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占星学の歴史

 占星学とペルシア

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ペルシアと占星学

 こんにちわ。呟き尾形です。

 占星学そのものは、5世紀〜6世紀以降、異端宣告をうけた、ネストリウス派キリスト教徒と共に、ペルシャに伝えられました。
 当時のイスラム世界は、昔からあったゾロアスター教から、イスラム教へ改宗される時期にありました。
 ゾロアスター教は、多神教に対して、イスラム教は、キリスト教と同じく一神教です。
 ここから、キリスト教と同じく、占星学を徹底排除するかに思われますが、宿命論を好むペルシア人は、柔軟な姿勢を見せました。
 それは、哲学的、思想的な側面は排除し、占星学の実用的な側面のみを取り入れる事で、徹底排除は免れました。
 ちなみに、ネストリウス派とは、キリスト教の教派のひとつのことです。
 そもそもは、コンスタンティノープル総大司教(在位428〜431)のネストリオス(?〜451ごろ)のキリスト論を支持する教派だそうです。
 ネストリオスのキリスト論は、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考え、それゆえ、人性においてキリストの母である、マリアはキリストの人性のみの母であり、マリアを“キリストの母”というべきで“神の母”と呼ぶことに反対したそうです。
 それがきっかけで、キリストの位格をめぐる論争に巻き込まれたそうです。
 そして、431年のエフェソス公会議で異端と断罪され、異端宣告をうけたそうです。
 ネストリオス自身は、その後、エジプトに追放され、そこで没しましたが、その教えそのものは、ネストリオスの説の同調者ははじめエデッサ、ついでペルシアに逃れてたそうです。
 そして、ニシビスとセレウキア=クテシフォンを中心に独自の教会活動を行ったそうです。
 また、イスラム世界の支配下でも活動が許され、そこから、インド・トルキスタンをへて唐代初期の中国にも布教され、そこでは景教と呼ばれたそうです。
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