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哲学のキッカケ(名言集 12)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・間違いを恐れて行動しなければ、成功などしない   。
     
  2. ・後悔しない生き方  。 
     
  3. ・ 良い人間関係の築き方    。 
     
  4. ・ 心の奥から生じる声  。
     
  5. ・ 自分の価値  。 
     
  6. ・幸せになりたいならば     。 
     
  7. ・現代の日本人が忘れている、当たり前の事   。 
     
  8. ・失敗という経験は、尊い経験である。   。 
     
  9. ・可能性の広げ方 。 
     
  10. ・自分の価値を認めてもらえる方法     。
     
  11. ・ 幸せ、不幸せを決めるもの     。 
     
  12. ・技術の価値をきめるもの  。 
     
  13. ・賞賛や噂話に惑わされると損をする 。 
     
  14. ・無理におさえると欲望は粗暴になる   。 
     
  15. ・友情を保つのに必要なもの  。 
     
  16. ・人は言葉で思考します      。 
     
  17. ・自分の器を大きくする方法    。 
     
  18. ・誰かと見る夢は現実だ    。  
     
  19. ・自分を励ます最上の方法     。 
     
  20. ・発見の鍵は、普通、当たり前、常識を疑うこと   。 
     
  21. ・わがままと自由は正反対  。  
     
  22. ・主体性と依存心    。  
     
  23. ・ほんのちょっと進んだ時間の積み重ねが遠い未来である。  。
     
  24. ・未来を予測する最もよい方法 。  
  25. ・  学ぶ事をあきらめない 。  
  26. ・創作活動の秘訣? 。  
  27. ・ 。  

 

 

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間違いを恐れて行動しなければ、成功などしない 
  

こんにちわ。呟き尾形です。

間違いを犯すのを怖れて、
戸を閉ざせば、真実も締め出されてしまう。
 ― タゴール ― (インド詩人)

 間違いとは、真実に対して異なることです。
 それは、すなわち、正しくないことであり、あやまりであるということが言えます。

 さらにいえば、失敗でもあるわけで、好ましいものではありません。

 しかしながら、こうした間違いというものは、真実をしることや、正しいことをしたり、成功するための行動を行ってるからこそ、起こりえることです。

 もし、間違いを恐れてなにも行動しなければ、真実をしることも、正しい事をすることも、成功もすることもありません。

 


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後悔しない生き方 

こんにちわ。呟き尾形です。

あれもいい、これもいいという生き方はどこにもねえや。
あっちがよけりゃこっちが悪いに決まっているのだから、
これだと思ったときに盲滅法に進まなけりゃ嘘ですよ。
 ― 尾崎 士郎 ― (『人生劇場』)


 ものごとに善悪や好き嫌いや正否というものは、それを判断してしまうと、自動的に、反対のものが決まってしまいます。

 善を判断すれば、善に当てはまらないものが悪になり、その逆も然りです。
 好きなことだと判断すれば、好きな事に当てはまらないものは嫌いになり、その逆も然りです。
 正しいことだと判断すれば、正しい事に当てはまらないものは、否となり、その逆も然りです。

 すべてが善であったり、すべてが好きだったり、すべてが正しいということは、その判断をした瞬間にありえないことです。

 だからこそ、あれもいい、これもいいという生き方はどこにもありえないのです。
 確かにそのように、迷うこともあるでしょう。
 が、そのときの判断を大事にして、進む事が後悔しない生き方だといえるでしょう。


 

 

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良い人間関係の築き方 

こんにちわ。呟き尾形です。

人間関係というのは、相手との距離さえ置けばうまくいく。
もめるのはその距離を越えようとするからだ。
 ― 連城 三紀彦 ― (作家)


 よい人間関係というものは、自然とお互いに気遣いをしている場合にのみ成立します。

 それは、相手との距離をおいているからこそ可能なことです。

 相手の足を踏んだとき、踏んだ方は、その痛みはわかりません。
 ヘタをすると、相手の足を踏んだことにすら気が使い事があります。

 不用意に相手に近づかなければ、相手の足を踏む事はありませんし、相手からも足を踏まれることはありません。
 もちろん、相手に近づいたからといって、相手の足を踏むとは限りません。
 お互いに自分が相手に近づいた距離を意識し、相手に気遣えばいいのです。

