ホーム > 目次 > 小説 > トレーニング 


テーマ「哀しみ」

-----------------------------

 
 まぶしいくらいのスポットライトが、ブランドスーツに身を包む大高森を照
らす。
 その隣には、売れっ子のニュースキャスターがいた。
 大高森 日明。
 ゆったりとした肉質の丸い顔立ちが、やさしげな印象を与える。
 顔の特徴といえば、顎は角張って重々しいところと、丸い鼻。
 独特の癖毛が、大高森が今話題のIT企業の社長であること疑わせた。
「こんばんわ。大高森さん。稲盛日明です」
「同じ名前なんですよね」
 大高森は人懐っこい笑顔と声で言った。
「そうなんですよ。だから、他人とは思えません」
 稲盛は、苦笑しながら応える。
 このインタビューは、大高森がいだくIT国家構想について聞き出すこと
だった。
 IT国家構想とは、現在存在する行政、立法、司法とはまったく別に、国
民であれば、誰でも参加できる議会を設立し、バーチャル行政、バーチャル
国会、バーチャル裁判を行い、それぞれの結果を関係者に送信、およびイン
ターネットとマスメディアにおいて公表するという構想である。
 もちろん、それぞれのバーチャル行政、バーチャル国会、バーチャル裁判
で出た結果は法的拘束力は存在しない。
 だが、具体的に国民直接会議によって出した結果を内閣、国会議員、裁判
官および、国民にしらしめ、現実と国民の声の差異を知らしめることは、大
きな意味があった。
 IT国家によって得られた結論と現実の国家の結論が比較されるのだから、
へたな世論よりも意識せねばならないものになる。
 なにより、国民が誰でも参加できるということから、他人事であったことが、
他人事ではなくなったため、いわゆる国民の政治ばなれの大きな対策として注
目を浴びていた。
 稲盛は具体的に大高森のIT国家構想について質問し、大高森は懇切丁寧に、
分かりやすく、そして、その方法が抱えている問題点とリスクについて説明し
ていった。
 しかし、稲盛は、このインタビューで聞き出そうとしているのは、大高森が、
山師であるかどうをこの番組で明らかにすることであった。
 稲盛は、人間が、信頼に値するかどうか、誠実であるかどうかは、理性によっ
て造られた仮面ではない。と考えている。
 むしろ、理性的でない側面、たとえば、その人間が感情的になったときどの
ような言動をとるかが、その人間の信頼性をはかることができるのだ。
 つまり、ホンネとタテマエのホンネの部分を聞き出すのがジャーナリズム
である。
 というのが稲盛の信念である。
 信念とは正しいかどうかが問題ではない。信念を持ち続けることが出来るかど
うかが信念の価値である。
 そこで、稲盛は火蓋を切った。
 事前の打ち合わせに無い質問をしたのだ。
「ところで、大高森さんは、多くの失敗をされていますね」
 一瞬、大高森は眉をしかめ「どういう意味ですか?」と反問する。
「いえ、一番最近では、個人情報流出疑惑があります。
 また、不倫疑惑がありますが、どれも否定も肯定もされていない」
「ああ、その件は、既に申し上げているとおり、ノーコメントです」
「それは、各疑惑があることを認めているということですね?」
「ノーコメントです」
「どういう意味ですか?」
「貴方は、ニュースキャスターというご職業をなされています。
 ならば、言葉のプロでもあるはずです。
 一度、ノーコメントの意味を確認されないと、プロとして恥をかきますよ」
 重厚で低音の声が、稲盛を貫く。
 ノーコメント。
 意見、評論や事情の説明、理由などの問いに対して返答しないことである。
 ノーコメントの意味を正しく知っているものには、稲盛は、ニュースキャス
ターとして、醜態を見せたことになる。
「で、では、なぜ、説明されないのですか?」
「恥をかきたいようですね。
 大変残念ながら、貴方は、推測の裏づけをすることなく、無責任な発言をさ
れる。
 それは、真実や事実を伝えることを理念とするジャーナリストにとって、大
変恥ずかしい行為であることを、貴方は自覚されていない。
