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今の政治に物申す 第101回〜109回

 呟き尾形の今の政治に物申すは、呟き尾形の雑記帳の政治・経済・国際のカテゴリーをまとめているコンテンツです。

  1. ・春分の日に離陸して、秋分の日に墜落(2011年9月25日追加).
  2. ・控訴する理由などないはずです(2011年9月25日追加).
  3. ・感情論ですが、自衛隊10年の刑にしたいです(2011年9月25日追加)
  4. ・筋違いな反論(2011年9月25日追加)).
  5. ・無責任な批判と報道の放縦(覚書)(2011年9月25日追加).
  6. メールマガジンに求めるもの(覚書)(2011年9月25日追加)
  7. ・意図的な偽装(覚書)(2011年9月25日追加)
  8. ・物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい(2011年9月25日追加).
  9. ・国民保護法と原子力発電(2011年9月25日追加).
  10. ・慚愧(ざんき)に堪えずの意味・・・・(2011年9月25日追加).

 

 

 

 

 

 

 



 「呟き尾形の今の政治に物申す」の目的は、政治はお上の決めること。政治は他人事。国民が何をいっても変わらない、という考えをなんとか変えたいという理念をもって書いています。
 特定の組織のための、プロパガンダなどをはじめとした、他意はありません。
 ですから、私の意見を読んで、思ったこと、考えたことを下記のサイトで述べていただければさいわいです。民主主義とは、少数の意見も正当性を議論によって検討し、正しければ採用するというイデオロギーです。決して多数決のみのことを指すのではありません。
 こうして、インターネットという媒体があり、直接意見を言う窓口を作っているのですから、利用しましょう。


小泉内閣

自由民主党

公明党

民主党

共産党

社民党

 

 


 第101回

春分の日に離陸して、秋分の日に墜落


  

  

離陸は成功、「音速」で懸案処理=政権半年で決意−安倍首相
(時事通信社 03月23日 21:10)

★★★ここから★★★
 安倍晋三首相は23日夜、政権が発足して26日で半年を迎えるに当たり「飛行機が飛び立って水平飛行にいくため、エネルギーを消耗するのは離陸だ。なんとか離陸はできたかな」と振り返った上で、「だんだん巡航速度に移って、次は音速の壁を突き抜けていく気持ちで頑張っていきたい」と、政権運営への決意を述べた。

 首相は、政権の重要テーマである北朝鮮の拉致問題に触れ「この半年間、残念ながら全く進展がないが、国際社会で認識は大変高まってきた」として、引き続き解決に全力を挙げる方針を表明。日本版国家安全保障会議(NSC)設置など官邸機能の強化にも「大切なことは法案を通し、実際に機能していくことだ」と着実に取り組む意向を示した。 
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 ちょうど半年前の記事です。

 ポスト小泉エンジンで70%の支持率が、切り放したとたん、ぐんぐん支持率をさげていくのだから、墜落か不時着の準備というわけでもないのですね。

 何をもって離陸としているのか疑問ですが、まさか、半年たったからカウントダウン終わったからエンジン点火で、離陸ってことでしょうか?
 そして、半年後に自由落下で墜落なだけにオチがついてしまいました。

 それにしても、離陸前の期待は見事に裏切り、美しい国といいながら、事務所費の説明責任拒否問題、柳沢労働大臣の失言問題、アパの耐震偽装問題、格差問題、復党問題、などなど諸問題をことごとく強引にもみけしたつもりになっています。
 それだけに政治不信を生み出し、その後の失言で久間防衛相辞任、事務所費疑惑で赤城農相辞任、その次の農相も名前を覚える前に辞任と、個人的には、悪い事だけど、辞任するまでもなさそうなことで辞任に追いやられてしまっています。
 まるで、道路交通法で定めた法廷速度を10キロオーバーで、免停みたいなものです。
 それは、政治不信だからこそでしょう。

 なにより、最低は、都合の悪い事には耳をふさいで、はぐらかし、都合のいいところだけを見る態度です。
 だいたい、法律破ってなければいいもんねーとばかりに、大事なことは何にも言わないという態度は、民主主義国家の宰相としては、失格です。
 
 もちろん、国民は、そのあたりを、きちんとチェックしているのでしょうね。

 安倍政権のめざしたどこにも存在しない、美しい国は、燃料切れで墜落というところでしょう。

 どこにも無い名ばかりの美しい国めざして、墜落だけは避けたいものです。
 そのためには、私たちはどうすればいいのか?

 主権者が政府に不満でもいいから意見を伝えることです。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/iken.html
 あるいは、自分の選挙区の代表の国会議員に意見を直接伝えてみるのも一つの方法だとおもいます。
 なんといっても、国会議員は私たち国民の代表なわけで、主権者の声を国会に伝えるのが、お仕事です。
 お仕事をしてもらうことは、なにも悪い事ではありません。
 そのときは、
http://seiji.yahoo.co.jp/
 ここで、自分の選挙区の国会議員をさがしてみてください。

 私は総理大臣に意見を述べるフォームから意見を伝え、ついでにblogの記事にしています。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/iken.html

 民主主義とは多数決という数の暴力による政治イデオロギーではなく、一人の意見であっても、正当性、妥当性があるか議論し、その結果正当性、妥当性がのある意見については採用する政治イデオロギーです。




 


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第102回

控訴する理由などないはずです
  

控訴する理由などないはずです
■薬害肝炎訴訟、国側が控訴へ(読売新聞 - 03月30日 14:31)


★★★ここから★★★
薬害肝炎訴訟、国側が控訴へ
(読売新聞 - 03月30日 14:31)

