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呟き尾形の哲学講座
第94回 中世哲学 スコラ哲学
 アラベルドゥズ 普遍論争 唯名論

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、普遍論争の何についてなの?」
『今回は、概念実在論に対して反対の立場をとった唯名論につ
いてお話したいと思います』
《ゆいめいろん?(・_・?)
 ゆい・・メ・ロ・ンd(゜ο゜)o
 夕張メロンみたいな奴だなd(ー.ー ) ネッ。
 めぐたんにも食わせるのだ(^¬^) ア、ヨダレガ》
 唯名論だよ、めぐたん。
 概念的思惟の対象たる普遍を個物に先立つ実在とみる実念論
に対して、個物こそが実在であり普遍とは単に物のあとにある
名称にすぎないとするってことだよ。
《がいねんじつざいろんの反対ってことぐらいしかわからない
のだ〜(((\(@v@)/)))》
『唯名論は、実在するのは個物であり、普遍は個物のあとに人
間がつくった名辞にすぎないと考える立場だということですね』
「えっと、概念実在論は、概念を実体的なものとしてとらえて
いるんだったよね?」
『はい。
 唯名論は、概念そのものについて、概念そのものは直接見た
り触れたりすることができないという現実を重視しています』
「つまり、名前は決め事に過ぎないというのが唯名論なんだね。
実際、名前自体は、観ることも、触ることも出来ないものね」
《たしかに、ポチとかラッシーというのは飼い主がきめたこと
で、ポチやラッシーに触ることは、それぞれの犬にさわること
で、ポチやラッシーっていう名前に触っていることじゃないの
だ(◎_◎) 》
 唯名論は、名前自体は実在しないという対して、実在は名前
とか概念とセットだというのが概念実在論なんだね」
『そうですね。
 普遍論争においては、概念実在論と唯名論が常に対立してい
るので、お互いの立場を照らし合わせると解りやすいかもしれ
ません』
「たとえば?」
 そうですね。たとえば、アウグスティヌスで登場した、原罪
というものについての解釈は、概念実在論であれば、原罪とい
う概念は実在すると考えるわけですから、原罪は原罪として事
実があったと考えます。
 それに対して、唯名論において、原罪という名称はあるとし
た上で、それに当てはまる普遍的本質や、概念は認識されても、
見たり触ったりできるような現象としては、実在しないと考え
なんです』
 それじゃ、アリデベルチ。
 

★★★

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