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哲学のキッカケ(名言集 16)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑) 200603

 

  1. ・器量とは、悩んだ量と深さだけ大きくなるもの
     
  2. ・教育とは、教えるものと、教わるものが、お互いを練磨する事
     
  3. ・革新というものは、逆にたわいのない夢を実現させようとする力がはたらいているものです
     
  4. ・”人類の英知”は探究心と好奇心によって進められる
     
  5. ・思想の根源には思いやりがある
     
  6. ・苦しみは、共有すると苦しみは半分になります。
     
  7. ・貪欲な欲望を断ち切ることなく、決断は出来ない。
     
  8. ・自分も人間なら相手も同じ人間なのです
     
  9. ・人生に間違いも正解もないのです
     
  10. ・努力しないことにより、怠け者になって堕落します。
     
  11. ・無駄な努力など、存在し得ない
     
  12. ・幸せである人が不幸になる落とし穴
     
  13. ・目先の結果で目的を見失ってしまっては本末転倒
     
  14. ・正しいと思うなら自分で行いましょう
     
  15. ・好奇心こそ、人類の英知の原動力
     
  16. ・愛は伝えることよりも、思いやりの心が重要です
     
  17. ・問題点にばかり意識を向けていては、大きな成果は得られません
     
  18. ・実行に移さない決心ほど無駄で有害なものはありません

     
  19. ・自らの間違いを認める勇気
     
  20. ・昨日の友は今日の敵
  21. ・プライドの根拠
     
  22. ・人間の宿命
     
  23. ・人をある一側面で判断する事は愚かしい
     
  24. ・罪の本質
  25. ・心配するだけでは何も解決しません。
  26. ・嘘の功罪
  27. ・自分のいる場所の天気が全世界の天気ではない


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  29.  

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器量とは、悩んだ量と深さだけ大きくなるもの
  

人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。
そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。
自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。
 ― 本田 宗一郎 ― (本田技研工業創業者)

 


 人を動かすことは非常に難しいことです。
 なぜなら、人は機械ではなく、人であり、人が人である以上、そこには”気持ち”という、ひどく曖昧で、不確実な要素があるからです。

 人を動かすためには、その人の”気持ち”を動かさなければいけません。

 では、人の気持ちを動かすにはどうすればいいのでしょう?

 それは、その人の立場になり、その人の気持ちを汲むことです。
 そのためには、大いに悩まなければなりません。
 他人の立場になり、悩む事ほど難しい事はありません。
 なぜなら、その人の価値観を受け入れるだけの器量が必要だからです。

 器量とは、悩んだ量と深さだけ大きくなるものです。

 


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教育とは、教えるものと、教わるものが、お互いを練磨する事

学ぶとは心に誠実を刻むこと。教えるとはともに希望を語ること。

 ― ルイ・アラゴン ― (フランス詩人)


 学ぶとは、経験を通して知識や知恵を得るということです。
 これは、自らの経験という時を偽りがなく、まじめに刻む事と同意です。

 教えるということは、一方的に知識を押し付ける事ではありません。
 自らの知識を伝えることで、相手とともに学ぶ事です。

 そもそも教育とは、教えるものと、教わるものが、お互いを練磨する事だといえます。

 そして、それは、将来の夢と希望につながります。

 

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革新というものは、逆にたわいのない夢を実現させようとする力がはたらいているものです


私は、実はたわいのない夢を大切にすることから
革新が生まれると思っている。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)


  革新とは、昔からの習慣や制度、物の見方などを新しく変えようとすることです。

 昔からの習慣や制度、物の見方を変える事はとてつもないことのように思えるものです。
 ですから、革新はものすごくおおげさでものものしいような印象があります。

 しかし、案外、革新というものは、逆にたわいのない夢を実現させようとする力がはたらいているものです。

 なぜなら、昔からの習慣や制度、物の見方は、たわいのない夢を、幻想や妄想に過ぎないと決め付けるからです。

 

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”人類の英知”は探究心と好奇心によって進められる

日本の学問は、ものを習う“習得型”で、
何か新しいことに挑戦する“探求型”が不足している。
というより、“探求心”の教育を受けていないと言っていいと思います。
 ― 江崎 玲於奈 ― (ノーベル物理学者)





