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哲学のキッカケ(名言集 14)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)

  1. ・思いやりの気持ちは、本能である 。
     
  2. ・逃げる事の代償。 
     
  3. ・平和のための戦争など存在しえません。 
     
  4. ・現在の教育に不足しているもの。
     
  5. ・平和になるために必要なもの。 
     
  6. ・ 能力の無さを自覚したときこそ、チャンスである  。 
     
  7. ・友達になりたいときの心構え。 
     
  8. ・真っすぐ前ばかり見とっても、何も見えてこんで。。 
     
  9. ・国の指導者の能力とは。 
     
  10. ・成功の秘訣を書けると思ったとき、成功への道は閉ざされる。。
     
  11. ・幸福と快楽の区別。 
     
  12. ・力のあるアイディアは、反対意見を吸い込みます。 
     
  13. ・志をたてたなら。 
     
  14. ・真の文明なら環境破壊をするはずもない。 
     
  15. ・プロであれば、自分の仕事に愛と誇りを持つこと。。 
     
  16. ・自分の仕事に慢心するな。 
     
  17. ・他者に一生懸命サービスする人がもっとも利益をえる。 
     
  18. ・失敗恐怖症。  
     
  19. ・平和で幸福に暮らすための必須条件。 
     
  20. ・人は簡単に望んでいる事を捨てることなどできません。。 
     
  21. ・歴史は他人事ではありません。  
     
  22. ・運命は自ら切り開くもの。  
     
  23. ・流行なんてものには個性がありません。。
     
  24. ・無用の用。  
  25. ・現実をわきまえない理想主義は、机上の空論である 。  
  26. ・愛には、求める心は不要です。  
  27. ・ xxxx 。  

 

 

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思いやりの気持ちは、本能である
  

こんにちわ。呟き尾形です。

例えば、友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。
 ― 司馬 遼太郎 ― (『二十一世紀に生きる君たちへ』)


  人間同士は、コミュニケーションをとると、ある種の共感をえられるといいます。

 この共感のメカニズムのポイントになるものが、ミラーニューロンであるといわれています。

 ミラーニューロンとは、自分の動作と他人の動作に「鏡」のように同じような反応をする神経細胞のことです。

 既に、人には人間の体の機能として、共感する仕組みになっているのだといえます。
 であれば、共感によってえられる思いやりの気持ちは、本能であり、生まれてそもそも備わっているものであるといえます。
 自然に従うのなら、人が肉体を鍛え上げるように、「友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ち」というものを作り上げていく事で、思いやりの心を発達させるのが筋だといえるでしょう。

 


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逃げることの代償 

こんにちわ。呟き尾形です。

完璧な人間などいない。理想通りにことが運ぶこともほとんどない。
そんな私たちが自分にもっとも情け深くあろうとするなら、
思い通りにならなかったことをあまり深刻に考えないことだ。
 ― アレン・クライン ― (『笑いの治癒力』)



 プロであれば、仕事を通して苦しむこともあるでしょう。
 辛い事もあるでしょう。
 不安で夜も眠れぬこともあるでしょう。
 やらねばならぬことがあるのに、どうしても出来ない事もあるでしょう。
 もしかしたら、自分には才能がないのではないか?
 そんな風に感じることもあるでしょう。

 しかし、それは、あなたがプロである証であるともいえます。
 つまり、プロの厳しさはそうした、苦しさ、辛さ、不安にあります。

 プロになった以上、その厳しさは、逃れられない宿命だともいえます。
 その厳しさを乗り越えたときの達成感は、プロにのみ許されるものでもあります。

 そして、その達成感こそ、苦しさ、辛さ、不安を解消する唯一の方法だとといえるでしょう。
 苦しさ、辛さ、不安から逃げてしまえば、その人は一生、苦しさ、辛さ、不安を背負っていかねばなりません。
 これは、逃げる事の代償です。


 

 

