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哲学のキッカケ(名言集 8)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・ 愛は幽霊のようなものだ  。
     
  2. ・ 達成すべきは、方法ではなく、目的です  。 
     
  3. ・ 昨日は読むもの 明日は書くもの  。 
     
  4. ・  五十になれば五十の縁  。
     
  5. ・  みんなで話し合う目的 。 
     
  6. ・ 勇敢な男は  。 
     
  7. ・ 困難に打ち負かされる   。 
     
  8. ・  信頼関係というものは  。 
     
  9. ・  幸せになるためには 。 
     
  10. ・ばい菌が病気ではない  。
     
  11. ・ 集中力とは  。 
     
  12. ・愛は行動であらわすもの 。 
     
  13. ・欺こうとするとは、欺かれやすくなる  。 
     
  14. ・愛情表現 。 
     
  15. ・ 子供は、論理的思考が苦手です  。 
     
  16. ・発見を妨げる最大の障害   。 
     
  17. ・真実を見つけた者は疑え 。 
     
  18. ・学べば学ぶほど  。  
     
  19. ・ 悩むのは、結論を出そうとあせっているから。 
     
  20. ・天から心を授かっているのは 。 
     
  21. ・人生が愛を返してくれる 。  
     
  22. ・寛大は正義の花である 。  
     
  23. ・時間はあなたの人生の貨幣である   。
     
  24. ・ 遊びは仕事の影 。  
  25. ・困難は解決するものだ 。  
  26. ・。  

 

 

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愛は幽霊のようなものだ 
  

こんにちわ。呟き尾形です。


真実の愛は幽霊のようなものだ。
誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない。
― ラ・ロシュフコー ―フランス作家―


 愛を見たことのある人はいません。
 そして、愛は、本人ですら、確認のしようのないものです。

 まさに、幽霊のように、確かめようとすれば消えてなくなります。

 愛も同じではないでしょうか?

 確かめようとすれば、愛は消え去ります。

 


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達成すべきは、方法ではなく、目的です 

こんにちわ。呟き尾形です。

克服できない障害を前にして頑固にふるまうのは、おろかなことだ。
 ─ シモーヌ・ド・ボーヴォワール ─(仏 哲学者)


 人間は、全知でも、全能でもありません。

 不可能な事は存在します。

 しかし、それは、方法が不可能なだけであって、目的が不可能であるというわけではありません。
 ですから、ある方法が不可能だからといって、目的をあきらめる必要はありません。

 つまり、方法にこだわって、目的をあきらめる事は、愚かしいことだといえるでしょう。
 方法にこだわることなく、目的にこだわるべきです。
 目的にこだわるということは、目的を絶対達成するという決意です。

 達成すべきは、方法ではなく、目的です。

 

 

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昨日は読むもの 明日は書くもの 

こんにちわ。呟き尾形です。

「昨日は読むもの 明日は書くもの」
(ザ ハイロウズ「夏の地図」)


 覆水盆に返らずという故事があります。
 一度、盆からこぼれた水は、再び盆に戻すことは出来ないことから、一度行われた事は、もう変えられないという意味です。
 その故事にあるように、昨日体験した事は、どうしようもありません。
 思い出すしかありません。
 それは、既に紙に書かれた文字のようなもので、白紙に戻すことは出来ません。
 つまり、昨日は読むものです。
 人は、いつしか、読むだけの昨日を都合よく書き換えてしまう事があります。
 それは、適切な行為ではないといえるでしょう。

 それに対して明日は、まだ行われていないことです。
 まさに、白い紙に何かを書く行為とよく似ています。
 人は、ついつい、未来の事を決め付けて、実行せずにあきらめてしまうことがあります。
 それは、適切な行為ではないといえるでしょう。

 適切なのは、昨日は読むもの 明日は書くものということです。
 

 

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五十になれば五十の縁 

こんにちわ。呟き尾形です。

五十になれば五十の縁。
 ─ ことわざ ─


 人はどうしても、ついつい、年齢を憂えてしまいます。
 しかし、年齢を憂える必要はありません。
 なぜならいつでもその年齢にふさわしい楽しい事、良い事、良い縁があるからです。

 