 良い人間関係の築き方というのは、相手を気遣い、近づいたなりに、距離を保つことだといえます。
 そうすれば、相手の足を踏む事なく、相手からも足を踏まれることはありません。


 

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心の奥から生じる声

こんにちわ。呟き尾形です。

無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる、
この心構えさえ失わなければ、人は人として十分に生きてゆける。
 ― 種田 山頭火 ― (俳人)


 どんな法律であっても、どんな礼儀であっても、どんな道徳であっても、どんな慣わしであっても、どんな権力であっても、心の奥から生じる声を抑える事はできません。

 法律だから、礼儀だから、道徳だから、慣わしだから、権力だからといって、その心の奥から生じる声を無理やり抑えたとしても、それは、心のどこかで火薬のようにくすぶり、点火されるのを待ち続けます。

 法律は守るべきです。
 礼儀だって、守ったに越した事はありません。
 道徳で自らを律するべきです。
 慣わしであればやむを得ないことだってあるでしょう。
 権力には必要がなければ、逆らう必要もありません。

 が、だからといって、無理をするのは禁物です。
 心の奥から生じる声に素直になりましょう。
 が、その声を、無理に意識化して、欲望や願望によってゆがめられては、素直であるとはいえません。
 心の奥から生じる声は、利己的なものもあるでしょうが、利己的なものだけとはかぎりません。
 良心もまた心の奥から生じる声なのです。

 それが人というものです。



 

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自分の価値 

こんにちわ。呟き尾形です。

自分の価値は、誰かにいいねと言われたから
上がるものでもないし、けなされたから下がるものでもない。
 ― 伊藤 守 ― (著述家)


 価値とは、物がもっている目的実現に役立つ値打ちのことを指します。

 ただし、この価値というものは、絶対的なものはなく、むしろ、相対的なものです。
 つまり、自分にとっての価値と、他人にとっての価値は、必ずしも一致するとは限らないということです。

 たしかに、世間には値札による、一般的、金銭的な価値がありますが、世間一般の価値であって、それは絶対的な価値ではありません。
 あなたにとっての価値は、あなたが決めることであり、他人が決めるわけでも、世間が決めるわけでもありません。
 価値を与えるのは本人である。これを忘れてはいけません。 

 それは、自分の価値も、例外ではありません。

 

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幸せになりたいならば 

こんにちわ。呟き尾形です。

幸せになりたいならば、
「あの時ああしていれば」と言う代わりに、
「この次はこうしよう」と言うことだ。
 ―  スマイリー・ブラントン ― (アメリカ医師)


 結果にたいして、満足できず、起こったことに、「あの時ああしていれば」
 といっても仕方がありません。

 「あのとき、ああしていれば」とか、「あのとき、こうしていたら」
 と、悔いることを、後悔といいます。
 後悔先に立たずというように、起こったことを後になって悔やんでも取り返しがつかないものです。

 もちろん、これは、過去を振り返ってはいけないということではありません。
 未来に活かす、過去の振り返り方があります。
 反省です。

 反省であれば、「この次はこうしよう」と考えます。
 すると、次への行動のプラスになります。
 そうしたプラスの積み重ねこそ、幸せにつながるというわけです。
 


 

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現代の日本人が忘れている、当たり前の事 

こんにちわ。呟き尾形です。


どこかにたどり着きたいと欲するならば、
今いるところには留まらないことを決心しなければならない。
 ― J・P・モルガン ― (モルガン創始者)


 人には二つの手しかありません。

 ですから、両手に荷物があれば、それ以上持つ事はできません。

 目の前のものがほしければ、両手にある荷物をてばなさいと、目の前のものを得る事はできません。

 得るということは、捨てるということと表裏一体にあるということです。
 同様に、どこかにたどり着くためには、今、いる場所から離れなければ、どこに行く事もできません。
 やってみれば、当たり前のことかもしれませんが、理論にしか目にいかない現代の日本人は、それをすっかり忘れている事が多いようです。




 

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失敗という経験は、尊い経験である。

こんにちわ。呟き尾形です。


猿が新しい木登り技術を学ぶために、
ある試みをして落ちるなら、これは尊い経験として奨励したい。
 ― 本田 宗一郎 ― (本田技研工業創業者)


