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占星学の歴史

 カルデア人とは何者か? その2

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  ところで、現代において、私達は、科学の知識によって、なぜ、夜空に光り輝く無数の星たちがあるかは、知っています。
 しかし、現代のレベルまで科学が発展していなかった古代の人々にとっては、夜空に光り輝く無数の星々は神秘であり、神の力を感じさせるものでした。
 星の動きの様子から地上の現象を予測する星占いが生まれてきたことも、星座の成り立ちと関係してきます。
 カルデア人のつくった黄道12星座は、ほかの土地にも伝わり、しだいに数が増えていきました。やがてギリシャに伝わって形が整えられ、紀元前270年ごろには44個の星座ができていたといわれています。
 さらにその後も増え、現在と同じ88の星座が決められました。

 このように、占星学のさきがけとして、占星学を発達させたカルデア人は、どのような歴史を歩んだのでしょうか?
 カルデア人が定住当初は五つのビート(家)と称す部族から成りっているそう
です。
 各々世襲の首長を戴いて諸都市を占領しました。
 前8世紀初めまでにメロダク=バラダン2世(在位前721〜前710)がバビロニア
全部族を統一したといわれています。
 そして、前625年,カルデア王朝(新バビロニア王朝)を創立。
 前612年ごろにアッシリア帝国を滅ぼしました。
 その息子が継いだ時代にはオリエント最強国として、天文学・土木事業が発達
し繁栄しました。
 しかし、それは、前539年ぐらいまで続いた後、ペルシア帝国に滅ぼされました。ヘブルや古代ギリシアの著作で,バビロニアをさすカルデアの名は部族名に由来します。
 カルデア人は、現在のイラク人になったといわれています。
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呟き尾形の占いの話
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