気商品です。
 あれが、健康にいい。それが健康にいい。
 私はとりあえず、これを健康食品神話と呼ぶことにします。

 で、この健康神話は本当なのか? 気になるところです。

 食べ物の選択は育児においては、親の責任ですので、ちょっといろいろ調べてみました。

 で、ちょっと考えさせられた行為にぶち当たりました。フードファディズムというものです。

 みなさんは、この、フードファディズムというものを聞いたことがあるでしょうか?

 これは、TVなどの放送、報道によって、 特定の食品や栄養素について、健康への有用性や有害性を過大に評価するような考え方のことです。
 具体的には、TVなどの放送によって、にがりダイエットが効果ありとなると、にがりの効果を過大に期待したり、健康に良いとされる食品ばかりを食べたり、特定食品の健康への善し悪しを単純に決めつけるような行為のことをいいます。
 TVでこれがいい。といわれると、次の日には店頭から、その食品が消えてしまうという現象ですね。
 で、たしかに、TVなどの放送で効果が期待できる。とされるものは、正しいのでしょうが、それが一種の信仰になってしまいがちになる。ということです。
 そんな、フードファディズムに陥らないためには、当たり前ですが、バランスのとれた食事を、規則正しく繰り返すことが大前提となります。
 実際、バランスの悪い食生活をしていれば、特定の栄養素だけが不足するわけはないと言うことです。
 どういうことかといえば、たとえば、食物繊維。現代人の食生活は精製されたものが多いので、食物繊維は不足しがちだといわれます。
 じゃぁ、食物繊維がたりないんだ。補おうという発想の前に、ちょっと考えてみてください。食物繊維が足りない食生活とは、野菜も海藻も豆類も足りないのではないでしょうか?
 野菜、海藻、豆類は、果たして食物繊維だけだったでしょうか?
 ちがいますよね?

 つまり、なにか、栄養が足りないということは、関係して他の栄養も足りないと考えるべきなのです。

 では、足りないではなく、「青魚に含まれるDHAを摂ると頭がよくなる」という情報を過大に評価し、青魚だけ食べる状態はどうか?
 こんどは、逆に特定の食品だけの栄養になり、バランスの悪い食事にしてしまうという悪循環を生じさせます。
 このように、ビタミンやミネラルなどの栄養素も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」というように、過剰な摂取は、さまざまな弊害を生むようです。
 逆に、化学調味料(人工物)は体に悪い」と思いこみ、これを忌避することです。もちろん、適量であれば問題ないからこそ、販売されているわけですし。
 毒のように扱う必要もないわけです。
 まぁ、中には、毒があるかもしれません。
 たとえば・・・サプリメントを過剰に摂取すると・・・。

 食べ物の選択は育児においては、親の責任です。安易に健康食品神話を信じないようにしましょう。
 信じる前に、ちょっと調べてからということで。

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LDR(出産において妊婦の負担を和らげるシステム)
  

 出産において妊婦の負担を和らげるシステム
 LDRというものがあるそうです。LDRとは、LDRは、陣痛(Labor)・分娩(Delivery)・回復(Recovery)の略です。
 どういうことかというと、出産における陣痛・分娩・回復までの一連の流れを、機能を集約した一室で行うシステムだそうです。

 私、呟き尾形は、オスなので、出産というものについては、正直経験の使用がありません。
 しかし、妻、およびいわゆる母親になった人たちからの経験談を聞くと、それがとてつもないものであることが伝わってきます。

 その中に、いわゆる陣痛がはじまってから、分娩の間と言うのは、個人差があるものの、妊婦にとって、精神的、肉体的にも大きな苦痛になるそうです。

 その中でも、出産間近の一連の過程で、自宅から病院までの移動が強いられますが、これがまた大変です。

 LDRのメリットとしては、
 ・利用者のプライバシーを守ることが出来るということ
 ・出産時に夫や家族などが立会うことも容易ということ
 ・院内感染を防げるなど、安全性も高めることが可能ということ
 ・移動する必要がないため、母体への負担が軽くて済むということ

 があげられます。

 メリットがあるということは、デメリットが当然あるということで、
 ・施設が必要なことと
 ・経費がかかる。
 ・施設が使いたくてもあふれてしまうだろう。

 ということが予測されます。

 なんにしもて、出産というものは、母体にたいして、少しでも負担をやわらげられるシステムというものは、歓迎すべきと、私、呟き尾形は考えるわけです。

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学ぶということは・・・
  

学ぶということとは・・・

こんにちわ。呟き尾形です。

 本日であえた名言です。

    私たちはすべてのことから学べる。
    悪からも善からも、実からも虚からもおそらく学べる。
    狭い見方が敵なのであろう。
      曽野 綾子 (『それぞれの山頂物語』)

 学ぶという行為は、大きく分けて4つあります。
 一つ目は教えを受けて知識や技芸を身につける。
 二つ目は勉強すること
 三つ目は経験を通して知恵を得、理解すること。
 四つ目はまねること。

 方法は違えど、どれも学ぶこと。
 そう、学ぶということは、方法にこだわらず、吸収すること。
 だからこそ、どんなことからも学べるのだと思います。

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現代型栄養失調
  

現代型栄養失調・・・キレやすい原因の一要因?

こんにちわ。呟き尾形です。

 みなさんは、「現代型栄養失調」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか?
 栄養失調とは、摂取される栄養が不足あるいは過剰なことによって起こる異常状態です。
 私達は、印象として、栄養失調というと、食料不足などによる、栄養不足を連想しますが、栄養過剰も栄養失調と定義上なっています。
 とはいえ、日常生活において、栄養失調という、ろくにものが食べられない状態を指すことが多いため、飽食である現代における、栄養過剰による栄養失調を現代型栄養失調とされるようです。
 これは、食習慣の変化や偏食などが原因となされ、具体的には、不規則な食事(朝食を食べないで間食する)、食事をせずに、菓子・スナック・パン・ジュースばかり食べる、そもそも料理・食材そのものの栄養バランスが崩れていることなどら、このような症状が引き起こされると考えられているそうです。
 いわゆる、青少年に見られるキレやすい性格と、現代型栄養失調とを結びつけるような論調もありますが、その真偽は確認されていません。
 ただ、昔の伝統の崩壊、偏った社会の価値観の変化、偏った教育、偏った各メディアの影響、科学の発達とともに強化されるしろうと理論などと同じ1要因の一つとして、偏った食事というものとしては説得力があるように感じます。
 いわゆる子供や若者がキレやすいという指摘もありますが、大人だって老人だってキレやすいように感じています。
 そして、子供と若者がクローズアップされているのは、話題性があるからでしょう。
 つまり、子供、若者にかぎらず、現代人がキレやすいという現象が起こっているのであろう。ということは言えると思います。

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絵本の読み聞かせと育児の体験記 浦島太郎
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 先日、大量に絵本を購入しました。
 まぁ、もうすぐ4才になる息子に読み聞かせるためです。

 その中に浦島太郎がありました。

 まぁ、こちらのblogを読む方なら、浦島太郎のお話はご存知でしょう。

 読み終えた後、息子は「なんで?」と首を傾げていました。

 お土産の玉手箱を開けて、浦島太郎がおじいさんになる。ということが納得いかなかったようです。
 たしかに、浦島太郎は亀を助けたし、特にこれといって悪いことはしていません。
 強いて言うなら忠告を無視して玉手箱を開けたぐらいです。
 とはいいつつも、浦島太郎が帰った先には、帰るところがないのです。家に帰ってから開けなさいというのも無理と言うものです。


(あとは、竜宮城で遊び呆けてしまったという解釈もあるでしょうけど)

 多くの物語のパターンなら、竜宮城でいつまでも幸せに暮らして終わるのが王道と言うものでしょう。
 それが、乙姫様が渡した玉手箱を開けたらおじいさんになるという、まるで乙姫様がしかけたワナだともうけとれかねません。
 考えすぎというには、出来すぎています。
 乙姫は、浦島太郎が帰ればどなるか知っているはずです。
 それでいて、「家に帰るまで玉手箱を開けてはいけません」と言います。
 「開けてはいけないものを、なぜあげるのか?」
 「そこになんの意味があるのか?」
 もしかしたら、浦島太郎は開けるだろうと思いつつ、「開けてはいけない」と言
いながら渡すあたりが、人間の心の弱さを見透かしたような罠だったのかもしれない。
 それにしても、「乙姫の意図とは何だろうか?」
 大人の私ですら、疑問だらけで、4歳になる息子が分かるわけもありません。

 ですから、息子がどんな疑問を持っているかは、容易に想像がつきました。
 もちろん、浦島太郎の心理学的な分析
 という解釈も可能ですが、それを4歳児にするわけにもいきません。

 なので、どこまで息子が理解できて、どこまで分からないのか確認しながら、あーでもない。こーでもない。と、息子主体で一緒に考えていきました。
 育児における親の役割というのは、そうしたものじゃないかなぁ。と思います。

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「ごめんなさい」といえるかどうか・・・
  

 こんにちわ。呟き尾形です。
 悪いことをすれば、謝る。
 これは、社会の一員として、当然のことです。
 一つの社会を形成したとき、「ごめんなさい」といえなければ、社会の一員として受け入れてもらえないかもしれないことです。

