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林星塾 小さな礼儀作法



 

 

 天雄城。
 緊迫する世界情勢の中、難攻不落の天雄城の城壁に囲まれバーミリオンで暮らす住人は平和なときをすごしていた。
 そして、バーミリオンの街は、さまざまな国の交流する中心地であることもあり、国際色豊かな城下町である。
 世界中の民族が、バーミリオン城に集まり、交流する。
  漢人の林星康は、そんなバーミリオン町のはずれで私塾を開いていた。
 今はまだ、いつ戦争が起きるかわからない時勢に、学問ごときを学ぶ余裕などとののしる人間もいる。
 だが、林星康は、戦乱の世だからこそ、戦乱が終わった後の時代を担う若者たちを育成する必要があると考えていた。


 林星康は、塾長室で、資料の整理をしていると、教会の鐘の音が昼時を知らせた後、ドアがノックされる。
「どうぞ」
 ノックをしたのは誰かわかっていた。
 フェブレーロ。
 事前に約束をしていた、トルファン人の青年だ。
(なんとも、時間に正確な生真面目な青年ですねぇ)
 林星康は、部屋に入ってくるフェブレーロの生真面目さを改めて確認した。
「さて、今日もイロルのことですか?」
 フェブレーロは、頷く。
 林星康は、いつものことと肩をすくめる。
 イロルは雷人である。なので、いわゆる礼儀というものが他の民族とくらべて、粗野な習慣になっているのだ。
 フェブレーロは、トルファン人であり、昔からの習慣にうるさく保守的な民族性をもっている。
 そうした理由から、フェブレーロとイロルは、礼儀を守った、守らないと、いつも、どうにも衝突してしまうのだ。
フェブレーロは、不満げに口を開いた。
「民族ごとに、文化や習慣があることは認めます。
 しかし、イロルは酷すぎます。
 何をするのにもがさつ過ぎます。
 たとえば、食事のときの音」
 フェブレーロは、思い出すのもおぞましいといわんばかりの表情をする。
「そうですねぇ。
 たしかに、私達がみんなで、小さい礼儀作法に気を付けたなら、この世界はもっと暮らしやすくなります。
 でも、礼儀というのは、形式上の堅苦しい礼儀作法ではありませんよ」
「では、何ですか?」
 フェブレーロは眉間に皺を寄せて聞き返した。
「そもそも礼とは何か?
 それは難しい質問ですが、いってしまえば、礼義とは、異なる価値観の人間同士が意思疎通させるための形式ですよ」
 林星康の言葉に、フェブレーロは首をかしげた。
「礼儀というものは、社会生活をする上で、円滑な人間関係や、秩序を維持するのに必要な倫理的形式の総称です。
 一般的に人は、同じ価値観や習慣をもった人たちが、社会を形成し、社会の中で生活するわけですから、人として、従うべき行動様式と言うことになります。
 とはいいつつも、この天雄城。
 他民族の都市国家で、むしろ、民族ごとの価値観を共有することは不可能と言って良いでしょう。
 ですから、価値観や風習があるとは限りません」
 林星康は、一息ついて立ち上がり、ティーポットからティーカップに紅茶を注ぎ、フェブレーロに差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 そういって、フェブレーロは、早速紅茶に口をつけた。
「たとえば、私は漢人ですが、紅茶を差し出した後にも漢人なりの礼儀作法があります。
 差し出した人間が先に口をつけるまで、差し出された人間は飲んではいけない。
 というものです」
 林星康の言葉に、フェブレーロは顔を赤らめた。
「大丈夫です。
 そんな礼儀作法など、漢人同士でおこなわれるべきことですから。
 ともあれ、礼に従うべきではありますが、礼に従うだけで良いと言うことにはなりません」
「つまり、形式的な礼儀よりも、そもそもの礼儀が必要な理由を考えろということですか?」
 フェブレーロは呟くように言った。
「その通りです。
 一人一人価値観や感じ方が違うからこそ、礼によって、人間同士が意思疎通させるための形式が必要なんです。
 雷人には、雷人の価値観と風習、トルファン人にはトルファン人の価値観と風習があります。
 雷人は、他の民族と比べて粗野だと思われがちですが、体を張って他人を思いやります。
 ところで、フェブレーロは雷人の習慣や礼儀作法は知ってますか?」
「あ!」フェブレーロは、小さく声を上げた。
 たしかに、フェブレーロはイロルを粗野な雷人だと心の奥底で軽蔑していた。
 でも、さっき、先生に漢人の礼儀作法を教えてもらうまで、自分は、漢人の礼儀作法をやぶっていた。
 それに、自分は雷人の習慣や礼儀作法に興味をもったことなんてない。
 イロルがフェブレーロに対して怒る時、たしかに、イロルはよくわからない理屈を言っていた。フェブレーロはそれは非論理的な言いがかりだとばかり思っていたのだが、それはもしかすると雷人の習慣や礼儀作法に反しているからだったのではないか?
 そう自問した。
 そして、自分が逆の立場だとして、トルファン人の礼儀のことをいっても、イロルが理解できるはずも無い事を悟った。
「まぁ、礼儀作法の形式よりも、重要なものがあるんだと、私は思います。
 言うまでもありませんが、それは相手への思いやりです。
 そして、思いやりは、民族が違っても、ある程度の共通点がでてくるものです。それが、態度になって現れるだけの話だと思いますよ。
 私は、それを小さな礼儀作法だと呼んでいますけどね。
 まぁ、イロルには、すこし礼儀作法を守るようには言っておきます。
 私も、一緒に食事をしているとき、大きな音を立てられるのは好きではありませんし」
 林星康は優しく微笑んだ。

 

 

  呟き尾形 2007年6月10日 アップ
呟き尾形 2015年4月6日 修正
 

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