 失敗には大きく分けて2種類あります。
 怠惰によって起こる失敗と、挑戦することによっておこる失敗です。

 もちろん、結果だけをみれば、同じ失敗です。
 
 前者は、明らかに結果も過程も望まれるものではありません。
 しかし、後者は、未来につながる失敗です。
 たしかに、失敗は評価すべきではありませんが、その失敗という経験は、尊い経験であり、奨励すべき失敗だといえるでしょう。



 

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可能性の広げ方 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

必死のときに発揮される力というものは
人間の可能性を予想外に拡大するのである。
 ― 本田 宗一郎 ― (本田技研工業創業者)


 可能性とは、物事の実現する見込みのことです。
 予想外とは、可能性において、見込まれなかった事柄です。

 死に物狂いに、失敗すると取り返しがつかないという気持ちで全力を尽せば、今、ある見込みなど打ち破れるということです。

 なぜなら、可能性とは過去の実績をもとにした、未来予測でだからです。
 必死になれば、その過去の実績を越える事は可能であり、すなわち、予想外に可能性を広げるという事になります。

 ある事柄を達成したいとおもうのなら、やりもしないで、あきらめないで、必死になって見ましょう。
 それが、可能性の広げ方です。

 

 

 

 

 

 

 

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自分の価値を認めてもらえる方法 

こんにちわ。呟き尾形です。

誰の心の中にももっとも深く根ざしている願望は、
自分の本当の価値を認めてもらいたいということです。
他人の価値を認めなさい。そうそればあなたも認めてもらえます。
 ― J・マーフィー ― (アメリカ作家)


 自主律尊。という造語があります。
 造語ですから、辞書にものっていません。

 自主律尊とは、自主(あくまで自分から)、自律(欲望に従うのではなく、自ら決めたルールに従って)、自尊(自らを尊び、それと同じように他人も尊ぼう)を並べたものです。

 誰もが、自分の本当の価値を認めてほしいという願望をもっています。

 となれば、自主律尊をすべての人が実行すれば、すべての人が、他人のことをみとめることになり、すべての人の願望が満たされ、幸せな世界になるでしょう。
 まさに、他人の価値を認めれば、自分も認めてもらえるわけです。


 

 

 

 

 

 

 

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幸せ、不幸せを決めるもの 

こんにちわ。呟き尾形です。

その人の幸せ、不幸せを決めるのは、「でも」か「では」だ。
40歳になって「今からでもできる」と思うか、「今からでは無理」と
諦めるかは、その人の10年後に大きな影響を及ぼす。
 ―  梁瀬 次郎 ― (ヤナセ会長)


 人の幸福というものは、きわめて主観的なものであり、一概にはいえません。

 しかしながら、幸福である。
 という状態は、その人が何らかの形で満足しているという状態であることには変わりはありませんし、幸せである条件だといえるでしょう。

 今からでもできる。
 と信じて、すごす10年は、どのような結果であれ充実しているし、何らかの形で満足しているはずです。

 しかし、今からでは無理。
 とあきらめてしまうと、10年後、10年前にあきらめずにやっていれば。
 と過去について、満足できず、後悔することは、目に見えています。

 不幸とは、幸福ではないことであり、すなわち、満足できない状態であるということです。

 ということは、その人の幸せ、不幸せを決めるのは、まさに、「でも」か「では」と言い得ます。


 

 

 

 

 

 

 

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技術の価値をきめるもの 

こんにちわ。呟き尾形です。

多くの人たちに利用されてこそ、技術である。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)


 技術とは、物事を巧みにしとげるわざであり、開発された科学を実際に応用する知識体系であるといえます。

 科学の本質は、対象を体系的に組み立て、一般法則を見つけだして、誰にでも使えるようにする知識体系、つまり技術であるともいえます。
 つまり、技術というものは、方法論を学べば誰にでも実際につかえる術であるということです。

 では、その技術の価値とは何によってきまるのでしょうか?

