ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学手記 > 哲学のキッカケ(名言集)のタイトルへ

哲学のキッカケ(名言集 5)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

 

 

  1. ・ 男は強くなければ生きていけない 。
     
  2. ・ 結婚を決意するときに自問する事 。 
     
  3. ・自分のなすべき正当なことのみを行なえ  。 
     
  4. ・想像力は、知識より重要である  。
     
  5. ・過失を弁解するべからず  。 
     
  6. ・ 恋は盲目。 
     
  7. ・本物の変化  。 
     
  8. ・悲しいときには悲しめ 。 
     
  9. ・心身一体 。 
     
  10. ・迷ったとき、どうするか。
     
  11. ・高慢は常に破滅の一歩手前で現れる 。 
     
  12. ・過ぎた事は、悲しむ事はない 。 
     
  13. ・ 長所は短所 。 
     
  14. ・ 敵とは何か? 。 
     
  15. ・やってみなけりゃわからない。 。 
     
  16. ・小さな仕事も全力で 。 
     
  17. ・求められる前に忠告するな 。 
     
  18. ・変化に抵抗してはなりません  。  
     
  19. ・まず、他人との比較をやめなさい。 
     
  20. ・ 改革は、まず自己改革から。 
     
  21. ・ 誰も称賛しなくとも・・・ 。  
     
  22. ・子育ての目的と母の義務  。  
     
  23. ・達成するとは何か? 。
     
  24. ・ 幸福に暮らすには・・・ 。  
  25. ・ 一個の人間の持つ可能性  。  
  26. ・  自然とともに生きよう  。  

 

 

ちょっと宣伝
★★★
 みんなで気軽に哲学を語ろうというメーリングリストです。
 詳しくはこちら→みんなで哲学を語ろう 

 参加ご希望の場合はこちら↓
みんなで哲学を語ろう に入ろう!! [MLの詳細]
メールアドレス


呟き尾形の哲学講座(メールマガジン登録)

電子メールアドレス(半角):
メールマガジン解除

 

電子メールアドレス:

Powered by まぐまぐ

 

 


男は強くなければ生きていけない 
  

こんにちわ。呟き尾形です。

男は強くなければ生きていけない。
優しくなければ生きていく資格がない。
レイモンド・チャンドラー ―「プレイバック」―


 男女平等がささやかれるのが、最近の世論でしょうが、男という存在は、確かに、強さが求められます。
 いわゆる、男らしさです。

 それは、物理的な力であり、勇敢な行為であり、正しい言動であり、強い信念が、オスである。という理由で、他者から求められます。

 そして、たしかに、オスであれば、強くなければ生きていけません。
 しかし、生きていくだけが人間ではありません。
 人は、人間らしく生きていくことを強く望むでしょう。

 人間らしく生きていくためには、やさしさが必要です。
 そう、人間らしくいていく資格は、他者を思いやるやさしさが必要であるということです。

 


先頭に戻る

 

 

 

 


結婚を決意するときに自問する事 

こんにちわ。呟き尾形です。

結婚するときはこう自問せよ
年をとってもこの相手と会話ができるだろうか
そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ


―ニーチェ ―ドイツ哲学者―



 結婚とは、男女が運命を共にするということです。

 結婚を誓った仲とはいえ、その男女はもともとは、他人同士であることは自明です。

 それは、結婚の誓いをする時は、誓いをする時以上の時を二人で過ごすことになります。
 それは、長き時間を共にしても、会話できるかがとても重要になります。
 会話抜きに運命を共にすることは困難なことだからです。

 外見、収入、性格、価値観というものは、時と共に変化するものであり、そのとき判断できないものであり、むしろ、その後の結婚生活によって変わってくるものであるからです。

 

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 


自分のなすべき正当なことのみを行なえ 

こんにちわ。呟き尾形です。

 自分のなすべき正当なことのみを行なえ。
 そのほかのことはおのずからなされよう。 
(ゲーテ)


