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今の政治に物申す 第21回〜30回
呟き尾形の今の政治に物申すは、呟き尾形の雑記帳の政治・経済・国際のカテゴリーをまとめているコンテンツです。
- 増税の足音 2007年度消費税率アップの準備が・・・(2005年11月13日追加).
- 歴史の愚挙の始まりのパターンは決まっている(2005年11月13日追加).
- 裁判員制度の問題点(2005年11月13日追加).
- 菜の花は地域と地球を救う(2005年11月13日追加).
- イスラム教(2008年8月17日 修正).
- 情報窃盗罪が無くて良いのか?(個人情報漏洩問題について)(2005年11月13日追加).
- 電気泥棒(2005年11月13日追加).
- 国際政治のテロリズム化(反日デモと中国政府の対応について)(2005年11月13日追加).
- 反日デモ なんで日本に責任が?(2005年11月13日追加).
- 教育によって洗脳されているのは日本人だ!(2005年11月13日追加).
「呟き尾形の今の政治に物申す」の目的は、政治はお上の決めること。政治は他人事。国民が何をいっても変わらない、という考えをなんとか変えたいという理念をもって書いています。
特定の組織のための、プロパガンダなどをはじめとした、他意はありません。
ですから、私の意見を読んで、思ったこと、考えたことを下記のサイトで述べていただければさいわいです。民主主義とは、少数の意見も正当性を議論によって検討し、正しければ採用するというイデオロギーです。決して多数決のみのことを指すのではありません。
こうして、インターネットという媒体があり、直接意見を言う窓口を作っているのですから、利用しましょう。
安陪内閣
自由民主党
公明党
民主党
共産党
社民党
第21回
増税の足音 2007年度消費税率アップの準備が・・・
こんにちわ。呟き尾形です。
増税の足音 2007年度消費税率アップの準備が・・・
こんにちわ。呟き尾形です。
小泉総理は、自分の任期中に、消費税の税率を上げな
いし、現段階では上げる必要性もない。と明言している。
しかし、消費税率が上げられる準備が進んでいる。
それも2007年にだ。
良識的に考えて、これはおかしくないか?
ちなみに、過去にこのような記事を書いています。
2007年度から消費税上げ について
なにかが、おかしい。
みんな、そう思っているのではなかろうか?
もし、貴方がそう思っているなら、何らかの形で、貴方の思いを言葉にしてみましょう!
世論はそうして生まれる。私はそう考えています。
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第22回
歴史の愚挙の始まりのパターンは決まっている
歴史の愚挙の始まりのパターンは決まっている
歴史は、人類の愚挙が並べられている。
人は歴史に学べというが、歴史を読み解けば、愚挙の繰り返しとも言えるだろう。
そして、歴史の愚挙の始まりのパターンは決まっている。
ウソと誇張である。
このウソと誇張は人々の疑心暗鬼を呼び起こし、愚挙が正当化される。
結局、ブッシュ政権による、イラク戦争の理由であった、イラクでは大量破壊兵器は見つからなかった。
この事実で、日本国民が忘れてはならないのは、ブッシュ政権を支持したことだ。
「私」は、それに賛成していない。
あるいは、「私」は反対した。
という人もいるだろう。
だが、結局、日本が指示したことはかわらない。
もちろん、それは、すべて結果が分かったからこそ主張できることである。
そして、過去は変えられない。
変える事ができるとすれば、現在と未来である。
ならば、「私」は、何が出来るのか?
考え、行動するのが、責任というものではないだろうか?