 どれだけ多くの人たちに利用されるか否か?
 ということであるといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

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賞賛や噂話に惑わされると損をする 

 

こんにちわ。呟き尾形です。

常に正しいことをやることだ。
周囲の人の賞賛や噂話に構っていてはいけない。
 ― マーク・トウェイン ― (アメリカ小説家)


 賞賛とは、ほめたたえることであり、とどのつまりは、さかんに高く評価していることを意思表示するということです。
 どんな内容であろうとも、賞賛を受け入れたいと思ってしまいます。

 ただし、安易な賞賛は噂話同様、根拠のあるものであることはすくなく、むしろ、主観的な印象と先入観が広まったものであるということがいえます。

 確かに、賞賛の声は耳に心地よいですし、噂話も気になるものです。
 しかし、周囲の人の賞賛や噂話に惑わされ、右往左往すると、結果的に何も得る事ができません。
 むしろ、賞賛や噂話に惑わされると損をするといえるでしょう。

 なにかを成し遂げたければ、それを成し遂げるために、自らが信じる、正しいと思うことを行うべきです。
 常に正しい事をやろうとすれば、賞賛や噂話に構っている暇はありません。



 

 

 

 

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無理におさえると欲望は粗暴になる  

こんにちわ。呟き尾形です。

無理におさえると欲望は粗暴になる。
素直な形であらわにされた欲望はやさしい。
 ― 谷川 俊太郎 ― (詩人)


 欲望とは、なにかを満たそうと求める気持ちであり、とどのつまりは、ほしいと思う気持ちです。

 欲望が生じてしまうこと自体はやむを得ないことだし、それは欲張りとはいいません。
 それを、見栄やプライドという虚栄心のために無理に抑えると、欲望はおおきくなってしまい、やがて欲望は暴走し始めます。
 ゆえに、粗暴になります。

 しかし、素直に欲しいという気持ちを受け止め、適度に満足させることができるので、優しく現れてきます。

 欲望というものは、必ずしも、道徳に反しているのではありません。
 道徳に反する欲望は、虚栄心によってけがされているのです。






  

 

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友情を保つのに必要なもの

こんにちわ。呟き尾形です。

僕等が良い友人を得るか得ないかは運であっても、
その友情を保って行くのは主として徳によらなければならない。
 ― 中村 光夫 ― (評論家)


 出会いは、めぐりあわせではありますが、誰の意思や意図によるものではなく、まさに、偶然です。

 その中で良い友人を得るということは、非常に運のいい事だといえるでしょう。

 しかし、せっかく良い友人を得たとしても、その友情が保てるか否かは、運ではありません。

 それは、日常的に培われた人格、すなわち徳によって維持されるものです。
 つまり、友情を保つのに必要なものとは、徳であるといいえます。




 

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人は言葉で思考します 

こんにちわ。呟き尾形です。

言葉遣いで注意すべきことの第一は、
無神経でがさつな言葉を使わないことである。
 ― 河盛 好蔵 ― (評論家)


 人は言葉で思考します。

 ですから、思考は言葉に依存します。
 やさしいな言葉で思考すれば、自然と言動もやさしくなります。
 乱暴な言葉で思考すれば、自然と言動も乱暴になります。
 気配りをして丁寧な言葉で思考すれば、自然と言動も思いやりのあるものになっています。
 無神経でがさつな言葉で思考すれば、自然と言動も思いやりのないものになってしまいます。
 言葉遣いぐらいで。
 とおもわれるかもしれません。

 が、しかし、自分の言葉遣いすらコントロールできないのであれば、自分自身をコントロールできないものです。

 やさしさや思いやりがある言動は、自分自身をコントロールしているからこその可能な言動です。
 乱暴で思いやりのない言動は、自分自身をコントロールできていないときに生じる言動です。





 

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自分の器を大きくする方法 

こんにちわ。呟き尾形です。

人間なんてほんとうにどうしようもないものなんだ、
という認識が基本になければいけないと思います。
 ― 山田 太一 ― (脚本家)


 器を大きくする方法があります。
 それは、人間なんてほんとうにどうしようもないものなんだ』という基本的なスタンスをもつことです。
 いまさら指摘をするまでもありませんが、人間とは不完全な存在です。

 大抵の場合、ホンネとタテマエが矛盾していますし、言っていることが、必ずしも行動と一致していることの方が稀です。
 実際、社会において、『当たり前』とされていることが完璧にできていることなど稀です。
 つまり、聖人君主である人は、まずいないということです。

 ですから、他人に対して、絶対とか、完璧とか、完全とかそういった期待や信頼することは、そもそも間違いなのです。

 となれば、行き着く結論は必然的に『人間なんてほんとうにどうしようもないものなんだ』ということなのだと思います。
 それを基本的なスタンスにすると、他人に怒りを感じたり、イライラしたり、裏切られたというショックをうけることが激減します。


 

 

