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呟き尾形の哲学講座
第95回 中世哲学 スコラ哲学
 アラベルドゥズ 普遍論争 概念論(弁証論)

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、普遍論争の何についてなの?」
『今回は、アベラルドゥズの哲学に触れて生きたいと思います』
「そういえば、いままでは、アベラルドゥズ以外の人たちの
主張だったものね」
『はい。
 アベラルドゥズの哲学は、普遍論争の中で生じたものです
から、ある程度、その背景を知ってもらう必要があったわけです』
《ふえ〜、やっと本人の哲学になるのか?( ̄ε ̄;)》
『そうですね。
 アベラルドゥスは、その著弁証論において、師であるギョーム
などの実在論を批判しました』
《ギョームって誰だっけ?( ̄_ ̄?)》
 それは、
呟き尾形の哲学講座 第91回 中世哲学 スコラ哲学 アベラ
ルドゥズのあゆみ。
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU91.htm
 でやってるよ。めぐたん。
「たしか、アベラルドゥズの先生だったんだよね」
『はい、その通りです』
「ところで、実在論のギョームって人を批判したという
ことは、アベラルドゥズは、唯名論を主張したってこと?」
『まぁ、それは後ほどということで。
 アベラルドゥズは、一つの種に属する個体間の類似性を
本質、あるいは実体とみなすことは誤りであるとしました』
「よくわからないのだ〜?(?_?)」
『一つの種、たとえば、犬という種があるとします。
 ポチもラッシーも犬という個体間の類似性はあります。
 しかし、犬という種が、ポチやラッシーの本質、あるいは
実体だというのには、無理がありますね。
 ということです』
《なるほど、それもそうなのだd(゜ο゜)o》
『その上で、一つの実体がすべての個々の人間の中に、同時に全
体として存在したとすれば、それは自然学の原理に反している
ことになります』
「それはなぜ?」
『概念は、一人一人の人間が持っており、もし、概念を実体とした
ら、1匹の犬であるポチという個体は、ポチという概念を持つ人
すべての人間がポチという個体の実体があることになります』
《それは、たしかにおかしいのだ。(@0@)
 だって、ポチは一匹しかいないからなのだ(◎−◎)》
『はい。
 アベラルドゥズも同じように考えました。
 そして、人間は、すべての人間が、かかわり合うしている共通
の形式、あるいは状態であり、それは事物でも概念でもなく、
両者の間に立つ一つの表示であるとしました』
「どういうこと?」
 つまり、名前が存在そのものだという極端な唯名論ではなくて、
名前は、人と人の間の共通の形式だという、穏健な唯名論に立っ
たということだね。
 ムーシコス君。
『アベラルドゥズにとって、普遍は事物の側にも、音声の側にもな
く、むしろ普遍を把握する人間知性の固有の動きであると主張したの
です。
 つまり、普遍とは、個々の事物から知性が取り出した事物の普遍的
認識であり、その考えそのものであるとしました』
「なるほどね。
 普遍と言うのは、実在するとかが問題じゃなくて、知性で認識
されるものだってことだね」
『はい。
 そのとおりです。
 その意味では、普遍は知性によって、成立するもので、事物
の後のものですが、その内容は既に事物の中に存在していると
しました。
 つまり、創造者である神の精神の中にその原型が存在してい
るとアラベルドゥズは主張しました』
 それじゃ、アリデベルチ。
 
 

★★★

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