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みんなで話し合う目的 

こんにちわ。呟き尾形です。

みんなからの忠告に基づいて家を建てると、出来た家はいびつになる。
 ─ デンマークことわざ ─


 みんなの意見を聞くということは、すべての意見を反映させる事ではありません。
 また、民主的手段でもありません。
 なぜなら、みんなの意見を反映させて、総合すると、方向性の統一されない、変なものになってしまいます。
 それでは、本末転倒です。

 決断する人は、色々な人の意見を聞くのは、さまざまな考え方、視点を知るということであって、意見を他人に依存させて、意見を反映させることではないからです。

 結果的に、聞いた人の意見を反映しない決断をしたとします。
 それは、聞いた意見を考慮した決断であれば、それは、みんなの意見を聞かない。
 ということにはなりません。

 話し合いとは、みんなの意見を反映させることでも、一つの意見に絞り込むことでもありません。
 みんなで話し合う目的は、みんなで知恵を出し合って、よりよい結論を選択することです。
 目的を達成させるための手段であることを忘れてはいけません。

 

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勇敢な男は 

こんにちわ。呟き尾形です。

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。
 ― シラー ― (ドイツ作家)



 勇敢とは、物事を恐れることなく、勇気をもって行動することを指します。
 勇敢な行動とよく似ていて、まったく異なる行動があります。
 無謀な行動です。
 無謀とは、よく考えずに、乱暴に行動を起こすことです。
 そこに、利己的な心があっても、勇気は存在しません。

 人が勇気がもてるときは、相手を思いやる心を持ったときです。
 勇気とは、物事を恐れない強い心。その強い心は、思いやりの心に裏付けられているということだといえるでしょう。
 だからこそ、勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるといえるわけです。

 

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困難に打ち負かされる 

こんにちわ。呟き尾形です。

成功した人は、普通の人ならその困難に打ち負かされるところを、
反対に喜び勇んで体当たりしている。
 ― 松下 幸之助 ― (松下電器産業創業者)


 困難とは、簡単にはなしとげられないことでして、とどのつまりは、実現・実行が難しいということです。
 たしかに、普通、困難といわれるものについては、打ち負かされるものです。
 だから、普通の人は、なかなか成功しなないわけです。
 そして、困難であればあるほど、成功の価値が上がるわけです。

 成功した人の話を見聞きすると、「そりゃ、ダメでしょう」と思えるところを、むしろ、喜び勇んでいるところがあるのは確かにあります。
 それが、負けず嫌いなのか、やりがいがあると感じるのかはわかりません。
 しかし、成功するためには、困難は乗り越えなければできません。
 

 

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信頼関係というものは 

こんにちわ。呟き尾形です。

人間の信頼関係というものは、普段からくだらないことでも話し合うこと。
そういうところから少しずつ生まれてくるものである。
 ─ 森祗晶 ─ (元野球選手)



 信頼とは何か?
 対象に対して、疑わずに本当であると思い込み、対象に身をゆだねることです。

 人が相手を信頼しているとき、その人は、その相手の事をよく知っている事が多くあります。

 人間の信頼関係とは、何気ない日々の会話と行動こそ、根拠になっているということです。
 理屈ではありません。
 日々の言動と実績。これだけが信頼の根拠です。

 そうやって、積み重ねられたものが、信頼につながります。

 そうした意味でも、何気ない雑談も大切だといえるでしょう。

 

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幸せになるためには 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

 人間一人では生きられないが、頼れるのは自分自身であると思います。
 従って、幸せも他に求めるのではなく、自分に求めて行きたいものです。
 ― デール・カーネギー ―  (アメリカ文筆家)


 なんでもかんでも、一人でできるとは限りませんし、社会の一員である以上、自分だけの幸せを追求するわけにも行きません。
 しかしながら、自分が幸せであるかどうかがわかるのは、自分だけです。
 人は誰しも幸せになりたいと願います。
 そう考えるならば、各自が各自なりの幸せこそが人生の目的であるということがいえます。

 みながみな、同じ事柄が幸せであるのなら、他人に頼ることも出来るでしょうが、他人の幸せであるかどうかなど、わかるわけもなく、自分だけが自分が幸せであるかどうかがわかるわけです。

 となれば、幸せになるためには頼れるのは、誰でもない自分です。



 

 

 