 正当な事とは、道理にかなった事です。

 自分自身がなすべきことであり、それを、道理にかなったことを行うということは、自分のできることを全力で行うということ他なりません。
 自分を成すべき事を全力で行うのは、まさに、道理にかなったことです。

 つまり、自分自身のなすべき正当なことを行えば、他の事に手が回りません。

 しかし、不思議と、全力で自分の成すべき事を行えば、そのほかの事もおのずからなされます。
 物事は、連鎖によって動いているからです。
 

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 


想像力は、知識より重要である 

こんにちわ。呟き尾形です。

「想像力は、知識より重要である」
─アインシュタイン


 知識とは、対象を知っていること、あるいは対象を理解していることです。
 言い換えれば、すでに知られている事を知っていることであり、それを理解していこととなります。
 知識は重要です。

 しかし、その知識をうまく利用させる知恵に変換させるものは、想像力です。

 想像力とは、頭の中で現実的でないことを含めて、頭の中で思い描く力であり、それは、既成概念に縛られることなく、まったく新しいものを創造する力になります。
 
 過去の情報のみに縛られて判断するということは、バックミラーだけを見て車を運転する事に等しい危険な行為です。
 私たちは、未だ知られていない未開の知識を求めるために、想像力を活用すべきであるといえるでしょう。

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 


過失を弁解するべからず 

こんにちわ。呟き尾形です。

過失の弁解をすると、その過失を目立たせる。
 
─シェイクスピア−

 弁解とは、とどのつまりは言い訳です。

 過失とは、不注意や怠慢から生じたミスです。

 つまり、本来、過失は弁解のしようがない。ということです。

 となれば、失敗した時は素直に認め、あとは黙って反省し、過失を繰り返さない創意工夫をされれば、過失は自然と帳消しになります。

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 


恋は盲目

こんにちわ。呟き尾形です。


恋人の欠点を美徳と思えないような者は恋しているとはいえない。

ゲーテ


 恋は盲目といわれますが、これは、恋をすれば、その人のすべてがよいとおもえるか

らです。

 つまり、「あばたもえくぼ」となるということです。

 もちろん、恋もさめれば、相手の欠点も目に付いてくるでしょう。

 でも、それを嘆いてはいけません。
 恋は、やがて恋愛になるものです。
 恋なくして、恋愛もありえない。ということですね。


 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 

 


本物の変化 

こんにちわ。呟き尾形です。

 本物の変化とは人が行うことであり、
 一時の変化は人が言うことである。

                   ― ドラッカー ―
                      (『ネクスト・ソサエティ』)


 言うは易し、行うは難し。
 ということわざがあります。
 これは、言うだけなら、なんでもないことだが、それを実行するのは、難しいものだ。
 という意味です。

 変化もまた、同じです。
 本物の変化、つまり、既存の状態が異なる性質に変わることです。

 一時的な変化は簡単です。しかし、本物の変化は難しく、覚悟と労力を必要とされるでしょう。


 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悲しいときには悲しめ 

こんにちわ。呟き尾形です。

 悲しいときには悲しめ。のべつ君のこころの見張りをするな。
 君のだいじないのちにかかわることもあるまい。
   ─エーリヒ・ケストナー(独 児童文学者)



 現代において、感情をコントロールすることは、是としています。
 しかし、しばしば、感情をコントロールするということは、感情を抑圧することであると勘違いされることがあります。