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平和のための戦争など存在しえません

こんにちわ。呟き尾形です。

戦争は戦争のために戦われるのでありまして、
平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。
 ― 内村 鑑三 ― (思想家)


 戦争とは、主に国家間において、武力を用いて争うことです。
 それは、各国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間に行う武力闘争であり、国際法上において、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される武力闘争となります。

 そのため、大抵の戦争は、大義名分を掲げて宣戦布告を行います。

 ところで、大義名分とは、何か事をするにあたっての根拠のことであり、やましくない口実のことを言います。

 が最初から、やましくないのであれば、口実、つまり、責任のがれや弁解のための理屈など不要です。
 それは、戦争は、戦争のためのあらそいであることをしめします。
 原理的に、平和のための戦争など存在しえませんし、実際、歴史の中にも平和のためになった戦争など一度もありません。

 

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現在の教育に不足しているもの

こんにちわ。呟き尾形です。

従来の教育には、
「教」はあっても「育」がありません。育てるということは、
「成功」の味をしめさせ、「失敗」に学ばせることです。
 ― 西堀栄三郎 ― (『石橋を叩けば渡れない』)


 
 
 教育とは、人間形成に作用するすべての精神的影響を指します。

 この教育の「教」は、知識や技芸を伝えて、身につけさせることです。

 そして、教育の「育」は、養い育てることであり、教育されるがわが、主体的に「成功」の充実感と、「失敗」から学ぶことを身をもって理解させること。

 現在の教育に不足しているものは、そのままずばり、「育」が不足だといわざるをえないと思います。




 

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平和になるために必要なもの

こんにちわ。呟き尾形です。

平和は憲章や盟約だけに根ざすものではない。
それは人々の心情の中に根ざすものである。
 ― ジョン・F・ケネディ ― (第35代アメリカ合衆国大統領)


 平和とは、戦争もなく世の中が穏やかであることです。

 では、戦争のない穏やかな世の中にするためにはどうすればいいのでしょうか?

 憲章や盟約で、さまざまな約束ごともしようでしょうが、それだけではありません。

 なぜなら、平和になるためには、まず、世界の人々が、争いや心配事もなく穏やかでなければいけないからです。
 つまり、平和とは、人々の心情の中に平和でありたいという願いがあってこそ達成しうることだといえるのです。

 

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能力の無さを自覚したときこそ、チャンスである

こんにちわ。呟き尾形です。


自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。
なければなおいい、決意の凄みを見せてやるというつもりで、
やればいいんだよ。
 ― 岡本 太郎 ― (現代美術家)


  能力というものは、磨けば磨くほど光るものです。
 磨くという行為は、決意による努力なしには不可能です。

 才能や素質というものは、それはそれですごくて、素晴らしい事ではあるものの、特に強い決意は必要とはしません。

 これといった努力することなく、生まれつきの才能や素質でこなすことは、それほどすごい事ではないからです。

 決意の凄みというのは、『できない』ことを成し遂げることにあります。
 自分の能力の無さを自覚したときこそ、チャンスである。
 といえるかもしれません。

 


 

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友達になりたいときの心構え

こんにちわ。呟き尾形です。


友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、
相手に純粋な感心を寄せることだ。
 ― デール カーネギー ― (『人を動かす』)




 友とは、親しくつき合う存在のことを指します。
 そして、友というものは、誰もが求めるものです。

 ですから、人は友が欲しいゆえに、友になって欲しい人の関心をひこうとしますが、それは逆効果です。

 本当に友になってほしいのなら、そもそも、その相手に純粋な関心をもっているはずです。

 そうして、相手に純粋な関心をもって事に当たれば、相手のことを気遣い、相手もまた、自分に関心をもってくれるようになります。
 そうして、自然と友人関係がつくられていくものが友という関係ではないでしょうか?



