登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人
★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は何についてなの?」
『今回から、前回紹介したアウグスティヌスの哲学についてお話
しようとと思います。
キリスト教は、もともと宗教でしたから、哲学からみれば、非合
理な要素を含んでいました。
ですから、ギリシア哲学的な合理性との折り合いがなかなかつか
なかった部分がありました』
「宗教と哲学のちがいってことかな?」
『そうですね。
宗教は信じる事を前提にしますが、哲学は問うことを前提とします。
ここに一つの隙間が生じるのですが、それは、教父哲学において、
ギリシア哲学的な知とキリスト教的な信のどちらを優先させるべきか
という形で争われていたわけです。
そんな中、神の存在を確かめなければ信仰は不可能であるとするグ
ノーシス派と、神は合理的知すら超越しているからこそ、信じるほか
ないというテルトゥリアヌスが対立にいたったのです』
《ふに、ぐのーしすは聞いた事があるのだ(;'◇')エットナンダッケ
でも、てとりすは、ゲームのことか?(||@Д@)》
テトリスはパズルゲームだけど、テルトゥリアヌスはキリスト論、
三位一体論を系統的に論じた最初の人物だよ
テルトゥリアヌスは、豊かな法律知識を持っていたようで、キリス
ト教思想と哲学の関係について初めて考察しているた人物だね。
テルトゥリアヌスにとってキリスト教信仰は普通の理性で解釈すべ
きでないものだったため、信仰の哲学的な解釈を拒絶したそうだね。
めぐたん。
「グノーシス派とはどんな対立があったの?」
『グノーシス派は、認識によって真の神に到達できると考えていました。
つまり、知性を優先させました。
それに対して、テルトゥリアヌスは宗教は、信仰の哲学的な解釈を拒絶
して。キリスト教信仰は普通の理性で解釈すべきでないもの、つまり、
信仰を知性より重要だとしたんだね』
「それは対立して、しかたないよね」
《どっちが勝ったのだ?(◎_◎;) 》
『どちらが勝ったというより、アウグスティヌスが終結させたとい
うべきですね。
アウグスティヌスは、思想の中に知性と意志を混在、並置させる
ことで、さまざまな説明をしました』
「どういうこと?」
『たとえば、神と知性の関係として、神の存在などに疑えるのは、
疑いえぬ永久真理が存在するからであり、その永久真理を作り出
したのが永遠の知性をもつ存在である神だと説明したのです。
また、信仰と意志の関係として、アダムは自分の意志で禁断の果
実を食べ、人間の原罪が発生したとし、この罪を唯一教えるイエス
を信じなければならないとしたのです』
《よくわからないのだ〜(>_< )( >_<)ブンブン》
つまり、知性が先とか信仰が先とかの問題じゃないよってことさ。
どっちが重要というわけじゃなく、どっちも重要だってことだね
めぐたん。
《なんだか、たまむしいろのけつろんみたいなのだ(;¬_¬)》
「でも、知性を得る事で、知性によって、神を疑えることを原罪と
したのは、説得力があるよね。
信仰は大事だけど、信仰を疑う知性は原罪ってしたわけだから」
『そうですね。
知性は知性として大事だけど、信仰のない知性は罪とすることで、
信仰の大事さを強調したわけですからね。
こうしたこともあり、アウグスティヌスは、教父哲学の最大の神
学者だといわれています』
それじゃ、アリデベルチ。
★★★
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