 しかし、感情をコントロールするということは、感情を使いこなすことであり、むしろ、悲しいときに、ありのままに悲しむ事こそが感情をコントロールすることです。

 自分自身の心を見張ることは、感情を抑圧する行為です。
 感情をコントロールするためには、自分の心を見張るのではなく、自分の心に正直になるべきでしょう。

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 


心身一体 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

「健康と快活さは、互いにつくりあうのである」
<ジョセフ・アディソン 政治家・イギリスの詩人・随筆家>


 健康とは、体や心がすこやかで、悪いところがないことです。
 快活とは、気持ちが明るく、元気なことです。

 つまり、健康であれば快活に過ごせるのは必然です。
 同時に、快活に過ごすためには健康でなければ、不可能であると言うことです。

 健康になるためには、十分な睡眠と、体が欲している食物を食べること。
 そして、適度な運動です。

 過度な睡眠と、体を無視した暴飲暴食、運動不足は、体調を悪くする原因です。
 体調がよくなければ、気持ちも暗くなり、元気もでません。

 また、暗い気持ちと、元気がなければ、健康にもなりません。

 心身は別なものではなく、同じものであり、お互いにつくりあうものです。


 

 

 

 

 

 

 

先頭に戻る

 


迷ったとき、どうするか

こんにちわ。呟き尾形です。

 こうしようか、ああしようか迷った時は、必ず積極的な方へいく。
─ ジェームス三木 ─ 


 
ある事に迷うということは、なかなか決断できないということです。

 では、なぜ、なかなか決断できないのでしょうか?

 大抵、迷う場合は、積極的な行動をしたいが、そのためには多くのリスクがあるために、決断できずにいます。

 つまり、積極的な行動を本当はしたいが、大きなリスクであるために、積極的な行動を選べないということです。

 この迷いの構造を理解すれば、理論的には積極的な行動を選択する方が、その人にとって、良い結果、正しい結果を生みやすいということです。
 たとえ失敗しても、その経験は次に役立ちます。

 消極的な方法は、所詮現状維持にすぎず、何の進歩も生みません。


 

 

 

 

 

 

 

先頭に戻る

 

 


高慢は常に破滅の一歩手前で現れる 

こんにちわ。呟き尾形です。

 高慢は常に破滅の一歩手前であらわれる。
 高慢になる人はもう勝負に負けている。
 ― ヒルティ ― (スイス哲学者)



 高慢とは、自分が優れていると思いこんで、他人を侮ることです。

 自分が優れていると思いこんでしまうと、努力を怠ります。

 他人を侮ると、油断が生じます。

 努力もせず、油断が生じ、スキだらけなら勝負に負けるのは必然です。

 まさに、高慢は、破滅の前触れと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

頭に戻る

 

 

 

 

 

 


過ぎた事は、悲しむ事はない 

こんにちわ。呟き尾形です。

  悲しむことはない。
  いまの状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ。
  ― ジャン・ポール・サルトル ―  (フランス哲学者)


 過ぎた事に対して、悲しむことそのものはどうしようもありません。

 しかし、悲しみ続ける事はありません。

 なぜなら、すでに起こった事を変えられるほど、人間は全能ではないからです。
 悲しみにふけるより、今、自分のできる事に最善を尽くすことが、あなたの願いをかなえるコツです。


 

 

 

 

 

 

先頭に戻る

 

 

 

 


長所は短所 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

 長所を伸ばせば、短所は味わいになる。
  ─ 太田典生(実業家)─


 長所とは、優れている点、よいところ、とりえ、美点のことです。
 しかし、長所は短所ということわざがあるように、長所ばかりに頼りすぎてしまうと、かえって失敗することがあります。
 これは、河童の川流れ、猿も木から落ちる、弘法も筆を誤る。などのことわざがあるとおりです。

 これらは、常に長所を過信する事が原因である場合が多いようです。

 しかし、長所を常に伸ばそうとするということは、長所に過信するということはなくなります。

 長所を伸ばそうとしているひとは、自分の短所について、自覚しています。なぜなら、長所を伸ばすこととは、自らの劣っているところ、不足しているところ、欠点を補う行為他ならないからです。
 その上で、長所を伸ばせば、短所は、その人の個性となり、すなわち、味わいとなります。

 

 

 

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 


敵とは何か?   

