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●●内閣へのメッセージ 第1回〜10回
呟き尾形の小泉内閣へのメッセージは、呟き尾形の雑記帳の小泉内閣メールマガジンのカテゴリーをまとめているものです。
「呟き尾形の今の政治に物申す」の目的は、政治はお上の決めること。政治は他人事。国民が何をいっても変わらない、という考えをなんとか変えたいという理念をもって書いています。
特定の組織のための、プロパガンダなどをはじめとした、他意はありません。
ですから、私の意見を読んで、思ったこと、考えたことを下記のサイトで述べていただければさいわいです。民主主義とは、少数の意見も正当性を議論によって検討し、正しければ採用するというイデオロギーです。決して多数決のみのことを指すのではありません。
こうして、インターネットという媒体があり、直接意見を言う窓口を作っているのですから、利用しましょう。
質問、感想などは、●●内閣メールマガジンの感想 掲示板などに書き込みしていただければ、モチベーションもあがります(笑)
小泉内閣へのメッセージ
年金改革は、無駄遣い改革から!
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こんにちわ。呟き尾形です。
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小泉内閣メールマガジン の文部省の記事の感想 こんにちわ。呟き尾形です。 小泉内閣メールマガジン第164号の子どもは国の宝(読んだ感想を、小泉内閣 に送信した内容です。 ----------- > テレビゲームなどだけでなく、もっと本を読み、もっと外に出て、スポー >ツに親しみ、運動で汗を流そうと提唱したい。そのためには、学校や家庭、 >地域全体で子どもたちの多様な体験活動の機会を作ることが必要です。 現実的に見て、そのような時間と場所は現代の子供たちにあるのか疑問です。 運動で汗を流し、自然に触れる環境がどこにあるのか? 読書の魅力も伝えられない教育において、もっと本を読めなどといって、読む子供はいません。 ちなみに、私は国語の教科書ほど、読書の魅力をうせさせるものはないということを経験しています。 私は読書が好きですが、これが文部省という学校の教育によるものじゃ在りませんでした。 上記の理由から、上記の語られた提唱されたことは無理。 と判断します。 ところで、「子どもは国の宝」で提唱されているそうですが、提唱されるまでも無い、大人が子供に期待している常識だと思いました。 提唱とは、新しい考えを人々に先立って主張することですが、上述したように、善良な大人なら、誰でも考えそうなことを提唱されると文部省がこれでは先が思いやられます。 主張の内容には異論はありません。まさに、理想的と思います。しかし、理想なら、誰にでも語れます。理想を実現させる方法の概要をメールマガジンで知りたいです。 ところで、上記のことを実現させる方法を提案します。 生徒数の少ない学校、あるいは過疎化が進む地域に、長期合宿させれば、提唱されたことの実現は可能になると考えます。 --------------- ところで、私はメールマガジンを読む限り、現在の文部大臣の記事には光るものなし。と評価しちゃいました。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 さて、選挙についていろいろ考えていました。 あの政党は、スキだけど、政策が気に入らない。 政策は、いいけれど、立候補者が気に入らない。 政策、政党はどうでもいいけど、立候補者が好き。 そんなことが、しばしばあります。 考えてみれば、この政策には賛成だけど、あの政策には反対。 でも、選挙では、政党なり、選挙に立候補した人にしか投票できないのが、とてもとても時代錯誤なんじゃないかと思いました。 たとえば、私は、現在の政府にたいして、景気回復をはじめとした内政面(年金改革のぞく)の多くは賛成なのですが、自衛隊を軍隊とするなどのいわゆる外国に向けた部分がからむ政策の多くは反対です。 いったい、私はどちらを優先させるべきか迷っています。 つまり、「誰か」にしか投票できない選挙は、政策のセット商品であり、いらない政策は排除できない。という不条理が発生します。 つまり、「誰か」は得れば手も、「政策」が選べない選べない。というのはかなり時代錯誤だということです。 また、「誰」に投票するということは、その人の政策ではなく、人柄、人徳、魅力に投票してしまいます。 もし、選挙が民意を示す一つの手段ならば、「誰」に投票する。