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哲学のキッカケ(名言集 10)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・ 慇懃無礼   。
     
  2. ・ 現代の最上の不幸。 
     
  3. ・   有能な人間は失敗から学ぶ  。 
     
  4. ・ その人生は誰のもの?  。
     
  5. ・ 妥協することなしに、適応する  。 
     
  6. ・  沈黙を畏れなければいけません   。 
     
  7. ・   改革に必要なのは有能なリーダーではない  。 
     
  8. ・      友人というものは  。 
     
  9. ・理想と夢想の違い 。 
     
  10. ・ 青春とは、情熱と夢の代名詞   。
     
  11. ・ 希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう   。 
     
  12. ・ 世の中は、美しいのだろうか? 。 
     
  13. ・ 浮気が悪いとされる理由  。 
     
  14. ・諦めるな  。 
     
  15. ・   考えすぎは、臆病の素 。 
     
  16. ・  芸術に独創はいらない   。 
     
  17. ・幸福な人の条件  。 
     
  18. ・ 新しい発見するコツ   。  
     
  19. ・ 人生を楽しむ秘訣 。 
     
  20. ・ 正しい判断力とは・・2  。 
     
  21. ・人間は生きることが全部である。  。  
     
  22. ・ 成功に極意はない  。  
     
  23. ・青春は単なる人生の花盛りではない 。
     
  24. ・  立派な人間になるための一つの条件  。  
  25. ・  意味や価値は、人によって変化するもの 。  
  26. ・すべての人に適した人生の秘訣などない  。  
  27. ・ 。  

 

 

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慇懃無礼 
  

こんにちわ。呟き尾形です。

信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
 ― 新渡戸 稲造 ― (『武士道』)


 慇懃無礼という言葉があります。
 慇懃無礼とは、表面上、態度は丁寧で、礼儀が守られているようだが、だが、心の中では相手を軽くみているということです。
 礼とは、自らの心の誠意を態度で示すものですが、肝心の誠意の無い慇懃な態度は、礼儀を形骸化させた無礼な態度であるということです。

 まさに、慇懃無礼な礼儀は茶番であり芝居であるといえるわけです。

 


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現代の最上の不幸

こんにちわ。呟き尾形です。

現代の最上の不幸は、熟練の喪失ということであります。
自分の職業に対する信念の喪失といってもよい。
 ― 亀井 勝一郎 ― (『芸術・教養・人生』)


 不幸とは、すなわち、恵まれていないことです。
 この便利で物質的に豊かな日本の社会は、ニートという存在も生活できるほどです。

 しかし、それはあまりにも手軽に目標が達成できることにより、経験が少なくとも仕事が出来るということになってしまいました。
 それは、熟練の喪失といえることで、自らの努力と経験の少なさが、自分の仕事に信念を失わせました。
 自分の仕事に信念を失うということは、プロ意識の欠如であり、自尊心を失うということです。

 裏づけなき、自尊心は傲慢にすぎませんし、自分の仕事に自尊心がもてないということは、”やりがい”に恵まれていないということになります。

 それが、現代の最上の不幸というわけです。

 

 

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有能な人間は失敗から学ぶ 

こんにちわ。呟き尾形です。

有能な人間は失敗から学ぶから有能なのである。
成功から学ぶものなどたかが知れている。
 ― ウィリアム・サローヤン ―  (アメリカ作家)


 失敗とは、目的を果たせないことです。

 普通の人ならば、失敗によって、出てくるのは「●●していれば」「●●だったら」という、「たら」、「れば」という考えになってしまい、それが後悔になります。
 しかし、有能な人材は、その「たら」、「れば」を、次に活かします。
 つまり、失敗に言い訳することなく、失敗から学ぶということです。

 

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その人生は誰のもの? 