 親としては、子供には悪いことをすれば、謝るように教育するのは必要であることは、説明するまでも無いと思います。
 ただ、誰しも最初から謝ることが出来るわけではありません。
 さらに、子供の頃は、何が、なぜ悪いのか理解するのは難しいといえるでしょう。
 謝るという行為は、自らの過失を認めるということです。

 そして、自らの過失を認めないで謝るということは、「ごめんなさい」とさえ言えば、すべてが許されるのだ。という意識につながりかねません。

 それは謝るという行為の形骸化となります。

 親の責任としては、自らの過失を認める行為が「ごめんなさい」と言うことだと教えないといけないのでしょう。
 どうすれば、教えられるのか?
 それは一概に言えないでしょう。ただ、頭ごなしに謝りなさいと言っても伝わらないということは確かだと思います。
 子供の行為のどこが、どのように、なぜ悪いのか。せめて、これが分からないと納得もできないでしょう。
 私の場合は、子供が自分のやった悪い行為が、他人からされたらどう感じるか想像させるように促します。
 すると、子供なりに、言葉にできないなりに、何かを理解するようです。
 
 それにしても、親の責任の荷は重いものです。
 他人の子供にゃできない労力です(^_^;)

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幼い頃は、過保護なくらいがちょうどいい
  

 こんにちわ。呟き尾形です。

幼い頃は、過保護なくらいがちょうどいい

こんにちわ。呟き尾形です。

 幼い子供の育児において、ちょっと見た目には過保護なくらいがちょうどいいように思います。
 といいますもの、単純に、幼い子供の肉体的能力と理解力は、大人が想像する以上に発達していないからです。
 もちろん、過保護というのは、幼い子供のやりたいことのサポートであって、甘やかすことではありません。
 ですから、「しつけしない」とか、「しからない」という意味ではありません。
 過保護というのは、子供を大事にしすぎるということです。
 そして、大事にするというのは、大切にするという意味であり、結果的に、子供のためにならないことになることは、大切にしている。とはいえません。

 結果的に、子供のためにならないというのは、躾をしない。叱らないということです。
 幼い子供は、いうまでもなく、自己中心でわがままです。
 しかし、それではこれから接する社会では、孤立していきます。
 躾をするということは、礼儀作法を教え、身につけさせることです。
 叱るということをは、良くない言動を注意することです。
 幼い子供は、自ら礼儀作法を学習することはまずありません。
 同様に、自分にとって快か不快ぐらいの良し悪しは判断できても、まわりの人に迷惑をかけているのかどうかということを基準にする良し悪しは学習は難しいものです。
 それを、社会で生活するために教育するのは親の責任ですし、その教育を受けない子供は、社会において孤立するでしょう。

 ですから、躾も必要ですし、時には叱ることも必要です。
 ところが、過剰干渉は、子供をダメにします。 

 過剰干渉とは、子供が望んでもいないことを、押し付けることです。
 子供が欲しい洋服ではなく、親が子供に着せたい洋服を押し付ける。
 子供が興味を持ったことではなく、子供に教えたいことを押し付ける。
 子供がやりたがっている遊びではなく、子供にやらせたい遊びを押し付ける。

 これは、親が自分の感情を満足させるために、やっていることが多いと思われます。

 もちろん、子供を甘えさせて良い。ということではありません。

 子供が自分で欲しい、興味を持っている、やってみたい。ということを親が認識し、状況が許せば、それをやらせる。
 それによって、自立心や自主性を育てると、私は考えます。

 逆に、なんでもかんでも、親が決めてしまうと、子供の自立心や、自主性は育ちません。

 最後に、過保護になってしまうのは、子供がとてもとても大切だからです。
 そして、本当に大切だと思っているのであれば、常に子供の将来、なにが必要か、考えながら、行動しないといけないと考えます。
 ですから、何を子供に得て欲しいのか? ということを意識しながら育児をするしかありません。
 自立心や自主性を得て欲しいなら、子供が欲しいもの、興味をもっているもの。やってみたいことをしっかり認識して、子供が望むとおりにさせてあげましょう。
 その上で、自制心を得て欲しいなら、子供の言動に対して、叱ったり、誉めたりして、躾けましょう。
 子供に安心感を与えたいなら、甘えさせてあげましょうよ。

 人生万事、塞翁が馬。
 何が良い結果になって、何が悪い結果になるという決まりはありません。

 なんとも、親の仕事というのは、難しいものです。

 

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父親の子育て参加
  

 こんにちわ。呟き尾形です。

 

子育て。と聞くと、ついつい女性の仕事。と連想してしまいます。

 これは、女性しか母になれないこと。女性しか子供を出産することができないことからはじまり、授乳の関係から、いつしか、離乳後も子育てを継続する方が子供も戸惑うことは無いであろう。
 という、いわゆる伝統からなされる習慣であるといえるでしょう。

 また、女性の多くは、子供をかわいいと感じる人が多いし、子供好きの女性の方が女性らしいと評価されがちです。
 これは、実際にあるかどうかはわかりませんが、女性に母性本能があるといわれているからだと思います。

 女性に、生物学的に母性本能があるのか、はたまた、社会の伝統がでっち上げたものかはわからないものの、現実問題として子育ては女性に適正がある。
 と判断されているようです。

 そんな習慣の中、男性はどのように子育てにかかわっていたのだろうか?
 という疑問がふとうかびます。

 男性は、昔から子育てしないという習慣になっているのだろうか?
 という疑問がありますが、その前に、そもそも子育てとは何なのでしょうか?

 子育てとは、読んで字の如しで、子供を育てることです。
 では、子供を育てるということは、子供の世話をすることと同意かと言うと、それを含みつつ、世話をするだけ出にはとどまりません。
 子育てとは、子供を成人へと成長させることだからです。

 その意味において、日本の子育てにおいて、男性は主に教育という形で子育てに参加していたといえます。
 教育と言っても、日本の学校で勉強を教えることにはとどまりません。
 むしろ、生きるための知恵、価値観、理念、信念そうした、他人では教えられない、責任の重いことを教育する役を担っていたといえるでしょう。

 本当に、男性はそうした形で子育てに参加していたかというと、男性は自らの行動をもって、子供を教育します。
 子供は父の背中を見て育つということです。

 つまり、男性は、昔から子育てしないという習慣になっているのだろうか?
 という疑問についてはNOという回答になると判断できます。

 では、現代ではどうか?

 残念ながら、子供は父親が行動を示すような場所は限られています。
 つまり、現代において、男性が子育てに参加していない状態とはいえなくなっているということです。
 昔の場合、職場と自宅が同じであることが大変多かったし、家族が父を立てる習慣と父親に家族を支える責任を与えることで、強い親父像が体現しやすかったのですが、残念ながら、現在の父親は、自分の仕事をしている姿を子供にみられることもなく、強い父親像が体現しにくくなっています。

 そんななかで、父親たる男性は、どのように子育てに参加できるのでしょうか?
 単純に母親のサポートに回るという手段もありますが、他にも方法はあります。

 いわゆる、「おやじの会」と総称される、親父も子育てに参加するシステムです。
 おやじの会というのは、父親が中心になって作る育児サークルのことを指します。
 父親も育児や教育に積極的に関与しようとする立場から、既存の両親と教師の共同機関であるPTA(parent teacher Association)とは別に設立されるものになります。

 仕事後や土日などを利用して子育てについての勉強会など開催する。ということを始め、学校行事やボランティア活動へ参加するということもあります。
 また、おやじの会が、独自の子ども向けイベントを開催されるというものもあります。
 それが子育て?
 と思われるかもしれません。
 それは、子育てとは何か、思い起こしてください。
 子育てとは、子供を成人に成長させることです。子供が成長するもっとも合理的な方法は、口と頭だけの勉強などではありません。
 むしろ、百聞は一見にしかずということわざにあるとおり、経験による見聞の方が効率的なのです。
 教育問題の原点は、教育とは学校でするものであるという倒錯にあります。
 学校や政府がいくら頑張っても、子供と親を置き去りにしてしまっては無駄な努力というわけです。

 近年、このような組織が全国で増加中で、なぜか●●おやじの会という組織名がつけられることから、「おやじの会」という総称がついているようです。

 この「おやじの会」によって、女性が子育て負担が軽減されるメリットは、父親が中心であることから、女性が子供の世話から開放される時間を作れる可能性があるということです。

 

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ゲーム脳
  

 こんにちわ。呟き尾形です。

 ゲーム脳という仮説があります。
 ゲームを長時間する人は、凶暴で暴力的な人格になるという仮説です。

 その主張の内容をまず、まとめて見ます。
 読み書き計算をすると前頭前野が活発化するといわれています。
 前頭前野とは、脳の中で35%を占める前頭葉の中の記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や犯罪の抑制をも司る部分のことをさします。
 そして、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔が脳にあたるわけですが、この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になる。
 といわれています。
 そして、それは、唯一抑制機能をもつ前頭前野が発達しないとキレやすい人格になるという”仮説”が出されています。

 上記のような仮説がゲーム脳です。

 このような”仮説”を主張をされると、ゲームをすることによって、「ゲーム脳」となる。
 そして、ゲームをする人間は凶暴な人間になるのだ。
 という印象を抱かれる方が多いでしょう。