 

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真っすぐ前ばかり見とっても、何も見えてこんで。

こんにちわ。呟き尾形です。


真っすぐ前ばかり見とっても、何も見えてこんで。
人生、大事なことは横っちょの方に転がってるもんや。
 ― 榊 莫山 ― (書道家)



 真っ直ぐ前を見る事は良い事です。

 しかし、真っ直ぐ前がかりみているのでは、話は変わってきます。

 すべての物事は、その物事の見かたによって見つけられるものが変わってくるものです。

 大事なものを見失わないためには、一方的なものの見方をせず、視野を広くすることです。
 大事なものというものは、目の前にあるとは限らず、立ち止まって横を見てみれば、案外、あっさり見つけられるものなのです。



 

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国の指導者の能力とは

 

こんにちわ。呟き尾形です。

国家の興亡は戦争の勝敗によらず、その民の平素の修養による。
 ― 内村 鑑三 ― (思想家)


 平素とは、つねひごろということであり、とどのつまりは日常ということです。
 修養とは、学問を修め精神をみがき、人格を高めるよう努力することです。
 
 一般に、国家の興亡は戦争の勝敗によって、決定されるような印象を持ちます。

 しかし、歴史という視点で国家の興亡を見ると、戦争よりもむしろ、当時の政治腐敗が原因となっている場合が殆どです。

 そして、政治腐敗を許すのは、国民が、平素の修養を怠り、政治に無関心になることが殆どです。
 それは、国の栄枯盛衰は、指導者の能力ではなく、国民の力であるといえるでしょう。
 国の指導者の能力とは、国民の力をいかに発揮させるかということなのです。
 



 

 

 

 

 

 

 

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成功の秘訣を書けると思ったとき、成功への道は閉ざされる。

こんにちわ。呟き尾形です。

成功の秘訣を書けると思ったとき、成功への道は閉ざされる。
 ― ルー・ガースナー ―  (IBM会長)


 成功とは、目的を達成することです。

 秘訣とは、ある事を行うのに最もよい方法のことです。

 しかし、成功とは、状況によって条件が異なり、設定される目的によって、方法は変化するものであり、柔軟性が必要になり、状況によって秘訣など千差万別にへんかするものです。

 一方、成功の秘訣がかけると思った瞬間、成功の秘訣は固定化された事になります。
 ゆえに、成功の秘訣を書けると思ったとき成功の道は閉ざされるのです。





 

 

 

 

 

 

 

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幸福と快楽の区別

こんにちわ。呟き尾形です。

今の人は、幸福と快楽の区別を知らない。
快楽を得ることを幸福だと思っている。
 ― 武者小路 実篤 ― (小説家)


 幸福とは、不自由や不満もなく、心が満ち足りていることです。
 快楽とは、こころよく楽しいことです。

 さて、一見、幸福と快楽は一致するようにみえます。
 たしかに、幸福と快楽は一致することもありますが、まったく同じではありません。

 快楽だけを求めると、欲望が肥大化し、やがて欲望が満たされなくなってしまいます。

 すると、欲望に縛られ、本能のままに動き、人として自由を失います。
 つまり、快楽を求めるがゆえに、欲望が自分自身でコントロールできなくなり、不自由になります。
 さらに、欲望が満たされなくなれば、心が満ち足りることすらありません。
 不自由かつ満足できないのなら、それは不幸です。

 幸福と快楽の差は、満足することを知るか否かの違いだといえるでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

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力のあるアイディアは、反対意見を吸い込みます

こんにちわ。呟き尾形です。

反対があるのは健全なこと、
本当に力のあるアイデアか試されるわけだから。
 ― ゲイリー・トゥッカー ― (モトローラ元会長)


 反対があるからといって、それは即、組織力がないとか、反逆があるとはかぎりません。

 むしろ、反対意見のいえる組織である、ないし、仕組みであるということが、組織として健全であるといえるでしょう。

 なぜなら、反対される意見やアイディアを検討するからこそ、生じるものだからです。
 なんら検討もしない、イエスマンの集団になったとき、組織の腐敗ははじまっているといえるからです。