歴史の愚挙の始まりのパターンは決まっている。
ウソと誇張である。
このウソと誇張は人々の疑心暗鬼を呼び起こし、愚挙が正当化される。
愚挙を阻止できるのは、現在の「私」なのだということを忘れてはならない。
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第23回
裁判員制度の問題点
裁判員制度の問題点
こんにちわ。呟き尾形です。
法律の人情のない、考え方の背景には背筋が凍りつくようにおもえてなりませんでした。
もちろん、だからこそ、実際の裁判においての、裁判官の良識も加味されるわけだし、法律の世界だけに浸ると世間の人情と良識と常識に隔離されているという現実があり、裁判員というものが行使されるのだとは思います。
裁判員制度そのものには賛成ではありますが、問題が無いわけではありません。
やっぱりいくつか問題があります。
守秘義務違反、お金の問題、有罪になったときの被告からの逆恨み、職場での立場などなど。
公的HPでは、法律で保護するから大丈夫。みたいなことを言っていますが、法律はあくまでルールであって、物理的には守ってくれないようです。
お酒の席でポロリともらすのもだめでしょうし、裁判員になること自体、ものすごく貴重な体験です。
その昔、日本が陪審員制度をとったときの陪審員は、陪審員を通して、いろいろなことをまなべて良かったという人がほとんどだったそうです。
人は、たくさん学べた体験を話したがるものです。
ある種、守秘義務は、拷問といえるかもしれません。
とりあえず、給与補償はするらしい動きがあるみたいですが、企業が納得するかどうかはわかりません。
交通費とか経費がどうなるかもわかりません。
全国民ですから、北は北海道、南は沖縄県の人たちを裁判所に招集するということですから、交通費も馬鹿になりません。
で、有罪の場合、もしかしたら、被告から逆恨みされるかもしれません。
法律で罰するだけなら、すでに日本中から犯罪はなくなるはずですが、実際は、法律で罰せられる犯罪は日常茶飯事に起こってしまっています。
となると、判決後の裁判員保護プログラムぐらい、やらないとまずいかもしれません。
さらにいうと、無罪のときも油断できません。
理性的でない、被害者の感情というものは、無視できないからです。
で、職場での立場も日本においては、理解を示す企業は少ないのが現実でしょう。
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第24回
菜の花は地域と地球を救う
菜の花は地域と地球を救う
こんにちわ。呟き尾形です。
菜の花は地域と地球を救うという記事を見つけました。
いわゆる、菜の花プロジェクトネットというものらしいです。
はじまりは、琵琶湖を汚す家庭からの廃食油をなんとかしようということがきっかだそうです。
環境汚染の対策です。
菜の花といえば、菜種油。
すでにドイツでは、軽油に代わる燃料としてナタネが活用されているそうです。
そこからヒントをえて、廃食油の燃料化も可能では?
ということで、すすめられたようで、現在では、公用車がてんぷらを揚げるにおいをさせながら動かせることができるようです。
で、現在、稲作に偏る農業が、これからの農業の課題となっています。
もし、菜種油が、さまざまな動力源として利用されたらどうだろうか?
ということをかんがえると、農業が一つの動力源生産になりうる。
ということがいえます。
つまり、転作田に菜の花を栽培し、花を楽しんだ後搾油する。ということです。
まぁ、生産において、心配事は幾つかありますが、それは、農業の仕事でしょうから、話はおいておきます(ちなみに、心配事とは、畑の場合同じ作物ばかりつくると、同じ養分ばかりとってしまい、その植物にとってやせた土地になるということと、菜の花の生命力はかなり強く、違う作物に転作するのがかなり作業になるということです)。
なんにしろ、それによって、純粋の国産菜種油として、学校給食や家庭で活用、食用後は廃食油として回収し、この廃食油はせっけんとバイオディーゼル燃料に再生し、公用車、トラクター、菜の花開花時の夜間照明用発電機に活用するという、ことが可能です。
つまり、菜の花プロジェクトによってのメリットは下記の4点となります。