 では、もし、この”仮説”が正しいとします。
 すると、ゲームをする人は凶暴な人格になっていなければいけませんが、残念ながら、ゲームをする人で、凶暴な人もいますが、そうでない人もいます。
 私の友人の多くはゲームをします。すると、凶暴な友人が多いということになりますが、そんなことはありません。
 同様に、ゲームをしない人でも凶暴な人もいますが、そうでない人もいます。
 しかし、テレビゲームの遊戯時間と暴力経験に相関関係が認められたというグラフがあるとされています。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_11_13/
 にある最初の方にグラフがリンクされていますが、詭弁を用いやすいグラフになっています。
 グラフは、遊ばない、30分ぐらい遊ぶ、1時間ぐらい遊ぶ、2時間ぐらい遊ぶ、3時間以上ごとに比率が分けられていて、それぞれの暴力経験の多さでパーセンテージで比率がかいてあります。
 このグラフにおいて、正当性が必要になるデータがかけています。
 比率は書いてあっても、対象年齢、グラフごとの人数などが書いていないのです。
 こうなると、仮説に都合の良い数値を見つけて、それをただ乗せれば正しいように見えますし、そもそも暴力経験という曖昧な表現を用いています。
 暴力経験といえば、大抵ケンカということになりますが、大抵ケンカなど日常茶飯事に起こるものです。
 それが、低年齢であればあるほど生じやすいものです。
 それでも暴力経験が少ないのは、いわゆる親や大人の言うことを聞く人間であることであるといえるでしょう。
 そして、大抵の親や大人は、ゲームをしないように子供に言いつけます。
 ゲームなんてしないで勉強しなさい。と。
 それでも3時間以上ゲームをするということは、ゲーム以前に親や大人の言うことを聞かないことが多い子供であるという推測が導き出せます。
 すると、ゲームの時間は原因と言うよりも、結果であるということが簡単に説明できます。
 早い話が、親や大人のいうことを聞かせることができないという教育の段階での失敗であり、とどのつまりは、教育という現場において、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や犯罪の抑制というものを発達させることに失敗した結果とも言えるわけです。
 ゲーム脳は、そうした失敗を隠蔽するには、格好の言い訳になるということです。
 記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や犯罪の抑制という能力を発達させたいなら、親や大人が子供に語り掛けなさい。
 大抵、ゲーム脳といわれる状態になる子供の近くの大人は子供とろくに話もしていないでしょう。
 そんな大人たちにとって、大変残念ながら子供は、思考による学習よりも、大人の行動から学習することの方が多いのです。
 つまり、ろくに子供に話しかけていないから、ゲーム脳になるのです。
 という主張もできます。

 で、親や大人の言うことを聞かないというのは、たしかに道徳的によいことではありませんが、自我や行動力が強いということになり、子供に言うことを聞かせたい親や大人にとって残念な事実ではありますが、自我や行動力の強い人間ほど、社会において成功し、リーダーシップがはれる可能性が導き出せます。
 大人になって暴力に訴えるのは問題外ですが、子供が暴力に訴えるのは、まだ、成人として完成していないからこその結果です。
 
 さて、次に、ゲーム脳を主張する人はいいます。
 本能的な欲求や衝動に対して、エチケットや羞恥心という形で前頭前野が抑制をかけるというのが一般的です。
 しかし、最近では混雑した通勤電車の中でハンバンガーを食べたり、化粧をしたり、ズボンからパンツをみせたりするのは、前頭前野が働かないゲーム脳ではブレーキをかけることができないからです。
 と。
 申し訳ないが、通勤電車で醜態を見せる大人も同じことが言えます。
 他人を押しのけてまで座る淑女。いい年して、駆け込み乗車をする紳士淑女。電車で破廉恥な行為をする紳士。足を踏んだ踏まないでケンカする紳士。お年寄りに席を譲らない紳士や淑女。他人を押しのけて乗り降りする年配の紳士淑女。
 もちろん、そんな人ばかりとは言わないが、私がサラリーマンをしていたころは、当たり前の風景です。
 上記の例に挙げた紳士淑女に前頭前野の抑制が掛けられていたならそのようなことはしないはずですし、紳士淑女がゲーム脳だからという主張はできないでしょう。
 もっと、社会的な現象に原因があると考える方が妥当性があると考えます。

 さらに、ゲーム脳を主張する人は言います。
 ゲーム脳になってしまうということは、ゲームに時間を割かれ、それだけ勉強する時間がなくなってしまいます。
 また、おそらく古い脳に対してドーパミン系の快楽信号を送りますから、ゲームを続けようとして時間が長くなります。
 その結果、体も疲れ、目も疲れ、頭もぼうっとする。当然学力は下がってしまいます。
 ゲームに勉強をする時間が取られるから学力は下がるのは当然だ。
 という主張はある意味正しいと思われます。
 また、ゲームも、結果的に一種の催眠効果をゲームをする人間に与えることは、予測できます。つまり、本人の意思に関係なく、ゲームを長時間やってしまう。ということが誘発されるということが問題になるであろうということです。
 これもある意味正しい主張ともいえるでしょう。
 しかし、それをゲームに責任があるかのような主張は間違いです。
 なぜなら、教育する義務を有しているのは、ゲームではなく、親とその周りの大人たちだからです。
 早い話が、そんな状態をほうっておくからそうなるのです。
 あえて言いますが、ゲームは娯楽です。
 それは誰でも知っていることです。
 娯楽ばかりしていては、勉強する時間がなくなるのも当然です。
 だから、娯楽が悪い?
 あほらしい主張です。
 単純に、親あるいは大人が、子供の監督責任を放棄しているからこその結果だといわざるを得ないでしょう。

 ゲーム脳を主張する側は、そんな自分勝手かつ横暴な理屈をさらに発展させておしつけます。
 長時間のビデオやテレビの視聴も前頭前野に良い影響を与えないそうです。
 これについては、すでに、雑記帳でも記事にしました。
 乳幼児が長時間テレビを見ると、悪影響がある?
 しかし、その記事にあるとおり、それは、親が子供に話しかけないからと言う方が説得力があるでしょう。
 なぜなら、前頭前野はコミュニケーションを司ることはわかっています。
 コミュニケーション能力を発達させるためには、コミュニケーションをする。という理屈は誰にでも理解できるでしょう。
 長時間のビデオやテレビを見ていても、親が一緒に見て、コミュニケーションをとれば、そんなことにはなりません。
 ただ、長時間のビデオやテレビの視聴をさせる場合の多くは、親が子供とかかわらない時間を設けるための手段にしているからです。

 問題の原因を取り違えれば、当然間違った対策がなされます。
 私達は、他人の目ではなく、自分の目で問題の原因を観察しなければ、現在の問題は永遠に解決することはできないでしょう。

 現在の教育問題の根源的な問題点は、大人が子供に関心をもっていないことであり、子供を未熟な人間とキメツケ、人間として認めていないことです。
 つまり、大人は子供だからと馬鹿にして教育しているということです。

 問題を本気で解決するためには、子供が未熟なのは、表現力であり、その感受性は大人のそれと大差はないことを、大人は自覚するべきでしょう。 


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呟き尾形的少子化対策
  

 呟き尾形的少子化対策案

 こんにちわ。呟き尾形です。

 少子化を裏付ける数値として、合計特殊出生率1.29というものがあります。

 合計特殊出生率というのは、1人の女性が、一生の間に平均して何人の子どもを産むかを示す数字のことです。

 なぜ、そうなるのかといえば、さまざまな原因があります。
 結婚の高齢化もありますし、独身の方が多くなっている。出産とその後の育児にかかる、経済的な負担、時間的な負担などさまざまな親の負担などがあげられるでしょう。

 子育ては、親の義務です。
 そして、合計特殊出生率1.29という数値は、日本という社会が子育てしにくい社会である。
 ということを意味すると解釈ができます。

 つまり、個人的な価値観はさておいて、社会的に、親になる事が大きな負担になっているということです。

 そもそも、社会は社会に参加する人が助け合う組織であるはずなのですが、逆に社会に参加するがゆえに、負担が大きくなるという本末転倒な結果がここにあるといえます。

 社会において問題になるのであれば、それをなんとかするのが行政です。
 それは、個人の価値観に干渉するということではなく、個人の選択した方法をよりやりやすい環境づくりこそが行政の仕事だといえるでしょう。

 となれば、日本社会に参加する親が望むものは、仕事と育児の両立です。

 つまり、仕事と育児を両立しやすい社会であり、親の負担を少なくすれば、少子化対策になりうるというわけです。
 しかし、行政は、親の負担をなくすどころか、親の負担はそのままに、男女共同参画を口実に、各家庭の育児の方法の選択権を奪うという方法論をとっています。
 これでは、仕事と育児の両立どころか、単純に、仕事を親から奪うことになります。
 これでは本末転倒です。

 しかしながら、過去はこのような問題にならなかったのはなぜでしょうか?
 昔は、もっと経済的に貧しく、たくさんの子供がいて、(単純に考えれば)親の負担が大きいと考えられ、育児は大変だったはずです。
 しかし、昔はそんなことはありませんでした。
 なぜなら、 伝統的な育児において、子供の世話は親が見ながらも、親は、身近にいるし、兄、あるいは姉が面倒を見る。ということがあったからです。
 子供は、論理的な思考はなかなかできません。
 今の親のように口だけで言って聞かせても、本当の意味で理解はなかなか難しいのです。

むしろ、親や兄や姉などの周りの人間の行動を見てまねする事で学習できるのです。
 ですから、身近に親がいる。兄や姉や弟や妹がいる。これだけで大きな育児の助けになるというわけです。
 しかし、一人っ子となると、そうはいきません。

 さらにいえば、昔は、自宅が職場であったり、職場は近所であるケースが多くありました。
 しかし、現在はどうでしょう?
 家庭を持つ人父親であれば、関東圏においては、通勤時間1時間でいい方でしょうし、夕方に定刻に帰れるとは限りません。。
 あるいは、母親も何らかの仕事についていれば、似たようなものです。

 ちょっと大げさな表現をすれば、親と子供が離れ離れに暮らしていることになるのです。

 昔にあって、現代にないもの。
 それは、子供の周りに、身近な年上の人間が少ない。ということです。

 つまり、昔は、身近な年上の人間が自然と、親の育児の負担を軽減していたのに対し現代は、そのすべてを親が負担する事になります。
 実質的に親ができなければ、託児所などによって、お金によって委託する事になります。
 経済的にも大きな負担になります。

 これを解決するにはどうすればよいでしょうか?