 

 

 

 

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ばい菌が病気ではない 

こんにちわ。呟き尾形です。

ばい菌が病気ではない。その繁殖を許す体が病気だと知るべきだ。
 ─ 石橋湛山 ─ (政治家)



 私たちは、病原菌である、ばい菌こそが病気であると考えがちです。
 しかし、病気とは、心身に異常が起こり、不快や苦痛・悩みを感じ、通常の生活を営みにくくなる状態のことです。
 ばい菌が、病気なのではなく、ばい菌を繁殖させるからだが病気になってしまうということです。
 そもそも、健康な体ならば、たとえ、ばい菌が入ってきても、病気にはなりません。

 社会の問題も、その人の心の問題も問題の原因よりも、原因を問題にたってんさせる本体であるとしって、対策を練るべきだといえます。

 

 

 

 

 

 

 

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集中力とは 

こんにちわ。呟き尾形です。

みんなが勘違いしているのは、集中力というと力がはいって「やるんだやるんだ」
という状況だと思っているという点です。実は「やるんだやるんだ」という気持は
ヘンな力みを生むので必要ないんです。
 ─ 片山右近 ─ (レーサー)


 私たちは、どうしても集中力を意識すると、自分自身に「やるんだやるんだ」という、プレッシャーをかけることで、集中力を高めているような気になってしまいます。
 むしろ、そうした、プレッシャーは、集中力を散漫にさせます。

 集中力とは、精神的、物理的な要因に左右されること無く、意識する対象に対して、注意し続ける力だといえます。
 それならば、むしろ、必要なのは、意識する対象を観察、分析するぐらいの冷静さが必要だといえるでしょう。

 対象を、観察し、分析すれば、自信を持って、心の迷いなく、行動に移せます。
 それこそが、集中力をもった状態だといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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愛は行動であらわすもの 

こんにちわ。呟き尾形です。

愛は行動であらわすものです。

― マザー・テレサ ― カトリック修道女 ―


 愛とは、語るものではありません。
 口ではなく、態度で示すべきだといえるでしょう。
 なぜなら、愛の本質は、相手への思いやりの気持ちなのですから、行動に出ざるを得ないからです。

 

 

 

 

 

 

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欺こうとするとは、欺かれやすくなる 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

他人にあざむかれるもっとも確実な手段は、他人よりも自分のほうが
狡猾だと思うことである。
 ─ ラ・ロシュフコ ー「箴言集」



 欺くということは、相手を信頼させておいてだます。ということですが、欺かれるときはどうでしょう?
 だまされる。というよりは、自分が狡猾であると信じ込んで、自分の判断を信じて疑わないときではないでしょうか?
 狡猾であるということは、悪いことによく頭が働くのですが、案外、この悪い事は、自分だけのことしか視野にはいっておらず、むしろ、視野を狭くしてしまいます。
 すると、足りない情報は、自分自身の都合のよいように作り出してしまい、その結果、自分だけはダイジョウブだという隙を作ってしまいます。
 その隙こそ、欺かれる条件だということです。


 

 

 

 

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愛情表現   

こんにちわ。呟き尾形です。

母と子のスキンシップは、最大級の愛情表現であり、
温もりのある肌の触れ合いこそが、
母と子のきずなを強め、深くする基本となります。
  井深大 ―ソニー創業者―



 愛情とは、人や物に対して、心から大切に思うあたたかい気持ちのことです。
 ですから、人や物に対する態度が、自然と愛情となって現れてきます。
 母と子の愛情は、すなわち、温もりのある肌の触れ合いこそが、愛情表現だということです。

 私たちは、ついつい、愛情表現だというと、言葉で表現しがちです。

 しかし、愛情が、大切に思うあたたかい気持ちであるならば、言葉ではなくふれあいこそがもっとも適した表現だといえるでしょう。

 これは、母と子に限らず、父と子、兄弟、姉妹にも同じ事が言えると思います。
 とくに、家族の絆とは、そうしたものなのではないでしょうか?

