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いのち

 新聞は私達を名指しで批判している。
「進みすぎた科学は生命倫理を脅かす」という見出しのついた新聞記事。
「医療技術が進んだ現在では、臓器移植の技術が進んでいる。しかし、人類はあらたな
に突き当たる。移植された臓器は、人体から見ると異物であるため、拒否反応を示すの
である。
 そのため、臓器移植を行うのは可能な限り近い血縁の人間の物が良いとされている。
実際、兄弟であれば、臓器移植後の拒否反応は少ないとされている。これはれっきとし
た事実であるが、これを利用して、臓器移植の為に、新たに子供を作った夫婦がいる。
この夫婦の行為は、一人の人間を救うために、もう一つの人間を作り出すという倫理を
忘れたエゴ丸出しの行為ではないだろうか?」
 この新聞の主張になんら間違いは無い。しかし、妻は言う。
「自分の子供を救う可能性があるならどんな手段だってとるわ」
 そうだ。新聞は第3者である。所詮他人事である。私の直面している掛け替えの無い
存在の死、つまり二人称の死ではなく、その人間が死んでも変わりはいくらでもいる存
在の死、つまり、三人称の死であるから、私達の行為を、"倫理を忘れたエゴ丸出しの
行為"と称するのだ。
 私はこの決断を下す前に、牧師に相談した。牧師は言う。
「そのような決断は、サタンのささやきです。祈りなさい、きっと主に祈りが通じるはずで
す」
 馬鹿な。祈り如きで救えるのなら、子供はとっくに助かっている。なにより、主がそ
んな病気にするわけが無い。
 この決断を下した時、医者は言った。
「私は医者です。患者の命を救うためにできる限りの事をしましょう」
 他にも様々な人間に相談した。
"無駄だ無駄た。そんなに長生きさせてなんになる。
苦しみを長くさせるだけじゃないか"
 違う、そうじゃない。苦しみがあるからこそ、生きる価値があるのではないか。
"産まれてから意思決定できないあなたの2番目のお子さんになんと言って臓器を提供さ
せるのですか?"
 彼は、これから産まれてくる私達の子供を既に道具としか思っていないようだ。話に
ならない。
"子供は二人の愛の結晶のはず。それをエゴイスティックな目的で産まれてくるなんて、
その子が不幸になるんじゃなくて?"
 彼女は私達がこれから生まれてくる子供を愛さないと決め付けている。そんなことは
ない。これから生まれる子供だって、愛している。
"それは、君、クローン人間を作ろうとする科学者と同じ発想じゃよ。臓器のスペアを作
り出すために、クローンを作り出す。変に人権を持つ存在を作り出すだけ、君の方がた
ちが悪いと思うがのう"
 そうかもしれない。
 ただ、単なる親としてのエゴなら、これだけの批判を甘受はしない。私がこの決断を
下したのは、娘の世間のすすけた色眼鏡のくもりを洗い流すような涙。そして、弱々し
い声の中にある力強い意思のこもった一言だった。
「お父さん。…私…死にたくない」

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