 血液製剤「フィブリノゲン」などを投与され、C型肝炎ウイルスに感染させられたとして、患者が国と「三菱ウェルファーマ」(大阪市、旧ミドリ十字)などに損害賠償を求めている薬害肝炎訴訟で、国側は30日、国の責任を一部認めた東京地裁判決を不服とし、東京高裁に控訴することを決めた。

 東京地裁判決は、東京訴訟の原告21人のうち、6人について、旧厚生省が企業を通じて、肝炎ウイルス感染の危険性を警告する責任があったと指摘した。

★★★ここまで★★★
 だそうです。

 たまたま、C型肝炎の原告の方々が夜の夜中、座り込みをして、柳沢厚生労働大臣にあって、話をしたいというニュースを見ました。

 1ヶ月ほど前に、 
誠意が見えてきました
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=354357889&owner_id=251499
 という日記をかきましたが、出産にかかわる医療事故の被害救済を訴える市民団体「陣痛促進剤による被害を考える会」(出元明美代表)と大臣室で面会したのに、なぜ、C型肝炎の原告の方々と会えなのでしょう?
 やはり、柳沢厚生労働大臣は、人を人として思いやる心がないのでしょうか?
 正直、怒りを感じます。

 薬害であることは明白です。
 なぜなら、C型肝炎を含むウイルス性肝炎の大半は、医療行為を原因とする、医原性の感染によるものであり、その原因のなかに、非加熱血液凝固因子製剤の投与を受けた患者が、B型、C型肝炎ウイルスに感染している可能性が高いことが判明しましたことがあげられるからです。

 その感染源とされている血液製剤は、フィブリノゲン製剤と第IX(第9)因子製剤という血液凝固因子製剤です。
 フィブリノゲン製剤は、血液中のフィブリノゲンという成分を抽出精製した血液製剤だそうです。
 日本では、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が1964年から製造販売しているそうです。
 非加熱フィブリノゲン製剤「フィブリノゲン−ミドリ」(1964-1987)、およびウイルス不活化対策として乾燥加熱処理がなされた製剤「フィブリノゲンHT−ミドリ」(1987-1994)により、薬害肝炎が発生したそうです。
 これらのフィブリノゲン製剤は、輸入売血または輸入売血と国内売血の混合血から製造されており、混合血中がC型肝炎ウイルスに感染した疑いがあるそうです。
 第IX因子製剤は、血液凝固第IX因子を抽出精製した血液製剤で、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が1976年から1985年製造販売されていた非加熱製剤である。薬害エイズの原因にもなった製剤です。
 この事から、C型肝炎は、医原病の性格がますます強くなるとともに、厚生行政の対応の遅れが問題となって来ました。
 そして、平成13年3月29日、厚生労働省は、血友病以外の病気で非加熱血液凝固因子製剤の投与を受けた患者が、B型、C型肝炎ウイルスに感染している可能性が高いとして製剤を投与した803の医療機関名を公表し、投与を受けた心当たりのある人たちに肝炎ウイルスの検査を受けるよう呼び掛けています。
 この厚生行政の対応の遅れ、感染症の予防が出来なかったという責任は国家にあるといえるでしょう。
 そもそも、危険な血液製剤は、国のいいかげんな審査によって、妊産婦や赤ちゃんの出血症等に、止血剤代わりに大量に使われてきました。

 この明らかな薬害について、厚生行政の対応の遅れと、予防を国が何もしなかったということは、明らかに厚生行政の失敗です。
 国に責任がないという主張が、人道的にまかり通るわけがありません。

 法律、司法の大前提は、人道です。
 法律が、どうこう、責任がどうこう、言う前に人として、何をなすべきか、一人の人間として考えれば裁判をするまでもありません。

 厚生とは、古くは、為政者が人民の生活を豊かにする意味であり、現在でも、生活を健康で豊かなものにすることです。
 本来、厚生行政とは、過去の厚生行政のミスをミスと認め、控訴をしないで、救済するのが人道的に正しい厚生行政ではないだろうか・・・。

 実際、柳沢現厚生労働大臣は、国会で、薬害の被害者に同情しているとも言っています。

 控訴する理由などないのです。

 ともあれ、この件に関しては、平成19年3月30日
 下村博文官房副長官が薬害肝炎原告団代表と面談し、薬害肝炎問題の早期解決等を求める要請書を受け取り、薬害肝炎原告団は座り込みを解除とあいなりましたが、まだまだ薬害肝炎の裁判は、各地で続いています。

 


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第103回

感情論ですが、自衛隊10年の刑にしたいです
  


感情論ですが、自衛隊10年の刑にしたいです。

「自衛官は大変…人殺しの練習」言葉足らず?埼玉知事
(読売新聞 04月02日 19:11)


★★★ここから★★★

 埼玉県の上田清司知事は2日、県の新規採用職員就任式の式辞で、使命感の一例として「自衛官は大変だ。平和を守るために人殺しの練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さいと』褒めたたえないといけない」と述べた。

 式後、上田知事は記者団に「殺傷という言葉を使えば良かったかもしれない。分かりやすくなり過ぎて、きつい言葉となった」と釈明。知事周辺は「自分の命を犠牲にすることをいとわない方々がいることを言いたかったと思うが、言葉足らずだった」と語った。


★★★ここまで★★★
 だそうです。

 心の底から怒りがこみ上げてきます。 

 記事に、
> 式後、上田知事は記者団に「殺傷という言葉
>を使えば良かったかもしれない。分かりやすく
>なり過ぎて、きつい言葉となった」と釈明した。
 とあっただけに、本気に自衛隊というものを誤解していることが明確にわかります。

