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占星学の歴史

 占星学とローマ 

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こんにちわ。呟き尾形です。

 占星学がギリシアを経て、BC2世紀ごろ、ローマに伝わったとされています。
 もちろん、占星学が伝わる以前にもローマには占いはありました。
 そんななか、紀元前1世紀、ユリウス・カサエルがガリア遠征に成功し、ローマの英雄になったころ、社会が大きく変動していきます。
 プトレマイオス王朝の最後の女王クレオパトラの死を契機に、ギリシアもエジプトもローマの支配下に入り、ヘレニズム文化が急速に衰退した時代でもあります。
 そんななかでも、占星学はローマに浸透し、ローマ初代皇帝のアウグストゥスは、自分の生まれた星座である山羊座を刻んだコインを作らせた。
 という逸話もあります。
 ローマにおいて、占星学は大きな人気をよびます。
 もちろん、占星学は、個人の運命を見るものではありましたが、そもそも、国家や社会の行く末を占う技術でもあります。
 そのため、ローマの政府はたびたび、占星学の禁止令をだすことがありました。
 なぜなら、権力の座を伺うものが占星学を悪用するのではないかという、恐れが主な理由だったという説があります。
 そのような社会情勢において、有能な占い師や占星学の知識を持つ人物は東国されたり、追放されることがしばしばでした。
 それでも、占星学の人気は、とどまることがなかった。
 ともいわれています。

 占星学は、ギリシアからローマに伝わったわけですが、ローマにおいては、ギリシア語の知識不足と、天文学のデータが不足していた事もあり、実用的かつ学術的な占星学は、次第に失われていきました。
 そのかわり、占星学は、より啓示的、神秘的な色合いが深められていきました。
 その背景として、地中海沿岸地域では、ギリシアの神秘思想、グノーシス主義、カバラ思想など様々な神秘的思想が広がっていたことがあげられます。

 また、占星学が神秘的な解釈がなされたのは、この時代が魚座の時代でもあるということもからんでいるのかもしれません。
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