 力のあるアイディアは、反対意見を吸い込み、よりよいアイディアになるものです。

 ですから、反対意見の内容など問答無用に即、反逆だと決め付け、制裁を加える指導者は、独善的な独裁者の道を歩んでいると言わざるを得ません。

 まぁ、昨年の夏の解散から秋の選挙にかけてなんかいい例ですね。
 反対意見の内容をものともせず、すべて反逆だと決め付けた。
 その証拠に、郵政民営化が争点になっているにもかかわらず、反対意見の内容も、郵政民営化法案の内容も選挙ではとくに触れられていなかったからです。

 

 

 

 

 

 

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志をたてたなら

 

こんにちわ。呟き尾形です。

男は、四の五のいらぬことを考える必要はない。
志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい。
 ― 豊田 佐吉 ― (トヨタグループ創業者)



 志とは、心に決めて目指していることです。
 それは、何がなんでも、何かをしようという決意を示します。

 つまり、志を立てるとは、決意しそれを見失わぬように努力し続けることを意味します。

 迷うとは、決断ができないことであり、とどのつまりは、どうしたらよいかわからない状態を指します。

 志を立てたのであれば、迷うはずもありません。
 となれば、志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をするだけです。




 

 

 

 

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真の文明なら環境破壊をするはずもない  

こんにちわ。呟き尾形です。

真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、
村を破らず、人を殺さざるべし。
 ― 田中 正造 ― (正道思想家)


 文明とは、人知がもたらした技術などによって、生み出されるもののことを指します。

 人知とは、人間の知恵のことであり、事の道理や筋道をわきまえ、正しく判断する心のはたらきのことです。

 さて、文明の名において、山や川を荒らし、村を破壊し、人を殺すことは、人間の知恵のなせる業でしょうか?

 本当に、ことの道理や筋道をわきまえれば、文明の名において、山や川を荒らし、村を破壊し、人を殺すことほど、愚かしいことなど自明のはずです。
 ですから、本当の文明は、山や川を荒らし、村を破壊し、人を殺すことなどするはずもないのです。




  

 

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プロであれば、自分の仕事に愛と誇りを持つこと。

こんにちわ。呟き尾形です。

現代人の欠点は、自分の職業に愛と誇りをもっていないことである。
多くの人が職業を必要悪、のろうべき苦役と考えている。
― ロダン ― (フランス彫刻家)


 職業とは、日常生活を維持するために、日々行われている仕事のことをさします。現代において、多くの人が自らの職業に愛と誇りを持つどころか、のろうべき苦役と考えているようです。
 日々行われている仕事が苦役になるということは、辛い人生を歩んでいる事と同意です。

 そして、仕事を苦役とするのなら、自らの職業に自尊心をもつことなどできるはずもありません。
 自らの職業に自尊心がもてないのなら、流れ作業のごとく、機械的に仕事をこなすことになるのは必然です。

 つまり、自分の職業に愛と誇りがもてないのなら、いい仕事など出来るはずも無いということです。
 多くの人が、いい仕事が出来ないのであれば、現代人の大きな欠点だといわざるを得ません。

 どんな職業であろうが、プロであれば、自分の仕事に愛と誇りを持つこと。
 それが、現代人の欠点の対策であり、いい仕事をし、充実した人生を行うコツだといえるでしょう。



 

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自分の仕事に慢心するな

こんにちわ。呟き尾形です。

“どこかまだ足りないところがある”
“まだまだ道がある筈だ”と考え続ける人の日々は輝いている。
 ― 松下 幸之助 ― (松下電器産業創業者)


