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占星学の歴史

 占星学とダンテ

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 占星学とダンテ

 こんにちわ。呟き尾形です。
 詩聖とうたわれた、ダンテ・アリギエリは、キリスト教信仰の立場から、占星学を批判していたそうです。
 かの有名な「神曲」においては、占星術師を地獄に落としています。
 しかしながら、「神曲」の内容において、占星学の基本概念がふんだんに盛り込まれています。
 とくに、天国編においては、まさに占星学の世界観だといえるそうです。
 このことから、ダンテは、実際、当時の最先端の技術であろう、錬金術や占星術に長じた神秘主義者ではないかと推測できます。
 さて、ダンテ・アリギエリという人物は、歴史的にはどのような人物だといわれているのでしょうか?
 ダンテは、フィレンツェの小貴族の子供として1265年に生まれ、ラベンナ君主に仕え、1321年に病没したと記録に残っています。
 そして、ダンテは、ルネッサンス期のイタリアの詩人であり、政治家でした。
 ダンテは、9歳のころ、美少女ベアトリーチェに恋心を抱いたそうです。残念ながらベアトリーチェは、ダンテとは、別人と結婚し、若くしてなくなりました。
 しかし、ダンテは、ベアトリーチェに永遠の恋心を持ち続け、その気持ちに詩に託し、作品として残しています。
 では、ダンテは生涯独身かというと、そうでもなく、両親の決めた相手と結婚し、4人の子供をもうけています。
 ここから、ダンテはロマンチストであったとしても、現実をきちんと捉えている人物であることが推測できます。
 ボローニャ大学で修辞術などを学び、古代ローマの叙事詩ヴェルギリウスの作品に傾倒したといわれています。
 その後、政治の世界に入ったのですが、結果的に、政治の世界から追放され、イタリア各地の公国宮廷を放浪したそうです。
 その放浪し、病没にいたるまで、大作、神曲が創作されたといわれています。




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