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哲学のキッカケ(名言集 15)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑) 200602

  1. ・進歩の成果は短時間でわかるものではない
     
  2. ・事実に反する論理的な検証は可能である
     
  3. ・望んだことを実現させるためには
     
  4. ・発見の種    
     
  5. ・信頼と期待は違います
     
  6. ・善悪の差は動機の差
     
  7. ・躊躇していてはチャンスは手に入れられません
     
  8. ・欠点を自覚し、認めることで多くのことが学べるのです。
     
  9. ・自らの良心に恥じる
     
  10. ・苦しい事が努力ではありません
     
  11. ・リーダーシップを支えるもの
     
  12. ・勇気 それは、心の強さ
     
  13. ・やってみなければわかりません
     
  14. ・愛の実体とは、一体、何なのでしょうか?
     
  15. ・なぜ 勉強をするの?
     
  16. ・敗北を認める心が強い心を培う
     
  17. ・男女の区別するだけで、男女差別?
     
  18. ・逆境という宝箱
     
  19. ・成功の実は、心配ではなく行動よって得られる
     
  20. ・成長する人材
  21. ・人生の味
     
  22. ・同じ団結でも・・・
     
  23. ・将来の夢を聞くと不思議と、ワクワクするものです
     
  24. ・いい結果をえたければ、信頼、資本、奉仕の蓄積をすることです
  25. ・xxxx。  
  26. ・xxxx
  27. ・ xxxx


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進歩の成果は短時間でわかるものではない
  

進歩は実に遅く不確かなものです。
やがて出しぬけにそれがひらかれます。人は前に出ます。
けれども暗中模索の幾年かあとの事です。
 ― 高村 光太郎 ― (詩人)

 
 進歩とは、物事が時間の経過に伴ってよくなっていくことです。
 この進歩というものは、なかなか自覚できるものではありません。

 ですから、自分が本当に進歩しているかどうかすらわからずに、他人とばかり比較して、進歩していても、進歩していないような錯覚することもしばしばあるでしょう。

 しかし、進歩というものは、短時間で達成するのではありません。

 ですから、長い長い時間を費やし、暗中模索の幾年か後、振り返ってみてやっとこさ、自覚できるもの。
 それが進歩というものでは無いでしょうか?

 


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事実に反する論理的な検証は可能である

結局何が残るのかといえば、人間が実際やっていることだけで、
それ以上のなにものでもない。それ以外のことは、本物であるかもしれないし、
ウソやごまかしであるかもしれない。実地の検証を受けない限り、
人間はいくらでも自分をあざむくことができますから。
 ― アンジェイェフスキ ― (『灰とダイヤモンド』)


  検証とは、真偽を確かめることです。

 真偽を確かめるためには、かならず、事前に真が決まっていて、それに一致しているかどうかでたしかめられます。
 ですから、真を明確にしないで確認を取ることなど不可能なのです。

 しかし、人は、憶測や推測、ひどい場合には偏見と先入観によって判断をしてしまいます。
 さらに、事実に則しない前提をたてれば、いくらでも、事実に反する論理的な検証が可能になります。

 論理的な検証だけでは、ウソやごまかしがまかりとおることがあるのです。
 実地の検証を受けない限り、人間は自分すらも、あざむくことができることを自覚しなければいけません。

 

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望んだことを実現させるためには


強烈な願望を抱き、心からその実現を信じることが
困難な状況を打開し物事を成就させるのです。
 ― 稲盛 和夫 ― (京セラ創業者)


  願望とは、ねがいのぞむことですが、精神分析では、主に意識されていない欲望のことをさします。

 名言の中にある強烈な願望とは、もちろん前者の願い望むことをさします。
 そして、その願望は、ぼんやりと思い描く願望のことではありません。
 心から願い、望んだ事を実現を信じることを必要とされます。

