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呟き尾形の色の心理学 第113回
アステカの暦について
★★★ ボォン ジョルノ、こんにちわ。クニークルスです。 「こんにちわ。みなさん。ムーシコスです」 《こんにちわの、めぐたんなのだ(⌒o⌒) 》 『こんにちわ。呟き尾形です』 「前回は、アステカの創世神話についてだったよね」 《今回は何の話をするのだ?。(*^ε^*)o》 『そうですね。 アステカの暦についてお話します』 《こよみ?(?_?)》 時の流れを年・月・週・日の単位で区切り、わかり やすくしたものだよ、 カレンダーっていえばわかるかな。めぐたん。 『アステカでは、暦が二つあります。 太陽の運行の観測にもとづいて作られた365日周期の シウポワリとよばれる暦と、260日周期のトナルポワリ と呼ばれる暦の組み合わせで作られているそうです。 そして、この2つの周期が完全に一致する52年が、1つ の節目としての現在の世紀のような意味をもっていたそ うです』 《シュワシュワとボワボワって変なの(*≧m≦*)ププッ》 シウポワリとトナルポワリだよめぐたん。 ききまちがいなのだ。 それにしても、なんでそんなにめんどくさいのだ?》 『わかりません。 分かっていることは、暦の内容で、365日暦は、20日間 の月18か月と残りの5日で、260日暦は、1〜13の数と20個 の記号の組み合わせで構成されていた。一方、アステカ 族の言語はナワトル語と言い、隠喩を多用する詩や散文が 作られたということです。 さて、ウィツィロポチリがアステカの主神ですが、それに 対立していたのは、ウィツィロポチリの兄神にあたるケツァ ルコアトルですが・・・』 「アステカの伝説だとケツァルコアトルは、ウィツィロポチリ に敗れて追放されたんだったよね」 『そうですね。 そのケツァルコアトルは、アステカ暦で、1の葦の年に帰 還し、再びアステカを治めると信じられていました』 《お、頑張るのだ。ツルコトリ…(o ̄ー ̄o)》 だからケツァルコアトルだよ、めぐたん。 『残念ながら、2度の一の葦の年が来ても、ケツァルコアトル はあらわれませんでした』 「でたらめだったの?」 《いやいや、石の上にも3年なのだ(#^ω^)》 三度目の正直でしょ、めぐたん。 『たしかに、三度目の正直というのはいえるかもしれません。 実際、3度目の一の葦の年がくる10年ほどまえから、彗星が あらわれ、異常気象もかさなりました。 アステカでは、今度こそ、ケツァルコアトルがもどってくると 信じられるようになりました』 《ヒーローは復活するのだ\(^o^)/》 『当時の王、モンテスマ二世は、この伝説をおそれていたといわ れています。 そのころ、スペイン人がメキシコ沿岸に到着したのは西暦15 17年3月1日でしたが、3度目の一の葦の年は、西暦にすると 1519年でした』 「ちょうどケツァルコアトルがもどってくる年ってこと?」 『そうですね。 そして、コルテスが本格的にメキシコに上陸したのは、15 19年だったのです。 さて、ケツァルコアトルの象徴する色は白でしたが、アステ カ人は、ケツァルコアトルは、白い身体を持つと信じられてい ました』 「じゃぁ、モンテスマ二世が、スペイン人をケツァルコアトル と勘違いってこと?」 『その可能性は高かったでしょうね。 実際、モンテスマ二世は、スペイン人がケツァルコアトルか どうかを試すため、ウィツィロポチリに対するのとおなじよう に、人を犠牲にした捧げものをしましたが、スペイン人にとっ ては、異文化ですから、げものをこばみました』 《当然なのだ(。・ω-)(-ω・。)ネェ》 『ささげ物を拒んだことで、モンテスマ二世は、ケツァルコアト ルの伝説を運命として受け入れ、抵抗することなく、コルテスを 首都に入れたと伝えられています。アステカ文明の滅亡は、この 二年後、1521年のことだった。 アステカ人にとって、白は滅亡を決する運命の色でした』 それじゃ、アルデベルチ 前へ 次へ 質問、感想などは 、呟き尾形の色の心理学 掲示板に書き込みしください。 |