こんにちわ。呟き尾形です。

 汝の敵を愛するよりも汝の友をもう少しましに扱え。 
─ ハウ ─


 敵とは、共存し得ない存在です。
 共存し得ない理由としては、敵を滅ぼさなければ自分の身が危険にさらされるかだと言えるでしょう。

 しかし、本当に共存し得ないのか?
 そうではありません、視点を変えれば、敵はでなくなります。

 だからこそ、「何時の敵を愛せ」という言葉に重みが帯びてくるわけです。
 敵すらも愛せることができるなら、敵は敵でなくなるからです。

 ただ、敵を愛するという一見矛盾する大儀を前にすると、その人は、もっと大切な愛すべき友への思いやりを忘れてしまいがちです。
 敵を愛するために、友への感謝の気持ちがおろそかになるのでは、それは愛とはいえません。 

 敵を愛する度量があるなら、友への感謝の気持ちは忘れずに。

  

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 

 


やってみなけりゃわからない。 

こんにちわ。呟き尾形です。

 「美味とは食物そのものにあるのではなく味わう舌にあるものである。」
(ロック)

 私たちは、案外、美味は食物そのものにあるように倒錯してやいないでしょうか?

 たとえば、雑誌やテレビで取り上げられた店の料理は美味いという先入観のことです。

 食物は、食べてみなければ味はわかりません。

 他人の感想など、本当は一切あてになりません。
 他人がまずいとおもっても、自分は美味しいと感じるかもしれません。
 逆に、他人が美味しいとおもっていても、自分はまずいとかんじるかもしれません。
 はたまた、同じ食べ物であっても、そのときのおなかのすき具合で、美味しさもだいぶ変わってしまいます。

 このように、味覚とは、きわめて主観的なものであるということが言えるでしょう。

 つまり、美味は、食物そのものにあるのではなく、まさに、それを味わう舌にあるのだということが言えるでしょう。

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 


小さな仕事も全力で 

こんにちわ。呟き尾形です。

  一見大したことのない仕事でも、思い切って全力を注ぐことだ。
  仕事を一つ征服する毎に実力が増していく。
  小さい仕事を果たせる様になれば、大仕事の方はひとりでに片がつく。
 ― デール・カーネギー ― (アメリカ著述家)


 いきなり大きな成功をしようとしても、大きな失敗の原因になります。

 大きな成功は、小さな成功の積み重ねと、小さな失敗からの学習によってなされるものです。

 なにより、大きな失敗の対処の仕方は、小さな失敗の積み重ねから学ぶものです。

 見た目の成功にばかり目が行くと、虚栄ばかり追いかけて、実のない仕事ばかりしてしまいます。

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 


求められる前に忠告するな 

こんにちわ。呟き尾形です。


 「求められる前に忠告するな。」
(エラスムス)


 忠告とは心をこめて、過ちや欠点をいさめることです。

 それと同時に、忠告ほど耳にいたい言葉はありません。

 なぜなら、人は、自分の過ちや欠点を認めにくいものだからです。

 忠告は、受ける人の心の準備が必要だと言う事です。

 

 

先頭に戻

 

 

 

 

 

 

 

 


変化に抵抗してはなりません 

こんにちわ。呟き尾形です。


  人生とはその時々に自然に変化し、移りゆくものです。
  変化に抵抗してはなりません。それは悲しみを招くだけです。
 「老子」


 諸行無常という言葉があります。
 この世のすべてのもの(現象)は、変化、消滅して耐えない様子を言い表しています。

 人は、安定を求め、変化に抵抗しがちです。
 しかし、諸行無常の言葉通り、変化、消滅が必然です。
 それに逆らう事は愚かしい事です。
 なぜなら、おろかな行為は、悲しみを自分に招く行為と同意だからです。

 そのためには、いつまでも同じものはない。
 ということを自覚しなければなりません。
 すべては、いつ変化するかすらもわかりません。

 諸行無常であるからこそ、一期一会の精神ですごしたいものです。
 

 

先頭に戻る

 

 

 

 