 子供の周りに、身近な年上の人間を多く接する事ができるようにすることです。

 となれば、対策はいろいろ練られます。
 コンセプトは、親による育児から、社会による育児への移行です。

 たとえば、親たちが組合を作り、育児組合を作るという方法です。
 行政は、組合を設立した親に対して何らかの助成金を出す、ないし、公民館などの公共の建物を、育児の場として利用しやすくする。
 そうすることによって、交代で子供の世話、保護、監督、教育をすることができます。
 また、年齢の近い子供同士のコミュニケーションは、社会に適応する成長において大変重要だといえるでしょう。
 そのような社会的な仕組みをつくり、それをアピールする事で、親の育児に対する負担への不安を解消できます。

 また、独身の方でも、育児に参加できるような仕組みづくりも、社会による育児には必要です。ボランティアとして育児組合の仕事に参加する。
 別に、仕事といっても、一緒に遊ぶだけでもいいですし、自分の持っている知識を子供に伝える、楽器の演奏、演劇、絵画の鑑賞など文化面で協力するのもいいでしょう。
 育児とは、子供の能力や資質をのばすように教え導くことでもあります。
 そのためには、お金なんかより、教え導く大人が必要だということです。

 また、極論かもしれませんが、
 里親制度
http://t-kosodate.net/doc/satooya.php
 について、もっと簡易的で利用しやすいな制度を作る。
 というものもあります。
 里親などと言うと書くと誤解を招くかもしれません。
 なにしろ、里子とは、家庭の崩壊などにより、養護に欠ける子どもで里親に引き取られて養育されている子どものことだと里親制度において定義づけられているからです。
 そうではなく、もっと、託児所感覚で利用できるようにしてはどうか?
 ということです。

 上記の案は、常識から逸脱しているかもしれません。
 とりあえず、24時間コンビニエンス託児所を設置するのも一つの方法でしょう。
 24時間コンビニエンス託児所は、行政の認可がおりた、法人が開設できるものとして、インターネットなどで、親がいつでも子供の様子が監視できる体制にしておき、警察官が定期的にパトロールする。
 親は、事前に法人と契約し、必要書類を記入後、子供をあ付けられることにする。
 などの対策をとって、条件さえ満たせば誰でも、利用できる託児所を開設するというのも一つの方法でしょう。
 
 なんにしろ、現代社会において、子供は国の宝であるともいわれているなか、育児の負担を親に押し付けてばかりいるのが現状です。
 もちろん、親が子を育てるというのは、良識と常識において正しいことです。
 が、正しいからといって、その負担を大きくなってしまってこまっているのに、しらんぷり。
 というのは、だといえるでしょう。

 とにもかくにも、少子化になるのは、親の負担が大きくなっているからだ。
 ということを踏まえて、対策を立てなければ、自己満足対策になってしまいます。

 さて、その自己満足対策は、現在の日本の政府によって、たてられています。
 私が、
 小泉内閣メールマガジン 第193号 男女共同参画と少子化対策について
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2005/0623.html
 を読んで、違和感を感じるのは、現場を見ていないということです。

 問題が生じているのは、会議室の中ではなく、現場なのです。
 会議室にこもってばかりでは、合理的な対策は立てられないといわざるを得ないでしょう。


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独身税 1(少子化対策に必要なもの)
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 少子化問題の解決のための、政策について、提案します。

 ・育児インフラの充実
 ・育児休業の充実
 ・低額のベビーシッターや保育園などの育児サービスの充実

 これらが必要だと思います。
 これらは、どうしてもお金がかかります。
 その財源として独身税というものを提案します。
 
 つまり、育児は社会に必要な行為であり、育児そのものが社会貢献であると考えます。
 そして、子育てと教育は、必要経費であると認めるということです。

 そして、納税者で、戸籍上に子供のいない人に、独身税を儲け、納税という形で育児に参加してもらうということです。
 ちなみに、戸籍上に子供のいないひとですから、母子家庭や未婚の子持ちの方、離婚した方々は独身ですが、育児をしていれば、納税対象はしません。

 これは、なにも、納税対象者(主に独身者)からお金をせびろうとしているのではありませんが、納税対象者の方は反対するでしょうし、物議をかもし出すことになると思います。
 それは望むところです。
 むしろ、少子化は、みんなでいろいろな意見をだして話し合うべきことだからです。
 その結果、独身税が廃止になっても、もっと良い案がでること、現在の社会がいかに育児に不向きであることを多くの人が知る事は問題解決の糸口が見つかるはずです。

 さて、上述したとおり、少子化の政策としての対策は、
 ・育児インフラの充実
 ・育児休業の充実
 ・低額のベビーシッターや保育園などの育児サービスの充実
 です。

 なぜそうなるかといえば、二つの少子化問題を問題に足らしめる要因があると考えるからです。
 それは、何か?
 それは、
 ・育児インフラの不備(政治レベルでの育児の不備)
 ・育児への不理解(個人レベルでの育児の不理解)

 これらについて述べていこうと思います。

 


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独身税 2(育児インフラの整備)
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 ・育児インフラの不備(政治レベルでの育児の不備)
 育児において、日本のインフラは非常に不便にできています。
 嘘だと思われるなら、1日ベビーシッターをするなり、ベビーカーをおして街を
あるってみてください。


・育児インフラの充実

 とにもかくにも、現代の日本はなにかと育児がやりにくい環境です。
 育児のインフラ整備というのは、
 ・乳幼児を実際つれてあるって苦労しない社会作りです。
 実際、育児をされている方は、乳幼児を連れてあるって買い物がもっと楽になれ
ばいいと思いませんか?
 社会をみわたせば、大人の居所はどこにでもあっても、乳幼児の居所はかなり限
定されています。
 駅、映画館、飲食店、タクシー、公園、道、歩道橋、トイレ、電車、バス、役所
、その他もろもろは、一人前の大人しか使わないという前提のもと創られ、まるで
乳幼児が邪魔者のようなつくりになっています。
 さらに、経験者なら理解してもらえるでしょうが、ミルクを与える場所やおむつ
を替える場所の少なさ。
 こういったことは、政治によってなされることで、実は、こうした事が楽になる
だけで育児の負担は減ります。
 なぜなら、乳幼児を連れて行くことが負担になることで、母親(本当は父親もで
すが)が外にでること自体が負担になるからです。
 こういったことを、真剣に考えてもらうためには、育児にかかわらない人に税金
をかけるなどして、物議をかもし出さないと、知ってもらえないであろうし、こう
した事から解決しなければ、少子化問題は解決しないと考えるからです。
 他にも、
 私の頭の中では、交番をもっと増やす(まぁ、最近は危険なことが多いので子供
を守る正義の味方が必要かなと)、コンビニ託児所、老後育児施設(おじいちゃん
、おばあちゃんに育児を委託する)、歩行者専用道路(車があぶないんですよ、こ
れが)などなど、とにもかくにも、現在の育児のやりにくさを本気で変えようとす
れば、お金がかかとおもいます。

 インフラを整備するためには、どうしても、予算が必要です。
 そこで、独身税を財源とするわけです。

 無駄な育児インフラが出来る可能性があるかもしれませんが、効果的な育児イン
フラをする方法を提案しておきます。
 インフラの計画を立てる人が、計画前と実施後に下記のことをすることです。
 ・1日ベビーシッターをし、乳幼児をつれて外出する。
 ・1日介護をし、車椅子の人か一人で出歩けない高齢者を連れて外出する。
 ・1日高齢者と散歩し、高齢者の話を散歩しながら聞く。
 ・1日外国人ガイドを行う。

 これを行って計画を立て、実行し、その後反省のために、再び同じ事をすれば、効果的な育児インフラの整備ができることでしょう。

 

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独身税 (育児への不理解)
  

こんにちわ。呟き尾形です。

少子化問題の解決のための、政策について、提案します。

 前回は、
 ・育児インフラの不備(政治レベルでの育児の不備)
 の必要性について述べました。

 今回は、じゃぁ、行政はどうすればいいのか?
 ということを私なり分析し、対策を考えてみました。

 前回かけなかったのが、

 ・育児への不理解(個人レベルでの育児の不理解)

 という問題点です。

 つまり、少子化問題は、育児のインフラの不備だけ。
 というわけでもありません。
 少子化の要因は、政治の責任もありますが、政治の責任だけではありません。
 むしろ、国民の価値観の変動にあると私は考えています。

