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デモクラシーってなんだっけ?

 

 

デモクラシーってなんだっけ?
<日教組>中川政調会長の毎日新聞「闘論」発言で抗議文
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061024k0000m010056000c.html
より
★★★ここから★★★
 自民党の中川昭一政調会長が毎日新聞の23日朝刊「闘論」で、「デモで騒音をまき散らす教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格はない。免許はく奪だろう」などと日本教職員組合を批判したことを受け、同組合は23日、「正当な組合活動を否定し、集会・結社の自由、言論の自由など民主主義を理解しようとしない危険な発言に対し、抗議するとともに強く撤回を求める」とする文書を中川政調会長あてに送った。

 文書では「デモ行進などの表現の自由・言論活動は民主的政治過程に参加するための不可欠なものである」とした上で、「自らと異なる考えに耳を傾けることなく、権力をもって発言を封じようとする姿勢は、政治家としてあるまじきことであり、容認できない」と中川政調会長を批判した。
★★★ここまで★★★

 だそうで。

 「デモで騒音をまき散らす教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格はない。免許はく奪だろう」
 いいな、これ。
 もらい!!!

「選挙で騒音を撒き散らす立候補者に国民の尊敬を受ける資格は無い。被選挙権は剥奪だろう」

 重要なのは、主張する内容と、その主張する内容の正当性で、声の大きさじゃないってことですね。

 デモクラシーとは、民主主義のことで、民主主義とは、人民が権力を所有し行使するという政治原理のことです。
 決して多数決という、衆愚による数の暴力ではありません。

 民主主義国家であるということは、選挙があるということではなく、国民の少数意見であろうとも、その意見の正当性と妥当性を議論し、適切な主張であれば、その主張を受け入れるということです。

 つ・ま・り、デモにおいて大事なのはやっぱり、数の多さと、声の大きさではないということです。
 じゃぁ、何がデモで重要なのかといえば、主張の内容と、内容の正当性です。

 ところで、中川政調会長は、
「日本教職員組合の一部活動家は、自分が納得できないことは何をしてもいい、断固拒否する、では教師の資格はない」
 と述べていたそうです。

 もし、本当に、一部の活動家が、「自分が納得できないことは何をしてもいい、断固拒否する」では議論にすらなりません。
 それは、単なる利己的かつ子供の我儘だからです。
 利己的かつ子供の我儘を押し通す人は、教師としての資格があるかといえば、ありません。

 しかし、すでに上述したとおり、デモクラシーとは、国民の少数意見であろうとも、その意見の正当性と妥当性を議論し、適切な主張であれば、その主張を受け入れるということです。
 ですから、反対する理由が、利己的ではなく、正当性と妥当性があるのなら別です。
 たとえば、その理由に、解決策としての教師免許更新制度なら、更新する基準、つまり、「いじめ」、「学力低下」、「不登校」を解決する基準がもうけられるのか?
 それがなく、教師免許更新制度は不適切な解決策である。
 というような主張なら、また別だともいえるでしょう。

 まぁ、ニュースを読む限り、日教組は、抗議したみたいですが、デモで反対を叫んだ内容を批判されて、批判の内容や批判の理由にふれることなく、怒るのはなぜかがわかりません。
 だいたい、批判をうけたときは、むしろ、自身の反対意見を世の中にしらしめるチャンスであって、怒る必要も、抗議するどころか反論すればいいとおもうのですが、そこで、批判されたことに怒ったのでは、主張そのものに、自信がないのだろうかという印象をうけます。

 まぁ、国会議員が、絶大な権力を持つ自民党の要職にある人間だから、教員とはまるで力が違うなんて被害妄想を思い浮かべたかもしれません。
 たしかに、その視点で考えれば、中川氏の発言は、言論・表現の自由、思想信条の自由を脅かすものであり、断じて許すことのできないもの。
 という解釈も不可能ではありません。
 ただし、一般的に、免職にするぞ、と脅したのだと解釈するかといえば、私個人としては、思いません。普通に読んで、そのような文脈はないようにおもいますし、政府が日本という国家の目指すべき方針を出し、その方策に自分の我儘で断固反対だけを主張する人材は、確かに教師としての資格はありません。
 もちろん、教師として正当で妥当性のある理由があるのなら別です。
 たとえば、教師免許更新制度において、具体的にどのような不利益が子供たち、そして国民に不利益があるのでしょうか?
 そこを主張していただかなければ、デモで声たからかに
主張されても、国民はその主張を理解する事はできません。
 言論、表現は、伝えることができなければ何の意味もありません。

 むしろ、そうした一言に過敏に反応し、萎縮するくらいなら、反対意見をいうのは、覚悟が足りないように思います。

 で、さらに疑問なのは、日教組のデモは、どのような形で日本の子供たち、そして国民のためになるのかということです。

 とはいいつつも、日本教職員組合の組合活動は悪くないけど、本職の方に力を入れて欲しいというのは個人的な要望です。
 いえね、私が学生の頃は、私が教育をうけた教師の一人は、仕事休んでいたし、生徒として、尊敬できる方ではありませんでした。

 とりあえず、日教組の方も公務員、中川政調会長も公務員。
 公務員同士の内輪もめだと認識しておくことにします。
 ともあれ、公務員はすべての国民の全体の奉仕者であることを望みます。

 権利の主張する前に、教育のプロとして、プロ意識をもって、ガンバッテクダサイナ。

 

質問、感想などは、日本の核武装議論掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)


 

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