こんにちわ。呟き尾形です。

人生を良いものとするのも悪いものとするのも
すべて個人が決めることである。
人の強さも弱さも、純粋さも汚れも、
他の誰のものでもなく彼自身のものである。
 ― ジェームズ・アレン ― (イギリス哲学者)


 人生とは、人間がこの世に生きている期間であり、人間がこの世に生きていくことです。
 ですから、その人だけのものです。
 ゆえに、その人生の良し悪しは、その人本人だけに決められるものです。

 同様に、強さ、弱さ、純粋さ、汚れもその人の価値観によって、その人本人によって決められるものです。

 だからこそ、他人にその人の人生を判断する事は不可能だということになります。

 

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妥協することなしに、適応する 

こんにちわ。呟き尾形です。

最高の処世術は、妥協することなしに、適応することである。
 ― ジンメル ― (ドイツ哲学者)


 妥協とは、相反する意見を持つものにたいして、片方、あるいは双方が譲ることで意見をまとめ
ることです。
 そのため、どこか心残りが生じやすく、表面的かつ、一時的な解決となる事が多くなります。

 では、適応とは、どういったことでしょう?
 適応とは、その場に合うように行動や考え方を変えることです。

 妥協することなく、その場に合うように行動や考え方を変える柔軟性をもつことは、まさに最高
の処世術だといえるでしょう。

 

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沈黙を畏れなければいけません 

こんにちわ。呟き尾形です。

沈黙の理解があるように、沈黙の怒りや反抗もある。
黙っている人を畏れなければならない。
 ― 亀井 勝一郎 ― (『黄金の言葉』)


 沈黙によって、相手へ意思を伝える事は出来ません。

 つまり、沈黙する相手の意思もわかりえないことになります。

 沈黙は、自分への理解とは限りません。
 もちろん、理解しているからもそ、沈黙しているかも知れません。
 もしかしたら、怒りを感じ、沈黙しているかもしれません。
 もしかしたら、反発を感じ、沈黙しているかもしれません。

 肯定の結果沈黙しているかもしれないし、否定の結果沈黙しているかもしれません。

 私たちは、沈黙を安易な決め付けによる判断をしてはいけないということです。

 ゆえに、沈黙を畏れなければいけません。



 

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改革に必要なのは有能なリーダーではない 

こんにちわ。呟き尾形です。

何にも特色がなくとも正直に働く人は、
それは新しい世界の基礎になる。
 ― 武者小路 実篤 ― (小説家)


 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
 という武田信玄の言葉があります。
 歴史において、英雄ばかり注目を浴びますが、組織において、人こそが基盤であるということです。
 改革による新しい歴史とは、新しい英雄(リーダー)によってではなく、何にも特色がなくとも正直に働く人にあるといえます。

 リーダーシップよりも、チームワークによって歴史が動くといえるかもしれません。

 

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友人というものは 

こんにちわ。呟き尾形です。

友人というものは、ただ黙って
向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。
 ― 高見 順 ― (『故旧忘れ得べき』)


 一般に、友人とは、共に勉強や仕事や遊びなどをする、親しく交わる関係の人のことを指します。そして、ちょっとでも、それらを行えば人はその相手を友人と呼ぶ事にしているのが習慣になっているようです。

 ここで言う、友人とは、そのような単なる人の関係ではなく、互いに信頼し合っている友人をさし、いわゆる親友のことです。

 そして、お互いに信頼しあうためには、共に行う、行動を根拠にし、心をかよわせる事でにおいて、はじめて親友となりえるわけです。

 心をかよわせる親友だからこそ、向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。
 ということがいえるのでしょう。



 

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理想と夢想の違い 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

理想はひとり青年の夢想ではなく、
また単なる抽象的観念でもなく、われわれの生活を貫いて、
いかなる日常の行動にも必ずや現実の力となってはたらくものである。
 ― 南原 繁 ― (政治学者)

 理想とは、最も望ましい姿のイメージであり、それが行動の目的となって現実に意味を与えるものです。
 ですから、理想を語れば、自然と現実の力になることを語り始めます。

 夢想とは、ぼんやり、夢のようなことを思い浮かべることであり、とどのつまり、現実から遠く離れた空想です。
 ですから、夢想を語れば、単なる抽象的観念になってしまいます。

 ゆえに、理想と夢想は「想い」という点では共通しますが、それを持つ意味や価値が異なります。

 どちらがいいというわけではありません。
 なぜなら、理想は、心に活力をあたえ、夢想は心を癒しを与えるからです。

 