 心から願い、望んだことを実現させるためには、自分で目の前に立ちはだかるさまざまな困難な状況を打開しなければ、心から願望の実現など信じれるわけがありません。

 つまり、願望の実現を信じていれば、行動につながり、その行動が願望の実現を信じる根拠になるというわけです。

 

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発見の種

  発見とは人と同じものを見ながら、
人の気づかないものを見つけることである。
 ― セント・ジェルジ ― (ハンガリー医学者)


  発見というと、人と異なるものをみているからこそ為されているという印象があります。

 なぜなら、発見は、まだ、見つかっていないものを見つけ出すということだからです。
 
 しかし、多くの人が発見したと感じるとき、非日常というよりは、日常生活の中で、視点を変えてみて、今まで気がつかなかったことに気がついた場合が多いはずです。

 つまり、日常にある当たり前のものから、誰も気づかなかったからこそ発見といえるといえるでしょう。
 ある意味、発見の種は、どこにでも転がっていることになります。
 そして、その種を発芽させる条件は、観察という光をあて、興味という水を与える事にほかならないでしょう。

 

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信頼と期待は違います


裏切りがいやならば期待はしないほうが賢明だ。
だから裏切りの大きさは期待の熱意に正比例する。
 ― 串田 孫一 ― (哲学者)


  信頼とは、信じて頼ることです。
 期待とは、よい結果や状態の実現を待ち望むことです。

 この二つの言葉には、似ていて異なるものがあります。
 それは、我欲の存在の有無です。
 我欲のある信頼は、かりそめの信頼だといえるでしょう。

 裏切りとは、信頼にそむく行為をすることですが、期待の大きさ、つまり、我欲の大きさに比例して、失望もおおきくなります。

 しかし、信頼と期待は違います。
 なぜなら、本当に信頼していれば、裏切られたとしても、また、信じようという気持ちになるものです。
 それが、信頼の強さといえるでしょう。

 

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善悪の差は動機の差


 善悪の分かれ目とは、
自己を愛する「愛」と他を愛する「愛」のあいだにあるのです。
 ― 稲盛 和夫 ― (『稲盛和夫の哲学』)


 善とは、道理にかなったことです。
 悪とは、道徳・法律などに背く行動や考えです。

 道理とは、人の行うべき正しい道ですから、道徳や法律に従うのは、道理にかなったことです。

 では、善悪の分かれ目というものはどういったものでしょうか?

 それは、行為や結果の差ではなく、利己的であるか、利他的であるかという、動機の差なのです。

 

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躊躇していてはチャンスは手に入れられません


 いいものをひろう極意は、躊躇しないこと。
あっと思ったら、同時に手をのばすこと。
 ― 銀色 夏生 ― (『流星の人』)

 

 いいものというものは、なかなか手に入るものではありません。
 それは、いいものがめったに転がっていないだけではありません。

 たとえ、いいものとめぐり合う機会があっても、つい、躊躇してしまうからです。

 では、なぜ、躊躇してしまうのでしょう?

 それは、いいものを手にしようとする心構えが整っていないからです。
 いいものとは、いつめぐりあうかわからないから、心の準備をしないのではなく、いつ、いいものとめぐりあってもいいように、心の底から、いいものであると確信できたら、それと同時に手を伸ばす心の準備をしておくのが、いいものを手に入れる極意だといえるでしょう。

 これは、ものにかぎらず、成功や勝利のチャンスにもいえることです。
 躊躇していてはチャンスは手に入れられません

 

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欠点を自覚し、認めることで多くのことが学べるのです。


  自分の欠点を直視し認めることです。
ただし欠点にふりまわされてはいけません。
忍耐力、優しさ、人を見抜く目を欠点から学びましょう。
 ― ヘレン・ケラー ― (アメリカ社会運動家)



  欠点とは、不十分で、補ったり改めたりしなければならないところのことであり、とどのつまりは、短所のことです。
 一般に欠点は、非難されるべきところとされ、なかなか自分の欠点を見つけ出す事が出来ません。