 習得とは、経験を通して習い覚えることです。
 探求とは、探し求めることです。

 習得型の学習と探求型の違いは自主性の必要性にあります。
 習得型の学習は、自主性がなくとも習得は可能です。
 基本的に、習得型の学習は受動的だからです。

 しかし、探求型は自主性なくして学ぶ事ができません。
 探究心や好奇心が探求型の学習は必要不可欠で、探究心も好奇心も自主性なくしてありえない心です。

 習得型の学習は大事ですが、その習得する学問、すなわち”人類の英知”は探究心と好奇心によって進められた事を考えれば、探求型の学習が欠落していることは致命的であるということが言えます。

 

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思想の根源には思いやりがある


思想だけがあって感情がなければ、人間性は失われてしまう。
必要なのは知識でなく思いやりである。
思いやりがなければ残るのは暴力だけである。
 ― チャーリー・チャップリン ―  (イギリス映画監督)


 思想とは、人がもつ、生きる世界や生き方についての、ある程度まとまりのある見解のことをいいます。
 そして、多くは、社会的・政治的な性格をもつものを指します。

 このとき、思想という形式の知識ばかりに目が行き、そもそも思想の根源は感情であり、思いやりの集まりであることは忘れられ、思想本来の目的を見失ってしまいます。
 思想の目的を見失えば、やがて、思想がルールとなり、人間から自分で考えるという理性と、自分の責任を省みる主体性を奪い、思想が人間を支配する事になってしまいます。

 それでは、思想は人間の行動を促すだけの、人間のプログラムに成り下がってしまいます。

 理性と主体性を奪われた人間は、思いやりや感情が失われ、やがて暴力と欲望の虜となり、悲劇を大量生産することになります。

 思想の根源には思いやりがあることを忘れてはなりません。

 

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苦しみは、共有すると苦しみは半分になります。


喜びを人に分かつと喜びは二倍になり、
苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。
 ― ティートゲ ― (ドイツ詩人)


 喜びというものは、きわめて主観的な感覚です。
 同様に、苦しみというものも、きわめて主観的な感覚です。

 主観とは、自分ひとりだけの考えのことです。
 
 喜びを人に分かつと、半分になるはずなのですが、実は二倍になってしまいます。これは、喜びは、多くの人と共有すると増幅されるからです。
 では、苦しみはどうでしょう?
 苦しみは、共有すると苦しみは半分になります。
 苦しみは、一人で抱え込むと増幅しますが、自分だけではないと思えると、苦しみは半減するからです。


 

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貪欲な欲望を断ち切ることなく、決断は出来ない。



何をやるのかを決めるのは簡単。
何をやらないかを決めるのが難しい。
 ― マイケル・デル ― (デルコンピュータ創業者)

 

 多くの人は、何をなすべきかということを知っています。
 ですから、何をやるかを決める事事自体は、案外簡単なものです。

 逆にやるべき事の中で、何をやらないか決める事は、案外と難しいものです。

 一般に、決断は難しいとされています。

 決断とは、きっぱりと心を決めることであり、何かを為すために、何かをやらないことを決める事だからこそ難しいということになります。

 貪欲な欲望を断ち切ることなく、決断は出来ない。
 ということですね。

 

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自分も人間なら相手も同じ人間なのです


天才とか聖人とかいう人を除けば、
人間はみな似たりよったりの能力と、感情の持ち主である。
これを悟らなければならないと思う。
つまり、我も人なら、彼も人なのである。
 ― 本田 宗一郎 ― (本田技研工業創業者)



  人の性格や個性は、一人一人違います。

 同じものを見ても、一人一人、感じ方や受け取り方も違います。
 これは、一人一人感受性や価値観が違うからこそだといえるでしょう。

 しかし、能力や感情はどうかといえば、それほど大きな差はありません。

 自分も人間なら相手も同じ人間なのです。
 違うのは、感受性や価値観だけであり、それはいわゆる立場というものが違うのだということです。
 相手の事がわからないと思ったとき、自分は、今、相手と異なる感受性と価値観の上で物事を見聞きしているのだと悟れば、現在抱えている問題の原因は把握できるはずです。
 問題の原因さえわかれば、問題の解決はたやすいものです

 

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人生に間違いも正解もないのです

人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。
とりあえずの答えがあるだけです。
  ― 養老 孟司 ― (解剖学者)