 人殺しを殺傷と言い換えたところで、文脈は一切変わりません。
 実際、訂正してみましょう。
「自衛官は大変だ。平和を守るために殺傷の練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さいと』褒めたたえないといけない」
 表現が変われど、言葉の中にある文脈は一切かわりません。
 ましてや、「自分の命を犠牲にすることをいとわない方々がいる」などという解釈など不可能です。

 練習とは、技能などが上達するように同じことを繰り返しならうことです。
 殺傷の練習をしているということは、自衛隊は、国を守るのではなく、人を傷つける存在だと認識しているということになります。

 自衛隊員は、殺傷することを上達するように同じ事を繰り返しているわけではありません。
 日本という国家の平和を守るための訓練をしているのです。
 国を守るための訓練を、武力衝突のためだけの訓練、つまり、殺傷と認識するのは野蛮人の考えです。
 国を守るということは、戦争だけではありません。
 避難住民の誘導、消火、負傷者の搬送、被災者の救助等への協力だって、自衛隊の任務となりうるし、そのための訓練もなされるはずなのです。

 これはもう、表現の問題ではありません。
 認識と意識の問題です。

 さて、現行法の自衛隊の法律において、いかに人を殺傷しないように心がけられているか、この知事はしらないのでしょう。
 たとえば、
★★★ここから★★★
  第七章 自衛隊の権限等

(武器の保有)
第八十七条  自衛隊は、その任務の遂行に必要な武器を保有することができる。

(防衛出動時の武力行使)
第八十八条  第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2  前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。

(治安出動時の権限)
第八十九条 警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号)の規定は、第七十八条第一項又は第八十一条第二項の規定により出動を命ぜられた自衛隊の自衛官の職務の執行について準用する。この場合において、同法第四条第二項 中「公安委員会」とあるのは、「防衛大臣の指定する者」と読み替えるものとする。
2  前項において準用する警察官職務執行法第七条 の規定により自衛官が武器を使用するには、刑法 (明治四十年法律第四十五号)第三十六条 又は第三十七条 に該当する場合を除き、当該部隊指揮官の命令によらなければならない。
★★★ここまで★★★
 とあるように、いわゆる、有事においても、武器を使用すら、現場は、「防衛大臣の指定する者」にお伺いを立てながら使用する武器を制限されるのです。
 たとえば、テロリストが銃を乱射していたとしても、自衛隊員は自らの意思と、現場の判断ではなく、「防衛大臣の指定する者」にお伺いを立てながら、許可を受けた武器を使うことになるわけです。

 訓練時には、当然、こうしたことも教育を受けるでしょうし、国民の避難のための訓練もするでしょう。
 また、大災害時にいつも国民を助けるのは、自衛隊ですし、そのための訓練もしているでしょう。

 世界各国の例を見れば、国家の平和を守るための義務は本来国民全員が持ってるものです。
 日本の場合は自衛隊が「殺傷までしなければならない」立場をまとめて背負ってくれているということになります。


 それを、一部の訓練の印象だけをみて、人殺しの練習、ないし殺傷の練習とするなんて怒り心頭です。
 自衛隊は、戦闘の訓練というよりも、いわゆる非常事態の訓練をしているんですよね。

 県の新規採用職員就任式の式辞で、わざわざ皮肉をいう必然性が無いと思いますが、そもそも、知事というのは、自然災害を含めて、有事に自衛隊と協力しあう関係のはずだし、それは関係する法律に明記されています。
 協力しあうべき組織なのに、皮肉を言うのは人間として信頼しうる存在とはいえません。
 それが知事?

 防衛省の大臣あたりが、記者の質問があったときに「各都道府県の知事とは、有事に協力し合える関係であり続けたいし、防衛省はその準備がある」
 なんて、皮肉をいえればいいのでしょうが、「当選したら東京で(家を)探さなくても(議員活動を)やれる環境は作るべきだ」と主張し、赤坂宿舎に入居するのですから、そんな気の利いた皮肉はいえないかもしれませんね。

 で、この発言する前に、なんでも、
 警察のことを、
「人を見れば、泥棒だと思ったり、場合によってはおさえつけないといけないから、長刀や格闘技の練習をしているんですから・・。人を痛めつける、ねじりおさえつける、そういう練習をするんです」 
 と、粗末な発言までしています。
 警察を西部劇の保安官と勘違いしているようです。
 「日本は、そんな無法地帯か?」と反問したくなります。

 で、なぜ、現埼玉県知事が自衛隊を人殺しの練習をしているといったり、人を痛めつける練習をしているというかといえば、
「間違っても、これで食いっぱぐれないよな、なんて考えにならないように、そういう考えはだめですよ・・・・」
 という、こんなくだらないことをいうために、自衛隊と警察を侮辱したわけです。

 で、実は、その前は、どうも、民間企業を欲望の権化のように扱ったらしいしです。
 まぁ、救いようがない、思い込みで発言する知事以前に人として疑問の残る方だと思います。
 ともあれ、こうしたことは、プライドのある人にはできないことでしょうね。

 感情論をいわせていただければ、知事を辞めて、自衛隊10年の刑にしたいです。

 

 

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第104回

筋違いな反論
  

筋違いな反論

<久間防衛相>「赤坂宿舎に入居する」 批判は筋違いと反論
(毎日新聞 04月03日 18:31)