 育児において、母親だけが損な役回りに見えてしまう固定観念が定着していることも少子化の原因の一つとかんがえられます。
 ですから、育児未経験者は、育児は負担が大きすぎる、ないし、損であると感じるかもしれません。
 といいますのも、日本社会、および、個人レベルでの育児の意識は低いといわざるをえないでしょう。
 とくに、
 ・「3歳までは母親の手で」
 といった、育児は母親の仕事に決まっている。
 という固定観念を打破する必要がありますし、さらには、育児は両親の仕事から、育児は社会でおこなうものに変えていかないと、少子化の問題は根本的に解決で

きないと思っています。

 確かに育児は大変です。しかし、大変なだけではありませんし、決して、育児は

損ではないのです。
 楽しむつもりになれば楽しめるし、お金じゃ買えない報酬を子供たちはくれるものです。
 育児が苦痛になるのは、自分の子供が思い通りにならないことに腹をたてるからです。

 こうした意識を改革するような政策も必要になるでしょう。
 たとえば、
・育児休業の充実
・低額のベビーシッターや保育園などの育児サービス
 などを充実させることも、少子化問題対策としては重要だとおもいます。

・育児休業の充実
 これをはかるためには、企業の協力が必要ですが、政策としては育児休業を充実した企業に補助金を出すなどすれば、可能のように思えます。
 この補助金の財源は独身税です。
 また、これを不正利用した不届きな役人と企業の役員は、ホームページに個人情報を掲載し、100人の乳児のオムツを替える刑になど、育児の大変さを身にしみて感じてもらいましょう。

 また、
・低額のベビーシッターや保育園などの育児サービス
 は、ボランティアを募り、独身者も、ボランティア育児(子供の世話)という育児の疑似体験してもらうことで、可能かとおもいます。
 この対策によって、社会の意識が変わって来ると期待したいです。
 いえ、子供欲しいなぁ。
 と思うのは、他人の子供と接したときが多いこともあります。

 とにもかくにも、独身税というのは、
 ・育児インフラを整備すること(育児が負担にならない環境づくり)。
 ・育児休業を充実させること(育児休業の定着)、
 ・低額のベビーシッターや保育園などの育児サービスを充実させること。
 これらを実現させるための財源です。

 繰り返しになりますが決して、独身者などからからお金をせびろうという目的で提案しているわけではありません。
 少子化が社会問題であるなら、そのような社会問題のさなか育児をするということは、すなわち、育児は社会貢献と考えるのは不自然なことではないと考えます。
 実際、少子化問題が語れるとき、育児の話題は出てきます。
 ですから、育児を社会貢献の一つとして考えましょうね。
 実際に育児に参加できないなら納税で協力してくださいな。
 ということです。

 こんなことをいったらみもふたもありませんが、独身税反対でもいいし、実現なんてしなくてもいいんです。

 ただ、独身者にも、育児というものを考えて、知ってもらいつつ、理解してもらわないと根本的な解決にならないと思うのです。

 個人主義が横行する現代日本社会ですが、そもそも社会というものは、他者同士が助け合って成り立つものである事を忘れてはいけません。
 ということですね。


 

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育児フレックス制度
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 育児フレックス

 育児休業はさまざまな問題があり、なかなか取り入れる余裕のある企業はありません。

 育児休業の問題点とは、下記の通りです。
【育児休業の問題点】
(1)育休取得者の極端なビジネススキル(意識)の低下
(2)育休を取ることで他の人への労働量が増加など

まず(1)については優秀な従業員であっても子育てという
時間のスピードに慣れてしまうため、職場復帰後のビジネスの
スピードに対応できないことが非常に多いです。
また、慣れるにも数ヶ月かかってしまうというのが現状です。

次に、(2)これは管理する側がしっかりと各自の労働量を把握し
対応しないと不満や妬みに繋がります。
よく中小零細企業にあるそうですが、単純に穴の空いた分を
他の社員に丸投げして、ハイ終わり!
これでは丸投げされた者はたまったもんじゃありませんし、
『あの人が育休とったせいで。。』と妬みになってしまいます。

 企業経営社としては、現場の意見を出来る限りとりいれつつ、
対応し、円滑に育休を取得できるよう環境を整えることが求め
られています。
 その他にもいろいろ問題点はありますが、これからは少子高齢化
に企業も対応せざるを得ない状況でもあるわけです。

 そこで、育児休業ではなく、ワークシェアリングの思想をもって、育児フレックス制度を提案します。

 ワークシェアリングとは、各労働者の労働時間を短くすることによって、その分、従業員を増やし、あるいは、解雇する従業員数を減らし、雇用機会を増やすことです。

 育児フレックスのメリットは、休業するのではなく、勤務をしつつも、勤務時間を短くするということです。
 これによって、職場の復帰の問題や、育児休業による負担も少なくなります。

 これなら、企業も取り入れやすいし、労働者も調整しやすいと考えられます。
 

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お金のかからない子育て
  

こんにちわ。呟き尾形です。

 
 

 育児にはお金がかかる。
 これは、ある種当たり前のことです。
 が、この当たり前を変化させるのが改革であるといえるでしょう。

 そのためには、行政のほかに、民間、国民を含めた社会の助け
合いが必要です。
 まず、育児にかかる経費を必要経費と認めることが必要ではな
いかと考えます。

 つまり、事前に設定した「育児」とされるものにかかった経費は、
自分の子供以外の育児であっても、経費として、売り上げや所得
から控除するということです。

 これにより、社会的な育児の推進が期待できます。

 税金を集めて、育児の対策に使うよりは、育児に参加する人
や企業が納税の額を少なくする方が合理的だといえるでしょう。

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いじめ問題と教育基本法改正案
  

いじめ問題と教育基本法改正案

 教育基本法改正案がでていますが、正直、完全かというとそうでもありません。
 どちらかというと、戦後まもなく作られた法律よりも、まし。
 というレベルのように思います
 ですから、将来、教育基本法は、再改正されるべきなのだとはおもいますが、それは、あくまで、政治屋さんに良心というものがあればの話です。
 政治屋さんの良心については、個人的には懐疑的です。
 なぜなら、今回の、選挙という、目先の欲望に支配された復党劇を見ると、正直心配なのです。
 復党させるなら、教育基本法の理念に沿うのなら、暖かく受け入れさせるか、口約束で相手を信頼すべきだし、そうした信頼関係を構築できる大人の育成こそが教育のはずです。
 子供は親の背中をみて成長するわけで、教育をする大人の代表が、政治屋さんとなると、正直、ため息が出るわけです。
 もちろん、政治屋さんの責任とするつもりはありません。
 ただ、改革の舵取りをするなら、改革の方針を態度で示す責任はあるということです。
 禁煙のエリアでタバコをを吸っている人が、ゴミのポイ捨てを注意しても説得力はありませんということです。

 なんでも、世論調査では、いじめの原因は親のしつけにあるという意見が5割ていどだったとか。
 で、実は、教育基本法改正で、非常に気になるというか、悪用可能な部分、教育行政の項で国民への直接責任が削除され、「法律の定めるところにより」が入った部分が非常に気にかかります。
 ここで、世論調査をうけ、じゃぁ、法律で、家庭内でのしつけの義務化をしようなんて本末転倒な話になると最悪です。
 なぜなら、親の自主性のないしつけなんて、無意味なんです。 
 それに、子育てにおいて、親としての努めは、国の強制するべきものではありません。

 まさかそれはないだろうという指摘もあるかもしれませんが、問題は、教育行政には、ゆとり教育という前科があります。
 子供にはゆとりが必要だとして、現実を見ず、現実に沿わない形でのゆとり教育をしたため、日本の競争社会とマッチしない教育がおこなわれ、現実とのギャップに、逆に子供たちはゆとりをうしなったわけです。


 現在、日本が子育てに足りないものは、子育ては尊い仕事であるという価値観がうすれているということです。
 尊い仕事だからこそ、親は全力をつくすべきですが、日本社会の現実と日本人の価値観は違います。
 仕事と子育てさらには、プライベートを充実させるには、日本人は忙しすぎます。
 育児休暇や、育児フレックスがどんな業種でも可能になるような行政と、ワークシェアリング、託児所の充実、ベビーシッターという業種の確立などが、親が子育てを
行うために必要な環境づくりが必要だとは思います。

 行政は、これらを単純に国家の仕事とするのではなく、上記に上げた事を、一つの生産性のある仕事であるという福祉負担から、福祉産業化への日本社会の仕組みづくりが教育改革と平行して行うべきなのだとは考えています。


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してはならぬことを躾ける方法
  

礼儀を守る。
嘘をついてはならない。
卑怯な振る舞いをしてはならない
弱いものをいじめてはならない。

 あまりにも当たり前の事です。
 だからこそ、教育において、とても大切です。

 当たり前で、大切だからこそ、「なぜ、ならぬものはならぬのか?」ということを自問自答する必要性がでてきたのではないでしょうか?