 問題というものには、大きく分けて二つの種類があります。
 試験問題などのその人の能力が試される正解ないし模範解答のある問題と、人生でぶつかる、乗り越えるべき壁のような問題です。

 この二つの問題の決定的な違いは、問題を解くか乗り越えるかの違いがあります。

 さらにいえば、前者の問題を解く問題は、後者の問題を乗り越える問題の練習のようなものです。

 つまり、問題を解く問題は、問題を乗り越える問題のためにあるといえます。

 そして、この事実は、どのような人生が正解ないし、模範解答か判断し得ないということを意味します。

 人生に間違いも正解もないのです。

 

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努力しないことにより、怠け者になって堕落します。

一人一人が向上しなければ世界は発展しない。
だからこそ、私たちは自らの向上に努めなければならない。
同時に最大限、人の力になることです。
そうすれば、人類共通の責任を果たすことができる。
 ― マリー・キュリー ― (ノーベル物理学者)




 世間は、社会が発展するために優れたリーダーや、優れた天才を求めています。
 それ自体は悪い事ではありません。

 優れたリーダーは、メンバーを導くし、優れた天才と比べれば凡人のできることなど限られているというものです。

 しかし、リーダーや天才だけに任せて、メンバーや凡人が努力しないのでは、社会は堕落してしまいます。

 なぜなら、
 自分の仕事にたいして、創意工夫の努力をしないメンバーは、単なる組織の部品となり、機械的な仕事ばかりで張り合いがなくなり、希望を見失い堕落します。
 努力しない凡人は、努力しないことにより、怠け者になって堕落します。

 そうならないためには、リーダーであろうと、メンバーであろうと、天才であろうと、凡人であろうと、皆が皆、自らの向上に努めることです。
 そうすることで、世界は始めて発展を遂げられるのです。

 

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無駄な努力など、存在し得ない


やりたいことは努力すれば、必ずできる。
これを忘れないこと。
自分を信用している者は、人からも信用される
 ― グレアム・グリーン ― (イギリス作家)

 努力とは、力を尽くして、熱心に事を行うことです。
 努力した末に、本人の望む結果が得られるとは限りません。
 結果が悪いからといって、努力をあきらめたのであれば、それは努力不足の証拠です。

 努力すると、どのような結果であれ、自信がつくものです。

 自信とは、自分自身を信ずる心のことであり、すなわち、自分を信用しているということです。

 自分が信じられなくなったとき、あきらめの心が発生します。

 なにごとも、あきらめず、自信をもってことにあたる人は信用に値します。
 そして、自然と他者からも信頼を得られるものです。
 実際、自分も信頼できなければ、他人からも信頼されることもないという理屈です。

 つまり、努力する人は信頼されるということです。
 その意味において、無駄な努力など、存在し得ないのです。

 

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幸せである人が不幸になる落とし穴

人は、不幸のときは一を十にも思い、
幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。
 ― 瀬戸内 寂聴 ― (『生きることば あなたへ』)


 不幸とは、恵まれていないめぐりあわせです。
 恵まれていないとき、得られた一は、十以上得たように感じるものです。

 幸せとは、恵まれためぐり合わせです。
 恵まれているとき、得られることが当たり前に感じてしまうものです。

 これが、幸せである人が不幸になる落とし穴だともいえます。

 得たときの満足感というものは、絶対的ではなく、相対的です。
 つまり、その人が不幸になるのも、幸せになるのも、何をどう感じるかで変わってくるということです。

 

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目先の結果で目的を見失ってしまっては本末転倒

目先の結果より
「目的に合ったように動いているか」と常に自問することが必要だ。
 ― 横河 正三 ― (元横河電機社長)

  目的とは、実現しよう、到達しようとして目指す事柄です。

 人は、事前に設定した目的を果たすために、さまざまな行為を行います。
 そして、目的を達成するための行為を行っている途中経過で、良い結果や悪い結果がでるかもしれません。
 それに一喜一憂する事自体は悪くはありません。

 しかし、目先の結果で目的を見失ってしまっては本末転倒というものです。

 目的を見失わないコツがあります。

 それは、「目的に合ったように動いているか」と常に自問することです。




 

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正しいと思うなら自分で行いましょう

たとえあなたが正しい道にいるとしても、
そこに座りこんでいては、車にひかれてしまうでしょう。
 ― ウィル・ロジャーズ ― (アメリカ作家)