★★★ここから★★★
 久間章生防衛相は3日の閣議後会見で、新築された衆院赤坂議員宿舎(東京都港区)に入居する考えを明らかにした。建物の立派さと格安家賃が不釣り合いとの批判から、入居を見送る議員が相次いでいるが、防衛相は「当選したら東京で(家を)探さなくても(議員活動を)やれる環境は作るべきだ」と主張、批判は筋違いと反論した。

 防衛相は同じ港区の高輪宿舎に住んでおり、こちらは赤坂宿舎新築に伴い取り壊される。会見で赤坂入居の意思を問われると「私は行くつもりだ」と即答。「東京で豪邸を持っている人はいいが、そうでない人は(東京での家賃を心配して)選挙に出られないような雰囲気(になるの)はだめだ」と語った。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 しょうがない発言で防衛相を辞任された久間元防衛相の発言ですが、なんとも、筋違いといいながら、自分も筋違いなことを言っているのですからどうしようもないです。

 いや、赤字財政を理由にいろんな予算を削減して、いろんな福祉を実質的に削減しているわけですよ。
 で、そんな中で、なんで議員宿舎がこんなにりっぱなの?
 赤字、赤字といっててそれはないじゃない?

 というのが批判の主だったところなんですよ。

 つまり、赤字、赤字で経費節減の上に増税の話が浮かび上がるわ、健康保険の負担額は上がるわ、障害者の自立をお題目に支援を打ち切る口実にするわで、そんななかで、一等地に贅沢な宿舎作るのはおかしいというのが批判の論旨なんです。

 説明もしない、政治も良くならない、赤字財政を強調しておき、実際に、それを口実に、国民にサービスを減らし負担を増やすという政策をとっているわけです。
 じゃ、議員宿舎が高級マンション級で、格安アパート並みというのは、筋が通りません。

 議員の仕事をするのに、高級である必要はないと思うし、高級でなくちゃやだというのなら、自分で探せということが筋です。

 それに一切ふれることなく、議員活動をやれる環境はつくるべきというのは、筋違いな反論なわけです。

 議論して決まった結果はそれでいいけど、やってみたら、それはおかしいという主権者の意見があれば、また議論するのが、民主主義です。
 「議論は決定するまでにすべきであって、決定したらそれに従って粛々とやるのが当然ではないか」
 というのも、筋違いってわけです。

 なんにしろ、久間元防衛相は、主権者の批判の論旨が理解できずに、「筋違い」と、筋違いで的外れな反論をしたわけです。
 つまり、相手の意見が理解できないってわけですね。
 相手の意見を理解する能力がないのであれば、マトモな議論ができていないのは自明です。

 議員宿舎にかぎらず、賛否については、とにかく、政治上の議論となると、話がかみ合わないことが多くあるような印象があります。
 おそらくは、自分の都合の言い事だけしか言わないし、都合の悪い質問や反論は無視しているからという結果なのだろうとは思います。
 しかし、それでは、説明も出来た事になりませんし、議論がなりたつわけがありません。

 まぁ、別に入居するなとはいわんのですが、議論する能力のない議員のために納税するかと思うとため息がでるわけです。
 私は、納税することに誇りを持ちたいんです。

 そのためには、議員には議論する能力のある人になってもらいたいんですよね。
 批判をうけたなら、その批判をまず理解する能力が必要です。
 しかし、残念ながら、現国防相のコメントは、国民が何を批判しているか、分かっていない筋違いな反論をしているわけです。
 国民のための職務がまっとうするための最低限の条件である、国民の声を聞くことができないと判断せざるを得ないと私は判断します。


 

 

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第105回

無責任な批判と報道の放縦(覚書)
  

 無責任な批判と報道の放縦(覚書)

 過去に
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/31069984.html
 に書いた記事をのんびりお引越し気分で覚書レベルで書いておきます。
 

■菅総務相、TV捏造問題で「自浄能力、期待しにくい」
(読売新聞 - 04月09日 18:41)
★★★ここから★★★
情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題を巡る関西テレビや日本民間放送連盟(民放連)の対応について、「放送事業者の自浄能力はなかなか期待しにくいと思った。国民の信頼を裏切りすぎているのではないか」と厳しく批判した。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 もちろん、批判は重要です。
 しかし、重要な批判は、言動の一致と一貫性のあるものです。
 自分を棚上げする批判は重要とはなりません。

 では、政府や官僚の自浄能力はあるのでしょうか?
 あくまで、個人的な意見ですが、官制談合、天下り、裏金、その他、お手盛りなどの、国民に対する裏切りを根拠に、自浄能力は無いように判断しております。

 自らの自浄能力がないのにもかかわらず、他者の自浄能力を批判するのは、無責任な批判です。
 なので、なぜ、政府は、自浄能力について批判できるのか、正直、疑問です。

 ともあれ、この手の話題になると、マスメディアは「報道の自由」をもちだします。
 私は、それを問題のすり替えだと判断します。
 なぜなら、捏造という問題について対策をとる事は、報道の自由に対する責任の取り方です。
 それを自分たちで自浄できるのなら、そもそも報道の自由を持ち出すまでもありません。自ら責任を取ればいいだけです。
 それができないし、問題の中心である捏造を棚上げして、報道の自由を持ち出すわけです。
 これでは、放縦です。

 自由と放縦はことなります。

 報道の自由には、その裏に自己責任と事実だと判断しうる根拠が必要です。
 捏造は表現の放縦です。

 まぁ、これをキッカケに、テレビを含めて、無責任な批判、報道の捏造、情報操作といった、報道の放縦が、クローズUPされることを期待します。

 

 

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第106回

メールマガジンに求めるもの(覚書)
  

メールマガジンに求めるもの(覚書)