 もし、一流のジャーナリストなら、インタビューと裏づけ調査によって、事
実という積み重ねからあぶりだされる真実を導き出します。
 二流ジャーナリストは、当事者のインタビューのみで物事を判断します。
だから、ノーコメントから何も導き出せない。
 裏づけ調査という下積みをしないからです。
 三流ジャーナリストは最悪です。ノーコメントから、なんら根拠も無い、自
らの妄想を当てはめます。
 つまり、そうした、ジャーナリストとしてのプライドを持っていない三流
ジャーナリストにコメントしても、真実も事実も浮かび上がらないというわけ
です。
 そうした三流ジャーナリストにコメントすれば、事実どころか、コメントを
拡大解釈した、虚偽の記事や発言を公表されてしまいます。
 ジャーナリストは真実や事実を伝えるべきでしょうが、虚偽を伝えては本末
転倒もよいところでしょう。
 これでは、読者に迷惑をかけてしまいます」
 大高森の返答に、稲盛は顔を真っ赤にしながら、質問をする。
「それでは、大高森さん、貴方は多くの失敗をされていますね。
 いや、裏切られたというべきか。
 売り上げ持ち逃げ事件、産業スパイ事件、社員大量引き抜き事件、提携企業
の裏切り騒動など、大高森さん。貴方の事業には絶えず、裏切りがあります。
 どれも、信頼のおける社員によるものだと裏付けはできている情報です」
 稲盛の声は、自分は断じて三流ジャーナリストではない。という意図が含ま
れた声だった。
「どれも、解決積みの問題ですし、もちろん、私の監督不行きです」
 大高森は、素直に認めた。
「その責任はどのようにとられたのですか?」
 と、稲盛は鬼の首をとったり、といわんばかりの表情で言う。
「各問題については、各当事者間で話し合いによって解決しています。
 そして、再発防止の対策を立てていますし、事実、再発していません。
 責任をとる。というのは、対象の後始末をするということです」
「どの事件も、大高森さん、あなたが人を、安易に信頼しすぎるのだという意
見を聞きますが」
 稲盛は、眉を吊り上げて、感情を抑えつけるような声で反問した。
「邪推です。むしろ、裏切ったのは人ではなく、お金でしょう」
 稲盛は首をかしげた。お金は裏切らないという意見はよく聞くが、お金が人
を裏切るという意見は、稲盛自身は聞いたことがないからだ。
 しばしの沈黙。
 そして、大高森が言葉を続けた。
「いいですか。お金は裏切らないという主張をする人がいますが、お金は持っ
ているだけで、カネの亡者を呼び寄せます。
 また、人間の心を常にそそのかし、冷静で良識ある判断力を低下させます。
 さらにいえば、様々な事件の動機にすらなります。
 人が裏切るとき、その多くの背後にお金の存在があります。
 何より、お金によって、大切なものを無理矢理買収されることだってありま
す。
 なんとも哀しい現実です」
「哀しい? では、大高森さん、私は、貴方が強く、哀しまれていることのな
かに、売り上げ持ち逃げ事件、産業スパイ事件、社員大量引き抜き事件、提携
企業の裏切り騒動があると思いますがいかがですか?」
「どもれ、哀しいことではありません。
 貴方があげられたことは、私の失敗であることは事実ですが、失敗は哀しむ
ことではありません。
 失敗は学ぶものです」
「では、失敗してよかったと?」稲盛は苛立たしげな声で質問する。
「そうした、極論でしか判断できない想像力の無さは、ジャーナリストとして
は、哀しいことですね。
 なにより、結果がよければよいことと言う刹那的な考えは、失敗の原因です」
「大高森さん。私は貴方のことがよく分からなくなりました。
 でも、一つ、これだけは質問させてください。
 大高森さん、貴方がもっとも哀しかったことは何ですか?」
 稲盛がその質問をしたとき、そこで時間切れになった。稲盛はカメラがとまっ
ても、そのまま大高森の目をみていた。
「そうですね。
 まぁ、いきつけの店で、オフレコということなら応えますよ」
「ジャーナリストのプライドにかけて」
「その言葉。信頼しますよ」
 大高森は握手を求め、稲盛はそれに応じた。

