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MOON LIGHT

 夏の夜空に浮かぶ月は、演劇の舞台を照らすスポットライトのように、俺と
亜由美を蒼く包み込む。
 より速く走るために邪魔になるといって入部当初長かった澄んだ湖の水のよ
うな髪を切った切った亜由美は、端整な容姿をより魅力的にさせた。
「鈴木先輩・・・私・・・」
 亜由美はそのまま俺の胸に飛び込んできた。
 さっきまで練習していたせいか、亜由美の体から熱を感じる。その熱に乗
り、ほんのり香る甘い香。
 俺はその瞬間、亜由美の全てがいとおしく感じ、亜由美のかすかな震えを止
めるように強く抱きしめた。
 俺は亜由美のことをどう想っていたんだ?
 ・・・可愛い後輩。
 俺は亜由美のことが好きなのか?
 ・・・嫌いじゃない。むしろ好きだ。
 俺は、どうすればいいんだ?
 ・・・分からない。
 そんな思いが頭を横切ったとき、亜由美は俺の胸に顔をうずめてさっき詰ま
っていえなかったであろう台詞が聞こえてくる。
「鈴木先輩のことが好きです。出遭ったときからずっと」
 亜由美の想いをこめた言葉にどう対処していいのか分からず、俺は今にも壊
れそうな亜由美をさらに強く抱きしめた。
 薄暗い電気の消えた二人きりの教室。
 亜由美の告白が魔法の言葉のように響いた後は、教室は蒼く染められ、月明
かりだけが存在する。
 この光景を3階の窓の外から見ることが出来たのなら、きっと、俺たちは彫
刻のように見えるのだろう。
 そんな風に考えられる俺はきっと心に余裕があるのだろうが、固まった動か
ない、俺のもののはずの腕も口も、石化してしまったかのように動かない。
 ただひたすら激しく動いているのは、心臓だけである。それだけが、今の時
が現実であることを証明してくれている。
 なるほど。人は脳で考えるが、昔の人は心は胸にあると考えたのが今なら分
かるような気がする。考えることとは裏腹に、心臓は心で感じたことだけに忠
実だから。
 そんな、止まった時の殻を破ったのは、ほかならぬ、魔法をかけた亜由美だ
った。亜由美は歓喜の涙をそのままにまぶたを閉じて俺を見上げる。
 月明かりに照らされて、蒼一色だったはずの教室に、亜由美の唇だけが赤く
見えてしまう。
 その時、俺は亜由美に対して罪悪感を感じてしまった。
 俺は”今”の亜由美の全てをいとおしく感じているだけに過ぎない。
 そして、その”今”ですらあの女性のことを想いつづけているのだから。

 あの日。今日のような蒼い月明かりに照らされて、あの女性と俺は閉園した
動物園で、唇を重ねあった。
 穢れなど一切存在せず、純粋に雄と雌として。
 
 近藤麗。
 陸上部の顧問であり、保健の教師である女性。
 彼女の白衣はピアな天使を連想させるが、真紅の唇は、男に全く異なるもの
を本能的に感じさせていた。
 彼女は、思春期の男たちを猛獣使いが猛獣を手懐けるよう扱い、俺と一線を
越えるまでは、男性には手さえ触れさせなかった。
「郁夫君。
 あなた、まだ本気で女性を好きになったことなんて無いでしょう?」
 彼女の突然の問いに戸惑い言葉を失う。
「今まではそうでしたけど、今は違います」
 俺は彼女に何かを伝えたくて、必死に反論する。
「いいえ、本気で異性を好きになるのはもっと違うことなの」
 彼女はそう言ってから、言葉ではなく、涙で語った。
 俺は皮肉にも初恋が始まった。
 そう。俺は彼女だけに恋をしている。

 世界にいる。無数の女性の中でたった一人。

 今、俺の腕の中には彼女ではない女性がいる。
 なぜ、彼女は俺でなく。俺は彼女で、亜由美は俺を好きになる?
 いっそ、適わぬ恋なら亜由美でもいいんじゃないか?
 世界には、異性なんて腐るほどいるじゃないか・・・。
 誰でもいいじゃないか・・・。
 そう考えたとき。俺は一つの結論がでた。

「ごめん。彩城。おまえの気持ちには応えられない。
俺、本気で好きな女性(ひと)がいるんだ・・・」
 こみ上げる罪悪感を押しのけて、誠実だが残酷な言葉を告げる。
 亜由美は言葉を失うが、そのまま「いいんです。私・・・。
 でも、待ってます」
 亜由美はそのまま風のように走り去る。
 今の俺には亜由美の気持ちが手にとるように理解でき、そして、俺が恋する
あの女性(ひと)の気持ちも理解できた。
 

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