 一般に「なぜ?」と問うことは、批判や反対の意味としてとられがちですが、価値の強化としての「なぜ?」は、大切なものが、なぜ、大切なのかを知る上でも大切だと思います。
 なぜなら、大切なものとは、重要であるものであるからこそ、その価値を正しく自覚するべきだと思うからです。

 では、どのように自問自答すればいいのでしょう?
 簡単です。
 当たり前の事を問いなおせばいいだけです。

Q1 なぜ年長者に礼儀を尽くさなくてはいけないのでしょう。
Q2 人はなぜ嘘をついてはいけなのでしょう。
Q3 なぜ卑怯な振る舞いをしてはいけないのでしょう。
Q4 なぜ弱い者をいじめてはいけないのでしょう。

 とすればいいわけです。
 そこで、当たり前以外の言葉で自答すればいいわけです。

Q1
 なぜ年長者に礼儀を尽くさなくてはいけないのでしょう。

A1
 ジェネレーションギャップを埋めるためです。
 年齢が違うというだけで、コミュニケーションが取れないと非常に不便です。

Q2
 人はなぜ嘘をついてはいけなのでしょう。

A2
 自分の信頼性を失うからです。
 信頼してもらえないということは、非常にミジメです。

Q3
 なぜ卑怯な振る舞いをしてはいけないのでしょう。

A3
 自分の価値を下げるからです。
 自分を評価してもらえないのは、ミジメなものです。

Q4
 なぜ弱い者をいじめてはいけないのでしょう。

A4
 卑怯な振る舞いだからです。


 ということだと思います。

 10歳以上なら、これを自分でやらせる訓練をすることが躾けの教育ともいえるでしょう。

 で、10歳未満なら、理屈も言葉も不要です。
 自らの態度でしめせばいいだけです。
 いくら、「人として、してはいけないことはしては、してはいけない」
 と口で述べても、10歳未満の子供が発達のレベルをかんがえれば、理解することは非常に難しいと考えます。
 大人がしてはならないことをしなければ、いわずとも子供はしません。

 と考えております。 

 質問、感想などは、呟き尾形の育児手記掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

 

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少子化対策 家庭にまるなげ
  

柳沢厚労相、抽象論に終始=少子化問題で集中審議−参院委
(時事通信社 02月15日 21:10)

★★★ここから★★★

 参院厚生労働委員会は15日午後、柳沢伯夫厚生労働相ら関係閣僚が出席し、少子化問題に関する集中審議を続行した。厚労相は女性を「産む機械」に例えたことを重ねて陳謝。今後の対策に関し、担当閣僚としての見解を問われたのに対しては、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」などと抽象論に終始した。

 社民党の福島瑞穂党首は、「子どもを2人以上持ちたいという健全な状況」との発言撤回を改めて要求。しかし、厚労相は「いろんな方々がいろんな選択肢を持って人生を過ごされていることを考えていないことはない」として拒否した。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 女性は産む機械発言で、陳謝して、辞任はしない。
 そのかわり、厚生労働大臣としての仕事の成果をみせることで、責任をはたしたいということをいいましたね。
 しかし、その結果「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論で終わりですか。
 政治というのは、家庭に口を出すことが責任の取り方でしょうか?

 政治において、
「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」
 という目標をもったとして、どのようにすれば、そうなるか?
 という指針を示すのが政策ではないでしょうか?

 たとえば、
「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」
 という目標をもてば、まず、父親が家庭にいる時間をつくらねばなりません。
 そのためには、どうしても、労働時間の削減が必要になります。
 すると、労働者がいかに労働時間を削減するか?
 という一つの政策としての指針ができるはずです。
 それすらもでませんか?
 と質問したいですね。

 さらにいえば、残業時間を減らす政策も必要ですね。
 残業代の率のアップが手っ取り早い政策でしょうね。
 他には、通勤時間を減らす政策、育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する。
 駅前保育園ないし駅前託児所。
 託児施設を増やす優遇政策。
 育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資。
 考えればいくらでもあります。
 で、さらにいえば、解決して欲しい問題は明確になっています。
 保育園の待機児が減らない。
 小児科・産婦人科が充実していない。
 塾に通わなくてもいいような学校教育が充実していない。
 というのも、指摘を受けているはずなのに、それすらもあげません。
 論外です。

 で、抽象論にしたって酷すぎます。
 といいますのも、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」っていえば、各家庭の問題になってしまい、各家庭で設定しえる目標であって、厚生労働省が設定する目標ではありません。
 これはもう、家庭に少子化問題の責任を転嫁としかいいようがありません。

 だいたい政策の質問をうけたんですから、厚生労働省の仕事について質問されているわけです。
 それが、厚生労働省のトップである現厚生労働大臣というトップが、家庭が頑張りなさいという目標を出す時点で、厚生労働省は、少子化対策については、仕事をしません。
 つまり、少子化対策は、家庭の問題なので、政府は、家庭にまるなげするので後はよろしく。
 と宣言しているようなものです。

 まぁ、1億歩ゆずって女性差別がなかったと陳謝をみとめたとしても、
女性は産む機械だといったところから、夫婦は産む機械だと言っているようなものです。
 根本的にこれが問題なんですよね。

 で、少子化ないし、育児をしにくい社会という社会問題を、本質的に解決するためには、企業は産業として、個人はボランティアを前提とした、社会の育児参加が必要です。
 で、それを促すのが厚生労働省のはずだし、陳謝して仕事で成果をみせるといっておきながら、「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論ではお話になりません。


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厚労相としての責任
  


厚労相としての責任

厚労相不信任案提出で一致=時期は慎重判断−3野党
(時事通信社 : 02月20日 11:10)

★★★ここから★★★
 民主、社民、国民新の野党3党は20日午前、都内で幹事長会談を開き、女性を「産む機械」に例えた柳沢伯夫厚生労働相に対する不信任決議案を提出する方針で一致した。時期は国会審議の動向を見極めつつ慎重に判断する。

 会談で、国民新党は厚労相不信任案について「2007年度予算案の衆院通過が1つのタイミングだ」と主張した。これに対し、民主党は不信任案が否決された場合、問題の幕引きにつながることや、厚労省関連の法案が後半国会の焦点の一つとなることなどから「タイミングを見極めて判断すべきだ」と慎重な考えを示した。 
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 厚生労働大臣に少子化問題を期待できないということは、

少子化対策家庭にまるなげ
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/28337870.html

 にあるとおり、
 「夫婦間の育児分担」「仕事と家庭の調和」という抽象論で終わり
ではなんのかいけつにもなりません。
 せめて、

・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップなど)
・通勤時間を減らす政策
・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。
・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。
・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策

 などが提案があってしかるべきですがそれがありません。
 つまり、厚生労働省のトップとして不適切になります。

 さらに、現厚生労働大臣は、他にも問題山積です。労働問題でも論外な提案がされています。
 少子化問題だけなら、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)の肩書きを持つ方に、という話になってもいいのですが、その方が報道的には、”無視”されているような状況ですし、ずっと黙っています。
 となれば、現厚生労働大臣が責任をはたすしかないわけですが、上述したとおり、その人が、失言するわ、政策にしても、抽象的で家庭にまるなげする政策を提案するわで、現厚生労働大臣は現在のポストに適任ではないことは明らかです。
 これで、口はわるいが、LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム)をします。
 なんてことがあれば、そんなことはないのですが、それすらありません。
 ちなみに、LDRとは、LDRは、陣痛(Labor)・分娩(Delivery)・回復(Recovery)の略です。
 どういうことかというと、出産における陣痛・分娩・回復までの一連の流れを、機能を集約した一室で行うシステムだそうです。

 私、呟き尾形は、生物学的にオスなので、出産というものについては、正直経験のしようがありません。
 しかし、妻、およびいわゆる母親になった人たちからの経
験談を聞くと、それがとてつもないものであることが伝わっ
てきます。

 その中に、いわゆる陣痛がはじまってから、分娩の間と言
うのは、個人差があるものの、妊婦にとって、精神的、肉体
的にも大きな苦痛になるそうです。

 その中でも、出産間近の一連の過程で、自宅から病院まで
の移動が強いられますが、これがまた大変です。

 LDRのメリットとしては、
 ・利用者のプライバシーを守ることが出来るということ
 ・出産時に夫や家族などが立会うことも容易ということ
 ・院内感染を防げるなど、安全性も高めることが可能ということ
 ・移動する必要がないため、母体への負担が軽くて済むということ

 があげられます。

 メリットがあるということは、デメリットが当然あるということで、
 ・施設が必要なことと
 ・経費がかかる。
 ・施設が使いたくてもあふれてしまうだろう。

 ということが予測されます。

 これをなんとかするのが、政策であり、厚生労働大臣というポストの責務です。

 それを、家庭に任せる、個人に任せるというのでは、政策でもなんでもなく、単なる責任放棄と税金の無駄遣いになります。
 そんな責任放棄と税金の無駄遣いをする人は厚生労働大臣というポストにふさわしくありません。
 揚げ足取りと判断される意見もききますが、その後の政策の提案、少子化政策は家庭にまるなげするような無責任な方には、辞めていただきたいと思いますが、しかし、反省の色もあるんですよね。
 といいますのも、

■柳沢厚労相、「産む機械」でまた反省…市民団体と面会(読売新聞 02月21日 22:51)

★★★ここから★★★
 柳沢厚生労働相は21日、女性を「産む機械」に例えた発言について、出産にかかわる医療事故の被害救済を訴える市民団体「陣痛促進剤による被害を考える会」(出元明美代表)と大臣室で面会し、「全くなっていない言葉で、おしかりを受けるのは当然」と、改めて反省の言葉を述べた。