 自分の能力を全力で出した結果に対して、満足することなく、さらに良いものを追求する人は、充実した日々を遅れます。

 自分の能力を全力で出した結果に対して、満足することなく、さらに良いものを追求するということは、向上心を意味します。

 自分の出した結果に満足してしまうと、向上心は失われ、そのかわり慢心を生み出してしまいます。

 自分の仕事に慢心することなく、向上心をもって仕事をすることは、その人を輝かせます。

 

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他者に一生懸命サービスする人がもっとも利益をえる

こんにちわ。呟き尾形です。

他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である。
 ― カーネル・サンダース ― (KFC創業者)


 最近の風潮では、利己的であることが、もっとも利益を得るという価値観が、はやり病のようになってしまっています。

 たしかに、利己的に、他人の事などどうでもよく、自分だけの利益を最優先にすれば、もっとも利益を得る人間に見えてしまいます。

 しかし、それは、刹那的に物事をみた場合の話です。

 人は、利己的な人間を利用しようとは思うかもしれませんが、信用しようとはしません。
 むしろ、利己的な人間は、不当な利益を得ているのだと評価され、尊敬されるどころか、利己的な人間のことを軽蔑されます。
 他者から軽蔑されることは、人として大きな損失であり、軽蔑されるようなことをしては、継続的な利益をえられるものではありません。
 人は、他の人に一生懸命サービスする人を信頼し、利益をもってしかるべきと思うものです。
 ゆえに、他者に一生懸命サービスする人がもっとも利益をえるのだといえるわけです。

 

 

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失敗恐怖症

こんにちわ。呟き尾形です。

人生に命を賭けていないんだ。
だからとかくただの傍観者になってしまう。
 ― 岡本 太郎 ― (現代美術家)


 傍観とは、物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず、何もしないで、ただ見ていることのことです。
 これは、目の前で起こっている事が、他人事だと思っているからです。

 人生とは、人間がこの世に生きている期間のことを指し、とどのつまりは、自分の経験と今現在と未来のすべてだといえるでしょう。
 ですから、目の前で起こっていることすべては自分に関係ない事なんてありえないのです。

 では、なぜ、人は傍観者になってしまうのでしょう?

 それは、命がけで、必死になっていないため、自分の為すべきことを見失ってしまうのです。
 命がけで、必死になっていれば、おのずと自らの為すべきことを自覚するものです。

 では、なぜ、命がけになれないのでしょう?
 なぜ、必死になれないのでしょう?
 それは、リスクと失敗を恐れているからです。
 つまり、失敗をおそれ失敗恐怖症に陥りつつあるということです。

 失敗恐怖症は、失敗をなにより恐れ、失敗を罪悪と考えます。
 ゆえに、自分の行うべき責任ある事ができなかったり、失敗を恐れて未来への可能性を切り開けず、自らの夢や希望を捨ててしまうのです。

 失敗を恐れ、自らの夢や希望を捨て、人生の重みを実感できないことはある種、不幸なことです。
 むしろ、命がけで、必死になれば、人生の重みを自然と感じることができます。
 それは、生きている事の実感につながり、ある種幸福だといえるでしょう。
 

 

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平和で幸福に暮らすための必須条件

こんにちわ。呟き尾形です。

いかに生活が便利に豊かになろうとも、信頼感の欠如した社会に、
人間が平和で幸福に暮らしていけるはずがありません。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)


 豊かとは、十分に備わって不足のないさまであり、とどのつまりは豊富だということです。

 物質的に豊かであることと、精神的に豊かであることは必ずしも同意ではありません。
 物質的に豊かであるというのは、財物が十分あって恵まれているさまであり、とどのつまりは富裕であるということです。
 精神的に豊かであるということは、気持ちにゆとりのあるさまであり、精神的に余裕があるということです。

 この精神的な余裕は、信頼感のある社会があってこそ得られるものです。

 そして、その信頼感のある社会は、人間が平和で幸福に暮らすための必須条件です。
 



 

 

 

 

 

 

 

