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相対ゴブリン 04

 たぶん、めぐたんもカオリさんも僕の頭がおかしくなったと思うに違い
ない。
 ただ、僕がいう相対ゴブリンはオカルトとかそういったものじゃない。
 そもそも、 哲学というのは、本来、具体的なものの共通点であつめて、
抽象化していくことで、真理を求めて問い続けていくことだと、花屋さん
がいっていた。
 一般的にはそうなのかもしれないけれど、正直、僕はどうなのかわから
ない。だけど、わからないなりに、僕は、哲学といえば、数学とかみたい
に、哲学なりの解答があって、世界中にある真理という解答を出すものな
んじゃないかというイメージをもっている。
 だから、人類がずっとずっと研究し続けたんじゃないかとも思う。
 それが問うことが目的の学問だなんて、ちょっとさみしい。
 それをを花屋さんに言ったこともある。
 花屋さんはちょっとさみしそうに笑って、そんな風に解答をきめちゃっ
たら、哲学の視野がせまくなっちゃうよといわれた。
 それはそれで、花屋さんのいうことにも納得ができた。
 たしかに、答えを見つけると、人はそれ以上探求しないものだと思う。
実際、世界中にある学問は常に学問の分野ごとに新発見するために研究し
つづけている。
 じゃぁ、哲学が研究するものってなんだろうか?
 たぶん、哲学の研究するものは、知らないことを問い続け、知っていく
ことで、人の心を豊かにていくはずなんだと思う。
 でも、哲学は便利すぎるから、たまに人の方が使いこなせなくなって哲
学を暴走させることがある。
 その暴走がモンスターになるわけだ。
「私に相対ゴブリン?」
 カオリさんはハトが豆鉄砲を食らったように目をマンマルにして僕をみ
ている。
 その表情もまたたまらなくかわいいのだが、そんな気持ちにさせたのは、
普通では信じられないことを言いだしたわけだから、罪悪感を感じなくも
ない。
《うん、うん。
 そうたいそうたい。
 でも、そーたいこんぶって、何なのだ?》
 ・・・相対ゴブリンだって、めぐたん・・・。
 それよりも、相対ゴブリンのことをどう説明していいのか僕は戸惑って
いた。
 なぜなら、相対ゴブリンというのは、主観的なもので、哲学の暴走が哲
学モンスターと花屋さんが造語として、勝手に名前をつけて、僕がそれを
聞いただけの話だから。
 う〜ん、困った。
「ねぇ、マリ。
 知っていることを教えてくれない?」
 カオリさん。なんて優しいんだ。
「えっと、相対ゴブリンは、哲学モンスターっていって、哲学が暴走する
ときにとりつくモンスターで・・・」
 我ながらまとまりのない荒唐無稽な話だと思った。

 
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