ということではなく、「何」に投票するか。という意識が必要になるかと思います。 とはいいつつも、それが今の仕組みだから仕方がないんですが、われわれ、主権者は、これから、「誰」に投票する。ということではなく、「何」に投票するのか? とできるようなシステムが出来上がれば。 と考えている次第です。 まぁ、世論調査という実在しない人物でありながら、確実にある国民の声に、法人のような人格を与え、それに国会における投票権を与えるなんていいと思うんですけどね。 いや、一票でいいのです。 それと、反対の一票を投じた、議員の名前を挙げてもらい、なぜ、民意にそむく判断をしたのか、理由を聞きたいだけですから。 と、つらつらとかいてしまいました。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 小泉内閣メールマガジン第164号のらいおんはーとを読んだ感想を、小泉内閣 に送信した内容です。 ----------- ”「真心支援」をモットーに”の感想です。 現地の児童代表の女の子の言葉は、心打たれました。 真心支援も大賛成です。 しかし、TV、インターネットを通して、なぜか、私には争いの、戦争の種としての情報しか入ってきません。 なぜでしょう? だれか、争いたがっている人がいるのでしょうか? --------------- 対象となる記事、”「真心支援」をモットーに”は、単なるプロパガンダだろうか? 私は違うと思います。 上手く説明できませんが、当事者でなければ、書けない文章というものはあります。 それに対して、”子どもは国の宝”の軽薄なことといったら、どうせ、第三者が書いたであろうという内容の無さです。 なんというか、当事者は必死に頑張っていて、その成果を上げているのに、それを上手く利用できない、あるいは、それを利用してやろうという存在が、国際情勢の混乱の根源のような気がしてなりません。
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こんにちわ。呟き尾形です。 小泉内閣メールマガジン第165号の東アジア共同体と経済連携協定を読んだ感想を、小泉内閣 に送信した内容です。 ----------- 東アジア共同体と経済連携協定の感想です > 東アジア諸国が平和と繁栄を共有する「東アジア共同体」の形成のために >も、東アジアにおける経済連携を積極的に推進していこうと考えております。 とありました。 東アジア共同体という響きはとても魅力的である反面、目的というか、実際に、東アジア共同体になって、どうなるの? というものが見えてきませんでした。 これでは、賛成しようも無いし、反対のしようもありません。 いつも、思うのですが、大臣のほんねとーくは一体なにが目的なのでしょう? たんなるプロパガンダにしては、三流に感じます。 もし、東アジア共同体になったら、私達国民はどんなメリットがあるのか? 漠然とした景気回復? その決まり文句が実感として、実現したことがないのでもう、信用のしようがありません。 でも、もし、東アジア共同体に、大使館があるように、それぞれの国の村があったら、素敵だと思いますし、共同体。という気持ちになります。 政府だけのつながりでは、国民は実感できません。 ところで、大臣のほんねとーくの目的は難なのか、よく分からないでいます。 大臣の紹介なら政策よりも、大臣の個性を記事にするべきだとおもいます。 何のための、コーナーなのか疑問です。 ------------------ それにしても、東アジア共同体というのは、なんとも、魅力的に聞こえます。 もし、できたら、私達の生活にどんな風に影響するのだろうか? 想像するだけでワクワクします。 思うに、私達が政治に関心が薄いのは、「それができたら、私達はどんな風によくなるの?」というビジョンを魅せてくれない、へたくそ、三流プレゼン、プロパガンダしかできない政治屋さんの責任はあると思います。 ・・・まてよ。それをわざとやって、愚民に政治の口出しをさせない政略か・・・。 んなわけないか(#^.^#) |
