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著作権、著作権といいますが・・・。
著作権、著作権といいますが・・・。

 こんにちわ。呟き尾形です。

 今回は、開き直りというか、暴言めいたことを記事にします。
 鵜呑みはしないでください。

 さらに、私は、現在ある法律を破るべきとか言うつもりは無く、これから私たちは、著作権とどうかかわり、そして、どのように作り上げていくべきか試行錯誤する中において、呟き尾形なりの私見を述べます。

 まず、著作権、著作権といいますが、これは、神様が定めた法則でもなければ、ましてや、自然の法則ですらありません。
 完全ならざる人間が、社会において、守るべきルールとして法律を検討しながら決めた決め事です。
 さらに、その決め事は、随時、公的機関において検討され、定められたものであり、いつでも変えていく事が可能です。
 ましてや、日本は民主主義国家であり、その主権者は国民にあります。
 ゆえに、為政者を選出するという間接的な方法ではありますが、私たち国民がその法律を作り上げていくということが建前上成立するわけです。

 つまり、現在ある法律は守るべきではあるものの、それに問題があると感じるならば、いくらでも検討の余地もあれば、変えていく手段もあるということです。
 ということで、過激な言い方をすれば、法律は守るべきものではあるものの、法律だから正しいという考え方は論外ですということです。

 で、さらに過激な発言をするならば、著作物というものは、公開された時点で、それは万人のための情報となるということがいえます。
 そして、万人のための情報である著作物は、各自がそれぞれに触れる事で、そこから影響を受けるということは、自明です。
 ある著作物から影響をうけて、自らが、著作物を発信する人がいるのは、むしろ、文化の発展だといえるわけで、すなわち、著作者冥利に尽きると思えるはずです。
 むしろ、自分の表現は自分だけのものであり、それを真似されたりするというのは、あまりにも心の狭いことだと、文化発展という視点からみれば判断せざるを得ないわけです。

 もちろん、100%、真似ることを是とするのではありません。
 しかし、外部の表現を真似ることなしに、他者に伝えうる表現など不可能なのです。
 たとえば、表現の代表である言葉。
 人間は親の言葉を真似ることで、言葉による表現を可能にします。
 さらにいえば、真似のない表現は他人様には伝わりません。
 真似ることを悪としたとき、この現実をどうやって、帳尻合わせるのか?
 というのが大問題です。
 まぁ、暴言と思われるかもしれませんが、個人的には、5割がたパクリじゃなければいいんじゃない。
 というのが、呟き尾形の意見です(笑)


 

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