 自分の欠点を直視できたとしても、その欠点が劣等感になり、欠点に振り回されることもあります。
 一見、自分の欠点を自覚出来たとしても、とてもいい事があるようには思えないでしょう。

 しかし、欠点を自覚し、認めることで多くのことが学べるのです。

 自分の欠点を自覚すると、他者の欠点にも耐えることができます。
 自分の欠点を自覚すると、他者の欠点があっても優しくなれます。
 忍耐力と優しさがあれば、人をうわべだけではなく、人を見抜く目を養えます。

 

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自らの良心に恥じる

人間は自分の行動のためにあらゆる理由を持ち出す。
犯罪のためにあらゆる弁明を持ち出す。
安全のためにあらゆる口実を持ち出す。
だが絶対に持ち出さないものがある。それが自分の臆病さだ。
  ― バーナード・ショー ― (イギリス劇作家)


 弁明も口実も、自らの行動にうしろめたさがなければ、自ら述べる必要の無いものです。

 つまり、自らの良心に恥じるところがあるからこそ、自ら弁明や口実が行われるわけです。

 では、なぜ、自らの良心に恥じるのでしょう?

 弁明や口実が必要とされる行為は、自らの臆病さを隠すための行為だからです。
 だからこそ、自分の臆病さはを理由とした、弁明や口実がなされることは無いといえるでしょう。

 

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苦しい事が努力ではありません

人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。
いるのは弱さに甘んじている人間と、
強くなろうと努力している人間だけだ。

 ― 本田 宗一郎 ―  (本田技研工業創業者)




 
 人類の歴史を紐解くと、一見強く見える人々はたくさんいますが、掘り下げて調べていくと、完全無欠の強い人間など存在

してはいません。

 そして、どんな偉業も、それを成し遂げた人物の努力の結晶ばかりです。

 では、努力することが強いということなのでしょうか?
 逆です。弱いからこそ、努力できるのです。
 強ければ、努力する必要がないのです。

 では、努力というのは苦しむことでしょうか?
 違います。
 努力とは、心をこめて事にあたることであり、とどのつまりは、つとめはげむことほかなりません。

 強くなろうと努力をして、苦しいこともあるでしょうが、それは、弱さに甘んじて怠惰になっても、最終的に、苦しむのですからおなじことです。
 苦しい事が努力ではありません。

 ただ、強くなろうと努力すれば、弱さに甘んじているときよりも、苦しみが少なくなります。

 

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リーダーシップを支えるもの


 リーダーシップは賢さに支えられるものではない。
一貫性に支えられるものである。
 ― ドラッカー ― (『プロフェッショナルの条件』)

 リーダーシップとは、指導力や統率力のことです。
 指導力とは、組織の目的を果たすため、メンバーを導くことです。
 統率力とは、組織のメンバーに指揮して、組織を統一ある動きをさせる能力のことです。

 では、この能力に必要なものは何でしょうか?
 誰にも負けない強さでしょうか?
 ことを上手くはこばせる賢さでしょうか?
 物事を恐れない強い心をもつ勇気でしょうか?

 どれも、メンバーの信頼をかち得る能力ですが、リーダーシップを支えるものではありません。

 リーダーシップを支えるものは一貫性です。
 強さがあっても、一貫性がない乱暴者には、誰もついてきません。
 賢さがあっても、一貫性の無いずる賢い者には、誰もついてきません。
 勇気があっても、一貫性のない無謀な者には、だれもついてきません。
 一貫性さえあれば、人はついてきます。
 
 では、その一貫性何に支えられるのでしょう?
 最初から最後まで矛盾がなく、同じ態度を持続させる理念こそ、リーダーシップを支えるものです。

 

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勇気 それは、心の強さ

  勇気とは不安を感じないことではない。
勇気とは不安をコントロールすることだ。
 ― マーク・トゥエイン ― (アメリカ小説家)