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誰かと見る夢は現実だ 

こんにちわ。呟き尾形です。

ひとりで見る夢は夢でしかない。
しかし誰かと見る夢は現実だ。
 ― オノ・ヨーコ ― (芸術家)


 夢とは、未来において、実現させたいと思い描いている願いのことです。

 ひとりで見る夢は、思い描くだけになってしまいがちです。
 なぜなら、ひとりで見る夢は、抽象的で、ぼんやりし、こうなってほしいな。
 という弱い意志でも持つことが出来るからです。

 しかし、他の誰かと夢をみるということは、夢を実現させようとする意思が強くなります。

 なぜなら、他の誰かと夢を見るためには、ぼんやりしたヴィジョンではなく、より具体的なヴィジョンなっていなければならないからです。
 具体的なヴィジョンがあれば、その夢をかなえるために行動に移すことが可能になります。
 

 

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自分を励ます最上の方法 

こんにちわ。呟き尾形です。

自分を励ます最上の方法。
それは誰かを励まそうと努力することだ。
 ― マーク・トウェイン ―  (アメリカ小説家)


 励ますというのは、元気や勇気を出すように力づけることです。

 自分自身を励まそうとするのは、案外難しいものですし、下手をすると傲慢になったり、無責任になって、元気や勇気が空回りしてしまうこともよくあることです。

 人は、案外、相手に対して言うことばは、いつの間にか自分に向けて言うことばに摩り替わることがあるものです。

 となれば、誰かを励ます言葉こそ、自分を励ます言葉であるといえるでしょう。



 

 

 

 

 

 

 

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発見の鍵は、普通、当たり前、常識を疑うこと 

こんにちわ。呟き尾形です。


みな同じように考えるところでは、誰もたいそう考えてはいない。
 ― ウォルター・リップマン ― (アメリカ評論家)


 普通、当たり前、常識。
 この手ののことは、みな同じように考えるものです。

 すでに、普通、当たり前、常識としたところで、深く考える必要もないからです。

 しかし、普通、当たり前、常識というものを改めて、自問自答してみてください。
 いかに、誰もたいそう考えてはいない。が、誰もたいそう考えてはいないということがわかります。

 そして、普通、当たり前、常識というものの細部を他人と確認してみてください。
 はっきり言って、普通、当たり前、常識のはずなのに、食い違っているはずです。

 誰もたいそう考えてはいないからこそ、普通、当たり前、常識というところは、未開拓であるとも言いえます。


 

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わがままと自由は正反対 

こんにちわ。呟き尾形です。

誰かをあんまり崇拝しすぎると、
ほんとうの自由は得られないんだよ。
 ― トーベ・ヤンソン ― (『ムーミン谷の仲間たち』)


 崇拝するというのは、対象を敬うことであり、尊敬するということです。
 尊敬とは、その人が、すぐれたと認める人を、尊び、敬うことです。
 つまり、崇拝するということは、優れたみとめた対象を、この上ないものとして丁重に扱うことをさします。

 現代の価値観において、自由と崇拝は、一見、相反するもののようにかんじられるかもしれません。

 しかし、自由というものは、利己的に自らの権利だけ主張するわがままではなく、むしろ、自らの義務や責任を自覚することが前提となります。

 誰かを尊敬する事のできない人が、自由を語ったとしても、それは傲慢にすぎません。
 なぜなら、、尊敬することができないということは、他者を優れていると認められないということだからです。
 人は傲慢になると、視野が狭くなります。視野が狭くなれば選択肢が狭くなり、自らの可能性を狭めます。
 自らの可能性を狭めるということは、自由ではないということです。
 つまり、自分勝手であるということと自由であるということは正反対なことだといえます。

 

 

 

 

 

 

 

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主体性と依存心 

こんにちわ。呟き尾形です。

自分を信じて行かなければいけない。
教わるものは遠慮なく教わるがいいが、
自分の頭と眼だけは自分のものにしておかなければいけない。
 ― 武者小路 実篤 ― (小説家)


 主体性というものがあります。
 主体性とは、自らの意志ないし、判断により、責任ある行動する態度のことをいいます。

 それと意味として反対のものとして依存心というものがあります。
 依存心とは、他人や他のものに頼る心をさします。
 依存心が強いときの言動は、えてして、自らの意思ないし判断は停止し、無責任なことがほとんどです。