まず、他人との比較をやめなさい

こんにちわ。呟き尾形です。

 人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、
 おのずからそこに一小天地が開けてくるものです。
 ― 森 信三 ― (『心魂にひびく言葉』)



 不平不満の根本原因は、比較にあります。
 比較さえしなければ、不平不満のほとんどはなくなります。

 また、不平不満を言っているときほど、自分の成すべき事をしていません。それでは、道が自然と閉ざされるのは当然と言えます。
 成すべき事をせず、道が開かれるはずも無いからです。

 だからこそ、他人の事よりも、まず、自分のやるべき事を徹する。

 なすべきことをしているならば、自然と道は開かれます。

 比較したところで道は遠のくばかりです。 

 

先頭に戻

 

 


改革は、まず自己改革から

こんにちわ。呟き尾形です。

   改革を実行するということは、
   まず改革にあたる者が、自分を変えることだ。
   自分を変えるということは、生き方を変えることだ。
   かなりの勇気がいる。
― 童門 冬二 ― (『小説上杉鷹山』)


 改革とは、基盤を維持しつつも、根本的な仕組みを、よりよく改めることです。

 それは、口で言うほど生易しいものではありません。

 なぜなら、改革を実行するためには、まず、自分自身を改革する必要があるからです。

 自分自身をよりよく改めると言う事は、既存の自分の価値観も変革せねばならず、つまり、自分の行き方を変えることになります。

 なぜ、自分自身を改革しなければならないのでしょう?

 それは、自分自身の改革をせずに、周りだけを改革しようとする改革は口だけの改革です。
 誰もそんな改革についてくるはずもありません。
 だからこそ、改革を成功させるためには、自分自身を改革する必要があるのです。



 

 

 

先頭に戻

 

 


誰も称賛しなくとも・・・ 

こんにちわ。呟き尾形です。


 誰も称賛してくれる者がいなくても自分のことは自身で称えよ。
― バートン ― (イギリス探検家)



 人が何かをするとき、もっとも基本的な動機は、それをしたいからです。

 探検、登山、スポーツなんでも、主体的にそれをしたいからです。

 もちろん、それをすることで、他人が称賛することもあるでしょう、他になにか得られるものがあるでしょう。

 しかし、他人の称賛は、所詮、付加価値です。
 それをしたいという動機に勝る事はありません。

 いつしか、他人の称賛が目的になるかもしれませんが、それでも動機は決して失われる事はないでしょう。
 なぜなら、したくなくなれば、それは、成功するはずも無く、できなくなるからです。

 他人が称賛することがなくとも、自分でそれをしたいのであれば、自らの実績を自ら称えることは、至極当然の事です。
 他人の声などどうでもいいのです。
 重要なのは、自分の素直な気持ちです。

 

先頭に戻

 

 


子育ての目的と母の義務 

こんにちわ。呟き尾形です。

  よりかかるべきひとではなく、よりかかることを不必要にさせるべきひと、
  それが母である。
 ─ D・C・フィッシャー ─


 母性とは、女性がもっているとされている、母親としての本能や性質のことで
す。母性愛などの言葉があるとおり、子供を守り育てようとする、母親の愛情で
す。

 そんな言葉の印象から、私たちは、ついつい甘える対象を母と思いがちです。

 しかし、子育てとは、子供から大人へ成長させることを目的です。
 つまり、親から自立させるためのものです。

 優しいだけの母ではなく、時には、厳しい母であることも、母としての責任ともいえるでしょう。
 優しいだけでは、いつまでたっても自立させることはできません。

 子供が親から自立する。それが真の成長であり、子育てにおける目的であるといえるでしょう。

 ところで、今回は母親の義務というタイトルがつきましたが、これは、父親に義務がない。ということではないのは、勘違いしないでくださいね。
 子供を自立させると言う意味では、母親よりも、むしろ父親の義務が重いといえますから。

 

先頭に戻

 

 


達成するとは何か? 