(1)転作田の活用
(2)観光資源の作成
(3)国産の食用油の生産
(4)廃食油の活用
また、菜の花プロジェクトは、いくらでも応用できます。
(1)子供たちの環境体験学習の場となる。
(2)春の風物誌として多くの観光客を集めることができる。
(3)社会的に認められる仕事ができ、生産者のモチベーション維持につなが
ところで、いわゆる、バイオディーゼル燃料は、石油と異なり、発生する二酸化炭素の量は菜の花が大気中から吸収した量と同じとみなされるそうです。
ニュースで話題の京都議定書において、日本は実質的に根本的解決ができないのではないか? という疑問にも、一役買える可能性があるということです。
つまり、地球温暖化防止に役立つということです。
もちろん、問題点はあります。上述したとおり、転作の問題、菜の花栽培の採算性の問題、バイオディーゼル燃料の課税や規格の問題。
まぁ、問題があるから無理ということではありませんし、新しいことをはじめたり、おこなえば発生するものです。
つまり、実行の証拠ということになります。
問題とは解決するためにある。
というぐらいの意気込みでやっていきたいものです。
ちなみに、参考になりそうなサイトです。
菜の花プロジェクトネットワーク
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第25回
イスラム教
こんにちわ。呟き尾形です。
イスラム教という宗教があります。
どちらかというと、日本になじみの薄い宗教で、なんというか、誤解をしているのではないだろうかと思い、イスラム教についていろいろ調べてみました。
私は、イスラム教徒ではありません。しかし、世界でたくさんの人に信仰されるということは、それだけ信頼に値する宗教であると考えます。それは、いったいどのようなものか。できるだけ、先入観なしに調べてみました。
もちろん、その詳細というよりは、一般的に誤解されているであろうことと、調べてみた内容を比較してみて、できるだけ、誤解をなくそうとするのがこの記事の目的です。
ただ、イスラム教徒ならざる私が、少しばかり調べて感じるたことを書いている記事です。
その点、ご了承ください。
また、間違いなどありましたら、ご指摘ください。認識を改めるよう善処いたします。
さて、なぜなら、私たち人間は、自分の知っていることについては、対象を正しく認識することは、可能ですが、知らないことについては、自分勝手に想像し、下手をすると、想像が妄想になり、対象を誤解し、まったく異なるものとして認識してしまう可能性があるからです。
ところで、日本人の多くは、とくにこれといった宗教と信仰しているということは、さして重要ではありません。
ただ、何かを信仰しているということが、その宗教がどんな宗教であり、どんなことを主張しているかも知らずにうさんくさいと判断することがあります。
しかし、それは、日本の中の話です。
むしろ、イスラム圏をはじめとした世界的な常識としては、なにを信仰するかは別として、信仰を持たないと、なかなか信頼されないそうです。
これは、ちょっと考えてみれば当たり前かもしれません。
信仰を持たないということは、神様すら信じることができないという考え方が出来るのです。
それは信念や道徳がないという一つの証拠にすらなりかねないのです。
実際、調べてみるとわかりますが、宗教の多くは、その宗教観において、道徳を説いています。
ここからは、私の推測です。
宗教を信仰していないということは、「私は信念や道徳を持っていません」という意味を持っているからかもしれません。
また、何かを信じることができない人が、他人を信じることはできないとも考えられます。
他人を信じることをできない人を信頼することは、不合理であるということです。
日本において、なぜ、そのような宗教観になったかは、単純に、日本が多民族国家ではなく、同じ民族意識があり、ある種、同じ価値観を共有できていたからでしょう。
その証拠に、日本人は他民族というだけで、すぐに信頼しようとはしません。
イスラムとは、アラビア語の”平和、従順、服従”を意味する”サラーム”から派生しているといわれています。
つまり、『神に帰依する』ということです。
で、ちょっとしらべただけでも、イスラム教は、ものすごく合理的な宗教です。