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人は簡単に望んでいる事を捨てることなどできません。

こんにちわ。呟き尾形です。


「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。
それは自棄ではない、盲従ではない、
事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である。
 ― 種田 山頭火 ― (『山頭火随筆集』)


あきらめとは、望んでいたことの実現が不可能であることを認めて、望みを捨てることです。
 自棄とは、思うようにならなくて、なげやりな行動をとることですが、これはあきらめているのではありません。あきらめられないからこそ、なげやりな行動をとるのです。
 盲従とは、自分で判断をせず、相手の言うがままに従うことですが、これはあきらめているのではありません。あきらめられず、自分を見失い、自分で判断出来なくなって、相手の言うがまま従うのです。

 自棄になることや、盲従することは易しいことです。
 しかし、あきらめることは易しいことではありません。
 人は簡単に望んでいる事を捨てることなどできないからです。

 だから、その人が望んでいる事を、その人は何度失敗使用とも、他人からどのように見られても続けるものなのです。

 

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歴史は他人事ではありません。

こんにちわ。呟き尾形です。

我々は歴史の観察者たる以前に、まず歴史的存在である。
 ― ウィリアム・ディルタイ ― (ドイツ哲学者)



 歴史を調べていくと、自分はその歴史とは無関係の観察者であると錯覚しがちです。

 歴史とは、私たちの社会が時間とともに移り変わってきた過程と、その中での出来事であり、また、それをある秩序・観点のもとにまとめた記録・文書のことを指します。

 つまり、歴史というものは、現在まで経過してきた変化の跡であり、とどのつまりは、現在までに積み重ねられた事柄だということです。

 となれば、私たちは、歴史の観察者である以前に、積み重ねられた歴史にさらなる歴史を積み重ねる当事者であるということが言えるわけです。
 いうなれば、まだ来ぬ未来からみれば、私たちは歴史的存在であるということをわすれてはいけません。
 そして、歴史は他人事ではないということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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運命は自ら切り開くもの

こんにちわ。呟き尾形です。

命を運ぶと書いて運命。
つまり運命とは、定められて仕方なくたどるものではない。
みずからの命を自分の力で運んでこそ運命といえるのではないか。
 ― 大谷 徹奘 ― (薬師寺僧侶)


 運命というと、未来が定められるものだと誤解されそうなものですが、実は、人の未来を考えるとき、運命論的な考え方と、宿命論的な考え方の二つに分けられます。

 運命論は、自らの命を運ぶわけで、未来は自分で切り開けるのだ。という捉え方です。
 宿命論は、命が宿るわけで、受動的に未来はやってくるのだというとらえ方です。 

 運命論であろうが、宿命論であろうが、未来というものは、確定しているものではないということです。

 ですから、運命は自ら切り開くものでありたとえば、自分自身の可能性について適応するものだといえるでしょう。
 それに対して、宿命は受け入れるものだといえるでしょう。
 たとえば、死です。

 運命も宿命も命という漢字が使われるのは、どちらも、人生に必要なものだからといえるのではないでしょうか?

 

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流行なんてものには個性がありません。

こんにちわ。呟き尾形です。

どうでもよいことは流行に従い、
重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。
 ― 小津 安二郎 ― (映画監督)


 いまさら言うのもなんですが、人が美しいと感じるものには、個人差があります。特に、芸術という分野は、自分自身の表現なのですから、他人の感性で美しいと感じる事は不可能で、芸術においてはつくる側も見る側も自分の感性に従わざるを得ません。

 今抱えている難しい、重大な問題というものは、対外、社会生活をする上で常識となるべき、道徳から外れているからこそ発生するものばかりです。
 であれば、重大な問題は道徳に従い、方針を立てれば解決の糸口というものは見通しがつくものです。
 となれば、自分にとって大切なことがらにおいて道徳に従えば、問題が生じないということは必然といえるでしょう。

