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呟き尾形の哲学講座
第81回 中世哲学 教父哲学 アウグスティヌスのあゆみ

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、何についてなの?」
『今回は、教父哲学のアウグスティヌスのあゆみについてです』
《あうぐすティ 痛い!(>O<)
 言いにくい名前で舌をかんだのだ(;w;)》
 アウグスティヌスは、古代キリスト教の神学者、哲学者、説
教者、ラテン教父とよばれる一群の神学者たちの一人だよ、めぐたん。
『そうですね。
 アウグスティヌスは北アフリカのタガステで、キリスト教徒
の母モニカと異教徒の父パトリキウスの間に、ローマ帝国の官
吏の息子として生まれました
 若い頃から弁論術の勉強をし、カルタゴ、のちにイタリアで
弁論術を学んだそうです』
「なんだか、哲学者ってかんじだけど、教父というより、ギリシア
の哲学者っぽい感じだね」
『そうですね。
 実際、若い頃のアウグスティヌスは、禁欲的なキリスト教とは
正反対で、放縦な生活おぼれ、19歳のころには、身分の低い女
性と同棲していたともいわれています』
《ど、どーせーなんて、不潔なのだ(≧∀≦)》
『そんななか、人間の理想と現実の矛盾に苦悩し、マニ教を信奉
していました』
「マニ教?」
 当時、マニ教は、盛んな宗派で、宗教と哲学を半々に混ぜ合わせ
たような、癒しの教えをといていたんだよ、ムーシコス君。
《キリスト教どころか、違う宗教をしんぽーするなんて意外なの
だ(@0@》
「マニ教は、キリスト教とは似ていたの?」
『いえ、むしろマニ教は、世界を前と悪、光と闇、霊と物質という
二元論で物事をかんがえていました。
 ですから、キリスト教とは全く異質、というか正反対の宗教だと
いえるでしょう。
 そして、マニ教は、霊の力が、人間を物質の世界から引き上げて、
魂を救済されるとしていました』
《わわ、なんかあやしーのだ(||@Д@)》
『まぁ、信仰していない宗教というのは、どの宗教も怪しく感じる
かもしれませんが、とりあえず、アウグスティヌスは、マニ教をし
れば知るほど、なんでも二つにはっきり分ける事に疑問を抱いてい
ました。
 その後、新プラトン主義を知り、ますますマニ教に幻滅を感じ
たそうです』
「新プラトン主義は、プロティノスだったよね」
『そうですね。
 そして、アウグスティヌスは、当時ローマ帝国の首都であったイ
タリアのローマにわたり、更にその北に位置するミラノで弁論術の
教師をするうち、ミラノの司教アンブロジウスと母モニカの影響に
よって洗礼を受けキリスト教徒となったそうです』
《さいしょからキリスト教徒じゃなかったというのは、意外なの
だ( ̄ε ̄;)》
『そうですね。
 そして、アウグスティヌスは母モニカの死後、アフリカに帰り、
北アフリカの都市ヒッポの教会の司教に選出され、一生その職に
あったそうです』
《ふに、なんだかあっさりしたじんせーみたいにかんじるの
だ( ・.・)ボソ》
『いえ、アウグスティヌスは、キリスト教の洗礼を受けてからの
異教、異端とのはげしい論争や著作を通じてキリスト教の正統教
義の一本化することに尽力をつくしたといわれています。
 さらに、新プラトン主義哲学のキリスト教化につとめて、中世
スコラ哲学への道を開きくにいたったそうです』
「つまり、論争でものすごく激しいことをしたってことだね。
 なんだか哲学者らしいといえば、哲学者らしいよね」
『また、アウグスティヌスの凄いところは、認識論では、近代哲学
の父と呼ばれる、デカルトの先駆をなし、国家論ではキケロの著作
をキリスト教的に受容して、あらゆる国家権力も神に由来すると説
いたそうです』
「う〜ん、なんだかすごいね」
 じゃ、今回はここまでだね、
 それじゃ、アリデベルチ。
 

★★★

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