 

 

 

 

 

 

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青春とは、情熱と夢の代名詞 

こんにちわ。呟き尾形です。

日本人は三十の声を聞くと、
青春の時期が過ぎていったように云うけれども、
熱情さえあれば人間は一生涯青春で居られる。
 ― 永井 荷風 ― (『新帰朝者日記』)


 青春とは、一般に、若く元気な時代であることを指し、たしかに、三十を越えれば、青春の時期と言い張るのには無理があるかもしれません。
 しかし、若くないからといって、情熱を冷まし、夢を捨てる口実にしてはいけません。

 青春とは、情熱と夢の代名詞でもあるのです。
 「情熱と夢をもった人生ほど、充実したものはない」といえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう 

こんにちわ。呟き尾形です。

希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう。
 ― 梶井 基次郎 ― (『冬の日』)


 慈しむということは、対象を、かわいがって、大事にすることです。

 追憶とは、昔の記憶を思いしのぶことです。

 追憶を慈しむという行為は、一見、未来に背を向けているように思える行為ですが、それは希望を持っているからこそ、追憶に希望を投影していること他なりません。
 ですから、希望をもっているからこそ、昔の記憶を思いしのび、大切にしようとしている行為だということになります。

 

 

 

 

 

 

 

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世の中は、美しいのだろうか? 

こんにちわ。呟き尾形です。

世の中は美しい。それを見る目を持っていればね。
 ― 映画「聖メリイの鐘」 ―


 どんな人間でも、美しい部分に目を背ければ、美しい事を認識できません。

 目を背けるという行為は、認識を拒否するということになります。

 それが美しくとも、認識しようとしなければ、美しい事など気がつくはずもありません。

 よく、世の中は美しくなく、むしろ汚い、汚れている。
 という評価を耳にします。
 それは、美しい部分に目を背けているからだといえるでしょう。

 ですから、
 世の中は、美しいのだろうか?

 と問われたとき、その人が何に目を向けるか。
 ということで、おのずと替わってくるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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浮気が悪いとされる理由 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

恋愛は性欲とは違って、唯一の相手を求める。
性欲だけなら結婚は不必要だ。性欲は相手を尊敬しない。
 ― 武者小路 実篤 ― (小説家)


 恋愛とは、男女が恋い慕うことです。

 性欲とは、男女両性間の性行為への欲望です。

 恋愛と性欲は、お互いに男女間の関係によって発生しますが、その違いは、唯一の相手を求め、そして、お互いを尊敬できるか否かというところにあります。
 結婚が、恋愛の一つの目標ないし節目とされ、「ゴールイン」と比喩されるのは、唯一の相手であると思えるがゆえです。

 つまり、恋愛が成立する前提とは、お互いを唯一の存在だと認める事が大前提になります。

 すると、恋愛関係において、浮気が悪いとされる理由は、恋愛の大前提を覆す行為なのです。
 となれば、恋愛関係の男女にとって、浮気が悪いのは、至極当然だといえるわけです。




 

 

 

 

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諦めるな   

こんにちわ。呟き尾形です。

諦めるな。一度諦めたらそれが習慣となる。
 ― 映画「がんばれ!ベアーズ」 ―


 諦めるということは、それまで、望んでいたことを実現するこを不可能であることを認めることになります。
 そして、それは、とどのつまりは、自ら望みを捨てるということです。

 自ら望みを捨てるということは、かなり楽な選択です。
 なぜなら、努力も苦労もすることなく、妥協すれば良いだけだからです。

 が、その楽な選択は、楽であるがゆえに、癖になります。

  

 

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考えすぎは、臆病の素 

こんにちわ。呟き尾形です。

考えすぎると、人間は臆病になる。
 ― 映画「コクーン」 ―


 人は、何かをするとき、たいてい事前に考えてしまいます。
 
 そして、考えること事態は悪い事ではありません。

 しかし、必要以上に考えていくと、気に留める事も無かった些細なことも気になり始めます。
 すると、自然にできるはずのことが、必要以上に意識され、集中力が散漫になり、できなくなってしまいます。