なぜなら、誰が救われ、誰が救われないかが明確な宗教でもあるからです。
おそらくは、明確すぎる合理性が日本に浸透しにくい理由なのかもしません。
テロ行為は、その明確な合理性において、反する相手が生じたときに行われる行為でもあります。
イスラム教徒は、命がけで信仰しているということです。
それは、イスラム教徒の義務である五行というものをしると、その覚悟がつたわってきます。
イスラム教徒の義務である五行とは、信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼というものをしているということです。
信仰告白とは、1日に5回、アッラーに信仰告白の文面を唱えることです。
礼拝は、メッカの方向に向かって1日に5回礼拝することです。
喜捨は、貧しい人を救う行為をすることです。
断食は、禁欲の月と呼ばれる機関に、その名のとおり断食をします。
巡礼は、メッカのカアバ神殿を訪れることです。
このような責務を、信仰の名の元に行われているといわれています。
半端な気持ちではできません。
さて、イスラム教の信仰の対象は、下記のとおりです。
アッラー(神、絶対的な存在です)
天使(神と人間の中間的存在、悪魔も含むらしい)
啓典(聖書やお経みたいなもの。厳密には違いますけど)
予言者(神の言葉を信者に伝える存在)
来世(死後の世界のようなもので、終末後、天国と地獄に分かれるらしい)
予定(神が決めた宿命)
です。
また、偶像崇拝を禁止し、他の宗教を否定する部分があります。
ただ、私見を言いますと、盲信者を戒める決まりのように感じ、正しいことは一つなのだから、正しいもの以外は間違いである。
という、イスラム教的、合理的な考えだと思います。
原理主義と呼ばれる考え方も目には目を的な明快なものがあります。
ただ、私見を言いますと、どんな理由があろうとも、相手を傷つけることは悪いことであり、相手を傷つけてしまったときは、復讐を受ける覚悟と享受をしなさいという戒めのように思っています。
さて、イスラム教といえば、聖戦、ジハードを連想する人も多いかと思います。
それによって、イスラム教の神、アッラーのために戦う、誤解する人がいますが、戦うのは神のためというわけではなさそうです。
厳密に言うと、信者は神から運命を与えられていてそれは自分の力では変えられず、自らの力で変える、変えられたと思っても、それも、すでに神が定めた運命であるということとして考えます。
そして、戦争も、その人に与えられた運命であるということになります。
また、イスラム教信者なったときに、ジハードの義務を了承しています。
そして、その、ジハードとなったのは、誰のせいでもなく、自分のせいでもない。
アッラーだけが知っているということになります。
もちろん、ジハードによって、死ぬかもしれませんが、その時は天国を保証します。
さらにいえば、死にたくない。逃げることも不可能ではありません。
それも、アッラーは知っているからです。
このように書くと、運命というものを使い、責任を神に押し付けているのだ。
という考えも可能かもしれませんが、私はそうとは思いません。
すでに上述しましたが、イスラム教徒の義務である五行をしています。
半端な気持ちでは信仰していないということだと推測しています。
とりあえず、上記が、イスラム教徒でない、私が、調べ感じた内容です。
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第26回
情報窃盗罪が無くて良いのか?(個人情報漏洩問題について)
情報窃盗罪が無くて良いのか?(個人情報漏洩問題について)
こんにちわ。呟き尾形です。
個人情報漏洩の報道、および、関連事件が日々起きています。
で、ちょっと、調べてみると、個人情報を不正に取得した人の多くは、どうもそれほど重い刑罰やら罰金などは、ないようです。
たとえば、個人情報の入った電子データがあったとします。
電子データの入った媒体を盗む事によって個人情報を取得した場合、媒体を窃盗したことによって、罪になるそうです。
しかし、たいていの場合、媒体から、”自分で持ってきた媒体”へコピーすると、窃盗は成立しないそうです。
そんな馬鹿なことがあるのか?
