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呟き尾形の哲学講座
第89回 中世哲学 教父哲学
      アウグスティヌス 二つの国

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は何についてなの?」
『前回の、アウグスティヌスの精神的照明説の続きです』
《どひゃ〜(||@Д@)
 難しそうなのだ(@0@)》
「前回、世界に存在するすべての原理的根拠はイデアとして
の神の精神に含まれるって、説明したんじゃない?」
《うひぃ〜(\(@v@)/)
 よくわからないのだ(?_?)》
『つまり、神の精神にイデアは含まれているという考え
ですね。
 そして、神の精神は世界のすべてであるということです』
「どういうこと?」
『つまり、一人一人の人間の意志すらも、神の精神の一部
であり、だからこそ、神の法も人間の心の内に書き込まれ
ているとアウグスティヌスは考えました』
「でも、人間の気持ちって、自由だから、神様に管理されて
いるってわけでもないんじゃない?」
『いいえ。
 人間の意志の自由は、神によって与えられているのです。
 ただ、アウグスティヌスは、人類は原罪を抱えていると
考えいうのは前にもやりましたね』
「えっと、原罪というのは、キリスト教で、人類の祖、アダ
ムが犯した最初の罪のことだったよね」
『はい。
 原罪下における人間の意志の自由は、いわば”罪を犯さざ
るを得ない”自由になってしまっています』
《えっと、人間は神様の一部で、たまに悪いことしちゃうの
は、人間が原罪をもっているからってことなのか?(・_・?)
 でも、それっていいことなのか?( ・.・)ボソ》
『いいえ。
 ですから、神の無償の恩寵によって、”罪を犯すことのな
い”自由へと変えられなければならないと主張しました。
 そのため、アウグスティヌスは常に”神よ、あなたの命じ
るものを与えたまえ。あなたの欲するものを命じたまえ”
と祈ったといわれています』
 人間は、自分で意識しないと、罪を犯してしまう存在
だってことだね。シニョール呟き尾形。
『はい。そうです。
 そして、アウグスティヌスは、はっきりと,神の国と地の国
の区別をしました』
「どういうこと?」
『神の国というのが、神の秩序、地の国というのが、世俗社会の
秩序の区別をはっきりさせたということです』
《ふに、どーゆーこととなのだ?・・・(;¬_¬)》
『つまり、人間には、二つの愛があり、その二つの愛が、二つの
国をつくったのです。
 一つは、神を軽蔑するまでにいたる、自己愛が地の国です。
 自己を軽蔑するまでにいたる、神の愛が、天の国です』
 つまり、人間がさも矛盾するような、二つの相反する愛が
あるってことだね。
 シニョール呟き尾形。
『はい。
 アウグスティヌスは、二つの国という表現で、二つの愛が成立
原理となり、二つの相反する国の創生と抗争展開したのです。
 そして、その終末を描いた壮大な哲学者がアウグスティヌスの
神の国だということです。
  そして、神の意図(プラトンでいうイデア)に基づいて、世界
は創られたというプラトン的存在論も受け継いでいるのです』
 なるほどねぇ。
 それじゃ、アリデベルチ。
 
 

★★★

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