 そして、人は考えすぎると、行動する前からおじけづき、何も行動できなくなってしまうというわけです。

 つまり、人が臆病になるときは、「行動もしないで出来ない」と決め付けるときであり、その決め付けが生じるのは、考えすぎるときだということです。

 まぁ、考えすぎは、臆病の素。なのかもしれません。





 

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芸術に独創はいらない 

こんにちわ。呟き尾形です。

芸術に独創はいらない。生命が要る。
 ― ロダン ― (フランス彫刻家)


 独創とは、他人の真似をせず、自分一人の考えで物をつくり出すこと。

 芸術とは、言ってしまえば、さまざまな表現技法を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動であるといえます。

 生命とは、生物を、無生物ではなく生物として存在させる根源です。

 一般に、芸術は他人の真似ではなく、独創的であることが求められます。
 しかし、それは、結果論であるといえるでしょう。
 なぜなら、その作品に生命がこもっていれば、独創的だといえるからです。

 作品に、生命がこもればそれは、独創的になるのは当然といえるでしょう。 




 

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幸福な人の条件

こんにちわ。呟き尾形です。

幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人びとであり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
 ― 萩原 朔太郎 ― (『絶望の逃走』)


 幸福とは、特に不満も無く満足できる状態です。
 ですから、自分が幸福であると思える時は、まさに、自分自身が満足していた記憶が、不満だった記憶を上回ったときです。
 そして、その判断ができるのは、誰でもない自分自身です。

 不幸とは、満足することが出来ず、不満な状態です。
 ですから、自分が不幸だと思えるときは、まさに、自分自身が不満である記憶が、満足していた記憶を上回ったときです。
 そして、その判断ができるのは、誰でもない自分自身です。

 この二つのことがらから、自分自身が幸福であるか、不幸であるか決めることができるのは、自分自身以外ありえないということがいえます。

 ですから、幸福な人の条件とは、自分が幸福であると、自分自身で決められる人なのかもしれません。


 

 

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新しい発見するコツ 

こんにちわ。呟き尾形です。

新しい発見は、年とは関係ないよ。
 ― 映画「ロッキー5」 ―


 発見とは、多くは、その人にとって初めて見つけることであり、初体験という、これまでの非日常的な体験を通したものから得られる場合が多いといえます。それは、より印象に強く記憶に残ります。

 ですから、年をかさねるたびに、初体験と触れる機会が減り、発見することが少ないと勘違いしがちですが、実は違います。
 発見というものは、コツさえつかめば、初体験でなくても、日常生活のなかから見つけ出せます。

 たしかに、初体験というこれまでの非日常的な体験は、発見を得やすい事は間違いありません。
 それは、経験を通して、新しい視点にならざるを得ないからです。
 が、日常生活においても、常に様々な立場、視点にたって観察してみると、それは発見することにあふれています。

 昨日とまったく同じ物であっても、昨日と違う視点で見れば新たな発見というものはできます。

 

 

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人生を楽しむ秘訣 

こんにちわ。呟き尾形です。

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。
普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。
いたらお目にかかりたいものだ。
 ― アインシュタイン ― (物理学者)


 様々な人が楽しい。と感じるときには、共通点があります。
 
 それは、その人にとっての日常的なことではなく、むしろ、その人が、非日常的で好ましい事を体験したときです。

 ところで、普通といわれる人生を送る人はいません。
 なぜなら、普通とは、一般的なことであり、めずらしくないことですが、各自の人生は、個々にとって、特別な人生であり、その特別な人生の共通項だけを集めたものが普通の人生と呼ばれるものです。

 そんな、共通項だけの人生を送る人は一人もいません。
 
 なにかしら、その人だけの特別な体験、特別な価値観が必ずあるものです。


 

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正しい判断力とは・・2 

こんにちわ。呟き尾形です。

正しい判断力の持ち主は、
太陽の持つ輝きはなくとも、星のように不動である。
 ― フェルナン・カバリェーロ ― (スペイン作家 1796-1877)