  

 

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子供は、論理的思考が苦手です 

こんにちわ。呟き尾形です。

子供は大人のいうことを聞くのは得意じゃない。
だけどまねするのは抜群にうまい。
 ― ジェームズ・ボールドウィン ― (アメリカ作家)


 子供は、論理的思考が苦手です。
 それは、頭の良い悪いではなく、単純に脳をはじめとした、体の発達具合の問題です。

 ですから、大人の言う論理的な指示や注意は、得意ではありません。

 その代わり、みたものをそのまま真似することができます。

 だから、子供は大人の言う事を聞くよりも、真似をするのが上手いのです。

 もし、子供に言う事を聞かせたければ、口で言う事を実行することが最善だということです。



 

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発見を妨げる最大の障害 

こんにちわ。呟き尾形です。

発見を妨げる最大の障害は、無知ではなく、
知っていると錯覚することである。
 ― ダニエル・J・ブアスティン ― (アメリカ歴史家)


 発見とは、初めて見つけることです。
 なにかを見つけるためには、対象を意識しなければ見つけることができません。
 つまり、なにかを発見するためには、興味をもって、注意を払うことが重要です。

 人は、すでに知っていると思っていることには、興味をもちませんし、注意ももちません。

 一般に、発見するためには、さまざまな知識をもっていると思われがちです。
 そして、専門知識について無知であれば、発見などなおさらだと思われがちです。

 しかし、上述したとおり、発見するためには、対象に興味をもって、注意を払うことが重要なのに、知っていると思っていることには、興味を持たないし、注意も払いません。

 知っていると思っていること、すなわち、知っていると錯覚することが、発見を妨げる最大の障害だといえるでしょう。



 

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真実を見つけた者は疑え 



こんにちわ。呟き尾形です。


真実を探している者を信じよ。真実を見つけた者は疑え。
 ― アンドレ・ジイド ― (フランス作家)



 真実とは、うそいつわりのないことであり、それ故に、ほんとうのこと。
 ということがいえます。
 しかし、真実という言葉は、一つのパラドックスを抱えています。
 どのような事柄においても、言葉で表現したとき、必ず、現実において、言葉の対象外の現象、つまり、例外が生じるということです。
 なぜなら、言葉は、時間を求めてしまうからです。
 しかし、時間は流れ続けます。

 真実という言葉も例外ではありません。
 その時、その瞬間、うそいつわりがなく、ほんとうのことであっても、時間が流れてしまえば、例外が生じます。
 すると、ほんとうの事である以上、例外が発生してしまっては、それはほんとうのことではありません。
 真実という言葉の意味をしっかり理解している人ほど、真実は見つけるものではなく、永遠に探し続けるものだという事を知っているし、態度で表します。

 だからこそ、真実を探している者は、信頼に値し、見つけたという存在は信頼に値しないということです。

 

 

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学べば学ぶほど 

こんにちわ。呟き尾形です。

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。
自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。
― アインシュタイン ― (ノーベル物理学者)


 学ぶとは、たくさんの意味がありますが、下記の4点が主な意味です。
 (1)他者(主に先輩や師匠)より、教えを受けて知識などを身につける。
 (2)(自分で)学問や教養などを勉強し、身につける。
 (3)(自分の)経験を通して知識や知恵を得て、理解する。
 (4)(他者を)まねる。
 どのような学ぶにしろ、学ぶ事によって、身につけた知識、知恵が多くなればなるほど、自分の無知を知ることになります。
 もし、あなたが学ぶことによって、自分の無知に気がつけないとき、それは学んだつもりになっているだけであり、とどのつまり、知ったかぶりをしているに過ぎないということです。
 逆に、自分の無知を自覚したときこそ、学んだ事を理解できたと言えます。

 

 

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悩むのは、結論を出そうとあせっているから

こんにちわ。呟き尾形です。

時間が多くのことを解決してくれる。
あなたの今日の悩みも解決してくれるに違いない。
 ─D・カーネギー


 悩むということは、対象となる事柄にたいして、結論が出せないでいるからです。
 そのことを思いわずらい、苦しむことが”悩み事”だといえるでしょう。

 が、案ずるより産むが易しということわざにある通り、多くの悩み事は、時間が解決してくれる場合が多くあります。
 それは、時間の経過と共に、何らかの結論が出せたからだといえるでしょう。

 つまり、悩むのは、結論を出そうとあせっているからこそ、悩むのだともいえます。

 悩んでも時間は経過します。
 悩まなくとも時間は経過します。

 大抵の場合、悩んでも、良い対策は立てられません。つまり、思いわずらって、苦しむだけ損だということです。

 

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天から心を授かっているのは 

こんにちわ。呟き尾形です。

人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。
 ― ボワロー ― (フランス作家)

 心とは、広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるものです。
 では、その精神活動を考えてみれば、それは喜怒哀楽になどらえる情というものだといえるでしょう。

 その情の根源は何か?

