マグニチュードπ 一安心
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★★ここから★★★
086-1 本当はもっとたくさんのことを話して気持ちを紛らわせたかったのに話題が見つからない。自分はもっと、話せる人間だとおもっていたが、どうにもかなり口下手な自分がもどかしい。 #MAGNITUDE_P
086-2 ともあれ、こうして避難所へいけること自体が、昨夜の不安を打ち消してくれる。妄想による不安というものは、どこまでも心を突き落としてしまうものだ。 #MAGNITUDE_P
086-3 少し、あるくペースが速いかもしれない、いや、早く避難所についた方がいいのか迷う。なんともよくわからない。 #MAGNITUDE_P
086-4 道路は凍りついている。足が冷たくていたい。でも、そんなことは言ってられなかった。 #MAGNITUDE_P
086-5 ちょっと足の感覚がなくなってくる。だけど、これくらい、Aさんの体験と比較すればなんでもないと思う。 #MAGNITUDE_P
086-6 ふと歩きながら昨日の出来事を振り返る。地震が起きるまでは何の変哲もない日常だったのに、それが地震と津波一つでここまで変わるものなのだろうか、夢なら覚めて欲しいと願うが、現実がそんな都合よくわかるわけもない。 #MAGNITUDE_P
086-7 できるだけ早く、お寺で休ませたい。だけど、あまり速く歩くと、疲れているAさんに無理をさせてしまう。その葛藤で、遅くなってしまっていたかもしれない。 #MAGNITUDE_P
086-8 自分たちが遅いかもしれないと思ったのは、後ろから歩いてきた人との距離がつまっていたからだ。「すみません」と言って先に行ってもらった。 #MAGNITUDE_P
086-9 さすがに足が痛くなってちょっとだけ休憩した。靴がないのはなんとも辛いことだなと痛感した。津波で靴が濡れた人もいただろうし、流された人もいただろう。そうだ、避難所に余分な靴を寄付しようと思った。 #MAGNITUDE_P
087 お寺について、Aさんに避難してもらう。避難していた、Bさん、CさんにAさんを預け、妻に着替えを持ってきてもらえることになった。とりあえず、一安心だ。 #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★★
なんとか、臨時で避難所になっているお寺についた。
このお寺は、4カ月たった今でも避難所になっているわけだが、それだけ、行政の対策が後手後手になったことを意味しているのだろう。
もちろん、7月中には避難所に避難していた人たちは仮設住宅などに引っ越しすることになっている。こちらの方も避難からの一段落ということをいみするのかもしれない。
そういう意味では来月から復興策というものが練り直されるということになるのだろう。
さて、震災翌日、安否確認をし、小学校からお寺までの道のりは子供のころに通った通学路なのだが、凍りついた道を靴なしであるいたというのは、はじめてだった。
冷たさで感覚がなくなっていても、感覚のある部分が痛みを感じたのは印象にのこっている。とはいいつつも、Aさんにそんなおもいをさせず、靴を貸せてよかったと思う。
とにもかくにも、命が助かってよかったと思う。
まかり間違えば、助からなかったかもしれない命だからだ。
安否確認する前の晩は、心配でどうにもおちついて眠れなかった要因の一つでもあった。
命が助かったことがわかるだけで、なんとも、精神的な負担がちがうものだ。
この後、小学校から徐々にお寺に避難してくる人がいたが、最大で500人前後集まったともいわれていたのは驚きだった。
もちろん、今になって思えば、野蒜地区で7,8割の場所が津波にのまれ、避難所だった場所も津波に襲われたわけだから、違う避難所を求めるのは当然だ。
正直、Aさんをお寺に送り届けて一安心したわけで、なんというか、一段落ついたとおもったわけだが、まだ、安否確認できていない家族がいた。
父と兄は未だどこに行っているのかわからない。
義姉と甥は、かんぽの宿で、津波の直撃をうけたところで安否不明。
姪はおそらくは仙台
母は、石巻の病院で入院中。
停電と断水で、仕事はなにから手をつけていいのやらとため息が出る。
なんとも、一段落ついたとはいえ、前途多難であることにはちがいなかったわけだ。
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