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占星学の歴史

 占星学とゾロアスター教

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  こんにちわ。呟き尾形です。

 古代バビロニアの滅亡後、オリエント全域を統一したのは、ペルシア(現在のイラン)でした。
 ペルシアは戦争に強く、武力によりオリエント全域を統一したといっても過言ではないでしょう。
 そして、ペルシアの王はなによりもまず全軍の総司令官であり、戦争指導者であっったことから、そのことをうかがえます。
 また、ペルシア人の社会そのものが軍事的なものであり、ペルシア語で「人民」を意味する語は同時に「軍隊」を意味する言葉であったともいわれています。
 そのような、ペルシア帝国は、ローマ帝国に先駆けて、王道・州制度などの国家基盤を完成させた未曽有の大帝国。
 つまり、古代国家の世界帝国化の到達点であり、世界帝国支配の原型を世界史に残したものとして重要だと歴史的な評価をうけています。
 もちろん、そのような戦闘国家に、治水・灌漑等の事業には不向きです。
 征服地においては旧来の支配機構をそのまま利用して支配したといわれています。
 また、ペルシア時代は、経済的に非常に停滞した一時期であるいえる。バビロニアの運河組織はあきらかにペルシア人支配の末年に荒廃したとも言われています。
 経済的な停滞は、すなわち、文化の発達の停滞ともいえます。
 この武力国家ペルシアにおいて、占星学は驚きの対象でした。
 実際、カルデア人の占星術師の知的レベルの高さに驚きをかくさなかったといわれています。
 逆をいえば、占星学そのものが、目を見張るような発展することはありませんでした。

 しかし、この時代に発生したといわれているゾロアスター教に影響を与えたようです。
 ゾロアスター教の開祖は紀元前6世紀頃のペルシアの予言者ザラスシュトラ(ゾロアスター)とされています。
 古代ミトラ教マズダ派がザラスシュトラの死後に教義をまとめ、マズダ教(ゾロアスター教)として独立したものだといわれています。
 このゾロアスターとは、ツァラツストラとも呼ばれ、ニーチェの著作物、『ツァラトゥストラはかく語りき』の「ツァラトゥストラ」とはこのザラスシュトラのことを指しています。
 ゾロアスター教の根幹には、世界を善と悪の戦いとして説明しています。
 初期の教義では、全知全能の神アフラ・マズダーに従うスプンタ・マンユら6人の善神アムシャ・スプンタが、この世の善なるものを創造したとされています。
 そして、アフラ・マズダーに背くアンラ・マンユら6人の悪神達が、この世の悪しきものを創造したという世界観を持っています。
 そのような中で、人間は、自由意志によって、善か悪かを選択し、どちらかの陣営に付くかを決めねばならないとされています。
 ここでアフラ・マズダーは、世界の法として 善の正当性・勝利を保証する存在とされています。
 ゾロアスター教は、ペルシャを中心に広まっていました。
 さて、占星学とゾロアスター教はどのような関係ですが、ゾロアスター教の神官は、マギと呼ばれていますが、このマギは、神官であると同時に、占星術師でした。
 そして、ゾロアスター教の聖典であるアヴェスタには、占星学的な記述がふんだんにつかわれています。
 つまり、ゾロアスター教と占星学は、お互いに影響しあったということがいえます。

  
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