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呟き尾形的孫子の兵法
 第5回 趁火打劫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五計 趁火打劫「火に趁んで劫を打く(ひにつけこんで、おしこみをはたらく)」

 斉の国は韓と手を組んで燕を攻略しようとしたそうです。
 しかし、隣国の趙や楚に攻略が邪魔をされたそうです。
 時同じくして、韓が秦と魏に攻撃されてしまったそうです。
 韓と同盟関係の斉は、救援に行くべきでしょうが、行きません。
 なぜなら、韓が滅びれば、次は趙や楚に侵略が伸びる危険性があると、2国が駆けつけ、秦、魏、趙、楚、韓の5国の間で戦争になるからです。
 そして、実際、そのとおりになり、その間に動かず、力を蓄えた斉は、機をみて、燕を攻略してしたそうです。


 なんとも、ひどい話です。
 いってしまえば、”火事場泥棒”のことで、相手の弱みにつけこんで、泥棒を働くがごとく、弱みに乗じてたたみかける計略です。
 この計略の弱点は相手にかける”情け”です。
 情けをかけて、中途半端に攻めると相手の弱点が消えて、逆に不利になる諸刃の剣であるともいえるでしょう。
 中途半端に、情けをかけて失敗することを、宋襄の仁といいます。
 宋襄の仁とは、敵に情けをかけて、絶好の機会を逃し、大敗を喫してしまった故事のことです。
 春秋時代、楚が大軍を動員して宋に攻め込んできた。宋軍はこれを泓水のほとりで迎え撃った。宋軍は既に陣形を整えて待ち構えていましたが、宋軍の将は、楚軍はまだ河も渡り終えていないのをみて、「敵が河を渡りきらぬところを攻めたてましょう」と進言をうけたのですが、襄公は「いや、そんな卑怯なことはできぬ」と言ってとりあいませんでした。
 そして、河を渡り終えた楚軍は、陣形を整えにかかった。重ねて攻撃を進言をうけても、襄公は「いやいや、陣形が整ってからだ」と言って、攻撃しようとしませんでした。
 その結果、多勢に無勢で、宋軍はさんざんに蹴散らされ、総崩れで敗走することになってしまったそうです。
 このような、宋襄の仁は、本末転倒であり、自分自身を自滅させる、いらぬ情けであるわけです。

 情けは人のためならずといいまして、情けはめぐりめぐって、自分自身に返ってくることは、世の常です。
 だからといって、状況を無視して、むやみに情けをかける事は愚の骨頂であるということです。

 人間の世において、「情け」という、他人に対する心づかいや哀れみや思いやりの感情があることは事実です。
 情けをすべて切り捨てれば、人は離れていきます。
 逆に、むやみに情けをかければ、情けが仇とばかり、に、かえって相手のためにならなかったり、かえって悪い結果になるもあります。
 情けをかけるということは、感情に流されるということではない。
 ということが、趁火打劫の本質だといえるでしょう。
 情けを知ったうえで、趁火打劫を使わないと、自らを傷つける知の刃となるということです。

 さて、趁火打劫は、有能な人間にこそ、使うべき兵法です。
 有能な人間と正攻法で対立するということは、多くを犠牲にします。
 だからこそ、弱点をつき、自分のもつリスクをできるだけ少なくする。
 しかし、有能な人間は自分の弱点など簡単にはみせません。
 そんなときこそ、借刀殺人や以逸待労の使いどころです。

 そして、趁火打劫の有効活用のポイントは、わざと、逃げ道を作っておきます。有能な人間は、その逃げ道が、まさに情けであることを自覚し、恩義を感じる可能性がかなり高くなります。
 それは、まさに、情けは人のためならずと、相手は自ら味方についてくれることでしょう。

 

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