 それは、「愛」の一言に尽きます。

 「愛」なき情はありえません。

 それゆえ、人が心が授かっているのは、人を愛するためである。
 といえるでしょう。

 

 

 

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人生が愛を返してくれる 

こんにちわ。呟き尾形です。

人生を愛せば、人生が愛を返してくれるということを私は知っている。
 ― ルービンスタイン ― (アメリカピアニスト)


 人生を愛するということは、自らの過去、現在、未来を慈しむということと同意です。

 人生が愛せる人は幸いです。

 人生に起こる、すべての事に意味や価値を持たせることが出来るからです。

 それこそ、人生が愛を返してくれるということだといえます。

 

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寛大は正義の花である 

こんにちわ。呟き尾形です。

寛大は正義の花である。
 ─ ホーソン ─ (米 小説家)

 正義というものは、人が従うべき正しい道理です。
 そうで、あるがゆえに、それにそむく行為は、悪だといえます。

 しかし、他者の悪い事に制裁することが、正義だということではありません。
 なぜなら、相手に苦痛をあたえることが正義なのではなく、悪い行いを二度とさせないことが正義だからです。

 つまり、罰を下すものは、自らが正義にそむく罪を犯すという自覚をもたなければ、罰を与えるという行為そのものが正義にそむくということです。
 ですから、出来る限り、罰を与えず、それを正すことが最良といえます。

 その最良の行いが、寛大であるということです。
 もちろん、寛大であることは、正義の花であるでがゆえに、難しいことです。

 それをするこつは、まず、他者に適応する正義を自らに当てはめてみてください。

 

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時間はあなたの人生の貨幣である 

こんにちわ。呟き尾形です。

時間はあなたの人生の貨幣である。
あなたが所有する唯一の貨幣であり、
それをどう使うかを決められるのはあなただけだ。
 ― サンドバーグ ― (アメリカ小説家)


 貨幣とは、欲しいものを手に入れるためにつかう媒介物です。
 つまり、
 貨幣とは、商品の交換価値を表すものです。
 貨幣とは、商品を交換する際に媒介物として用いられるものです。
 貨幣とは、価値貯蔵の手段ともなるものです。

 それを人生における貨幣として考えてみます。

 私たちは、費やした労働や努力(時間)によって、手に入れたものを推し量ることができます。
 私たちは、労働や努力(時間)によって、欲しい物を手に入れます。
 私たちは、経験から多くを学び、それこそが、人生の価値ととらえる事ができます。

 まさに、時間とは人生の貨幣といえるでしょう。
 その貨幣にどれだけの価値を与えるかきめるのは、あなた自身です。
 

 

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遊びは仕事の影 

こんにちわ。呟き尾形です。

真剣な時間があれば、その反動として遊びほうける時が必要である。
遊びは仕事の影である。
 ─ 米長邦雄 ─ (棋士)


 真剣な時間とは、神経を尖らせている状態であり、集中している状態だといえます。
 つまり、精神力を費やしている時間が真剣な時間だといえるでしょう。

 精神力は無限ではありません。遊びという時間で回復しないと、いざというときに、集中力が散漫になってしまいます。

 私たちは、ついつい、遊びの時間を軽視しがちですが、集中するためには、遊びの時間が必要だということです。


 

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困難は解決するものだ 

こんにちわ。呟き尾形です。

困難は避けるものではなく、解決するものである。
 ― カルロス・ゴーン ― (日産自動車CEO)



 困難とは、簡単にはなしとげられないことです。
 つまりは、実現・実行が難しいことです。
 しかし、それは、難しいということであって不可能であるということではありません。

 困難を回避して大きな成功を得る事はできません。
 困難を解決してこそ、得られるもの。それが成功だということです。

 まさしく、困難は解決するものだ。
 ということです。

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