 
 勇気という言葉の類語に蛮勇なんて言葉があります。
 蛮勇とは、向こう見ずの勇ましさのことです。
 つまり、結果がどうなるかも考えずに行動を起こすことです。

 不安は、これから先のことを考えるからこそ、発生する恐れだといえるでしょうし、先の事を考えれば誰でも不安になるのは必然です。

 勇気は、物事を恐れない強い心のことを指しますが、蛮勇とは違います。

 蛮勇は、先の事を考えないからこそ、不安を感知できないのに対し、勇気は、その不安を不安として感知した上で、それを乗り越える強い心が必要なのです。
 だからこそ、不安を知らない勇気など存在せず、不安をコントロールできてこそ、勇気があるのだといえるのです。

 

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やってみなければわかりません

   どこまで行けるかを知る方法はただ一つ、
出発して歩き始めることだ。
 ― アンリ・ベルクソン ― (フランス哲学者)

 
 どこまでいけるのか?
 人の話でもわかるものでもありません。
 ましてや本にも書いてありません。
 どもまでいけるのか、というのは、いろいろ考えてもわかるものではありません。

 なぜなら、人は全知ではなく、すべての事柄を想定することなどできないからです。

 しかし、それでも、たった一つの方法があります。
 考えることをやめて実行することです。

 何事もやってみなければわかりません。



 

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愛の実体とは、一体、何なのでしょうか?

 怒涛に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、
愛の実体があるのだ。
 ― 太宰 治 ―  (『新ハムレット』)



 
 口で言うだけで愛を語る事はたやすいことです。

 愛には、色も形も無いし、見る事も、触ることもできません。
 愛という言葉の音を耳にすることはできても、それが愛というわけでもありません。
 
 では、愛の実体とは、一体、何なのでしょうか?

 それは、愛ゆえの覚悟です。
 覚悟を持って、愛する人に尽くすことこそ、
 それこそが、愛の実体です。


 

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なぜ 勉強をするの?

 学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が
残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
 ― 太宰 治 ― (『正義と微笑』)


  なぜ、勉強をするのでしょう?
  勉強は楽しい事もありますが、辛く苦しい事もあります。
 勉強して憶えた事が直接役立つことなど稀です。
 その上、時間の経過とともに忘れてしまうものです。
 多くの若者は、きっと、勉強が無駄なものだと感じるかもしれません。
 なかなか、そこに意味や価値を見出すことはできません。
 だから、多くの若者は、問います。
 「なぜ、勉強するの?」

 多くの大人は、将来のためであり、いい大学に入って、いい会社に入る為だといいます。
 でも、その将来は、誰の為でしょう?
 自分のためであり、他の誰のためでもありません。

 が、しかし、勉強する若者の多くは、将来のことなど漠然としており、自分が何をしたいのかすら自覚できないことが多いでしょう。
 となれば、目的もわからずに勉強するということは、単なる苦痛にすらなるでしょうし、将来の自分の目標以外の勉強は不要だと考えるでしょう。

 それでは、勉強することは無意味なのでしょうか?
 それは、違います。
 勉強によって、得た知識が役立つのではなく、勉強という訓練を繰り返すことで、人は心が鍛えられるのです。
 そして、一つ一つの勉強は、一握りの砂金のごとくわずかですが、確実に心が鍛えられるのです。
 どのような目標をもつのであれ、鍛えられない心は、目標は達成しえません。
 だから、いつか見つかるであろう目標のために、勉強しなければならないのです。 

 もし、人が勉強をやめたとき、そこには退廃的な価値観しか生じません。
 退廃的な価値観をもてば、目標すらもてなくなり、目標を持つ幸せ、目標に挑戦する幸せ、目標を達成する幸せを必然的に失い、やがてすべての幸せを失います。
 これほど不幸な事はありません。

 

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敗北を認める心が強い心を培う

「負けました」といって頭を下げるのが正しい投了の仕方。
つらい瞬間です。でも「負けました」とはっきり言える人は
プロでも強くなる。これをいいかげんにしている人は上にいけません。
 ― 谷川 浩司 ― (棋士)