 
 正しい判断というもは、案外、ごくごく、あたりまえのことであり、地味なものです。

 たしかに、太陽のごとく、輝かしい英断も正しい判断であることはあります。

 しかし、それ以前に正しい判断の積み重ねをしていれば、英断に迫られることはほとんど無く、地味なものです。

 それは、闇夜でなければ見えぬ星のように、ささやかな光であると同時に、星のように不動であり、誰の道しるべにもなるということです。
 

 

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人間は生きることが全部である。 

こんにちわ。呟き尾形です。

人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。
 ― 坂口 安吾 ― (小説家)


 私たち人間は、ついつい、死ぬ事を思い煩うことがあります。

 しかし、私たち人間が、生きているかぎり、死は存在してはいません。

 死が存在するやいなや、それは生きている状態ではありません。

 つまり、私たち人間は、もう存在していません。
 まさに、人間は生きていることが全部であるということです。
 死ねばすべてがなくなるといえるわけです。

 そもそも、 死んでいることで苦しんでいる人なんてありえませんし。

 

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成功に極意はない 

こんにちわ。呟き尾形です。

成功に極意はない。私の場合は、
ただ他人が掘ったあとをもう一間ずつよけいに掘っただけだ。
 ― 古河 市兵衛 ― (実業家)


 人は、よく、成功した人から、成功の極意を聞きたがります。
 極意とは、ある分野において、核心となる事柄のことをさし、その分野について最も奥深い部分のことを指します。

 そして、極意を知る事で、無根拠に、行動せずとも、成功しそうな気持ちになれます。

 しかし、実は成功するためには、知る事ではなく、行動することです。
 さらにいえば、成功のするための行動とは人それぞれ、向き不向きがあります。

 それが、極意というものがない。といえる根拠です。

 

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青春は単なる人生の花盛りではない 

こんにちわ。呟き尾形です。

青春は単なる人生の花盛りではなく、
来るべき結実の秋への準備の季節である。
 ― 竹越 与三郎 ― (作家)


 植物というものを育ててみるとわかることですが、花というものは、タネを作る事が目的であって、美しく咲くことは手段にすぎません。

 青春を花盛りとたとえるのなら、まさに、その後の人生の実りのための時期だといえるでしょう。

 見た目の美しさに目を奪われれば、収穫するものを取り逃がすことになりかねません。

 

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立派な人間になるための一つの条件    

こんにちわ。呟き尾形です。

立派な人間になるための一つの条件は、
自分が心から尊敬できる人を持つことだろう。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)


 人は、周りの人間に影響されて、今の自分がいます。
 それは、ちょうど、自分自身の姿を鏡に照らし合わせて自分を自覚するようなものです。

 だからこそ、自分自身が立派な人間になるためには、そのお手本となる、心から尊敬できる人が必要です。

 いくら実力や能力があっても、立派な人にはなれません。
 能力があると、人は、ついつい傲慢になるからです。

 しかし、心から尊敬できる人がいると、不思議と傲慢にはなりにくくなります。


 

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意味や価値は、人によって変化するもの 

こんにちわ。呟き尾形です。

ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。
ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈する。
同じ言葉が人によって高くも低くもなる。
 ― 夏目 漱石 ― (小説家)


 意味や価値というものは、人が与えるものです。
 だからこそ、客観的な意味や価値というものは、実は、幻にすぎません。

 今、私たちが共有している意味や価値は、たまたま、各自が与えた意味や価値の最大公約数や最小公倍数にすぎないということです。

 その中で、公倍数にも公約数にも当てはまらなかった値、すなわち意味や価値であるにもかかわらず、私たちは”普通”と判断してしまうことがしばしばあります。
 それが、各自が自分勝手な”普通”をもち、それを各自が他者に押し付けたとき、さまざまなトラブルが発生します。

 だからこそ、同じ十銭であるにもかかわらず、人によって一円の十分の一と解釈したり、一銭の十倍と解釈したりするのです。

 意味や価値は、人によって変化するものです。
 むしろ、変化しないのは、物や言葉です。

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こんにちわ。呟き尾形です。



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自由と我儘の違い

 

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