と思われるでしょうが、現在の法律ではそうなっているそうです。
ちなみに、個人情報保護法が検討されているようですが、どうも、不正に個人情報を取得した人を言及する内容というよりも、管理する側を言及する法律のようです。
まぁ、どんな風に化けるかはわかりませんが。
で、とりあえず、なぜ、媒体から、”自分で持ってきた媒体”へコピーすると、窃盗は成立しないかといえば、窃盗というものは、元の所有者の手元から無くなるということが窃盗ということですから、複製されてしまえば、元の所有者の手元からなくならないわけですから窃盗にはならない。
しかし、個人情報漏洩は、明らかに良くないことですし、情報を盗んだ事には変わりありません。
ただ、個人情報漏洩という言葉そのものが、個人情報を不正に取得した存在よりも、所持していた側の管理不足が悪いのだ。という印象を与えます。
つまり、現在の法律において、個人情報を不正に取得したやつ、つまり、情報窃盗した盗人は悪くないということにもなり、法律は、情報窃盗の抑止力がない。ということになります。
まぁ、法律によって、情報窃盗を抑止したければ、情報窃盗によって得た利益の2倍の罰金を課して、それを漏洩された個人に按分するということにしておけば情報窃盗する人も現在より減るのではないかと思います。
まぁ、管理責任もあるけど、そもそも、情報窃盗するやつがいなければ、個人情報漏洩の問題も深刻にならないはずなのです。
法律は原因を抑止するようにしないと効果も半減どころか無効化しかねません。
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第27回
電気泥棒
電気泥棒
こんにちわ。呟き尾形です。
電気はタダではない。
これは、当然の常識です。
しかし、他人の管理下にあるコンセントを勝手に利用するような行為が、時折なされることがあるようです。
この行為を電気泥棒と呼ばれています。
たとえば、自動販売機の電源用に用意されたコンセント。
繁華街の雑居ビルなどにおいて、屋外広告用に用意されているコンセント。
これらのコンセントを勝手に利用して、携帯電話端末の充電を行ったり、
ラジカセを鳴らしたりするような行為です。
法的根拠はどうかといえば、刑法において窃盗罪が成立するようです。
なんでも、窃盗罪とは“財物”を窃取する罪と定義されていますので、電気も財物を規定されているそうです。
コンセントの無断利用も立派な窃盗罪となるそうです。
常識ある方々なら、んなことしないだろう。と思われるでしょう。
しかし、近年、モラルが低下し、繁華街や公共施設などでこのような行為を行う人が増加しているそうです。
例えば、家出同然の状態で街中を徘徊する女子高生の中には、このような方法で携帯電話の充電を行う者も多いそうです。
しかし、情報泥棒は、情報窃盗罪が無くて良いのか?(個人情報漏洩問題について)の記事に書いてあるとおり、窃盗罪になりません。
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第28回
国際政治のテロリズム化(反日デモと中国政府の対応について)
国際政治のテロリズム化(反日デモと中国政府の対応について)
こんにちわ。呟き尾形です。
このところ、活発になっている中国での反日デモですが、そもそもの原因は、日本の歴史教科書問題だそうですが、これが、現在の大規模な抗議運動という形で反日デモが発生し、それが、やがて北京の日本大使館が投石につながったようです。
当然、日本政府は黙っていないわけで、謝罪と損害賠償を求めたそうです。
で、中国政府としては、その事に限定して「日本側の要求に留意している」そうで、つまりは、過激な行為には、賛成しないが、それは一部に過ぎず、ほんの一部の過激な行為以外は、「デモを行う民衆に対し、冷静で合法的に自らの態度を表明するよう一貫して求めているのだ」といった、反論をしているそうです。
さらに、中国政府は、反日デモについて、「日本人に対するものではなく、日本政府の歴史問題に対する誤った態度に不満を表明したものだ」というようなことを語ったそうです。
つまり、現在の事態を招いた原因は、歴史問題での日本政府の対応にあるということです。
この発想は、非常に危険です。
なぜなら、本来、その国の政府は、合法的に受け入れた外国人について、その外国人の生命、財産の安全を確保する責任を負っているはずです。
しかし、実際には、大使館への投石をはじめ、日本人であるというだけで、暴力をふるい、日本食の食堂に投石するなどの暴力行為の原因は、日本にあるということになってしまっています。
これは、外交がテロリズム化しているように感じます。
テロリズム、つまり、その国の国民に恐怖を植え込ませ、今の政府を倒すという方法をとる考え方です。
もちろん、テロ、テロル、テロリズムは、他の意味がありますが、 ここで言うテロリズムは、無差別テロというものを示唆していて、政府を直接ではなく、標的となる政府が守るべき存在、つまり一般市民を攻撃することによって、一般市民が、なぜ政府はわれわれを守ってくれないのだ?