  人は、敗北によって、いろいろなものを失い、勝利から、いろいろなものを得る事ができます。

 一見、勝利は、何も失わなず、敗北からなにも得ないように見えます。

 しかし、勝利は確実に人から謙虚さを奪い、敗北からうたれ強い心の強さをえることができます。

 勝負の中で、言い訳することなく、負けを認めたとき、もっとも大きなものを得るものです。
 そして、これが出来ない人は、なかなか、強い心を得ることができません。
 つまり、敗北を認める心が強い心を培うということがいえます。

 強い心がなければ、なかなか、心から欲するものは得られないものです。

 

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男女の区別するだけで、男女差別?

    男の使命は広く。女の使命は深し。
 ― トルストイ ― (『戦争と平和』)


  男性と女性は似ているようで異なる存在です。

 人の性別は、その人のアイデンティティーや価値観に大きな影響を与えるものです。
 そして、社会は性別によって、それぞれに求められる使命が異なってくるものです。

 社外が求める使命が異なるということは、それは男女差別なのでしょうか?

 差別とは、偏見や先入観などをもとに、不利益・不平等な扱いをすることですから、そうではありません。
 男性も女性もそれぞれ、自らの性別をもって、社会的な役割として、広い使命をもち、女性は深い使命をもつということです。
 男女の区別するだけで、男女差別と考えるのは、それこそ偏見や先入観などをもとにした差別というものです。


 

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逆境という宝箱


 逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されているものだ。
 ― ナポレオン・ヒル ― (アメリカ哲学博士)


 
 多くの人は、逆境になると、不遇な境遇であるがゆえに、目の前の障害ばかり目がいって、その先のことなど考えがおよびません。

 また、逆境からは、マイナスの要素ばかり見出し、あきらめてしまいます。

 しかし、その逆境が強ければ強いほど、逆境を乗り越えたときには、大きな報酬の種が隠れています。
 つまり、逆境は鍵のかかった宝箱であるといえるでしょう。

 なぜなら、逆境を越えた人は、確実に過去の自分よりも成長を成し遂げているからです。
 その成長こそ、逆境という宝箱を開ける鍵となるのです。
 ピンチはチャンスです。

 

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成功の実は、心配ではなく行動よって得られる

 種を蒔いたとたんに、
芽を出すだろうかなどという心配をするのはやめよう。
あなたが種を蒔いた瞬間から、その種は間違いなく成長するのだから。
大切なのは、それからのあなたの行動である。
 ― パッチ・アダムス ― (『パッチ・アダムスと夢の病院』)


 
 植物は、時間をかけてじっくり、ゆっくり、時間をかけて生長します。

 そして、植物は適切な環境さえそろえば確実に生長します。

 この点において、人の成長も、同じです。

 人の成長も、適切な環境を与えれば、確実に、時間をかけて、じっくり、ゆっくり成長します。
 種が芽を出し、花を咲かせ実を結ぶのは、種を蒔いた後の、環境であるように、人の成長も、はじめてからのその人の行動によって結果が変わるものです。

 ですから、種を蒔いたとたんに、芽を出すだろうかなどという心配をするのはナンセンスです。
 どうしても不安なら、立ち止まって心配するのではなく、行動するべきです。

 

 

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成長する人材


 
見せかけだけの和はいらない。
最初から馴れあっている人間に発展はない。
 ― 河合 滉二 ― (サッポロビール元社長)


  和とは、対立がなく、集団がまとまっている状態です。

 たしかに、対立の無い人間関係の集団はいいことです。

 しかし、最初から対立もない人間関係は、たんなる馴れ合いです。

 和とは、お互いを研磨しあった結果であって、お互いを甘やかすものではありません。
 成長する人材は、最初から馴れ合うのではなく、お互いを磨きあうことのできる人材です。


 

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人生の味

こんにちわ。呟き尾形です。

人間には志というものがある。
この志の味が人生の味だ。
 ― 司馬 遼太郎 ―  (小説家)


