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呟き尾形の哲学講座
第96回 中世哲学 スコラ哲学
 アラベルドゥズ 倫理学

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、普遍論争の何についてなの?」
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、何についてなの?」
『今回は、アベラルドゥズが主張した倫理学についてお話したい
と思います』
《リンリンオンガクなんて、秋の虫みたいなのだ〜♪(^o^)♪》
 倫理学だよ。めぐたん。
 一般には、道徳・倫理の起源・発達・本質などを研究対象とする学問
ってことになっているけど、アベラルドゥズの場合はどうなの?
 シニョール呟き尾形?
『アベラルドゥスは、中世の人間としては、初めて、倫理学を著して、
人間の行為と意図と道徳法則の関係を論じた哲学者です』
「中世の哲学者は、その前には倫理学については書かなかったの?」
『そうですね。
 これまで、中世の哲学ということで、フィロンとアウグスティヌス
についてお話ししましたが、倫理という点においての話題はなかった
わけです』
《そういわれてみればそうなのだ(◎-◎》
『アベラルドウゥズは、道徳性において問題なのは、我々が何をなす
かではなくて、何故にそれを為すかという意図であると主張しました』
「どういうこと?」
『道徳は、具体的な行動や態度のことではなく、どうして具体的な
行動や態度をとるかという意図のことだということです。
 たとえば、電車で、お年寄りに席を譲るという行為が道徳性なのでは
なくて、一般にお年寄りは体力がなく大変だろうから、席を譲って
少しでも助けてあげようという思いやりの気持ちが道徳性だという
ことですね』
《なるほど、なんとなくわかったのだ(⌒o⌒)》
『そして、アラベルドゥズは、自然的行為は道徳的に見れば中立であっ
て、それ自体が正しくあるいは不正なのではないとしました』
「えっと、自然的行為というよは、いわゆる本能とか欲求というやつだ
よね」
『はい。
 欲求を満たすという行為そのものには、道徳的には善悪も無く、中立だ
とアラベルドゥズは主張しました。
 とはいいつつも、人間は、何らかの行為をするとき、何らかの意図が
生じます。
 この意図こそが道徳性の重要な部分であるのは先ほど述べたとおりです。
 この行為の意図については、神の法則にかなっていなければ消散されな
いので、むしろ非難されるべき罪となるとアラベルドゥズは主張しました』
「つまり、行為の意図と神の教えを一致させることが道徳にかなった行為
であり、神の教えと会わない行為の意図は、不道徳であるということだね」
『そうですね』
《でも、その神の法則ってどうやってわかるものなのだ?(・_・?) 
 知らない場合はどうするのだ?(?_?)》
『アラベルドゥズは、道徳的行為は、その人の所有している道徳法則につい
ての知識の程度に応じて判断されるべきだと主張しています』
「大切なのは、その人が知っている範囲での神の教えに従うことで、知らない
ところは、行為の意図が発生しようがないから欲求のレベルになるって
ことだね」
 それじゃ、アリデベルチ。
 

★★★

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