という、一般市民を恐怖によって、ある種のコントロールすることだとおもってください。
中国政府は、自らの責任を棚上げし、その責任を日本政府に転嫁することで、現在の中国にいる日本人の恐怖をあおることで、日本国民から歴史問題を日本政府に圧力をかけさせようという構図が浮き彫りになってきます。
この構図が、なぜ、テロリズムと通じるかと言うと、いわゆるテロリストは、無差別に政府が保護すべき国民に対して攻撃します。
テロリストは、ここで犯行声明をだし、自らの行為の責任を政府に転嫁します。
つまり、本来、被害を与えた加害者であるはずのテロリストは、テロを行った動機は、政府にあるのだ。
というわけです。
そうすることによって、保護されるべき国民は、なぜ政府はわれわれを守ってくれないのだ。動機の原因は、政府にあるのだから政府はけしからん。
という責任の所在の倒錯が行われるわけです。
構図そのものは、かなり告示しており、外交そのものがテロリズム化しているようです。
テロリズムの悪さは手段のみならず、従わないものは暴力によって、力ずくで従わせる。ということです。
これは、民主主義の正反対のイデオロギーだといえるでしょう。
テロリストの手段が、政治に利用される時代の到来だということが言えるかもしれません。
そのとき、私たちはどうすればいいのでしょうか?
それは、私たちがこれから考えていくべき事なのでしょう。
え? 私はどうか? ですって?
それは
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU11.htm
と
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU12.htm
こちらで語っているので割愛します。
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第29回
反日デモ なんで日本に責任が?
反日デモ なんで日本に責任が?
こんにちわ。呟き尾形です。
さて、中国政府からは、あたかも日本に責任あるとの発言がありましたが、日本にとっては、筋違いもいいとろ。
という感想をもっている方が多いようにおもわれます。
まぁ、私だけかもしれませんが、その事について、呟こうかと思います。
ところで、そもそも、この一連の反日デモの何が問題になっているかといえば、本来、デモとは、デモンストレーションの略であり、人々が、一定の意思やら要求を掲げて集会なり行進なりをする示威運動のことです。
これが、日本大使館に意思の変わりに石を投げつけ、要求の変わりに欲求をもって、破壊活動が行われた印象があります。
ただ、もし、平和的なデモだけで、日本人および日本政府が動くかと言えば、少々疑問符がつきます。
多くの日本人は「ああ、やってるやってる」という認識で流されたのではないかと言う推測がついつい思い浮かんでしまいます。
なんにしろ、やっぱり、破壊活動をされると迷惑なわけで、迷惑な事はしないようにしましょう。
というのが、社会の最低限のルールですし、実際、国際法において、外国人の生命をはじめ、財産の安全や、外国企業の合法的な活動の保障、外国公館の保護など責任があるとされています。
さらに、原因となっている、歴史問題については、日本は、日中共同声明や日中平和友好条約、日中共同宣言を通じて過去の歴史に関する深い反省を表明してて、日本は2国間の平和条約などで、法的に戦後処理問題をきちんと解決しているそうです。
これが日本の言い分です。
もちろん、中国政府としては、過激な行為に賛成はしていないそうで、となれば、日本と中国が歩み寄りをしてもいいようなものだと思います。
これは何か裏で政治的な駆け引きがあるのかどうかは、私にはわかりません。
ただ、私たち日本人は過去において、取り返しのつかない過ちをしたことは確かです。
他人の足を踏んでも、踏んだ本人の痛みはありません。
半世紀以上の昔のことだ。水に流したまえ。
ということは、踏まれた方が言えることばであって、踏んだ方が言うのも無節操というものでしょう。
となれば、中国側の憤慨も分からないでもありません。
憤慨した事のある人ならわかるでしょうが、憤慨したとき、理性的な説得など逆効果です。
でも、そんなに憤慨しているのだろうか?