 では、それ以外のことはどうでもいいのです。
 どうでもいいことを、無意味に欲張って、重大なことにしたり、大切だと思い込んでしまっては、してしまえば、二兎追うものは一兎も得ずの故事のごとく、重大なことを取り逃がしてしまいます。
 これでは本末転倒もいいところです。

 人間は自分にとって大切なことを達成できれば満足できるものですし、それを維持するために重大なことをどっしり安定させれば不安にならないものです。
 世間がどうしているとか、他人がどうしているかなんて気にする必要性も必然性もありません。
 どうでもいい事なら流行などの形式だけでもあわせておけば、世間や他人からジャマははいりません。なにせ、なにも分かっていない人ほど、どうでもいいことにどうでもいいことに口出ししてくるからです。
 他人や世間にどうでもいい事に口出しされたくなければ、流行に合わせることがベストでしょう。流行なんてものには個性がありません。いや、流行に個性があってはたまったものではありません。

 どうでもいいことに労力を使うよりは、大切だったり重要なことに労力を使うべきですし、その方がえるものが大きいというものです。

 

 

 

 

 

 

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無用の用   

こんにちわ。呟き尾形です。

この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない。
われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、
われわれの憎み嫌う人にも特長がある。
 ― 新渡戸 稲造 ― (教育者)

 この世に完全無欠なものはないことは、いうまでもないでしょう。

 では、ゼンゼン必要のない無用なものはないのでしょうか?

 その時、その目的、その人にとって無用なものがあるかもしれません。
 しかし、そこにあるものは、いつか、なにかの目的で、誰かにとって必要とされるからこそ存在しうるのです。

 そして、まったく無用なものになったなら自然に消滅します。

 もし、ゼンゼン必要の無い、無用なものが存在していたと感じたときは、それは、固定観念や狭い視野であることの証拠だと思うべきでしょう。

 

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現実をわきまえない理想主義は、机上の空論である

こんにちわ。呟き尾形です。

理想主義のない現実主義は無意味である。
現実主義のない理想主義は無血液である。
 ― ロマン・ロラン ― (フランス小説家)


 理想主義とは、現実に妥協することなく、理想や理念の実現をめざそうとする生き方のことをいいます。

 現実主義とは、理想やタテマエにこだわることなく、現実に即応して事を処理しようとする態度のことをいいます。

 一見、相反するこの二つのイデオロギーは、お互いを地盤にしています。

 つまり、理想や理念を持たない現実主義は、刹那的になり、やがて、意味や価値を見失うものです。
 同様に、現実をわきまえない理想主義は、机上の空論に過ぎず、やがて理想は妄想に劣化するものです。

 ですから、理想主義も、現実主義も、お互いに支えあってはじめて意味と価値を帯びるものですから、お互いを否定してはなりません。



 もし、理想主義となって、現実の問題を批判するなら、まず、現実主義になって、現実の問題の事実を把握し、理想を実現するだけの代案が必要です。
 そうでなければ、机上の空論威なるからです。

 もし、現実主義となって、現実の問題を改善しようとするなら、まず、理想主義になって、あるべき姿である理想を自覚するべきです。そうでなければ、その場しのぎの対策になるからです。

 

 

 

 

 

 

 

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愛には、求める心は不要です

 
こんにちわ。呟き尾形です。

愛は欠けたるものの求むる心ではなく、
溢るるものの包む感情である。
人は愛せらるることを求めずして愛すべきである。
 ― 倉田 百三 ― (『愛と認識の出発』)


 愛することも、愛されることも、どちらも欠けたものを求める心だと勘違いされがちです。

 なぜなら、愛することも、愛されることも、満たされた状態であるからです。

 しかし、それは、そもそも、愛が、あふれるものを包む感情によって起因するものであって、欠けたるものを求める欲望に起因するものではないのです。

 ゆえに、愛には、求める心は不要です。



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 こんにちわ。呟き尾形です。

zzzz

 
zzzz



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