 正しいとは、物事のあるべき姿を考え、それに合致していることです。

 正しい道を歩むということは、いいことです。

 しかし、正しい道に座り込んでしまっては、他の人に迷惑をかけたり、ひどい場合は車にひかれてしまうなど、本末転倒なことになります。

 正しい道に座り込む、すなわち、正しい事を主張するだけがいいことなのではありません。
 正しい事を主張し、自らも、その主張に従うことが正しい道を、正しい道を歩くということです。

 正しい道を正しく歩くことが、正しいのです。
 そのためには、自分を棚上げせず、言動を一致させることが必要不可欠だということです。

 とどのつまりは、正しいと思うなら自分で行いましょう。
 ということです。


 

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好奇心こそ、人類の英知の原動力

 大切なのは、疑問を持ち続けることだ。
神聖な好奇心を失ってはならない。
 ― アインシュタイン ― (ノーベル物理学者)


 
 どうも、最近の先入観において、疑問を持つということは、疑問を持つ対象を非難、ないし、批判している行為と勘違いされているようですが、ここでいう疑問とは、怪しむことだったり、不審だったり、疑念を持つなどの信頼性がないということではありません。

 好奇心をもち、「それはなぜ?」と問いかけることです。

 この好奇心こそ、人類の英知の原動力であり、好奇心をうしなえば、世界のすべては退廃的になってしまいます。

 疑問が信頼性がないということを意味するようになったのは、現代病なのかもしれません。
 この病を癒すためには形骸化したプライドを捨て、自分が何を知らない事を知ることです。

 

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愛は伝えることよりも、思いやりの心が重要です

愛というのは、どれだけ多くのものを与えたかではなく、
そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです。
 ― マザー・テレサ ― (カトリック修道女)




 愛とは、相手を思いやる心そのもののことをさします。

 ただ、愛というものは、目に見えるものではありません。
 だからこそ、人は、愛する人に、愛を形で見えるように、愛を表現するように、愛する人に多くの「もの」や「行為」をささげます。

 しかし、「もの」や「行為」は、思いやりの気持ちの表現であって、愛そのものではありません。

 重要なのは、愛を伝える事よりも、ただただ純粋に思いやりの心で接することです。
 我欲においては、愛を伝える事は重要です。
 しかし、愛は伝えることよりも、思いやりの心が重要です。

 

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問題点にばかり意識を向けていては、大きな成果は得られません

    大きな成果を出す人は、
問題点に集中しているのではなく、機会に集中している。
  ― スティーブン・コヴィー ― (『7つの習慣』)


   成果とは、なしとげた結果のことです。
 大きな成果というものは、行動によって得られるものです。

 たしかに、大きな成果を得るためには、現在ある問題点を解決する必要は、確かにあります。

 しかし、問題点にばかり意識を向けていては、大きな成果は得られません。

 なぜなら、問題点を解決するためには、解決するための行動を起こすきっかけ、つまり、機会を逃しては大きな成果が得られないからです。

 

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実行に移さない決心ほど無駄で有害なものはありません


 せっかく思い立ったのです。
思い立ったら決心して気が変わらないうちにさっと実行に移しましょう。
 ― トーベ・ヤンソン ― (フィンランド作家)


 悲しい現実ですが、思い立って決めた決意というものは、事は、時間とともに氷のように解けてなくなってしまいます。

 よし! やるぞ!
 とおもったら、すぐに実行に移しましょう。

 実行に移さない決心ほど無駄で有害なものはありません。

 なぜなら、実行に移さない決心は、単なる妄想であって、妄想はやがて退廃的な思考を生み出します。

 人心が荒れて、道徳や健全さが失われるという退廃的な思考では、成功もほしいものも得られるはずもありません。

 

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自らの間違いを認める勇気

 もし自分が間違っていたと素直に認める勇気があるなら、
災いを転じて福となすことができる。
 ― デール・カーネギー ― (アメリカ文筆家)


  災いを転じて福となすということわざがあります。
 身に降りかかった災難を、利用して、幸せのキッカケにする事をいい、悪い事があった後は、また同じ失敗をしないように反省する事のたとえだといわれています。