 そして、戦場を最寄の駅の近くにある屋台に変えた。
 稲盛は拍子抜けしたように大高森を見るが、たしかに癖毛の大高森には、お
似合いの場所である。納得できるような出来ないような感情が稲盛に言葉を失
わせた。
 大高森は、そんな稲盛を無視して、雑踏を背中に、話を始める。
「いろいろ哀しいことはありました。
 交際していた相手が、実は二股をしていたり、友人の連帯保証人になったら、
友人がそのまま逃げたことがありましてね」
「まさか、その友人は、その上、売り上げ・・・」
「そこは、その友人の名誉にかけて、ノーコメントにさせてください」
 大高森は、稲盛の言葉をさえぎり、話を続ける。
「その、本人は、本気で借金を返そうとしたのです。だからといって・・・。
 ・・・私の責任です・・・
 そうそう、結婚詐欺にあいかけたこともありました。恥ずかしながら、その
相手に本気になっていたんですよ。私は」大高森は苦笑しながら続ける「他に
も、部下にわざと偽の情報を渡されたことがありましたね。あれは哀しかった。
 私を嫉妬する上司がやらせたことなんですけどね。そうそう、その上司は、
会社の役員の御曹司でしてね。まぁ、仕事やらなにやらでいろいろ対立はして
いたんですけどね。
 なににしろ、おかげで、仕事で大失態をしてしまいました」
「それが・・・産業スパイ事件では・・・」
「ええ、産業スパイ事件そのものは、悲しくありませんでしたが、信頼してい
た部下が、わざと嘘の情報を流したということがとても哀しくてね。
 そして、その上司が私の部下になると・・・」
「社員大量引き抜き事件・・・」
「ええ、人材はIT企業にとって、大きな財産です。
 でも、まさか企業のマイナスになるようなことを、やるとはおもいませんで
した」
「そうか、貴方が社長に就任したことに対する嫉妬が動機になったことが哀し
かったんですね」
「当たらずとも遠からずです。
 哀しみという感情は、非常に主観的です。客観的にはわかりっこないものです」
 