 面会したのは、陣痛促進剤による医療事故で妻子を亡くしたり、子どもや母体に障害を負ったメンバーら12人。脳性マヒで寝たきりになった女児(10)も同席した。出元代表は、同省が導入を進める産科医療の無過失補償制度について、被害者や親の声を生かすことなどを求める要望書を手渡した。

 出元代表は面会後、「(発言は)失言には違いないが、いつまでも辞めろと言うのではなく、今後、いいお産のために国がどう動くか見て判断したい。歴代大臣で、初めて面会してくれたことを評価する」と述べた。

★★★ここまで★★★
 だそうです。

 おお、偉いです。

 これが誠意というものじゃないかと思います。

 いままでは、それこそ、機械のように同じ言葉を繰り返して、言葉と行動が伴わず、批判していましたが、見直しました。
 このまま気持ちを入れ替えてもらえば、応援、提案していきたいという気持ちになります。

 提案事項としては、

・助産師の業務を増やし、助産師の育成の推進
・健康カウンセラーを育成し、いつでも、国民が健康について相談できる窓口を設置する(窓口は病院、薬局、薬店を中心に展開)
・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップ)
・通勤時間を減らす政策(在宅勤務の推進、および、在宅勤務を推進する企業の優遇)
・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。
・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。
・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策
・出産・育児の不満窓口を作り、不満を解消する対策案を立案する。
・教育にお金がかかる問題については、国が国債の一つとして教育債、奨学金をする団体の優遇、学資保険の優遇により、教育費を心配せずに教育ができる仕組みづくりを行う。
・なぜ、教育、勉強するかを社会に問いかけをすることで、教育は学校だけではなく、自らも教育すべき立場にあるという意識改革を行う。
※有名人による、「なぜ、教育するのか?」「教育とは何か?」という著書の出版を依頼するなど
・LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム)
※LDRシステム
http://homepage2.nifty.com/SON/hp1_6_6.htm#column06

 という政策があればいいなぁ。
 と思います。

 とにもかくにも、厚労相としての責任は、厚生の面で結果を出すことなんでしょうね。


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子どもは
  

子どもは

こんにちわ。呟き尾形です。

子どもは 辛抱強さを見て育つと 耐えることを学ぶ
子どもは 正直さと公平さを見て育つと 真実と正義を学ぶ
子どもは ほめられて育つと 人に感謝するようになる
子どもは 存在を認められて育つと 自分が好きになる
子どもは 周りから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知る
 ― ドロシー・L・ノルト ― (アメリカ教育学者)

 学ぶとは、経験を通して知識や知恵を得ることです。

 ですから、教えを受けて知識や技芸を身につけるだけが、学ぶ事ではありません。

 むしろ、子供は、身近な大人の行動から学ぶのです。

 学ぶは、真似をすることからはじまるのです。

 教育を語る人は、自ら手本を示せるものから語るべきです。


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「親学」提言・・・(|||´Д`)3 
  

「親学」提言・・・(|||´Д`)3 

母乳や早起きなど「親学」提言
★★★ここから★★★
<教育再生会議>親向けに「親学」提言 母乳、芸術鑑賞など
(毎日新聞 04月26日 03:11)
 政府の教育再生会議は25日、親に向けた子育て指針である「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」の概要をまとめた。子どもを母乳で育てることを呼びかけたり、父親にPTA参加を呼び掛けるなどの内容。政府の有識者会議が家庭生活のマニュアルを示し提言をすることには会議内にも慎重論があるだけに、世論の評価は分かれそうだ。

 東京都内で同日開かれた主要メンバーによる運営委員会で示された。5月の第2次報告の前に正式発表する見通し。

 「親学」は、親も子育て学習をする必要がある、との認識から一部の保守系有識者が提唱している考え方。子育ての知恵や文化を伝えることが主眼で、再生会議では17日の同会議第2分科会(規範意識)で提言を行う運びとなった。山谷えり子首相補佐官や池田守男座長代理らが概要をまとめた。

 概要では「脳科学では5歳くらいまでに幼児期の原型ができあがる。9歳から14歳くらいに人間としての基礎ができる」と指摘するなど、11項目にわたり具体論を展開。「子守歌を歌う」▽「授乳中はテレビをつけない」▽「早寝早起き朝ご飯」▽「親子で感動する機会を大切にしよう。テレビではなく、演劇など生身の芸術を鑑賞」▽「インターネットや携帯電話の情報に『フィルタリング』を」など、家庭生活のあり方をかなり具体的に記述。子どもの発達段階に応じ「幼児期段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目」を身につけさせるよう呼びかけた。

 ただ同会議内にも、「政府が押し付けることか」(学識経験者)と政府版「家庭生活マニュアル」の作成を疑問視する意見が出ており、発表段階で内容に変更が加えられる可能性もある。母乳による育児推奨には「母乳の出ない母親を追い詰める」との専門家の指摘もある。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 間違っている。とはいいません。
 むしろ、内容の正しさは認めます。
 ただし、それが、実行と伴っていればの話です。口先だけだと説得力がない提言になってしまいます。
 また、提言された親学から出される内容は、それほど新しいものでもなく、提言された親にとって、分かっちゃいるけどなかなかできない。
 という言葉がでてくることでしょう。
 では、なぜ、提言された親学から出される内容がわかっちゃいるけど、なかなかできないのでしょう?

 それは、今現在の事実としての、家庭の現状は、社会の環境が、提言された内容が、やりたくても、かなり難しい状態だからです。
 実際、親学の内容をやりたくても、仕事を中心とした社会環境、家族構成、近所の人が育児に無関心、現実的な体力および精神的な負担がそれをやりようがないということです。

 では、昔のよき日本の育児の知恵を参考にした親学であるのですから、昔の日本は実行できていたはずです。
 実は、昔の日本は、自営業的な仕事が殆どでしたし、大家族でした。
 育児も母親の他に兄弟と近所の人も結果的に協力しあっていました。
 これが、現代ではそれがすべてが崩壊したのです。
 その代替処置として、保育所、託児所、幼稚園、学校という公共施設でした。
 しかし、それも崩壊しかかっています。
 それで、親学では、いくら正しくても現実を見ていないことになります。

 実行しやすい社会にならなければ、親の負担ばかり増えてしまいます。
 それでは、せっかく正しい親学は、親には浸透しないと判断せざるを得なくなります。
 親に提言するだけでなく政策の指針にするのであればわからなくもないですが、それも特にありません。
 無責任な提言だな。
 と思います。
「だったら、あなたがやってみなさい」
 と私はいいたくなります。
 おそらく、提言した人たちは、一般的な育児を行う現場のことについて、まったく配慮していないのでしょう。

 授乳が必要な育児において、子守歌を聞かせ、母乳で育児することがいいのは、多くの親がしっているでしょう。
 しかし、そんな余裕なんてないのです。
 生まれて間もない頃は、昼夜お構いナシに、数時間おきに授乳することになっています。
 それで、早寝早起き朝ごはんの励行というのは、論外です。

 授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せないということについて、それがいいかどうかなんて、根拠もない俗説にすぎません。
 むしろ、育児ノイローゼを促すんじゃないですかね。
 これでは、幼児虐待を促すようなものです。
 なぜ、テレビやビデオを長時間見せるという現実になったのか?
 単純です。
 家族を含めた周りの社会がサポートしなくなったからです。

 PTAに父親も参加というのは、なぜ、父親がPTAに参加しなくなったかという現実の分析ができていないようですね。
 通勤時間を含めた労働時間を見て提言して欲しいものです。

 企業は授乳休憩で母親を守るといいますが、子供を会社につれてこれる環境でしょうか?
 まず、この環境を整えることが前提の提言で、前提がなされていない提言など無価値です。

 親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞、家族と接する時間自体すくないのに、この提言は効果的とはいえません。

 と、いうわけで、言うだけの方は楽で良いですね。

 提言の前に、育児、教育しやすい環境づくりが政治というものだと思います。





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物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい 
  

物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい


<教育再生会議>「親学」提言見送り 「押し付け」反発で
(毎日新聞 - 05月11日 13:11)

★★★ここから★★★
 政府の教育再生会議は11日午前、首相官邸で合同分科会を開き、親に向けた子育て指針として同日にも発表予定だった「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」について当面、発表を先送りすることを決めた。「親学」との表現を使わないことも確認した。今月末以降の第2次報告に反映させる方向で調整する。政府や与党内にある「国民への教育観の押し付け」「政策的な裏付けがない」などの反発や批判に配慮した。

 ただ、同会議に出席した安倍晋三首相は「議論が物議を醸しているのは事実だが、もっと物議を醸していいのではないか」と発言。「いろんな偏見があったり、アレルギーがあったりするんだろう。アレルギーを持つのは間違っていると認識していけば、冷静な議論が出てくるのではないか」とも述べた。

 提言発表は山谷えり子首相補佐官らの主導で計画されたが、母乳による子育ての奨励など個人の価値観にかかわる内容を含んでいたことから政府・与党内に国民の反発への懸念が広がっていた。山谷補佐官は会議終了後の記者会見で「第2次報告に収れんさせる部分と(報告と別に)情報提供する部分を考えたい」と語った。拙速な対応が表面化したといえ、再生会議のあり方を問う声が高まりそうだ。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 まず、偏見とは、かたよった見方のことです。
 つまり、ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情です。