 過去に
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/31130759.html
 に書いた記事をのんびりお引越し気分で覚書レベルで書いておきます。
 

 首相メルマガ登録者伸び悩み、星野氏起用や内容充実に苦慮しているというお話を聞きました。

  私は、小泉内閣メールマガジンからの読者です。
 安倍内閣メールマガジンになってから、無難なことしかか書かないので、ぜんぜん面白くなくなりました。
 なんというか、記事が面白くないというよりも、世間で関心のあることにふれないケースが多いのです。
 その上、記事にハートが感じられません。
 ハートのある記事になれば、賛否両論になります。

 しかし、現実的に政治を考えれば、賛否両論の意見を話し合いで調整するのが、民主主義です。
 決して、長崎での長崎市長銃撃による暴力や、少年法改正案のような、反対意見を数で押し切るような数の暴力が民主主義ではありません。

 そのためには、反対意見や批判の声を覚悟で、ハートのある記事を読者が求めるし、それが安倍内閣メールマガジンの発行部数を伸ばし、さらには、政府からの意志をメールマガジンで伝えるという目的も達成できると思います。

 小泉内閣メールマガジンも安倍内閣メールマガジンもメインの記事は、総理大臣の記事です。
 総理大臣の信念と決意を私は読みたいです。
 都合の悪い事実に目をつぶる鈍感力ではなく、信念を貫きつつも、改めるべきは改める強い意志を私は期待します。

 しかし、今の安倍内閣メールマガジンの内閣の各大臣もいまひとつ、これからの日本がどんな舵取りをしようとするのか曖昧で、メールマガジンを読むメリットが見えてきません。

 今一度、メルマガの発行者のメリットと読者のメリットを再確認することが、必要なのではないでしょうか?
 
 それを、有名人の記事に頼るようになっては、内容が薄まるだけのような気がします。

 

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第107回

意図的な偽装(覚書)
  


意図的な偽装(覚書)

 過去に
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/31272200.html
 に書いた記事をのんびりお引越し気分で覚書レベルで書いておきます。

■アパ側がマンション補強工事へ、耐震強度偽装の2棟で(読売新聞 04月12日 23:32)


★★★ここから★★★
 新潟県三条市にある「アパ」グループの分譲マンション2棟で耐震強度不足が見つかった問題で、事業主の「アパ」(本社・東京)は12日、「速やかに補強工事を実施する」とホームページで明らかにした。費用もアパ側が負担する方針。

 三条市の調査で、2棟の耐震強度は基準の85%しか満たしていなかった。うち1棟には47世帯が入居するが、補強工事に伴い、住民が一時退去するかどうかは不明。

 市によると、耐震強度の構造計算で改ざんがあったのは9階のうち1〜3階の耐震壁で、補強工事もこの部分が中心になるとみられる。建設中のもう1棟(49戸)は6戸が契約済みだったが、3戸が契約を解除した。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 気になるニュースの割には、話題になって良そうもないので、覚書と後日の日記のために、いろいろな記事を見て、ニュースをまとめてみました。
 

 「アパグループ」を舞台とした「田村水落設計」による耐震強度偽装問題の、関連記事をさがしてみると、これは、どうも「アパ」2棟で意図的な偽装だということみたいです。
 耐震強度が不足しているのは、新潟県三条市の「アパガーデンズ東三条イーストコート」と「アパガーデンズ東三条ウエストコート」ともに、強度は85%しかない状況だそうです。

 三条市調査の調査によると、2棟の構造計算で意図的な偽装や不適切な計算など悪質な改ざんがあったと判断したようです。
 なんでも、偽装が発覚したのは一部の耐震壁の計算だそうです。
 この計算は、コンピュータプログラムで、計算がされ、斜めにひび割れが入り、建物にとって深刻な損傷となる「せん断破壊」が確実に生じる場合は、それを知らせる警告のマークがでるそうです。
 で、その警告マークを、手入力で改ざんして、安全なように装っていたそうです。
 コンピュータだから絶対正しいとはいいませんが、手入力で改ざんしたというのは、意図的な偽装と判断せざるを得ませんね。

 ほかにも、耐震壁の保有耐力の算定において、アパ側は、日本建築学会の式を故意に直接入力したそうです。
 私は素人なので、いいんじゃない?
 とおもってしまったら、その耐震壁の保有耐力の算定。
 実は、国土交通省の強度式を入力しなくてはいけなかったそうです。
 日本建築学会の式は、国土交通省の強度式の計算結果より、耐力が2〜3割上回るような計算方法だそうです。
 その結果、耐震強度は基準の85%という結果になるそうです。

 ちなみに、同設計の偽装による強度不足物件は8件目でだそうです。
 で、今回の発覚の中には、は、アパガーデンズ東三条ウエストコート(9階建て49戸)は、竣工済みで、大半の住民が入居済みだそうです。
 住民が入居している事例だそうで、それは初めてとのことです。
 で、アパガーデンズ東三条イーストコート(9階建て49戸)は工事停止中だそうです。

 もちろん、新潟県三条市はアパに補強工事を要請したそうです。


 

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第108回

物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい
  

物議をかもし出したいなら、親学を発表すればいい


<教育再生会議>「親学」提言見送り 「押し付け」反発で
(毎日新聞 - 05月11日 13:11)

★★★ここから★★★
 政府の教育再生会議は11日午前、首相官邸で合同分科会を開き、親に向けた子育て指針として同日にも発表予定だった「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」について当面、発表を先送りすることを決めた。「親学」との表現を使わないことも確認した。今月末以降の第2次報告に反映させる方向で調整する。政府や与党内にある「国民への教育観の押し付け」「政策的な裏付けがない」などの反発や批判に配慮した。

