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おとこ

 男は入社以来20年遅刻する事も無く、いつものようにキュ、
とネクタイを締めて、鏡を見た。鏡に映った彼は40代に入ろう
としている壮年の紳士だ。適度に顔に刻まれた皺は、渋さを感じ
る女性もいる。
男はいつものように、スーツを着て、家を出た。背筋を伸ばし、
規則的な歩行は彼のまじめさを表現している。
実際、彼の規律正しく、かつリズミカルな歩行によってこの20
年、あるいは約7300日あるいは、あるいは17520時間、あるいは
10512000分…おっとこれ以上計算すると私の8桁の電算機が桁あ
ふれするので精確にはわからないが、彼にはきっと分かるだろ
う。
それもそのはず、彼は本日を持って20年目皆勤賞および、課長
補佐に昇進する事になっているのだヾ(@^▽^@)ノ
彼の鉄仮面を思わせる硬い表情の裏側には、だらしない笑みが浮
かべられていた。
彼はいつもどおりに満員電車に乗った。いつものポジション
につこうとした。しかし、すでにそこには3人の女子高生がい
た。
彼は戸惑った。日本人女子高生のはずなのだが、風が吹けばめく
れてしまいそうな短いスカートからのぞかせる初々しい足は、男
性にとっては禁断の果実に近いものがある。なによりも、彼女達
の輝かんばかりの若さは、それだけで美を感じさせる。
だが、それは顔の肌の色だけが黒く、宇宙人のように銀色に光っ
た瞼が閉じると、「宇宙人のよう」という直喩が比喩ではなく
なってしまう。
彼は思った。
 ば、ばかな! なぜこの時間帯にあんな不真面目そうな女子高生が
私の聖地とも言えるあの地にいるのだ!
 家庭ではさげすまれ、職場では上司にたたかれ、部下に心の底
では馬鹿にされ、同期にすらまじめすぎるとあきれられた私が
やっと手に入れた安息の地。満員電車の中で周りの人間を横目に
電車の壁に寄りかかれるあの聖地。それが、あんな小娘ごときに
…、な、なんだあの小娘どもめ、なにをこの私を見ておる。ふ、
所詮小娘。私のダンディーな魅力にとりこになったか?
 な、なに。小娘、私の手をにぎるな。
 ばかな、よせ、なんだその笑みは…。
 さっきまで、黒いだけの銀色の瞳の宇宙人だったはずなのに、
なぜ表情一つで、それほど妖艶な女性に変化できるのだ。ま、ま
さか、これは援助交際の逆で私を誘っているのか?
 ば、ばかな。そんなはずはない。だ、だが万が一、いや、億が
一、もしかするとこれは千載一遇のチャンスかもしれない。
 ふん、億が一の可能性なのに、千載一遇もヘンな気はするが、
だがしかし、いやいや、まさか。
 うおおおおお。お嬢さん、男はみんな狼なんだぞ。それをおし
えてやろうか?
 いやいや、私は何を考えているんだ。そ、そうだ。まじめすぎ
る私をからかっているに、ち・が・い・な・い。
 あ、だめだ。私がこれまで築き上げたものが頭の中で崩れてい
く…。

「ふ〜ん。で、それが言い訳?」
 駅の近くの交番で、男は調書を取られていた。
「まぁ、とりあえず、報告書に書いておくけどね。
しかし、あんたも運が悪いねぇ。本物の女子高生なら諦めがつく
んだろうけどね」
「え?」
「いや、男が男に痴漢しても訴えられれば痴漢ってこと」
 その時、彼の思考はシャットダウンした。

 おしまい


2000年7月1日 呟き尾形作

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