という、気もしないでもありません。
結局、私は中国の側に立って考える事は情報不足で、中国の側の言い分のニュースが見つけられなかったのです。
日本政府の情報操作だったりして(笑)
なんにしろ、政治とは表の言葉と言葉の裏にある真意が必ずしも一致しているとは限りません。
単純に、中国と日本がある目的で、反日デモを利用しているだけかもしれません。
結局、反日デモ なんで日本に責任が? なんて問いかけてみましたが、結局わかりませんでした。
政治ってムズカシー!
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第30回
教育によって洗脳されているのは日本人だ!
教育によって洗脳されているのは日本人だ!
こんにちわ。呟き尾形です。
「教育によって洗脳されているのは日本人だ!」
なんてタイトルにしたけれど、単なる冗談です(笑)
まぁ、これから私が語る記事は、裏づけになる根拠も無い邪推です。
といいますのも、なんだか反日デモの報道が、日本代表のワールドカップの報道なみに、日本寄りのものばかりなのです。
まぁ、単なる、資本主義的なニーズなのかもしれません。
それでも、私が疑問なのは、中国側の言い分の正当性についての報道が無いところです。
国際情勢の報道において、それはおかしいことです。
つまり、中国の言い分を正当化する報道が見つけられないのです。
ちょっと、インターネットでニュースを調べたましたが、それはありませんでした。
でも、今回のようなことについて、自国よりだけの報道でいいのだろうか?
というより、どちらかに偏った情報で、正しい判断なのどできるはずも無い。ということです。
なんにしろ、マスコミの報道はほんの一部を、全体のことのように錯覚させる情報伝達技術があります。
それを鵜呑みにするというのは、まさに洗脳されていると言う事他なりませんが、単なる邪推です。
また、反日デモにおいて、日本人に伝えたいメッセージは、歴史の認識であり、つまりは、教科書に記述されていることです。
ここまで問題が発展する原因について詳しく報道されないというのは、やっぱり問題がありそうな気がします。
なんでも、日本の正当性を主張するような記述があったとか。
それは、よくない事だと思います。
なぜなら、公式に日本政府は太平洋戦争をはじめとしたさまざまな事柄を謝罪したからです。
謝罪とは過ちを認め、反省することですが、なんでも、教科書には、戦争を正当化するような主張する記述があるというではありませんか。
これは、謝罪の気持ちが無い。と判断されてもしかたのないことでしょう。
たとえば、他人を殴って謝罪をしたのちに、また他人を殴れば、その人の謝罪っていったい何?
となって、謝罪された側は怒るのは必然です。
なにより、普通、先生から教えられた事や教科書は疑わないし、疑ったところでテストの点数が悪くなるだけです。(いや、テストの点数が悪かったいいわけじゃぁありません(笑))
そうすると、そもそも日本が謝罪したのは気の迷いだったんだ。
なんて、近い将来、主張がされかねません。。
それはまずい。とおうわけです。
で、単なる反日感情だけで反日デモが行われていると決め付けているような気がしますが、それはマスコミの報道を鵜呑みした場合の話です。
マスコミの報道を鵜呑みにせず、きちんとしらべれば、私が述べたような推測がなりたつかもしれません。
そう、情報が操作され、都合の良い情報だけ報道される。
その報道を鵜呑みにするということで、日本が誰かにコントロールされている。
という意味での洗脳は進んでいるのかもしれません。
まぁ、邪推です。
ただ、私は、戦争は、どんな理由をつけようとも、戦争は「悪」である。
ということを主張したいだけです(笑)
だから、どこの国の戦争であろうとも、戦争は「悪」である。
という教育をするべきだとおもうわけです。
だって、誰も戦争したくないでしょ?
だったら、良い戦争があったり、仕方の無い戦争があるという価値観はできるだけなくすべきだとおもうわけです。
争わない秘訣は、相手の立場になって考えることです。
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後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/
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