 ただ、同会議に出席した安倍晋三首相は「議論が物議を醸しているのは事実だが、もっと物議を醸していいのではないか」と発言。「いろんな偏見があったり、アレルギーがあったりするんだろう。アレルギーを持つのは間違っていると認識していけば、冷静な議論が出てくるのではないか」とも述べた。

 提言発表は山谷えり子首相補佐官らの主導で計画されたが、母乳による子育ての奨励など個人の価値観にかかわる内容を含んでいたことから政府・与党内に国民の反発への懸念が広がっていた。山谷補佐官は会議終了後の記者会見で「第2次報告に収れんさせる部分と(報告と別に)情報提供する部分を考えたい」と語った。拙速な対応が表面化したといえ、再生会議のあり方を問う声が高まりそうだ。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 まず、偏見とは、かたよった見方のことです。
 つまり、ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情です。

 まさに、親学は、古き形骸化した親への理想像というゆがめられた考えに基づき、客観的根拠がないのに、現代の親に対して、現代の親の育児のあり方に対し、こうするべきと、多くの現代の親のあり方の子育てについて、非好意的な意見や判断をする偏見の塊が親学となります。

 たとえば、親学にあるような、授乳するときは子守唄を聞かせるべきとか、子供にテレビを長時間見せないとか、父親もPTAに参加するべきというようなものです。
 間違っているとはいいません。
 むしろ、そうできれば、正論といえば正論でしょう。
 しかし、偏見が偏見であるという条件は正しさにあるのではなく、偏りにあります。
 特に正論は、正しいからこそ偏りが生じます。
 わざわざ、正しい事を批判することはまずなくなります。
 意見の偏りというものは、無批判になったときに生じます。
 さらに、正論をいえば、そこで満足してしまい行動に移される場合がすくなくなります。
 言動は一致してこそ、説得力がおびるのですが、口だけで正論を述べて、行動を前提としなければ、それは、巧言令色となります。

 そもそも、現代の親が欲しているのは、社会の理解と協力です。

 現代の育児のあり方になったのは、現代の日本の子供に対して優しくない環境です。

 親学については、
「親学」提言・・・(|||´Д`)3 
http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/3_0991.html

親学は正論であっても、行動がないから机上の空論です
http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2007/10/post_27ac.html

 と日記に書きました。

 単純に、現場の親は提言だけではなく、提言に伴う手助けがないから反発しているのです。

 政府は提言の前に、現代の育児のしにくい環境の改善が先なのに、育児に対する考え方がおかしいというゆがめられた考えに基づく偏見が行政にありありと現れています。

 本気で育児の問題を考えるなら、参議院選挙などきにせず、いかに育児について、行政が間違っているかを浮き彫りにするためにも、行動なき正論、提言するだけで政策の伴わない無責任の塊の親学を発表するべきだと思います。

 正論だけでは問題は解決しないのです。

 「もっと物議を醸していいのではないか」と安倍前総理大臣は述べているそうですが、物議をかもし出したいなら、親学を発表するべきです。
 親学が正しいと思うなら、どんな批判にも耐えうるはずですし、親学は批判により、親学の偏見が削り落とされ、洗練されたものになるでしょう。
 物議をかもし出したいのならそうすべきです。
 しかし、それをしない。
 批判されるのがいやなんでしょうね。
 批判されることが、悪い事だという偏見をもっているのでしょう。
 批判に対して、言動を改めればいいだけなんですけどね。

 物議をかもし出したいのに、親学の提言という、主張を引っ込める。
 言動の不一致というものです。

 まぁ、「言動の不一致」と「大事なことは言わない」のは、去年の総裁選からのことですし、今にはじまったことではありませんけどね。



 

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第109回

国民保護法と原子力発電
  

国民保護法と原子力発電

 まず、国民保護法は、正式には「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」というそうです。
 いわゆる有事において、国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活等に及ぼす影響を最小にすることを目的としているようです。
 そのために、国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置を事前に規定しておくとしているようです。
 国民保護法という名前ではありますが、その内容は、日ごろから有事を想定した日常生活からはじまることになります。
 そのために、役所や テレビ局、病院などは「戦時」のための計画を作り、「戦時」にむけて組織を整える義務が生じます。
 これを、やはり、万が一のときの準備は必要とするか、日ごろから、有事の準備とするから、戦争という意識を日常生活に植えつける行為とするかは、意見の分かれるところでしょう。

 さて、国民保護法において、いくつか疑問点があります。
 それは、何を持って有事とするかです。
 法案においては、日本政府が、「武力攻撃が予測されるに至った事態」とされています。
 一見問題がないようにもおもえますが、判断材料が事実とことなったり、捏造だったときの問題があります。
 疑心暗鬼になってはいかがなものかとおもいつつ、イラク戦争において、アメリカの大量破壊兵器がある証拠は嘘であったことは、アメリカ政府も認めたことです。
(実は、日本政府はこれについて、公式のコメントが見当たりません)
 日本は、外国からの情報で踊らされる可能性が非常に高いということです。
 その対策が立てられないまま、政府の判断で、有事とするのは、不適切だといえるでしょう。

 また、国民保護法で指摘されているのは、いわゆる有事にのみ適用する法律ではないことが問題視されています。
 これは、平時、つまり、日常生活において、役所や テレビ局、赤十字病院などは「戦時」のための計画を作り、「戦時」にむけて 組織を整え、訓練をしなければなりません。
 つまり、有事にそなえて、現在の日常生活を有事を意識した社会を作り変えるのも目的です。
 これは、
 第34条(都道府県の計画)、
 第35条(市町村の計画)、
 第36条(指定公共機関及び指定地方公共機関の業務計画)、
 第41条(組織の整備)
 を根拠としたものです。

