ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 

呟き尾形の哲学講座
第110回 中世哲学 スコラ哲学
 ドゥンズ・スコットゥスの唯名論

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、ドゥンズ・スコットゥスについてだったけど続き?」
『そうですね』
「じゃぁ、ドゥンズの哲学についてだね」
『その前に、トマス・アクィナスについて触れてみます』
《なんでなのだ(・_・?)》
『ドゥンズが普遍論争における、唯名論の代表者で、トマス・アクィナス
の哲学との比較が必要になるからです』
「そういえば、普遍論争は、唯名論と概念論の対立だったものね」
 そうそう。
 となれば、トマス・アクィナスの哲学と比較しておいた方が、
わかりやすいかもね。シニョール呟き尾形。
『はい。
 トマス・アクィナスは、哲学は神学の婢であるとい
う立場を貫きました』
《しんがくのひ( ̄_ ̄?)ハテナ?
 学校を哲学を教える日か?(@0@)》
 婢は、女性の召使って意味だね。めぐたん。
《ふに、哲学が女のひとだなんてしらなかったのだ(*⌒〜⌒*)。
 それにしても、どーゆーいみなのだ?》
「えっと、つまり、神学があっての哲学だということだね」
『そうですね。
 トマス・アクィナスの立場は、かえって、非合理な信仰に対する
哲学の独立性を確保し、知の合理生を守ったといえるでしょう』
《なんでなのだ(((\(@v@)/)))》
『哲学は、神学の婢であるためには、神学が、非合理であってはならない
わけですし、神学と対立する必要性がなくなるので、排除される理由がな
くなります。
 それゆえ、独立的に哲学が研究できるようになったわけです。
 このトマス・アクィナスの立場を主知主義と呼ばれています』
「なんか、意外だね」
『そうですね。
 実際、当時としては、トマス・アクィナスのこの立場は、人間の意志を
自由を重視するアウグスティヌス以後の教義に反するものでした』
『さらに、当時としては、トマス・アクィナスのように、神の本質を存在
に限定するなら、神を知的な存在と決め付ける必要もなくなります。
 こうした事情から主意主義を徹底したのがスコットランド生まれのドゥ
ンズ・スコットウゥスだったのです』
「ここで、ドゥンズの登場だね」
『そうですね。
 ドゥンズは、神や人間の持つ意志の自由を徹底的に強調しました。
 神は絶対者であり、絶対の自由意志を持つため、知的合理性にすら拘束
されることはないとし、したがって、神が世界を創造したのも、神がそれ
を欲したからに過ぎず、世界が生まれたことに何らかの必然性があったわ
けではないと主張したのでした』
 それが、神の自由意思、ってわけだね。
 それじゃ、アリデベルチ。

 
 
 

★★★

  前へ         次へ    

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう