ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学手記 > 哲学のキッカケ(名言集)

 呟き尾形がであった名言の紹介とともに、その名言について感じた事、考えた事を書いています。
質問、感想などは、哲学のキッカケ(名言集) 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑) 200605

 

  1. ・潜在能力
     
  2. ・身体は心の鏡なのです
     
  3. ・退屈な日々を終わらせる対策
     
  4. ・信頼関係には、お金の金額など関係ありません
     
  5. ・挑戦をあきらめたときが、本当の失敗です
     
  6. ・現状維持は、現在抱えている問題も維持するということ
     
  7. ・哲学の語源
     
  8. ・なぜ、父親の地位が衰えたのでしょうか?
     
  9. ・喜怒哀楽というものは・・・
     
  10. ・他人の失敗を許せるようになる考え方
     
  11. ・他人の幸福の手助け
     
  12. ・感謝の心を持つと幸福になれる
     
  13. ・要らぬ心配をしても無駄
     
  14. ・楽しい人生を送りたいと思うなら
     
  15. ・他人が得しようが損しようが、今の自分の利益には変わりません
     
  16. ・不機嫌は結果であると同時に原因である。
     
  17. ・運命を受け入れ活用する
     
  18. ・理想は行動の目的

     
  19. ・頭の中で考えるだけでは、結果は出せません
     
  20. ・楽観主義は、考えよりも行動が先
  21. ・愛を持つゆえに苦しむ
     
  22. ・何度失敗しようとも、一度の成功で目的は達成できる
     
  23. ・相談とは、相談相手の話を聞くだけでいい
     
  24. ・本、テレビ、映画は、結局、自分自身の経験ではない
  25. ・二重の不幸
  26. ・自分の価値以外のものを受け入れる心を持つ
  27. ・若くあり続けたいのであれば


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  29.  

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潜在能力
  

この人にはこれだけしか能力がないなどと決めつけては、
能力は引き出せません。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)

 


 潜在能力というものがあります。

 潜在能力とは、内部にひそかに存在する、表に現われていない能力のことであり、とどのつまりは、その人の成長する可能性だということがいえます。

 しかし、人は他者の能力を実績や表に現われている能力だけで、できることを決め付けてしまいます。

 それでは、その人の能力を引き出せませんし、なにより、成長することなどありえません。


 



 


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身体は心の鏡なのです

美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。
 ― オードリー・ヘップバーン ― (女優)


 身体と言動というものは連動するものです。

 そして、他者から見た自分のの印象も、言動と連動するものです。

 なぜなら、醜い言葉を使う唇は、唇が歪んでしまうからです。
 さらに、他人の欠点を探す瞳は、目つきが卑しくなってしまいます。

 あなたの心は見えませんが、あなたの言動に表れてしまうのです。

 つまり、身体は心の鏡なのです。
 これを忘れてはいけません。

 言うまでもありませんが、あなたの心と身体は一つなのです。

 

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退屈な日々を終わらせる対策


人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。
向上心があれば、飽きることがない。仕事・生活の中に、
向上の道を残さねばならない。向上を求めねばならない。
 ― 西堀 栄三郎 ― (第一次南極越冬隊長)


  惰性とは、今まで続いてきた習慣や癖です。

 惰性で日々を送る事は、苦労のない日々ではありますが、退屈な日々と同意です。

 しかし、惰性で日々を送ることなく、向上心をもつことで、退屈な日々ではなくなります。

 もし、あなたが、退屈な日々であると感じたとき、向上心を持ってみてください。
 それが、退屈な日々を終わらせる対策です。
 向上心を持つ事で、退屈は日々は終わりを告げます。
 もちろん、大変ではあるものの、充実した日々に変貌することでしょう。

 

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信頼関係には、お金の金額など関係ありません

多額の金が絡んでいるところでは、誰も信用しないことです。
 ― アガサ・クリスティー ― (イギリス作家)

 お金というものは、どうしても欲望が絡みます。
 その金額に比例して、薄情な人間関係が構築されてしまいます。

 また、多額のお金は、人は、人が従うべき道を忘れて、強い衝動と誘惑に駆られて不道徳な行為をしてしまいがちです。

 では、そうならないためにはどうすればいいのでしょうか?

 お金よりも大切なもの、つまり信頼関係を持つことです。
 つまり、愛する人を持つことであり、信頼できる友を持つことです。
 そして、その信頼関係には、お金の金額など関係ありません。

 

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挑戦をあきらめたときが、本当の失敗です


世の中に失敗というものはない。
チャレンジしているうちは失敗はない。
あきらめた時が失敗である。
 ― 稲盛 和夫 ― (京セラ創業者)


 失敗とは、目的を果たせないことです。

 それに対して、成功とは、目的を達成することです。

 では、1度失敗すればもう二度と成功は得られないのでしょうか?

 いいえ、何度失敗しようが、たった1回成功すれば、それは成功なのです。

 挑戦をあきらめたときが、本当の失敗です。

 

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現状維持は、現在抱えている問題も維持するということ


人間には進歩か退歩かのいずれかがあって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ。
 ― 森 信三 ― (教育者)


  進歩とは、物事が時の経過とともによくなっていくことです。

 退歩とは、物事の状態が以前より悪くなることです。

 現状維持は、退歩している証拠です。

 なぜなら、現状維持は、現在抱えている問題も維持するということだからです。
 問題というものは、解決せずにほおって置けば、事は時間の経過とともに悪くなってしまうのです。

 常に、問題意識を持って、進歩を目指さなければ、退歩してしまう。
 これが現実の厳しさというものです。


 

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哲学の語源



知と愛は同一の精神作用である。
それで、物を知るにはこれを愛さねばならず、
物を愛するにはこれを知らねばならぬ。
 ― 西田 幾多郎 ― (『善の研究』)

 

 愛とは、心の現われです。
 知るということも、心の現われです。

 心に現われないものを愛することもできなければ、知る事もできません。

 そして、知らないものを愛する事はできません。
 同様に、愛せないものを知ろうとはしません。

 ゆえに、愛と知は同一の精神作用だといえます。

 ちなみに、哲学を英語で、philosophyといいますが、
 この単語は、ギリシア語のphilein(愛する)と英語のsophia(英知)を掛け合わせた言葉です。
 すなわち、哲学の語源は、知を愛する事だといえます。

 

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なぜ、父親の地位が衰えたのでしょうか?


幼い子どもは直感力が鋭い。
うちのおやじは本物か偽物か、直ちにピンと見抜く。
おやじは自分の仕事を通じて、本ものになる努力をしなければならない。
 ― 井深 大 ― (ソニー創業者)



 時間の流れとともに、父親の地位が衰えてきていると言われています。
 それでは、なぜ、父親の地位が衰えたのでしょうか?

 おそらく、それは、自分の仕事にプロ意識をもてなくなった人が多くなったからではないかと推測します。

 自分の仕事にプライドをもっていれば、幼い子供はそれを見抜くものです。

 つまり、自分の仕事にプライドをもてない父親が父親の地位を衰えさせたのではないか。
 そう推測しています。 

 

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喜怒哀楽というものは・・・


人の諸々の愚の第一は、
他人に完全を求めるということだ。
 ― 司馬 遼太郎 ― (『竜馬がゆく』)


 言うまでもありませんが、人間は完全ではありません。

 そもそも、人間は完全ではないのですから、完全を期待しても裏切られるのことは火を見るよりも明らかです。

 ゆえに、他人に完全を求めるということは、愚かしいことです。
 さらにいえば、失敗するのは当たり前で、失敗にいちいち腹を立てていても無駄な労力というものです。

 そう考えれば、他人の失敗を許せるようになります。






 

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他人の失敗を許せるようになる考え方

肉体的な弱点でも、内面的なものでも、
それを他人に気づかれまいと苦心するところから
人間は醜くなるのです。
 ― 五木 寛之 ― (『ことばの贈り物』)




 弱点とは、必要なものが欠けて、不完全であったり、足りないところがあり不十分であることです。とどのつまりは欠点のことです。

 そして、そうした弱点は、一般に、公にされると困るような後ろめたい所ので、ついつい隠そうとしてしまいます。

 しかし、弱点を隠そうとすると、人は品が悪くなります。

 なぜなら、弱点とはいえ、隠そうとするというのは、弱点という事実に目を背けてしまうことだからです。
 事実に目を背けてしまうということは、心にいやしさを持つ事になります。

 自分の弱点もまた、個性であることを忘れてはなりません。

 

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他人の幸福の手助け


自分の喜びを追求する行為が、
他人の幸福への奉仕につながるものでありたい。
 ― 本田 宗一郎 ― (本田技研工業創業者)

 喜びとは、快い・楽しい・うれしいと思うことです。
 そして、それは幸福を追求する行為と同意といっていいでしょう。

 それが、他人の幸福の手助けになるのなら、なんとも素敵なことだとも思います。

 そうするためにはどうすればいいのでしょう?

 利己的でなくなることです。
 利己的になくなれば、他人を不快、不愉快、不満にさせる行為を避けようと創意工夫が生まれるものです。

 

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感謝の心を持つと幸福になれる

感謝の心が高まれば高まるほど、
それに正比例して幸福感が高まっていく。
 ― 松下 幸之助 ― (松下電器産業創業者)


 感謝とは、ありがたいと思うことです。

 つまり、感謝の心を持つということは、ありがたさを感じて謝意を表すことほかなりません。
 ありがたいと感じるということは、人の好意や協力を得られて満足できたということにもなりえます。
 さらに、感謝の心を表された人は、その人に更なる好意をよせ、更なる協力の動機を強くします。
 ですから、感謝の心を持つということは幸福になるという事なのです。

 逆に、不平不満の心をもつとどうなるでしょう?

 不平不満を持つということは、満足できないことです。
 さらに、人々の好意と協力を遠ざけることになりますから、その人は不幸の坂道をまっさかさまに転がり落ちてしまいます。

 

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要らぬ心配をしても無駄

尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、
心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、
自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。
 ― 武者小路 実篤 ― (『幸福について』)

 尊敬とは、人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうことです。

 つまり、尊敬すべき人となれば、人格・識見・学問・経験などのすぐれた人だといえます。

 そして、人格・識見・学問・経験などのすぐれた人は、自分のできることをわきまえているものです。
 ですから、逆境にいても、自分の力の及ばないところは、要らぬ心配をしません。
 要らぬ心配をしても無駄どころか、余計な労力だということを知っているのです。

 とにかく、自分の出来る事をするという心がけをもって努力に勤しみます。

 この努力こそ、問題を解決する活力になるわけです。
 だからこそ、尊敬されるべき人になるといえるのでしょう。





 

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楽しい人生を送りたいと思うなら

晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ。
 ― 吉川 英治 ― (小説家)

 天気において、晴れた日を、天気の良い日といわれます。
 逆に、雨の日は、天気の悪い日であるといわれます。

 このことから、習慣として、晴れた日は愛される傾向にあるといえます。

 しかし、雨であろうと晴れであろうと、自然の恵みは形を変えただけに過ぎません。

 それを、いい日、悪い日とするのは、人間の都合というものでしょう。
 実は、良い悪いや喜怒哀楽などというものは、気持ち一つで変わるものなのです。

 となれば、「楽しみなきところに楽しむ」ことは、気持ちの持ち方一つだといえるでしょう。
 もし、楽しい人生を送りたいと思うなら、現われる形にこだわることなく、愛せばいいのだといえるでしょう。


 

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他人が得しようが損しようが、今の自分の利益には変わりません

他人と比較してものを考える習慣は、
致命的な習慣である。
 ― ラッセル ― (『幸福論』)



  比較とは、二つ以上のものをくらべあわせて、考えることです。
 とどのつまりは、価値の相対化です。

 相対化するとどういった事がおこるのでしょう?

 たとえば、自分の利益と他人の利益を相対化したとしましょう。
 自分がいくら利益を上げたとしても、他人の方が利益が大きかったとき、他人が得したことが、自分の損にみえてしまいます。

 もちろん、これは、とんでもない誤解です。
 他人が得しようが損しようが、今の自分の利益には変わりないはずなのに、損をした気分になるだけ損をします。

 このように、物事を相対的に考えることは、誤った判断を招きやすくなります。

 もちろん、相対的に考える。ということは、時として必要です。
 しかし、その前提には、なにかしらの「ものさし」となる絶対的な価値観が必要
になるのです。

 上述したとおり、安易に他人と比較する習慣は、もつべきではありません。
 なぜなら、他人と比較する習慣は、致命的、つまり、失脚・破滅・失敗の原因になるからです。


 

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不機嫌は結果であると同時に原因である。

不機嫌というものは、結果でもあるが、
それに劣らず原因でもある。
 ― アラン ― (『幸福論』)





  不機嫌とは、人の気分が悪いということです。

 人が不機嫌になる場合、大抵何らかの結果を受けて不満だったり、不愉快であるときに不機嫌になるものです。

 しかし、不機嫌なままことにあたれば、上手く行く事は少なくなります。

 つまり、不機嫌であることは結果であると同時に原因でもあるといえるでしょう。

 

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運命を受け入れ活用する

 運命がレモンをくれたら、
それでレモネードを作る努力をしよう。
 ― D・カーネギー ― (『道は開ける』)



  運命とは、人間の身の上に訪れるめぐりあわせのことです。

 この巡り会わせばかりはどうしようもありません。

 人生万事塞翁が馬
 人間の災いや幸せというものは、変転し定まりないものです。

 せめて、運命から与えられた環境があるなら、それを嘆くよりも、運命を受け入れ活用することが人が人としてすべき努力なのではないでしょうか?

 

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理想は行動の目的


 幸福になるには、
理想と現実の関係を知らねばならない。
 ― 武者小路 実篤 ― (小説家)


 幸福とは、現在の状態に満足することだといえます。

 理想とは、考えうるかぎり最もすばらしい状態のことで、理想を現実化することが幸福であると考えられがちです。

 しかしながら、理想、すなわち最も望ましい状態を実現することなど不可能で、せいぜい、いかに理想に近づけるかがポイントになります。

 むしろ、理想は、行動の目的となって現実に意味を与えるものです。
 この理想と現実の関係を知る事なしに、人は幸福になる事はありえません。

 

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頭の中で考えるだけでは、結果は出せません

とにかく具体的に動いてごらん
具体的に動けば 具体的な答が出るから
 ― 相田 みつを ― (『にんげんだもの』)


 具体的とは、観念的なものではなく、個々の事実によっているさまです。

 観念的とは、具体的事実に基づかず、頭の中だけで考えるさまです。

 頭の中で考えるだけでは、結果は出せませんし、明確な回答を出すのは大変難しいことです。

 具体的に動けば、簡単に結果がでるし、答えも自然と出てきます。

 

 

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楽観主義は、考えよりも行動が先


悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ。
 ― アラン ― (『幸福論』)



 悲観主義とは、この世の中を悪いものだと考え、悪い結果を予想して気を落とす傾向のある、考えや行動の指針です。

 人が、悲観主義である場合、その時々の漠然とした気持ちのばかり先行し、行動が伴わず、受身になり成り行きに身を任せがちです。
 なぜなら、悪い結果を事前に予想するわけですから自分から行動しにくいものだからです。

 それに対して、楽観主義とは、物事をすべてよいように考えることであり、将来の成り行きについて明るい見通しをもつ、考えや行動の指針です。
 人が楽観主義である場合、積極的に何かをしようという考えが先立ちます。
 ですから、考えよりも行動が先にくるものです。


 

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愛を持つゆえに苦しむ



あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。
 ― 瀬戸内 寂聴 ― (『孤独を生ききる』)



  苦しみとは、肉体的、精神的な痛みや苦しさを感じてつらいと思うことです。

 できるなら、苦しみを感じたくないでしょう。

 しかし、苦しみを感じることなく生きる事は不可能です。

 なぜなら、人は、愛を持つゆえに苦しむからです。
 愛を持つがゆえに、無関心ではいられなくなり、その現実に苦しむのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何度失敗しようとも、一度の成功で目的は達成できる


大多数の人間が失敗するのは、失敗した計画に勝る新しい計画を
たてるだけの粘り強さに欠けるからである。
 ― ナポレオン・ヒル ― (『成功哲学』)


 現代において、完璧主義者が多いようです。

 完璧とは、欠点や不足がなく、非常に立派なことです。
 ですから、完璧主義者といえば、すべてのことが最高にうまくいく状態を望んでいるこということになります。

 多くの人は、なかなか成功できないのは、完璧主義者だったからだと、私は思います。

 なぜなら、失敗することで、すべてのことが最高にうまくいく状態ではなくなるので、望みがかなえられず、あきらめてしまうからです。
 完璧主義者でないのなら、何度失敗しようとも、一度の成功で目的は達成できると考えられるものです。


 

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相談とは、相談相手の話を聞くだけでいい



大体人生相談してくるのは、
相談前にもう自分で答えが決まってるのが多い。
 ― 寺山 修司 ― (劇作家)


 相談とは、物事を決めるために他の人の意見を聞き、話し合うことです。
 相談するということは、なにか迷っているときにする場合が殆どです。

 迷うとは、決断ができないことです。

 一見、相談するという行為は、答えが決まっていないように思いますが、
実は、決断したい答えは決まっているのです。

 そもそも迷うときは、いくつかの選択肢できめられない場合が殆どです。

 つまり、決断したいが、決断にいたらない場合に相談に踏み切るのですから、相談前に自分の答えが決まっていてもなんら不思議はありません。

 ですら、相談を受けるというと、相談が受けた側が、意見を言ったり、アドバイスをいうものだと思われがちですが、実は、相談とは、相談相手の話を聞くだけでいい場合が殆どです。

 

 

 

 

 

 

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本、テレビ、映画は、結局、自分自身の経験ではない   


「本を読みすぎ」「テレビを見すぎ」「映画を見すぎ」て、
いつのまにか現実と虚構をとりちがえてしまっている人たちは、
私たちの周辺(私をもふくめて)に、決して少なくない。
 ― 寺山 修司 ― (劇作家)


 
 本、テレビ、映画には罪はありません。

 むしろ、本、テレビ、映画という虚構、つまり非日常性は、現代日本社会に必要不可欠だともいえるほど、重要です。

 しかし、過ぎたるは及ばざるが如しです。

 本、テレビ、映画は、結局、自分自身の経験ではないことを常に意識する必要があります。


 

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二重の不幸



幸せは香水のようなもの。
他人にふりかけようとすると、自分にも2、3滴ふりかかる。
 ― レオ・バスカーリア ― (アメリカ哲学者)


 世間では、勝ち組、負け組みを区別するのがお好きなようです。
 これは、他人が利益をえると、自分が損した気分になるという悪い風潮です。

 なぜ、悪い風潮かといいますと、利己的になるから、他人が利益をえると、自分に利益がなかったことを嘆き、それが損失に感じるわけです。

 これは、不幸なことです。


 そもそも、他人の利益など、嘆かなくてもいいことを嘆いて存在しない不幸を感じることの方が大きな損失です。
 その上、他人のためになることをすれば、その満足感で、自分も幸せになるチャンスを逃しているのですから、二重の不幸だといわざるを得ないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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自分の価値以外のものを受け入れる心を持つ



教養とは、自分とは別の価値観も許容することだ。
 ― 樋口 裕一 ― (『頭がいい人、悪い人の話し方』)


 教養にはいくつか意味があります。

 一つ目は、おしえそだてること。
 二つ目は、社会人として必要な広い文化的な知識であり、それによって養われた品位。
 そして、三つ目は、単なる知識とは違うものだといいます。

 ここでいう教養とは、まさに3つ目の意味であるといえますが、3つ目の意味とは、一体何でしょうか?
 
 それは、人がその素質を精神的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術などです。
 それはすなわち、自分の価値以外のものを受け入れる心を持つということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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若くあり続けたいのであれば



始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若くある。
 ― マルチン・ブーバー ― (イスラエル哲学者)


 若さとは、元気で活力にあふれているのですが、何かを始めると、自然と気持ちがワクワクして、元気と活力がでてきます。

 なぜなら、何かを始めるとき、常に経験が新鮮になるからです。

 私たちは、年齢を重ねると、何かを始めようという気持ちが少なくなってきます。

 なぜなら、経験を重ねると、先の事が予想してしまい、何かを始める機会が少なくなるからです。

 もし、若くあり続けたいのであれば、常に何かに挑戦し、始め続けましょう。
 人は、始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くあり続けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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