 他人から何かを教わるとき、主体性があるか、依存心によるものかで、大きくその結果は変わってきます。

 依存心によるものは、教わった事だけ、言われた事だけしかできず、応用がききません。
 それは結果的に、自分の言動に責任がもてず、どんな結果になろうが、後悔につながります。

 しかし、主体性があって、他人から教わったとき、教わった事を自らのものとし、自分のために活かすことができます。
 その主体性をもつためには、自分の信じることです。
 なぜなら、自分の頭を目だけは、自分のものだからです。

 

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ほんのちょっと進んだ時間の積み重ねが遠い未来である。 

こんにちわ。呟き尾形です。

未来に向き合うにはふたつの方法がある。
ひとつは心配、もうひとつは期待だ。
 ― ジム・ローン ― (アメリカ思想家)


 未来とは、これから来る時のことであり、それは、すなわち可能性であるといえます。

 遠い未来というのは、ある日突然やってくるのではなく、今この瞬間からホン
ノちょっと進んだ時間があるからこそです。
 そのほんのちょっと進んだ時間の積み重ねが未来であり可能性だということで
す。

 その積み重ねは目的がわからなければ合理的に進める事は不可能です。
 もちろん、暗中模索の徒手空拳で積み重ねた事が無駄になるとはいいません。
 それはそれでその人にとって価値ある経験です。

 それでも、より良い未来を得たいというのであれば、
 将来を心配する事。
 将来に期待する事。
 この積み重ねが、より良い未来を得られるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

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未来を予測する最もよい方法    

こんにちわ。呟き尾形です。

未来を予測する最もよい方法は、未来を創り出すことである。
 ― デニス・ガボール ― (イギリス物理学者)


 未来を予測するとき、机上の計算や論理で予測する方法もありますが、それは最も良い方法とはいえません。

 なぜなら、机上の計算や論理は、一つの初期値や前提が狂えばその予測は無に帰すからです。

 それに対して、自ら未来を切り開くような、未来を作り出す方法から得られた予測は、計算や論理から導き出される予測では予知しきれないことを知りえる事ができます。

 この違いは、未来を実際に見つめるか否かの違いです。
 所詮、未来から目を背け、計算や論理は、過去の実績や事実の枠からしか予測を導き出せないのです。
 その点、自ら未来を創りだせば、未来に目を向けざるを得なくなり、その精度は自然と上がってくるものです。

 

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学ぶ事をあきらめない 

こんにちわ。呟き尾形です。

明日死ぬつもりで生きなさい。
永遠に生きるつもりで学びなさい。
 ― マハトマ・ガンジー ― (インド独立の父)


 ”明日死ぬつもりで生きなさい”というのは、常に必死でありなさい。
 ということです。
 ”永遠に生きるつもりで学びなさい”というのは、学ぶということに終わりは無いということです。

 私たちは、年齢を重ねるとついつい、必死になることを忘れ、学ぶことがすくないと考えがちです。
 なぜなら、日常に慣れてしまって、さらに、さまざまなことを知っているからです。

 しかし、それは傲慢というものです。

 今、生きているということは、何にも変えがたい大切な時間なのです。
 それを、無為に過ごさないためにも、明日死ぬつもりで生き、それをなすためにも永遠に生きるつもりで学ぶことが大切です。

 全知全能の人間などいませんし、不老不死の人間もいません。
 短い時間だからといって、学ぶ事をあきらめなないようにしなさい。
 ということです。

 

 

 

 

 

 

 

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創作活動の秘訣? 

 
こんにちわ。呟き尾形です。

創作活動の秘訣?
毎日決まった時間にとにかく机に向かうことだ。
 ― ヘミングウェイ ― (アメリカ作家)

 創作活動というと、そのときのひらめきでなされているように誤解されがちです。

 ともあれ、実際やってみればわかりますが、そんなに都合よくひらめきが浮かぶわけもありません。
 だからといって、なにもしなければ、ますます、ひらめきが事はありません。

 むしろ、無駄であっても毎日決まった時間にとにかく机に向かうという、創作を継続するという訓練の積み重ねこそ、創作につながり、ひらめきが浮かびやすくなるのです。

 なぜなら、ひらめきとは、その場その場に応じて活発に働く才能と知恵だからです。
 そして、才能と知恵は、何もせずに発達するのではなく、訓練によって発達するからです。



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