 では、どうすれば、身に降りかかった災難を、利用できるのでしょうか?
 それは、何事も他人に責任を押し付けることなく、今現在、自分が間違っている事を素直に認めることです。

 自分が間違っていることをを素直に認めるということは、とてもとても辛いことです。
 だからこそ、本当の意味での勇気が必要になります。

 どんな災難や悪い事があっても、あきらめないタフな精神を得るためには、自らの間違っている事を認める勇気が必要になるといえるでしょう。

 

 

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昨日の友は今日の敵


 
離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、
一緒にいさえすれば、たとえ敵同士でもどうにかこうにかなるものだ。
つまりそれが人間なんだろう。
 ― 夏目 漱石 ― (『道草』)


   昨日の友は今日の敵。
 ということわざがあります。

 意味は、今まで親しかった存在が、何かをキッカケに、対立する立場になってしまう事があるという、離合集散は、千差万別であるということです。

 では、人間関係が希薄なものなのでしょうか?

 違います。
 むしろ、人間関係は千差万別であるからこそ、今、親しいということがいかに貴重で大事な関係であるかを意味しているのです。

 大体、昨日の友が敵になるようなキッカケというものは、その関係が当たり前になりすぎて、馴れ合いすぎて、友に対する思いやりが希薄になったときぐらいなものです。


 

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プライドの根拠

こんにちわ。呟き尾形です。

自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。
そこに自分の自信があり、誇りがある。
 ― 松下 幸之助 ― (松下電器産業創業者)



   誰しも、プライドを持っています。

 プライドといっても、大きく、二つの意味があります。
 一つは、自分を優秀な者だと思う気持ちであり、尊大に構える心。
 もう一つは、自分の気高さを保とうとする心です。
 ここで言う、プライドは後者の気高さであり、誇りです。

 では、その気高さや誇りは、何を根拠としているのでしょう?

 それは、何億人の人間が存在しようとも、各自が、かけがえのないたった一人の自分という人間であるからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間の宿命


この世で一番大切な事は、自分が「どこ」にいるかという事ではなく、
「どの方向」に向かっているか、ということである。
 ― O・W・ホームズ ― (アメリカ作家)


 「自分の居場所」という言葉を聞きます。
 これは、自分がどこにいるべきなのか?
 ということに重点を置いているからこその言葉です。

 しかし、時間は止まることなく、進んでいきます。

 時間が止まらない以上、「自分の居場所」にい続けることなど不可能なのです。
 自分が立ち止まっているつもりでも、地球は周っています。

 私たちがどこかに進み続けざるを得ない。
 これが、人間の宿命です。

 その宿命を受け入れることができるなら、この世で一番大切なことは、自分が「どこ」にいるかという事よりも、「どの方向」に向かっているかということになるのは自明です。

 

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人をある一側面で判断する事は愚かしい

こんにちわ。呟き尾形です。

成功不成功は人格の上になんの価値もない。
人は多くそうした標準で価値をつけるが、私はそういう標準よりも
理想や趣味の標準で価値をつけるのが本当だと思う。
 ― 田山 花袋 ― (「田舎教師」)


 人格とは、人柄のことであり、とどのつまりは、自然に感じ取られる人の性質や品格です。
 人格と結果は必ずしも一致しません。
 人格的に問題がある人が成功することもあるし、失敗することもあります。
 人格的にすばらしい人が失敗することもありますし、成功することもあります。

 成功と失敗を切り分けるのは、やり方と時の運の問題であって、人格の要素は希薄です。

 しかし、多くの人は、成功と失敗で人の価値を推し量ります。

 人の価値というものは、人格にあり、その人の一側面である成功や失敗で推し量るものではないということです。
 その人をある一側面で判断する事は愚かしいということです。

 そして、人格は、その人の持っている理念と、普段の言動の一致によって、ごく自然に感じ取られるものなのです。

 

 

 

 

 

 

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罪の本質   


古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。
 ― 芥川 龍之介 ―(「侏儒の言葉」)


 
 懺悔とは、自分の犯した罪悪に気づき、それを神仏や他人に告白し、悔い改めることを誓うことです。

 一般に懺悔は、神仏に告白することで、悔い改めることになっています。

 しかし、今は、社会に対して責任を取るという形で、悔い改めた誓いをお金や行動をもって示さなくてはいけなくなりました。

 ただ、社会に対して責任を取るとしたとき、本当に自分の犯した罪悪に気がついているかは非常に疑問です。
 なぜなら、罪悪とは道徳に反する行為であり、そもそも道徳とは、自分自身の内面的原理としてはたらくものであり、法律とのような外的強制力によるものではないからです。