こんにちわ。呟き尾形です。 小泉内閣メールマガジン第166号ラオス訪問を読んだ感想を、小泉内閣 に送信した内容です。 ----------- ラオス訪問の感想です > 外国との協力関係は、首脳レベルでの会議だけで成 >り立つものではありません。草の根レベルでの協力や >交流の積み重ねが、国と国との友好、協力をかたち作 >るのだと思います。 > > 「ラオスにきて、彼らに教えることよりも、かえっ >て日本人が忘れていた人間として大切なものを教えら >れたような気がする。」というNGOの男性の言葉が >深く胸に残りました。 同感です。 となれば、草の根レベルで協力し合える環境づくり、つ まり、積極的な文化交流できる環境づくりが政治としてと る手段のように思えました。 日本において、外国の出来事はどこか他人事でリアリ ティーに欠ける風潮があるように思えます。それは、体験 できる事柄ではないからであり、それは役人の仕事だ。 という固定観念を持ってしまっているのかもしれません。 ------------------ 実際、私のような小市民は、NGOなどで海外で頑張って いる人のことを聞くと、ただただ、すごいなぁ。と思ってしまう。 なんというか、自分の生活をするためで精一杯で、国家 どころか、自分の身の回りのことで精一杯なのだ。 余裕がない。 これが、外国のことは、役人任せ、だから他人事。という 風潮を生み出しているのかもしれないなぁ。と思わずには いられない。 でも、もし、ラオスに知っている人がいる。とか、そんなこ とになったら、もっと違ってくると思う。 テレビの中だけのことじゃない。と思えるような気がする。 そうじゃないと、すごく頑張れる人だけが頑張って、草の 根レベルは活性化はで着ないように思えるんだよね。 |
こんにちわ。呟き尾形です。 小泉内閣メールマガジン第167号ひとつ2000円のりんごを読んだ感想を、小泉内閣 に送信した内容です。 ---------------- ”ひとつ2000円のりんご”は、目からうろこが出る思いの記事でした。 農作物の市場は国内のみである。 という先入観がありました。 ただ、農業を営む人々は、これまでの減反政策や農業の過保護政策により、より、 保守的な傾向にあります。 どうしても、立ち止まることは、衰退を意味する。 という感覚がないのが現実です。 これから、変わろうとする人だけが生き残る社会になりつつあります。 しかし、大変残念なことに、保守的な人がおおいのが現実です。 この現実を踏まえて、ただ、過保護農政から放任農政にすると日本の農業がます ます衰退することは目に見えています。 理想としては、企業感覚を農家に取り入れる方向性が、変わろうとする農業にな ると考えます。 そのために不足しているのは、農家の良き経営アドバイザー(コンサルタント)だと 思います。 そのためには、導き手のいる指導農政が日本の農業の発展につながるように思 います。 ---------------- それにしても、現代の日本社会は、農業はなかなか儲からない。 理由は簡単で、生産力、労働力に見合うだけの金銭的な収入が少ないというこ とです。 消費者は農作物をよりやすく欲しがるが、より高品質なものを欲しがります。 まぁ、当然といえば当然のことです。 ただ、農作物が出来るまで、どれだけの労力があるか。 サラリーマンの仕事が楽だとは言いませんし、大変じゃない仕事はないのは分か っています。なにせ、両方体験しているわけですから。 両方大変なのに、明らかに農業の方が金銭的な収入が少ない。 これは、大変な不平等だ。 ということに気がつかないのは、農業が保守的な証拠なんですよね。 政治は改革、改革。 世論も保守よりは改革を歓迎しています。 この時代の流れに頑張っている人がいるのは間違いありません。 それでも、社会システムも流通システムもなにもかも、農作物生産者が損をする 仕組みになっている。 どうせ、改革するなら、減反政策以外にも、この仕組みをナントカしなくちゃいけ ない。 じゃないと、どうなるか? とりあえず、脅すつもりも無いが、簡単に想像できる事をあげて見ます。 日本の農業はやっていけなくなるでしょう。 別にいいんじゃない? と思う人もいるでしょう。 しかし、そうなると簡単に生産地の偽証ができます。 有害な食料が発覚したとして、その原因が突き止められるとも限らず、そのま ま輸入せざるを得なくなる場合だってありえます。 さらに、農薬たっぷりの野菜や、「安全かもしれない」遺伝子組み換え食品ばか り食べることになるかもしれません。 なぜなら、日本は外国の農政に口出しできないからこそ起こりえることです。 出来たものだけに農薬がついてなければいいのでしょうか? 有害なものを口にして、発覚してからの対策でよいのでしょうか? 日本の食べ物を日本で生産する。というのは、食の安全を考える上で必要不 可欠なことだと判断せざるを得ません。 そうすると、農家ばかり損をする。という社会システムなり流通システムにもなん らかの対策がなされないとどうしようもなくなるということになります。 ま、頑張るしかないのでしょうが・・・。 |
後日、追加予定アリ。ご期待ください。それではまた(^^)/