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占星学の歴史 占星学と古代ギリシア
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★★★ こんにちわ。呟き尾形です。 いわゆる古代において、バビロニアの占星学は、当時、各地でもてはやされて、さまざまな影響を及ぼしてきました。 そんな、占星学は、当時、どのような利用をされた学問だったのでしょうか? それは、現代のような個人を占うというもの。というわけではなかったようです。 占星学は、どの国でも王侯貴族の占有的な学問であり、国家や社会の動向を占うための学問でした。 つまり、占う対象としては、王の運命、政治の動向、経済の流れ、戦争の勃発、天災などといったことでした。 現在のような個人を占うというよりも、国家を占う。ということが主流だったということです。 では、今日のような個人を占う占星学として、一般市民のあいだに普及するようになったのは、ギリシアに伝わってからといわれています。 理由は、古代ギリシアが、他の国と違って、個人主義的な共和制の都市国家だからです。 それと、もうひとつ。 母国を追われたカルデア人たちが、生活費を稼ぐために、市民を相手に、占い業をはじめたためだともいわれています。 それが、個人を占うものとして市民に受け入れられ、広がりました。 また、占星学が当時のギリシアに与えた影響は、他にもあります。 占星学は、当時のギリシアの、哲学者や科学者にも信奉されるようになりました。 たとえば、三平方の定理で有名なピタゴラス、大哲学者プラトン、医学の祖とあがめられたヒポクラテスなど、歴史に名を残すようなひとびとにも影響を与えたということです。 では、ピタゴラスは占星学からどのような影響を受け入れたのでしょうか? まず、ピタゴラスの教養の特徴は、数学や幾何学だけではありません。 音楽にも占星学をとりいれた形跡があります。 これは、楽器の弦を調律する道具を発明したのはピタゴラスとされいますが、当時の七つの惑星を七弦琴にたとえ、七つの音階は惑星の運行によって生じる空気の振動から生まれるのだ。と説きました。 これを天体の音楽と称したそうです。 ただ、異説もありまして、ピタゴラスなどに代表されるようなギリシャの自然探求者は、「占星術を非科学的で邪道なもの」と受けとり、占星学に魅力を感じなかったらしい。という説もあります。 次に、プラトンが占星学からうけた影響はどうのようなものだったのでしょうか? プラトンは、宇宙周期説を最初に唱えたと言われています。 宇宙周期説とは、天空の春分点が、約2万5千年以上の時間をかけて12星座の中をぐるっと一巡しているとする説です。 この春分点は、1年に50秒ほどズレ、そのズレによって、各星座の中を約2100年以上かけてゆっくりと進みます。 この星座にあてはめた時代をプラトン年とされ、春分点がある期間中は、その星座によって象徴される特性が時代精神に強く反映されると云われています。 最後に、現在でも、医学の祖とあがめられているヒポクラテスが占星学にうけた影響にはどのようなものだったでしょうか? ヒポクラテスは、各地を旅して医療活動を行い賞賛を得たり、ペロポネソス戦争のときにはアテナイをはじめとする諸都市を疫病から救い、アテナイの市民権を得た、などの実績を持つ医師です。 ヒポクラテスの医療は、病気の治療法としては自然の回復力を重視して食品法を主にし,それを病人の状態に合わせて指定するというものでした。 病状を正確に観察し記述し、病気よりも病人の現状を全体としてとらえ,将来の経過を正しく予知しようとする。 つまり、病気を生物に起こる自然現象として土地や気候を含む環境全体の中においてとらえ、それに彼特有の合理的な説明を与えたものでした。 そうした、ヒポクラテスの医療と学説は、それまでの巫術的な治療法や独断的な教条になりかねない哲学から独立した一つの学となり、医学の祖になりえたのだ。 と考えられています。 そのような、合理主義のヒポクラテスは占星学の支持者でもありました。 体の病気と治癒が、惑星の周期と密接に関連しているという、カルデアで発見された医療記録をヒポクラテスは調査していたとされています。 そこで、ヒポクラテスは、占星学が診断の重要な手だてになると結論づけ、よい医師は占星学の基礎的知識をもつべきだと信じるに至りました。 それは、「患者のホロスコープを解読できない者に、医師の資格はない」 という言葉から伺えます。 このように、占星学は古代ギリシアの市民や現代でもその名を残す人物に受け入れられ発展していきました。 ★★★
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