 また、それに伴い、第42条(訓練)を根拠に、住民参加の避難訓練も実施されますし、自主防災組織や地域ボランティアが協力を要請される場面も考えられます。
 もちろん、建前上、「国民の協力は自発的な意志にゆだねられ強制はしない」となっていますが、協力しないと、土地や家屋が没収されたり、罰金を取られたり、懲役を課されるなど、矛盾した内容も見受けられます。

 この法案で国民保護の中心にあるのは「避難」ですが、、有事において、保護の対象としてまっ先に対応しなければいけないはずの高齢者や障害者、外国人のために、特別な手立ては考えられていません。
 さらに、意見を求められた鳥取の自治体は、住民の全員避難は不可能と答えています。
 また、有事に、避難用の幹線道路を自衛隊が優先的に使うべきと総理大臣が判断すると、住民の避難はさらにむずかしくなる現実がありますが、それについての対策は立てられていないようです。

 また、第43条(啓発)を根拠に、「戦時」に備える意味を国民に理解させる教育をすることになっています。
 学校やマスメディアは、「国防意識」や「愛国心」を強調し、有事の備えをしようとしているようですが、過剰な防衛意識や愛国心は国を暴走させることが懸念事項といえるでしょう。
 さらに、学校やマスメディアにおける啓発という名の戦時の教育は、果たして正常な国家の政策だといえるでしょうか?

 上記のような問題があるなか、 原発の万が一の事故はそうていしていても、原子力施設が攻撃された場合への対処方法には現実味がないという指摘もあります。
 各地に原子力発電所がある日本では、戦争になれば狙われる可能性は高く、そのときの想定した対処方法がありません。
 その結果、この法律では原子力施設への攻撃が、事実上、想定外になっている可能性があります。


 

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第110回

慚愧(ざんき)に堪えずの意味・・・・
  

 慚愧(ざんき)に堪えずの意味・・・・


松岡農水相自殺、安倍政権に打撃=疑惑の渦中−首相「ざんきに堪えず」
(時事通信社 05月28日 20:10)
★★★ここから★★★
 東京都港区赤坂の衆院議員宿舎で自殺を図った松岡利勝農水相(62)は28日午後2時、搬送先の慶応大学病院で死亡が確認された。「政治とカネ」の問題や、緑資源機構の官製談合事件で、疑惑の渦中にあった現職閣僚の自殺に衝撃が走っており、安倍政権には打撃となりそうだ。野党側は一貫して農水相を擁護してきた首相の政治責任を追及する方針だ。首相は当面の措置として農水相の臨時代理に若林正俊環境相を指名。天皇陛下が欧州訪問から30日に帰国されるのを待って、後任を決める。

 首相は28日午後3時ごろ、慶応大病院を弔問。その後、首相官邸で記者団の質問に答え「大変残念だ。ざんきに堪えない思いだ」と農水相の死を悼んだ。また、「国会で厳しく追及されていたが、自分の専門分野で専門知識を生かすことで頑張っていた」と述べた。

 塩崎恭久官房長官は記者会見で農水相の死因や自殺の動機について「警察当局の検視などの手続きを経た上で発表される予定だ」と語った。農水相の宿舎からは、遺書とみられるものが見つかった。 
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 あまり見慣れない言葉、「慚愧(ざんき)に堪えず」という言葉。
 安倍前総理大臣の日ごろの言動から予測して、文脈からすると、
「遺憾」の強調の意味だろうかと予測しつつ調べたのですが、ちがいました。
 「慚愧に堪えず」の意味は、自分の言動を反省して恥ずかしくて堪えられない思うことだそうです。

 元来は仏教語で、「慚」は自己に対して恥じること、「愧」は外部に対してその気持ちを示すことと解釈されたそうです。

 それが、自分の言動を反省して恥ずかしく思う意味になったそうです。

 安倍前総理大臣は、自分のどんな言動を恥ずかしく思い、反省したのでしょう?
 そんな疑問が頭をよぎりました。

 農相を選んだ事でしょうか?
 農相をかばい続けたことでしょうか?
 事務所費問題のとき、法律さえ守れば、モラルとして、間違っていても問題ないと主張し続けたことでしょうか?
 それとも、そもそも、意味を分かっていないのかもしれません。
 この手の間違いは、安倍前総理大臣には目立っているような気がします。


 故人を悪く言うつもりはありませんが、自分は正しいと主張し続け、批判されたら自殺という結果は、なんとも言葉にしようの無い憤りにも似たショックをうけました。

 とにもかくにも、閣僚という公的な責任をもち、数ヶ月前に子供たちに「どんなことがあっても自殺はいけない」と、主張したことを否定するような結果になったという現実に対して戸惑う子供たちに、大人がフォローしないといけなくなりましたね。

 そんな、松岡元農水相は、生前に気になる言葉を残していました。

「国対の指示でしゃべれない」=松岡前農水相の発言紹介−鈴木議員
(時事通信社 05月29日 17:00)
★★★ここから★★★

 鈴木宗男衆院議員は29日午後、自殺した松岡利勝前農水相が自身の事務所費などの不透明な処理に関し「国会対策上、黙っているのが一番だと言われているし、今は自分はしゃべれない」という趣旨の発言を鈴木氏にしていたことを明らかにした。都内で記者団に語った。

