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呟き尾形的孫子の兵法
 第11回 李代桃僵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫子の兵法 11 李代桃僵

第十一計 李代桃僵「李、桃に代わって僵る(すもも、ももにかわってたおる)」


 孫臏が斉の将軍田忌に客分として招かれたときの話です。
 田忌という将軍は、は非常に賭け事が好きだったそうです。
 そこで、余興で、斉の公子たちと金をかけて馬車を競争させて楽しんでいたそうです。
 その賭け事のやり方はというのは、双方馬の脚力を上・中・下の三段階に分けてそれぞれ同じ階級の馬を戦わせて競うというものだそうです。
 孫臏は一計を案じ、上・中・下の順番を、下・上・中の順にし、田忌に大金をかけさせたのです。
 すると、下の馬は、田忌の上の馬と走るわけですから、田忌の勝利となります。
 しかし、その後、上の馬と、田忌の中の馬。中の馬と田忌の下の馬となり、結果は、当然2勝1敗。
 つまり、1敗を捨て石にすることによって、2勝を収めるという「李代桃僵」の典型ということだそうです。

 「李代桃僵」は、昔、立派な桃の傍らに李(すもも)が立っていた。
 李は桃が受けるはずだった虫害を一身に受け、やがて桃の代わりに倒れてしまったという詩に基くものです。

 どんなことであって、無傷でことを成し遂げる。
 ということは、大変難しく、一つのミスが、すべてのミスにつながります。

このプレッシャーは、本来の実力を出す前に自滅する恐れがあります。

 さらに、勝負事であれば、相手も必死に戦ってきます。こちらも犠牲無しに済む事ではありません。
 大きな勝負に勝つためには、時には小さな勝利を犠牲にすることも必要です

し、その割り切りによって、小さな犠牲を払って、大きな勝利を得やすくします。
 俗な言い方をすれば、捨石、釣りで言えば”撒き餌”です。
 ということで、もっと戦術的な意味をいえば、囮作戦ということです。
 相手が小さな勝利や利益を得ている隙に、こちらが大きな勝利、ないし、大きな利益を得るための行動を起こすというわけです。

 孫子においては、なんと、損失をこうむったことによる利益も考えるのが智者であるとも記されています。
 逆に、指導者として能力の無い指導者は、局部的な損失に目を奪われやすく、その隙に他のことで受ける損失を回避できなくなってしまうということもいえます。
 良い指導者というものは、損失を受けたとしても、損失を拡大させないどころか、その損失を利用して利益に結び付けられるかどうかが重要になってくるということです。


 さて、ではこの「李代桃僵」現代において、どんな利用方法があるのでしょうか?
 実は、やり方次第では、世の中のすべての争いをなくせる可能性を秘めた策なのです。
 現代人の多くは、お金というものさしですべて計算することになれきっていて、すべてが「桃」のように錯覚してしまいます。
 が、しかし、まったく損をすることなく生活するなどありえないことは、自明といえるでしょう。
 そこで、自分自身の価値観の中において「桃」と「李」をせっていします。
 「桃」は、どうしても譲れないもの。
 「李」は、譲っても良いもの。
 すると、一気に気がらくになります。
 別段、ゆずれるもはどんどん譲ればいいのです。
 それは損ではありません。最初から譲るつもりなのですから。
 そのかわり、譲れないものに、全力を尽くすのです。
 ある人にとっても「桃」だからといって、他の人にとって「桃」であることは稀です。
 むしろ、ある人にとって「李」であって、他の人にとって「桃」である事の方がおおいのです。となれば、争うことなく、その人にとっての「桃」が手に入ります。
 現代社会は、貨幣システムによって、個人の価値観を無視して、なんでも貨幣というものさしを用いて、すべてを「桃」だと錯覚させてしまいます。
 その錯覚は、多くの争いを生みます。
 その錯覚をなくす策こそが、「李代桃僵」です。

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