「じゃ、じゃぁ、提携企業の裏切り行為は・・・」
「あれは、仕方ありません、契約直後に、役員会で反乱があったんですからね」
「まさか、その反乱をおこした人と言うのは・・・」
「元、私の上司ですよ。まったく、哀しいことです」
「では、それがもっとも哀しいことですか?」
「いいえ、むしろ、その哀しみに耐えられるくらい、死にたいくらい哀しいこと
がありましてね。
 中学生のころでした。
 当時、部活でイジメがありましてね。部活がイジメの場だったわけです。
 まぁ、結局、一人の男が、一人の生徒をいびっていたのが、やがて部活全体の
イジメになったというのが経緯です」
「一人の男?」
「一人の男といったのは、生徒じゃなくて、教師だったんですよ。
 生徒をイジメるなんて、教師としては最低ですが、どうも有能な人間だったら
しいですよ。
 まぁ、多くの人は、能力と人間性は比例するものと思いたいのでしょうが、能
力と人間性は比例しないんでしょうね」
「・・・」
「そして、生徒にとって、教師は絶対の権力者ですから逆らうことなどできるわ
けもありません。
 でも、半分の部員はそれをやることに抵抗を感じていました」
「じゃぁ、残りの半分の部員は」
「楽しんでいたようですよ。なにせ、教師からイジメをしても良いという免罪符
を得た訳ですからね。
 免罪符をもらった人間ほど、邪悪で凶悪な動物はいませんね。実際」
「大高森さんは抵抗を感じていた?」
「いや、楽しんでいましたよ。最初はね」
 稲盛は信じられないという目で大高森の目をにらみつける。
 稲盛は、大高森が偽善者であると確信しようとしたが、大高森の視線がどこ
でもない、いつでもない場所を見ていることを感じ取った。
 稲盛は、大高森がむしろ、常に正直でい続けることが信念であるということを
感じ取った。
 正直であり続けるということは、どんな現実をも認めることである。
 そして、イジメを楽しんでいた。という受け入れがたい現実を受け入れる覚悟
がそこにあったことを稲盛は感じ取る。
 そして、稲盛と大高森のけっして公開されることのないインタビューは続く。
「イジメというのはね。
 たしかに、不道徳な行為ですが、あれはあれでやってみると楽しいものです。
 もちろん、個人の楽しみのために、いじめるというのは、悪い事です。
 ただ、楽しい事が必ずしも道徳的なことだとはかぎらないし、楽しいからと
いって、やっていい事だとはいいません」
 稲盛は大高森の事実は事実として捉える覚悟と、それを支える柔軟的な思考に
驚いた。
 一般に、善悪と苦楽は一致するのだと思い込まれている。つまり善であれば、
楽であり、悪であれば苦しいことでなければいけないということだ。
 が、大高森は違う。善悪と苦楽は必ずしも一致しない。
 いや、むしろ、善と苦、悪と楽が一致することが哀しい事なのだ。
 という自覚を持っているのだ。
「でも、段々、その楽しみに飽きると、自分のやっている現実が理解できるも
のです。
 思春期というのは、幻想と現実の狭間にいるような精神状態なのです。
 だから、楽しんでいるうちは、現実も忘れてしまう。でも、楽しみが楽しみ
じゃなくなるとき、現実が見えてくるものです。
 でも、庇うことはできませんでした。
 当然です。自分がイジメていた人間を、イジメからかばうなどということは、
偽善です。そして、なにより、その生徒を庇うということは、自分がイジメの
ターゲットになることを意味しているのです。
 でも、私は、イジメていた生徒をかばいました。
 その生徒は泣いて感謝してましたよ。”一生この恩は忘れない”とか言って
ましたけどね。次の日から、私がイジメの対象でした。
 そして、人生で、もっとも哀しかった瞬間がその時でした。
 かばった生徒が、昨日の言葉など忘れて、私をイジメるがわになっていたの
です。
 その生徒は、当然、抵抗しましたが、再びイジメられるという恐怖に耐えら
れなかったのです。
 その姿がとても、惨めでね。
 イジメの暴力より、心が痛めつけられましたよ。
 自分の心を裏切るという哀しみに触れてね」
「それで・・・どうなったのですか?」
「それ以来、ずっとイジメられましたが、まぁ、所詮中学校の部活です。
 その時は、一生イジメられるんじゃないかと不安もありましたが、それは、
錯覚でした。中学生活なんて終わってしまえば、短くて、狭いものです。
 まぁ、どうやら、その教師は部活でのイジメが発覚して、そのまま解雇され
たようですがね。とはいいつつも、その教師は実は、ある会社の役員の御曹司
だったらしく、簡単にある企業に入社できたそうです。
 さっき言ったとおり、能力と人間性は比例するものではないのです」
「まってください。その教師の名はまさか・・・」
「ノーコメントです」
 大高森は哀しく微笑んだ。

-----------------------------







★★★

 喜怒哀楽をテーマとしたトレーニングの哀がテーマです。
 喜怒哀楽の哀は、なぜ、哀の感じがつかわれているのか。
 と考えたときに、哀れむの哀だということに気がつき、今回のトレーニングの
構想が出てきました。

 トレーニングとはいいつつも、ちょっと欲張って、マスメディア批判とイジメ
の個人的な見解を一緒に入れた部分は、読者が混乱しはしないか、小説として必
要であったかどうかについては、いまだに迷っています。

 IT国家構想は、最初のインパクトと、最後のシーンの意外性のためのカラク
リのつもりであとづけでつけてみました。



 


 

 

 

 呟き尾形 2006年1月8日 アップ
呟き尾形 2014年2月23日 修正

タイトルへ戻る