 鈴木氏は松岡氏と親しく、今月24日夜に会食した。松岡氏の発言は、その席で国民に謝罪するよう進言した鈴木氏への返答。松岡氏は「政府も方針は決まっているし、また変えたりするとおかしくなるから言えない」とも語ったという。

 鈴木氏は自身のホームページでも「今は黙っていた方がいいと国対からの指示なのです。それに従うしかないんです」と松岡氏の発言を紹介している。

 これに関し、自民党の中川秀直幹事長は29日午前の記者会見で「国対に確認したが、そういう事実は一切ない」と述べた。また、安倍晋三首相も同日夜、首相官邸で記者団に「政府で方針を決めることはもちろんない。鈴木議員がどういう意図で言っているのか分からない」と不快感を示した。 
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 国会対策上、黙っているのが一番と指示するようにいうようなところが、確認した程度で、そういった事実があるかなどいわないと思います。
 認めちゃったら、大問題ですもの。

 さて、この国対、国会対策委員会の略だそうです。
 国対は、日本の政党に置かれる機関の一つで、日本では非公式機関になっており、国会対策委員会が密室で運営に関わっているとして、不透明であるという批判もあるそうです。
 不透明な機関が、「だまっていろ」といったかどうか確認したら、「言っていない」といわれても、正直、信憑性にかけます。
 むしろ、国会の農相の答弁と照らし合わせて、国会対策委員会が、だまっていろといわれたとおりの反応です。
 
 安倍前総理大臣は、「政府で方針を決めることはもちろんない。鈴木議員がどういう意図で言っているのか分からない」と述べているそうですね。
 「大変残念だ。ざんきに堪えない思いだ」
 と、前日述べた人と同一人物の言葉だと思えません。

 なにはともあれ、松岡元農水相は、私たち国民に対して遺書をのこしたそうです。

松岡農相「国民宛遺書」の全文
★★★ここから★★★
<松岡農相自殺>遺書8通残す 「国民の皆様」宛てなど判明
(毎日新聞 - 05月29日 15:21)
 故松岡利勝農相が残した8通の遺書のうち、封書の6通のあて名は▽安倍晋三首相▽縁せき関係にある島根県選出の景山俊太郎参院議員▽小林芳雄・農水事務次官▽青山豊久農相秘書官と警護官(本名)▽小泉純一郎前首相の前秘書官の飯島勲氏▽事務所の事務担当者(本名)。そのほか、「国民の皆様 後援会の皆様」と題された農水省のA4判の便せんに横書きで記された遺書の全文と、発見者のために便せんに書かれたとみられるものは次の通り。

 ◇国民の皆様 後援会の皆様

 私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。

 自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。

 なにとぞお許し下さいませ。

 残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。

 安倍総理 日本国万歳

 平成19年5月28日 松岡利勝

 ◇(発見者のために書かれたとみられるもの)

 家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。

 女房が来るまでは、どこにも触れないで下さい。
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 故人を悪く言うつもりはありません。

 むしろ、思いつめるほどの葛藤があったのであろうと推測もします。

 不正があったのかもしれませんし、ぬれぎぬだったのかもしれません。
 実は、不正があり、それを正直に言おうとしたら、それはダメだといわれたのかもしれません。
 実は、不正なんてまったく無く、ぬれぎぬだが、聞く耳を持ってもらえなかったのかもしれません。
 どれも憶測の域を超えない話しです。

 事実がわかれば、なんとも判断のしようがありますが、なんとも、事実がわからないままです。
 さらに、閣僚の自殺、それに続くように、陰のドンと称される、旧森林開発公団の山崎進一・元理事が続いて自殺したこともあり、真相は藪の中になってしまったようです。


 真相もわからず、松岡氏はいったい、何の責任をとったのか、国民である私が何を許せばよいのか、わかりません。

 私たちは、何をどう許せばよいのでしょう?

 真相がわからぬ限り、許したくても許しようがなく、とまどっています。

 なんとも、今回の件で、どう判断していいのか戸惑っています。

 どんな考えでも、推測の域を越えられず、考えがまとまりません。

 あやまるのですから、もしかしたら、検察が引っ張り出そうとしていた本体へとつながる糸を(自ら)切ったことで、支持基盤の大半の国民に対して重大な背信行為をおこなったことなのかもしれません。
 さらにいえば、真実と身内の安全を秤にかけて、後者を選択してしまった今回の行為を許して欲しいということかもしれません。

 ゆるして欲しいといったのですから、何か国民に対して悪いことをしたのでしょう。
 個人レベルで、よし、人には言えないことの一つや二つあるだろう、許してあげよう。
 なんていえるわけもありません。
 農相という地位は、公人レベルとなります。
 農相として、人に言えないことをした時点で、それは、罪であり、説明する罰があると思うのです。
 それを聞いて初めて許すという行為が可能になります。
 キリスト教なんかで、懺悔なんてのがありますよね?
 あれは、神に告解して初めてゆるせるんですよね。
 神ですらそうなのですから、というお話です。

 なにはともあれ、情報がないので、その推測が私の妄想に過ぎない可能性をぬぐいきれません。

 本当の事がわからないままで、本当にそうだという確信がもてません。
 いまどきの政治屋だから不正をやっていて当然というのは、証拠も無い、思い込みですし。

 なんにしろ、故人が悪いかといえば、どうも、陰口を言うようで良心が痛むものです。

 不正は追求したいが、故人を責めるわけにもいかずなんとも、はがゆいところです。
 なんとも、複雑な気持ちになります。

 最後に、松岡利勝元農相のご冥福を祈ります。


 

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  後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/

 

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