 口だけの懺悔なら、神仏は見抜くでしょうし、なにより、口だけの懺悔であることを本人が知っています。
 そして、口だけの懺悔は後々、自らを苦しめる事になります。
 なぜなら、自分が悪いと思っている事を改めないのであれば、その結果が自らの望まないものになるのは自明だからです。

 しかし、社会に対して目に見える形で責任をとったとしたとき、責任を果たしたと、自他共に認める事で、責任を果たした罪は正当化されるのです。
 罪が正当化されれば、悔い改めることなどされるはずもありません。
 なぜなら、道徳とは自らに課す自分自身の内面的原理としてはたらくものだからです。

 形だけの責任を果たしたとしても、その後、自主的に悔い改めなければ、罪の本質は繰り返されます。

 罪の本質とは、すなわち、道徳や宗教の教えなどに反する悪いおこないであり、自らに課すルールを破るということです。

 そもそも、罰というものは、神仏が下せるものであって、人間が罰を下すということは、人間の傲慢なのかもしれません。


 

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心配するだけでは何も解決しません。



眠れなければ、床なのかでくよくよしていないで、
起き上がって何かをすればよい。
疲れるのは心配するからだ。眠れないからではない。
 ― デール・カーネギー ― (アメリカ文筆家)


 
 何事もくよくよしていても解決しません。
 同様に、心配するだけでは何も解決しません。

 物事は、行動によってのみ解決するのです。

 眠れないほど心配なら、自分の出来る事をすべてしてみてください。

 人事を尽くして天命を待てば、心配で眠れないことなどありません。

 

 

 

 

 

 

 

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嘘の功罪

 

いくら粉飾したところで、自分の生地は誤魔化し切れない。
正直こそが、処世の一番安全な道。
 ― 松下 幸之助 ― (松下電器産業創業者)


   粉飾とは、わべを飾ることです。

 いくら、外見だけ飾って、体裁をよくして、立派に見せてもうわべだけでは、中身はごまかしきれません。

 嘘も同様で、嘘で塗り固め、本当の事を隠そうとしても、無駄です。
 嘘も突き通せば、まかり通るように思えなくもありません。
 が、そもそも嘘とは、本当の事を曲げてこしらえたものですから、嘘には、そもそも矛盾があるのです。

 上手い嘘は、この矛盾を矛盾として、たくみに気がつかせないことです。
 そして、そうするためには、その嘘が、相手にとって有益である嘘である必要があります。
 相手にとって有益な嘘とは、嘘によって相手を楽しませる嘘であったり、不要な心配を避けさせる嘘です。

 しかし、粉飾を目的とした嘘は、相手にとって有益であるはずがありません。
 嘘は、つけばつくほど、物事の道理が一貫しないことが明らかになり、あなたの言動そのものの信頼が失われ、やがて本当のことを述べても、疑われるようになってしまいます。
 他者から信頼されない暮らしほど、危険なものはありません。
 
 これが、嘘の功罪です。

 もし、あなたが、もっとも安全に暮らして生きたいと思うなら正直になることです。
 正直であることは、他者から信頼されるということは、とても安全で安心なことです。


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自分のいる場所の天気が全世界の天気ではない

 こんにちわ。呟き尾形です。

人間は自分がいるところが曇ると、
一部分ではなく、全体が曇ったと信じてしまう。
 ― 幸田 露伴 ― (小説家)

 
 天気というものは、その場所、その時刻の気象状態のことです。
 そして、その時刻、その場所の気圧・気温・湿度・風向・風速・雲量・降水量などの状態で、常に変化し、ある場所で曇っていても、違う場所では晴天のことなど当たり前にあります。

 つまり、(冷静になれば当たり前なのですが)自分のいる場所の天気が全世界の天気ではないということです。

 しかし、人は、自分のいる場所が曇っていると、他の場所が晴れているという発想がなかなか出てきません。

 これは、天気に限らず、この世の出来事すべてにも言える事です。

 私たちは、自分の置かれている立場以外の視点を持つべきであるといえるでしょう。



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