こんにちわ。呟き尾形です。

「勝っても負けても同じように振舞うことが出来れば、それは最高の
達成です。」
<クリス・エバート、女子テニスプレーヤー>



 勝負事であれば、目的は勝つ事です。
 しかし、勝つ事に執着してしまって、表面の勝ち負けだけにこだわってしまっては、なにも学べません。

 全力を出し切り、勝っても傲慢にならない。負けても不貞腐れない。
 それが大事であり、結果を、そのまま、受け入れる事が成長につながります。

 結果だけに目を奪われてしまって一喜一憂してしまっては、大事なものを見落としてしまいます。


 

先頭に戻

 

 


幸福に暮らすには・・・ 

こんにちわ。呟き尾形です。

  多くの人間は、他人のことにも自分自身のことにも気を使わなければ、
  さぞ幸福に暮らせることであろうに。
 ─リヒテンベルク「幸せ」


 幸せとは、よいめぐり合わせの事です。

 そして、なにが「よい」とするかは、本人が感じることあり、自分が決めることです。
 他人が、自分の「よい」を感じる事もできなければ、決める事はできません。
 同様に、自分が他人の「よい」を感じる事もできなければ、決める事はできません。
 しかし、他人との比較をしたとたんおかしな事がおこります。
 他人の幸せも、感じる事ができないはずなのに、自分の基準で決めてしまうということです。。
 もちろん、それはナンセンスなことです。

 また、自分は「こうあるべきだ」などの自分に義務を課すことは、自分が「よい」と感じている事すら打ち消してしまいます。
 同様に、他人のことばかり気にしていても、自分が「よい」と感じている事すら打ち消してしまいます。

 幸せとは、よい巡りあわせだと、満足した気持ちです。結果がどうあれ、満足したなら、それは幸せです。それを偽る必要はありません。
 幸福になりたければ、自分の感覚に素直である事。
 それにつきるのでしょう。


 

先頭に戻

 

 

 


一個の人間の持つ可能性 

こんにちわ。呟き尾形です。


 一個の人間の持つ可能性というものは、本人の常識レベルで考えているよりも、はるかに高いところにあるということを理解しなさい。

 ─マーフィー


 可能性とは、物事の実現する見込みのことです。
 それは、決して、本人の過去の実績を機軸とする常識だけでは推し量れる事はできません。

 なぜなら、過去から現在にいたるまで、確実に人は何らかの経験をしているため、過去よりも成長しているであろうと考えられるからです。

 人がどれだけ成長するかは、起こってもいない事ゆえ、知りようもありません。
 だからこそ、その人の可能性を完全に推し量る事はできません。

 ゆえに、人間の可能性とは、常識レベルで考えるよりも、はるかに高い可能性を秘めていることを理解せざるを得ません。

先頭に戻

 


自然とともに生きよう 

 こんにちわ。呟き尾形です。


 我々は自然を鑑賞する事ばかりが多く、
 自然とともに生きようとする事があまりに少ないように思われる。
 ― オスカー・ワイルド ― (イギリス作家)


 自然とは、あまりにも自明であり、この世界を秩序立てているものの総称です。
 つまり、私たちが存在している事そのものが自然であるということです。

 しかしながら、人は、自分自身と自然を切り分けて考え、自然を対象化して、鑑賞しようとしてしまいます。
 鑑賞とは、対象を味わい理解する事ですが、これが成立するためには、自らを対象とは別の存在であるという暗黙の前提を作り出してしまいます。

 それは、自然とともに行きようとする、ごく自然な意識をなくしてしまっている事他ならないようにおもえてなりません。



先頭に戻

 

 

 

 

 


xxx

 

 

先頭に戻る

 

 

 

 

 

 

 

 



xxxx

 

 

先頭に戻る

 


 

 

 

 

 

 

先頭に戻る

 

  

 

目次へ戻ろう(´0`)フウ いや、ホームかな?