  志とは、心に決めて目指していることです。

 志を持つと、ある種、不自由を感じるかもしれません。

 しかし、その志こそ、自らを律し、人生に味を与えるものでもあります。

 なぜなら、志を持つことで、志を達成する努力に張り合いが出来、志が達成できたときの達成感は、お金で手軽に買えるものではありません。

 志をもたない無味無臭の無難な人生よりも、人生の価値を高くしてくれるのが志というものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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同じ団結でも・・・

こんにちわ。呟き尾形です。

同じ性格の人たちが一致団結しても、その力は和の形でしか増やせない。
異なる性格の人たちが団結すれば積の形で大きくなる。
 ― 西堀 栄三郎 ― (南極観測隊第一次越冬隊長)


性格とは、人の感情や意志などの傾向のことです。

 同じような性格の人たちが一致団結すれば、感情や意志などの傾向が同じなのですから、物事はうまくいくでしょう。
 ただし、発想も工夫も同じようなものですから、その力は、協力という和の形でしか増やせません。

 しかし、異なる人たちが、ひとたび団結できれば、団結の中でもお互いが異なる発想と異なる工夫によって、さらなる発展が望めます。
 そして、競争という積の形で大きくなります。
 なぜなら、競争は、競争する人の実力を、さらに引き伸ばすからです。

 

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将来の夢を聞くと不思議と、ワクワクするものです

こんにちわ。呟き尾形です。

夢を語るという行為それ自体が、
聴き手に対して「気」を与えることになる。
 ― 野田 一夫 ― (多摩大学名誉学長)


 気とは、漢方で、血(けつ)とともに体内の経絡を循行する生命力の根源とされるものだといわれています。
 気は生命力の根源ですから、誰でももっていることです。
 では、「気」を他人に与える事はどういったことでしょうか?

 「気」を与えるからといっても、なにも魔術や超能力を使うわけではありません。誰にでもできる行為なのです。
 たとえば、他人に対して夢を語ることも、方法の一つです。

 友人や知人から、将来の夢を聞くと不思議と、ワクワクするものです。

 なぜなら、身近な人が夢を語るということは、夢が身近になり、自分も夢を持ちたい、あるいはこれまでもっていた夢を達成させたいという気持ちにさせてくれるのです。
 つまり、夢を語ることで、物事に引きつけられる心を動きを与える事が、「気」を与えているということだといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

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いい結果をえたければ、信頼、資本、奉仕の蓄積をすることです   

こんにちわ。呟き尾形です。

三行の蓄積といって、一つは信用の蓄積、これは心がけです。
次は資本の蓄積、我々は事業家ですから貧乏すると人に迷惑をかける。
しかし第三に奉仕を忘れてはならない。
これを忘れると、結果は必ず悪いということを悟った。
 ― 早川 徳次 ― (シャープ創業者)


 
  蓄積とは、たくわえることです。

 信用の蓄積とは、自分の言動や物事を間違いないとして、受け入れてもらうことであり、他人から信頼されるように心がける事によって蓄積可能です。

 資本の蓄積とは、事業のもとでとなる資金を蓄積することです。

 奉仕の蓄積とは、社会などに利害を考えずにつくすことを継続することです。

 信用の蓄積、資本の蓄積、奉仕の蓄積、これらを忘れると、いい結果どころか、必ず悪い結果に陥ります。

 なぜなら、信用されなければ、仕事など任せてもらえません。つまり、挑戦の機会すら訪れません。
 資本がなければ、なにもできませんから、何も出来なければ失敗は目に見えています。
 私たちは、社会にいるというだけで、社会の恩恵をうけています。
 ですから、社会に対して、奉仕をしなければ、社会にただ乗りしていることになるのです。
 すると、奉仕の蓄積されなければ、徐々に社会的な存在意義を失い、いつしか自滅することになります。
 つまり、いい結果をえたければ、信頼、資本、奉仕の蓄積をすることです。


 

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