 まさに、親学は、古き形骸化した親への理想像というゆがめられた考えに基づき、客観的根拠がないのに、現代の親に対して、現代の親の育児のあり方に対し、こうするべきと、多くの現代の親のあり方の子育てについて、非好意的な意見や判断をする偏見の塊が親学となります。

 たとえば、親学にあるような、授乳するときは子守唄を聞かせるべきとか、子供にテレビを長時間見せないとか、父親もPTAに参加するべきというようなものです。
 間違っているとはいいません。
 むしろ、そうできれば、正論といえば正論でしょう。
 しかし、偏見が偏見であるという条件は正しさにあるのではなく、偏りにあります。
 特に正論は、正しいからこそ偏りが生じます。
 わざわざ、正しい事を批判することはまずなくなります。
 意見の偏りというものは、無批判になったときに生じます。
 さらに、正論をいえば、そこで満足してしまい行動に移される場合がすくなくなります。
 言動は一致してこそ、説得力がおびるのですが、口だけで正論を述べて、行動を前提としなければ、それは、巧言令色となります。

 そもそも、現代の親が欲しているのは、社会の理解と協力です。

 現代の育児のあり方になったのは、現代の日本の子供に対して優しくない環境です。

 親学については、
「親学」提言・・・(|||´Д`)3 
http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/3_0991.html

親学は正論であっても、行動がないから机上の空論です
http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/post_27ac.html

 と日記に書きました。

 単純に、現場の親は提言だけではなく、提言に伴う手助けがないから反発しているのです。

 政府は提言の前に、現代の育児のしにくい環境の改善が先なのに、育児に対する考え方がおかしいというゆがめられた考えに基づく偏見が行政にありありと現れています。

 本気で育児の問題を考えるなら、参議院選挙などきにせず、いかに育児について、行政が間違っているかを浮き彫りにするためにも、行動なき正論、提言するだけで政策の伴わない無責任の塊の親学を発表するべきだと思います。

 正論だけでは問題は解決しないのです。

 「もっと物議を醸していいのではないか」と安倍前総理大臣は述べているそうですが、物議をかもし出したいなら、親学を発表するべきです。
 親学が正しいと思うなら、どんな批判にも耐えうるはずですし、親学は批判により、親学の偏見が削り落とされ、洗練されたものになるでしょう。
 物議をかもし出したいのならそうすべきです。
 しかし、それをしない。
 批判されるのがいやなんでしょうね。
 批判されることが、悪い事だという偏見をもっているのでしょう。
 批判に対して、言動を改めればいいだけなんですけどね。

 物議をかもし出したいのに、親学の提言という、主張を引っ込める。
 言動の不一致というものです。

 まぁ、「言動の不一致」と「大事なことは言わない」のは、去年の総裁選からのことですし、今にはじまったことではありませんけどね。








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少子化対策の個人的提案
  

●少子化対策の個人的提案

 少子化問題が指摘されてだいぶ時間がたっていますが、なかなか効果的な対策がなされていません。
 そこで、常日頃から思っている少子化、育児、教育についての個人的に考えている対策案を提案したいと思います。

・助産師の業務を増やし、助産師の育成の推進
・健康カウンセラーを育成し、いつでも、国民が健康について相談できる窓口を設置する(窓口は病院、薬局、薬店を中心に展開)
・残業時間を減らす政策の提案(残業代の率のアップ)
・通勤時間を減らす政策(在宅勤務の推進、および、在宅勤務を推進する企業の優遇)
・育児休業、育児フレックス制度、ワークシェアリング、職場の託児所などを推進する企業を優遇する政策。
・駅前保育園ないし駅前託児所、託児施設を増やす優遇政策。
・育児インフラの整備ないし、公営団地は育児する家庭を優遇したり、育児融資する政策
・LDRシステムの充実(出産において妊婦の負担を和らげるシステム)
・出産・育児の不満窓口を作り、不満を解消する対策案を立案する。
・教育にお金がかかる問題については、国が国債の一つとして教育債、奨学金をする団体の優遇、学資保険の優遇により、教育費を心配せずに教育ができる仕組みづくりを行う。
・なぜ、教育、勉強するかを社会に問いかけをすることで、教育は学校だけではなく、自らも教育すべき立場にあるという意識改革を行う。
※有名人による、「なぜ、教育するのか?」「教育とは何か?」という著書の出版を依頼するなど








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育児と英語教育
  

●育児と英語教育

 巷では、英語教育は、早い事にこしたことはないということで、3歳からとか幼稚園からとかすらいわれています。

 まぁ、英語が話せるようになることだけではそれは正しいと思います。
 が、しかしです。
 言うまでもありませんが、日本において、母国語は日本語であり、母国語が未修得なうちに、英語教育することは、全体的な日本の教育に問題があるのではないかと判断しています。
 ですから、正直、小学生から英語教育は反対です。

 日本において、和製英語ではない、英語圏で通用するような英語が日常的に使われているのなら別ですが、やはり、小学生レベルだと日常生活で何らかの形で触れたり、見たり出来ることじゃないと実質的に理解できないと考えるからです。
 これは、小学生が劣っているということではなく、脳の発達を加味して考えたとき(あくまで平均的ですが)論理的思考が可能になるのが、12歳以上だからです。

 特に、日本語と英語は文法が異なります。
 人は、言葉で思考しますが、2つの異なる言語を現実に使う必然性が無い限り、学習の習得は難しくなるし、思考能力と言語能力に混乱をきたします。
 その結果、日本語と英語が入り混じった、日本語でも英語でもない、日英語の誕生を意味するようにおもいます。

 すると、日本語で思考することが一般的な、日本の社会にミスマッチな思考をする子供たちが育成されるのです。
 コミュニケーションを円滑にするための教育が、逆に、コミュニケーションを困難にするという悪循環を生み出すのです。

 もちろん、もし、日本人の成人の殆どが、日本語と英語を両方使いこなせるのであれば、その心配は少なくなるでしょう。
 教育というものは、現実の社会で円滑な暮らしができるようにするためのものが、「便利」という幻想によって捻じ曲げられてしまうのです。
 教育は、あくまで、その社会の日常でふれられるものにあわせなければ、教育の目的と逆行してしまうということを私たちは、常に意識しなければならないと思います。

 というわけで、小学生から英語教育は上記の理由から、反対します。

 ただ、日本社会と日常会話でふれるレベルの英会話、挨拶や身近に触れる単語、アルファベットに抵抗感を持たせないレベルのものなら、許容範囲だとは思います。
 このレベルなら、日本人の成人の殆どが使いこなせているし、日常生活レベルといえるでしょうし。






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子供を育てる
  

●子供を育てる

こんにちわ。呟き尾形です。

子供を育てるってことはねえ、
育てられた当人が思っているほど、
そう簡単なものじゃありませんよ。
 ― 森本 薫 ― (『女の一生』)

 子育てというものは、育てられる子供の側は、
その難しさを実感しません。

 なぜなら、子育てとは、子供に負担を与えない
ように、親が子供の世話をするからです。

 世話を受ける側は、その世話の苦労を知りません。

 ですから、子育ての苦労は、子育てをしていない
人にわかるわけもなく、簡単に思えてしまうのです。



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小さい子供がはじめて笑うとき
  

●小さい子供がはじめて笑うとき

こんにちわ。呟き尾形です。

小さい子供がはじめて笑うとき、
その笑いは全然何かを表現しているのでもない。
幸福だから笑うわけではない。
むしろ、笑うから幸福なのだ。
 ― E・アラン ― (フランス哲学者)

 人は幸福だから、笑うのでしょうか?
 笑うから幸福なのでしょうか?

 幸福でなくても、無理に笑うことはできます。

 しかし、幸福でなくても笑っていると幸福になってきます。

 ゆえに、笑うから幸福であると言い得るわけです。


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子どもたちが関心を持つのは
  

●子どもたちが関心を持つのは

こんにちわ。呟き尾形です。

子どもたちが関心を持つのは、
親や身のまわりにいる大人から愛情を得ることや
一緒に遊んでもらうこと(関係性)、
歩いたり積み木を組み立てたりする方法を学ぶこと(有能感)、
自分のしたいことをすること(自律性)です。
 ― ハイディ・グラント・ハルバーソン ―
『やってのける 意志力を使わずに自分を動かす』


 育児をしていると、子供が何を考えているのか、何を欲しがっ
ているのかわからなくなることがあります。
 なぜなら、子供に欲しいものを与えても、要求するものを満た
したとしても満足しないからです。
 これは、子供はまだ未成熟だから、自分が何を欲しているか
自分でもわからないので、子供の言ったことをそのまま実現し
ても満足しないものなのです。
 子供が何を欲するのかは、子供は何に関心をもっているのか
知ることが必要です。
 子供が関心をもっているのは、親の愛情、そして親の周りの
大人から愛情をえることです。
 愛情を得たと子供が実感するのは、大人を独占できた時だと
いえるでしょう。
 子どもが大人を独占したと感じるのは、一緒に遊ぶことで、大
人と関係をもつことです。


 そして、できなかったことができるようになることです。

 なにより、自分のしたことを自分ですることです。
 ですから、子供が欲するのは、子供自身が体験し取得する必
要があり、子供にただ与えるだけでは、子供が欲しいと思ったも
のを与えるだけでは子供は決して満たされることはないのです。
 なぜなら、愛情、関係性、有能感、自律性は物質ではなく体験
によってのみ実感できるものだからです。

 

 

 

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  後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/

 

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